第5話 魔女と調査員
多種多様な小店が連なる路地の人混みの先に、金色の羊のごときベルタ・アンデールの後ろ姿が見えていた。
尾行に失敗したアルセリアはもはや捕まえるしかないと追いかけているのだが、とうのベルタは時折ちらりと振り返っては困った子供を相手にするかのような表情を浮かべている。それがアルセリアの神経を逆なでした。
アルセリアの目はいっそうベルタのことしか見えなくなっていく。
小柄な身体は加速し、人混みを縫うようにして駆けていく。
路地を右に左にふよふよと、それでいて素早く移動するベルタであったが、アルセリアとの距離は少しずつ縮まっていった。
そうこうして、ほんの人ひとり分の距離まで近づいたとき、アルセリアの手がベルタへ向けられた。
囚人を捕らえておくような二枚の板状の白い『手枷』、その片割れがアルセリアの右手に一瞬で形成されると、人混みの小さな隙間を射貫くように伸びた。
それは瞬く間に淡褐色の手首に迫り――。
捕らえるすんでのところで回避されてしまった。
少しばかり意表を突かれたベルタが寸前で手を引っ込めたようだ。そしてふよよんっと加速して逃走を再開する。
その際、軒先に積み上げられていた色とりどりの柑橘類が、ベルタの足に引っかかって崩れ落ち、アルセリア目掛けて雪崩込む。
アルセリアがそれをぴょんと跳び上がって避けると、着地したところでおっとりとした声が届いた。
「あんなの、ずるいわ。異能かしら?」
逃げながら、わざわざそんな台詞を届けようとする意図がアルセリアにはわからず、挑発と受け取った。
「逃がしません!」
いつもどおりの生真面目な口調には、激情が込められていた。
そこからはさらに激しい追跡劇が幕を上げた。
ベルタとアルセリアの追いかけっこに気づいた人混みはさらに混雑を極め、戸惑いや怒号をあげる。
「アナタ、リリーレスよね。魔法は使わないのかしら?」
「……使っています。あなたを捕まえるにはこれで十分です」
「ん~、その程度の強化は子供でもできるじゃない。それに連盟の調査員なら機械式や魔導式の一つや二つ支給されているはずだけど?」
「不要です」
「ふーん、もしかして魔法も武器も苦手?」
「余計なお世話です。あなたを捕まえるのになんの支障もありません」
アルセリアはちらりと周囲に目をやって、路地にいた人々がおおよそ脇に避難したことを確認する。
確かにアルセリアは不器用であった。種族的に得意なはずの魔法も簡単なものしか使用できず、支給された調査部の備品も使いこなせなかった。
だが、『異能』だけは違う。
右手に握っていた手枷を身の丈の倍以上に大きくして肩に担ぎ――。
『魔を捕らふ枷』。対象に触れるだけで、その接触部位に枷を嵌めることができるというアルセリアの異能。大きさも長さも自由自在であるが、『手枷』しか作り出せない。
――振り下ろした。
ベルタは今回もあっさりとそれを避けるが、それは寸前で伸びた。
手を捕らえることができないのであれば、そのままぶん殴ればいい。
雑な魔法や、思いどおりにならない機械を頼るよりも、よっぽどシンプルでわかりやすい。
アルセリアは常々そう考えていた。
まるで大剣のような枷はベルタの金髪を巻き取って引きちぎり、地面に激突する。
辛うじて被害を髪だけに留めたベルタであったが、体勢を崩し、屋外カフェに倒れ込む。
アルセリアは即座にそこへ向かおうとするが、ベルタもすぐに立ち上がり、再びふよふよと逃亡を開始した。
ちょっと油断しちゃったわぁと、おっとりした口調であったが、肩で止まっていたシャツはずり落ち、今にもその豊満な胸がこぼれ落ちそうになっていた。
ロブが聞きつけた騒音は、そんな二人の追跡劇であった。
だが、路地を右に左にと動き回る二人に追いつくのは難しく、周囲を見渡し、一番高い建物へと向かう。
その屋上から二人を探し、そして見つけた。
ロブは無造作に回転式小銃を生み出し、構えた。
そこで、舌打ち。
「……ちっ。麻痺魔法弾は弾切れだったな」
以前は無数に創造可能であっただけに、どの弾丸が使えて、どの弾丸が使えなくなったのか、どれを使い切ったのかを把握するのは非常に面倒なことであった。
かつて『無限銃砲』と呼んでいた異能は、魔王討伐直後から『夢幻銃砲』と名を変え、残弾制と成り果てた。
魔王を討伐した衛星砲も残弾ゼロ。しかもそれに匹敵するような銃砲は創造した端から弾切れであった。
ロブがアルセリアを丸め込んでまで銃器屋に行きたかったのは、銃が欲しかったというのも確かにあったが、創造できる銃と弾を増やすという理由も大きかった。
とはいえ、今は少々軽率だったと反省している。
適当なことを言ってアルセリアを丸め込んだのはロブであるが、ここまで猪突猛進だとは思っていなかった。
だからこそ、任務よりも尾行を選ばせた責任は多少なりともあると、こうして建物の屋上からベルタを狙っているのだ。
「……麻酔弾は、あるな。よし」
それでも、『夢幻銃砲』は無力ではない。
そもそもロブは日本にいた頃から銃に詳しかったわけではなかった。簡単な原理くらいは知っていたが、実銃などマグナムとかベレッタとか、有名どころの名前を知っている程度のふわっとした知識しかなかった。
だが、そんなふわとした知識でも、この『夢幻銃砲』は十分過ぎるほどに機能した。
今構えている回転式小銃とて実銃ならばいくつか欠点があり、現実的には不向きな構造をしているのだが、異能で生み出されたこの銃は同じく異能で生み出された弾丸を用いる限り、その欠点は問題とはならない。
ロブの目は銃身についた照準器、照門と照星の先に、アルセリアからふよふよと逃げ回っているベルタを捉えていた。
距離も高さも風向きすらも計算する必要はなかった。狙いさえ定まっていれば、命中する。追尾能力こそないが、若干の軌道修正はしてくれる。それがロブの異能であった。
ロブはベルタの動きを予測しながら、引き金を引いた。
音は、ない。
それどころか反動、そして空薬莢すらもない。
麻酔弾らしからぬ速さで放たれたそれは、ベルタの胴体へと向かう、が――。
ベルタの寸前で弾丸は停止した。
勢いを失ってぽとんと落ちる麻酔弾。
金髪の一部がふわりと動き、障壁を張ったようであった。
ロブがさらに引き金を引こうとしたところで、ベルタと目が合った、ような気がした。
その瞬間、ピンクの煙が爆発した。
ベルタもアルセリアもコミカルなピンクの煙幕に包まれてしまい、ロブは標的を見失う。
逃げられたか、そう思って銃を下ろしたとき。
微かな空気の流れを首筋に感じ、ロブは咄嗟に身をかがめた。
茶色い塊が、ロブの首筋があったところを通り抜けていった。
ロブは体勢を整えながら、振り返る。
犬。
それも二足歩行の犬であった。そして今もいつのまにか描かれていた魔法陣から二足歩行の様々な犬がぴょんぴょんと飛びだしている。犬種は様々だが、すべての犬が二足歩行しており、その愛らしい瞳には理性、そして怒りがあった。
「くそっ、なんだっ」
距離を取る間もなく、次から次へと襲いかかってくる犬たち。
まるで銃の弱点をつくかのように、高速で肉薄し、超接近戦を仕掛けてくる。
武器こそ持っていないが、その拳の勢いは一端の戦士に劣るものではなく、戦士にはない顎は脅威の一言であった。
ロブの顔面、鳩尾、金的と容赦なく急所に、その短い手足を繰り出してくる。
早々に銃を放り出したロブはそれをすんでのところで避けた。
唯一少しばかりできた強化魔法で全身を強化してなお、ぎりぎりといったところ。犬たちの身体捌きに、武術の気配がなかったことが唯一の救いか。
ロブは身体能力任せの犬たち予備動作から予測し、躱していく。
実のところ、ロブにも武術の心得はほとんどない。銃の使用を前提にした武術など転生した異世界にはなかったのだから。
それでも、戦争で培った経験が生きた。
首筋と足元への同時の噛みつきも、五匹同時の拳打も、ぬるぬると奇妙な動きで躱していく。
だがそこに、体術による反撃はなかった。
ただただ、避け続けるのみ。
戦闘勘が鈍っていた、犬たちの速さが想定を遥かに超えていた。反撃できない理由はいくつかあったが、なによりもロブの体術には拳打や蹴りによる反撃が一切組み込まれていなかったのである。
「……ようやく、慣れてきた」
目潰しを仰け反って躱し、足払いを片足を上げて避け、さらに胴体への追撃を身を捩って凌ぐ。
およそ反撃などできないその体勢で、足元を抜けようとしていた犬に拳を添えた。
――ぎゃんっ
途端、頭部を仰け反らせて吹き飛ぶ犬。
ロブは片足でそのまま跳上がって身体を捻り、左右から大きく口を開けて噛みつこうとしていた犬の顎に手を突っ込んだ。
再び、吹き飛ばされる犬。今度は悲鳴を上げることさえできなかった。
あまりにも奇怪な現象に残りの犬たちは尻尾をぴんと立てて、距離を取った。
「……あれで生きてんのかよ」
吹き飛んだ犬が頭や顎を押さえて地面をのたうち回っている姿を見て、うんざりしたように呟くロブ。妙にコミカルなのもたちが悪かった。
犬たちはロブの両手をじっと睨む。
ロブの両手は軽く握られていたが、指の間からほんの少し銃口が見えていた。