第2話 ロブの半生
「魔王とはどういう者でしたか」
「――『絶対悪』。あれだけは、生きとし生けるものに対する悪だ」
アルセリアの問いかけに、迷うことなく断定したロブ。
「共存どころか交渉すらも不能。いや、しても無駄。貴族の中には寝返ったやつもいたし、和平に動いたやつもいた。だが、結局最後はすべてをひっくり返されて絶望のうちに死んだ。魔王と魔族化した連中は、殺すために殺し、犯すために犯す。そこに、意味は無い。支配はさらなる殺害や略奪、陵辱のための手段でしかなく、統治などする気はない。ただただ破壊と破滅を撒き散らす存在だった」
誰もが神妙に、ロブの言葉に耳を傾けていた。
ロブの容姿や雰囲気は特別秀でているものでも武張ったものでもない。普段着で街を歩けば溶け込んでしまいそうなほどである。言葉遣いだってそれほど丁寧なものでもなければ、なにかカリスマめいたものがあるわけでもない。
だが、そんな一般兵士のようなロブが放った魔王についての言葉は、独特の緊張感をはらんでいた。
魔王と戦い続けた十五年という歳月の重み、そこへ至るまでにすれ違ってきた無数の死者とその想い、それらを受け止めながら魔王を倒したという事実が、その言葉に説得力を与えていた。
「――では、魔王を倒したあなたには『絶対の正義』があったということでしょうか?」
ロブはきょとんとした顔をしてから、背筋を伸ばしてソファに浅くちょこんと座ったアルセリアの手元に目を向けた。
「……誰が作った質問だ、それ? 答え方に困るだろ。確かに、魔王を倒したことは絶対の正義だったと思ってる。だがそれで俺のすべてが正義になるわけじゃない」
まるでロブの思想を試すかのような質問であったが、ロブはあっさりとそう答えた。こうまでわかりやすければ怒ることもできはしない。アルセリアは少しばかり気まずそうな顔をする。
手元にある本のような魔導端末の資料にあるとおりに質問しただけであったが、いささか質問の仕方が悪かった。
アルセリアは一つ咳払いをしてから、またその大きな目でロブを見据えた。
「こりょは……っこれは、連盟があなたを受け入れるために必要な規則の一つで……」
ロブはつい、ぶほっと吹き出してしまった。
明らかに、マニュアルに基づいたベタベタな対応で、しかも絶妙なところで言い損なっている。
それを真面目そうな妖精のごときアルセリアが真顔でやっては、堪えることなどできなかった。
じっと二人の会話を聞いている使い魔や小人たちも、どことなく微笑ましそうな表情になっている。
「……ですので、連盟としても『魔王』を絶対悪と断定することに問題はありません」
それでもつらつらと説明しきったアルセリアに、ロブの表情は雛の巣立ちを見守る親鳥のそれになっていた。もちろん話はきちんと聞いている。
ここでいう『魔王』には、魔族の王としての呼称であったり、敵対者への蔑称は決して含まれていない。
ある日、世界のいずこかで生まれ、じりじりと拡大。
土、人、動物、さらには島、大陸、海、そして惑星一つを呑込み、さらに膨張。
最終的には神すらも汚染し、世界を崩壊させ、唐突に消失する。
それが異界連盟が殲滅対象にすら指定している『魔王』という存在であった。
「へぇ……、そんな物騒なやつだったのか」
ロブはこの日初めて、魔王という存在の正体を知った。
「世界を消滅させたあと、魔王がどこへ行くのか。生きているのか、死んでいるのかすらわかっていません」
だからこそ、こうしてロブの経験を聞き取り、魔王研究の一助にしようとしているということであった。
「それでは、次の質問をさせていただきます。まず転生召喚前のことを教えてください」
「そうだな……あれは確か大学生、あと二ヵ月もすれば卒業って頃だったか。就活中にリーマンショックが起こって一気に不景気に逆戻りしてな。脳天気にのんびり就活してた俺は当然就職も決まらなかった。その日も面接に落ちて、家に帰って安酒をひっかけて、明日も面接だからと酔っ払ったままシャワーを浴びようとしたら心臓が痛くなって、気づいたら転生してた」
田山朗太。彼女なし。不真面目というほどにはだらしなくもないが、決して勤勉とは言い難い、大学生はこういう失敗をしがちという典型を見事に踏襲してきたような、そんな男であった。
アルセリアはそんな生活を見下すわけでもなく、今度は転生前後のことをロブに尋ねた。
「夢現に誰かに呼びかけられて、それに答えたら、気づいたときには七歳くらいだった、かな。まるで夢から覚めたように自我が目覚めた。七歳までのこともうっすら覚えてた。確かに自分だ。記憶喪失になった自分が七年を生きていたという感じかね」
ロブは記憶を探りながら、ぽつぽつと語る。
「気づいたら孤児院にいる七歳の子供だ。そこから少しずつ周りのことがわかっていくと、必死になった。あの頃の孤児院は奴隷ギルドと関係が近くてな。十二歳までにどこか丁稚にいくか、教会にいくか、それができなけりゃ銀貨五枚貯めて冒険者になるか、それもできなけりゃ奴隷落ちよ。毎年、半分くらいは奴隷に落ちてたんじゃないか。どうにも魔法と相性の悪かった俺はこのままでは奴隷行きだ。必死でギフト、いや異能か、それを磨いた。こっそりな」
魔王を倒した勇者の前半生に人々は聞き入った。
アルセリアが質問し、ロブが答える。
その形でロブがおおよそこれまでの人生を語り終えたのは、五日後のことであった。
「……で、魔王に追い詰められていたことを利用して、奴隷制度を撤廃させ、王族や貴族だけじゃなく民間人にも銃を持たせ、国家総動員態勢でじりじりと押し返し、最終的には魔王討伐に至ったというわけだ。まあ、魔王が最後に大陸の半分を汚染していきやがったせいで、戦後は苦労させられた。あとはまあ、あんたも知るとおりだ」
無論、五日間話しっぱなしではなく、毎日夕食のあとの数時間であったため、五日ほどもかかったのである。
「――ありがとうございました。もしよろしければ明日の夕刻、二階共有スペースにてささやかな歓迎会をさせていただきたいと思います。ご出席願えませんでしょうか?」
車掌のキューバスが、話が終わった頃合いで車室を訪れ、そう切り出した。
「礼儀も作法もなっちゃいないが、それでもいいなら」
ロブがそう言って承知すると、キューバスは軽く頭を下げて礼を言い、車室を出て行った。
一方でロブが歓迎会を了承したことで、使い魔や小人たちが歓声を上げ、ピコピコと踊り、喜んだ。
翌日の夕方。
キューバスとの約束どおり、ロブは二階の共有スペースに初めて足を踏み入れ、そして面食らった。
会員制の高級サロンとしかいいようのない空間に、たくさんの人がいた。
大人たちの感嘆の呟きと、揃っていない拍手。幼い子供たちの歓声と、きらきらとした眼差し。
種族はまちまちで、ロブと同じような人間はもとより、エルフ系やドワーフ系、獣人系。さらには精霊か立体映像のような情報生命体系に機械人系など、しかしそのどれもが明らかな富裕層であった。
あーこれは場違いだったか、とロブは乾いた笑みを浮かべそうになるが、子供たちが目の前に立ったことで、それを引っ込める。
「――あなたのいぎょうに、心からのさんじをささげます」
舌っ足らずの祝福に差し出された花束。そして、敬意の込められた無数の視線。
ロブは面映ゆくも誇らしげな気持ちを感じながら、礼を言って、花束を受け取った。
二時間後。
人間には酒を勧められ、エルフには高尚な言葉で称えられ、ドワーフには腰の銃を見せてくれとねだられた。
種族的肉体的に共通点のない者たちは遠巻きにしていたが、勇者という情報に生で触れることに感慨を覚えていたり、その骨格情報から強さの秘密を読み取って驚愕していたりと、なかなか楽しい夜になっていた。
「勧められたからといって、すべてを飲む必要はありません。だらしない」
「うまい酒は~からだに、悪くないから~いいんだ」
楽しそうに酔いつぶれたロブは、アルセリアに引きずられ、自分の車室に戻っていった。
***
『――まもなく『七十八番世界・フルガス大陸アルドンヌ合衆国マルスス』に到着致します』
キューバスの瑞々しい車内アナウンスでロブは目を覚ました。
時刻的にはもうすぐ正午あたり。
あの歓迎会から五日ほどが経過し、ロブも界境列車という環境に慣れ、夜更かしや寝坊は当たり前の少々だらしない生活になりかけていた。
ロブが寝惚け眼で梯子を下りると、そこにはすでにアルセリアが座っており、珈琲を啜っていた。
香ばしい匂いにロブは鼻をひくつかせ、自分もと思ったところで、ふと車室の大きな窓を見て、目を細める。
久方ぶりの太陽光と青い空。
ロブの細めた目が陽光に慣れるにつれ、次第に大きく見開かれていった。
石造りの壁と街路が、広大な球形を作り出すように螺旋を描いて宙に浮いていた。
それぞれが係留地点となっているようで、翼を持つ船や空飛ぶ巨大石像、歯車だらけの飛行船、水晶の飛行翼を持つドラゴンが繋がれ、螺旋の街路を船員や乗員、乗客、商売人が行き交っている。
中心部の巨大な鏡はテレポーターになっているようで、引っ切りなしに人が出入りをしていた。
ここは異界連盟所属の先進世界。
いわゆる文明の到達点の一つの姿であった。