エピローグ 用済み勇者の後日談
異界連盟本部とは、島一つに建てられた城だとロブは思っていた。
だが実際には、その足元に土や岩があり、森があり、そして街がある。
つまりここは、島一つに作り上げられた広大な城郭都市であるというほうが正確であった。
それをロブが知ったのは、あの審問会が終わってしばらくしてからのこと。
異界連盟とフェムグラーデンの社会常識や基本スキルを学ぶため、三ヵ月もの間、教育機関に放り込まれることになったロブはそこで軍隊紛いの調教、もとい教育を受けた。
二度と行かない。
それが三ヵ月の教育を受けたロブの偽らざる本心であった。
だが、それも今は昔。三ヵ月の刑期、もとい学習期間を済ませたロブはすっかりと気を抜き、今も大きな欠伸をしながら、連盟本部行きのバスに揺られていた。
午前九時過ぎ。
連盟本部前でバスを降りたロブは、新緑の並木道をぼんやりと歩く。
チチチチッとどこからともなく聞こえてくる小鳥の囀りにさらなる眠気を誘われながら、『白いドレスを着た女王』と称されることもある連盟本部を眺めていた。
五分ほどで通称『女王のつま先』こと本部の荘厳な正門を潜り、白亜の城の中に入るとそのままそのさらに下、地下へと向かう。
下りるごとに薄暗くなっていく階段に、ロブはどこかわくわくした面持ちで進んでいき、辿り着いた場所でぷっと吹き出す。
そこはまるで、元は牢屋ではないかと勘ぐりたくなるような一室であった。
剥き出しの岩肌に、とってつけたようなドアがちょこんとある。
それを開けると、中はほぼ倉庫であった。
棚と無数の箱が積み上がっているだけのようにも見えなくもないが、奥へ進むと申し訳程度にホワイトボードのような情報端末と机、椅子が置いてある。
「これは……ぶふっ、いい。いいね」
『異界連盟全界機関調査部資料整理室』。
ここがロブの新しい職場であった。
調査員が収拾した情報の統合と分析をする仕事、ではなく。
その情報をデータベースにする仕事、でもなく。
それらから漏れた情報の残りカスとでもいうべき、調査員や賞金首のとりとめもないメモから走り書き、なんの根拠もない噂話、果ては誰が作ったのかわからない胡散臭いデータ、これらの資料を整理する仕事である。
つまり、ここにあるのはほとんどがゴミであるが、もしかしたら、もしかすると、ゴミじゃない情報もあるかもしれない、という重箱の隅をつつくに近しい精査部門であった。
一言で言ってしまえば、閑職だった。
だからロブの格好はフード付きの戦闘服のままで、調査員服は支給されていない。支給されたのは職員を示す識別証のみ。
当然調査員のような権限はない。
あるのは、整理した情報の精査と補完に必要とされる情報収集の手段、界境列車への自由乗降権のみであった。
一応異界連盟の看板を背負っている以上、あの界境列車での旅のようなことをして世に露見すれば、今度こそ正式に裁かれ、最悪の場合は死刑もあり得る。
だがこれはすべて、ロブが承知したことであった。
ロブが求めたのは基本的な人権の尊重と界境列車に自由に乗ること、それに兵士にはならないこと。
基本的には連盟法を遵守する立場を取るし、魔王砲も今後二度と使わない。閑職だってかまわないし、新人以上中堅以下程度の給料をくれれば、それでいい。
魔王殺しの勇者の待遇としては相当にささやかなもので、あれだけ大騒ぎしたわりに得られたものは小さいのかもしれないが、ロブにはこれで十分であった。
帰る場所はなく、コネもない。兵士として戦う気もなく、異能もいわくつき。知能、技術、魔力、権謀術数に秀でたところはなく、資産もない。
そんな男にはこれが分相応である。
なにより、連盟と完全に敵対し、千を超える連盟加盟国に出入り禁止になるのはつまらなかった。それではベルタの誘いに乗ってしまったほうが幸せであろう。
実際のところ、連盟はあの審問会を契機に、リスクを負ってロブを籠絡する方向にシフトした。
ロブが示した力と意思を、連盟上層部は軽視できなくなった。
ロブの思惑どおり、獣と獣が力を示し合い、お互いの力を認識し、人と人がその意思を確かめ、落としどころを決めたというわけである。
連盟はロブという扱いにくい勇者をどうにか抑え込み、ロブも可能な範囲でそれを考慮する。
連盟の思惑としては、市民との繋がりという名の鎖を増やし、そのまま籠絡できればと画策する。ロブもそれを拒絶するほどに悪党ではなく、自ら雁字搦めにされていく。
それが連盟の狙いであり、ロブもそれを承知している。
そんなロブの本部内での評判はあまりよろしくない。
もう戦う力もないくせに、魔王殺しの勇者という名前だけで今の気楽な立場を得た。
ロブ自身そう言われているのは自覚しているし、もしかしたらこれが天下りかな、などと思ったりもしている。
そのあたりは、高額報酬じゃないから勘弁してくれと謝り倒すしかない。
ちっとも悪いとは思っていないが。
それに、仕事をしないわけでもない。
正確な記録を残すという意義について、思うところは誰よりもある。
それは界境列車の旅で出会ったアルレッキーノや藤田三郎が大きく影響していた。
「というわけで、行ってみよう」
ロブはニマニマしながら、さっそく界境列車に乗ることを決めた。
スキップでもするかのように薄暗い階段を上がり、全界機関総務部へ向かう。
総務部に着くや、ロブは誰かを探すように総務部の受付をキョロキョロと見渡すと、お目当ての人物を見つけ、近寄った。
「よう、久しぶりだな」
「おはようございます」
調査員から事務員に戻ったアルセリアであった。
腐ることなく、生真面目に事務員をやっているらしい。
「パッシェも元気そうでなによりだ」
結局、ロブには任せておけないとアルセリアに引き取られたパッシェは、総務部で可愛がられているらしく、横でネジをまぐまぐし、方々に愛想を振りまいている、ように見えなくもない。
「というわけで、切符をとってくれ」
からかうようなロブの顔を見てアルセリアは眉間に皺を寄せた。
アルセリアは調査員から事務員に戻された。
当然、界境列車にも早々乗れるわけもなく、世界を股に掛ける調査員に憧れていたアルセリアにとって、ロブの立場は羨ましいといえなくもない。
「……本当にもう五十年以上も生きているのですか? 少し子供っぽいですよ」
「転生前は二十二歳で、今は三十歳。だからといって合わせて五十二歳にはならない。あくまでも三十歳でしかなく、二十二歳までの人生を一度余分にしているだけ。まあ、五十歳として扱われたことがないから、振る舞いなんてわかるわけないだろ? そもそも五十歳の振る舞いかたがわからん」
どうみても開き直っているようにしか見えないロブに溜め息をつくアルセリアであったが、何かを諦めたように手続きをする。
「……こちらが切符です。時間厳守で決して乗り遅れないようにお願いします。事務処理が非常に煩雑になってしまうので」
ロブはイヤーカフス型の切符を受け取ると、さっそく耳につける。
「どう?」
まるで見せびらかすようなロブに、アルセリアはますます不機嫌になり、返事もしないで仕事に戻ろうとした。
「ん~、やっぱりアクセサリーは女がつけるに限るね」
そう言って受付に身を乗り出し、アルセリアのちょっと尖った耳にイヤーカフスを嵌めた。
「何度言えばわかるのですか。その言動も行動もセクハ……」
満足そうな笑みを浮かべながらも意味ありげな目をしているロブに気づき、アルセリアは最後まで注意することができなかった。
「資料整理室の数少ない権限の一つに、情報補完作業の際は臨時に助手をつけることができるというものがあるのだが、どうか一つこの常識のない新人職員を補佐してくれないだろうか?」
胡散臭さしかない恭しいお願いに、アルセリアは半眼となり、呆気に取られ、そして言葉の意味に気づいて、くるりと背を向けた。
「……上長の許可を取ってきます。どうせ腫れ物にでも触るように扱われていますから、すぐに許可は下りると思います」
そう告げて遠ざかっていく赤くなった耳を眺めながら、ロブはニヤニヤと面白がっていた。
しばらくして、あっさりと許可の下りたアルセリアとパッシェを連れて、ロブは界境列車に向かう。
本部にある直通通路を通り、三ヵ月前初めてこの連盟本部に来たときに通った道を逆に進んで、辿り着く。
停車している界境列車は、あの豪華な界境列車の色違いで、青を基調としたものであった。
「車掌さんに挨拶しておくべきです」
アルセリアに促され、ロブは先頭車両に向かう。
そこで、甘ったるい香りと、すれ違った。
綿毛のような金糸の塊と気怠げな笑みを、目の端で捉えた。
ロブは咄嗟に立ち止まり、振り返るも、そこにいたのは白髪の老紳士に腕を絡めた黒髪の女。
「どうかしましたか? ……あの老紳士は連盟のスポンサーとして多額の寄付をしてくださっている会社の重役だったかと」
あれは、確かにベルタだった。
(……爛れるような生活も悪くなかったかもなぁ)
言ってしまったら絶対にアルセリアに軽蔑されるような本心を、ロブは笑って誤魔化し、そのまま運行部所属の正式な車掌に会って挨拶をし、切符を見せ、検査を受け、自分の車室に向かう。
そこは、物置のような一室であった。
狭い二段ベットに歩くのが精一杯の通路、窓も牢獄のように小さい。
勇者として保護されたときとの差にロブは苦笑する。
「……アルセリアにはちょうど良さそうだな」
「最近ロブさんの品性に疑念がありますので、襲われないように上で寝させてもらいます」
しょうこりもなく身体的特徴を揶揄するロブに、アルセリアは冷たくそう言い返した。
ロブは心底楽しそうに苦笑を深め、少し体重をかけるだけで軋むベッドに腰掛け、その小さな窓から外へと目を向けた。
五つの世界のちょうど融合点にあるこの駅のプラットホームには、五つの世界から様々な者たちが集い、行き交っている。
列車にしても、この豪華界境列車だけではなく、定期線や高速線、輸送線まで存在している。
だが、先進世界のプラットホームとはいえ、根本的なシステムは通常の駅とかわりなく、人々は切符を買い、列車に乗り込むだけ。
それは人間に限らず、獣人やリリーレス、ありとあらゆる種族であっても同じであった。
「やっとここまで来た、というより、ようやく始まったって感じかね」
ハノーヴァス王国から逃げ出したときは、勇者か兵士としてしか生きる術を知らなかった。異能が劣化したというのに、それでもそれ以外見当もつかなかった。
それがこうして、どうにか生きる場所をもぎ取った。
朧気ながらも、やれそうなこと、やるべきことも見えてきた。
それは決して、この小さな車窓から見えないものではない。
見えているなら、ただ真っ直ぐにそこへ向かえばいいだけのこと。
そうやって魔王を倒したのだから、今回もどうにかなるはずである。
ロブは満足そうな笑みを浮かべた。
そして界境列車が界境に入ってしまうまで、飽きることなくプラットホームの喧噪を眺めるのであった。




