第26話 妖精の羽ばたき
今朝方、三郎を連れ出すことに成功したベルタは、ロブとアルセリアも巻き込んで、東都最大の繁華街『扇籠』に向かった。
ベルタは三郎の自家用車での移動や、電車での乗り換えが不便で面倒だとぶーぶー言いながらも、扇籠に到着するなりアルセリアを引きずって中心街に突入する。
日本でいうと渋谷と新宿を足したようなこの扇籠は、日輪の流行発信地であり、世界的に見てもファッションの最先端を行く街の一つであった。
「――こっちも似合うわ」
迷うことなくお目当ての店に直行したベルタは、もう三十分も黒や白、ピンクといったヒラヒラの可愛らしいロリータドレスをアルセリアに着せて楽しんでいるが、当のアルセリアは死んだ魚のような目をしていた。
アルセリアは当初、頑なに抵抗した。賞金首であるベルタと馴れ合う気もなかったし、そもそもそんな可愛らしい服は趣味ではない。
だが、ベルタはそんなことなどお構いなしに、強引にアルセリアを着せ替えてしまう。試着室に押し込まれ、こっそりと魔法まで使って着替えさせられてしまっては、魔法が苦手なアルセリアに抵抗するすべなどない。
ベルタは気怠げな様子を見せながらも、驚くほど機敏にあちこちの店にアルセリアを連れ込んだ。
ベルタ自身も楽しげに流行の服からドレス、果てはキワドイ下着まで試着しては買い込んでいる。
そしていちいちロブを呼びつけては試着姿を見せるものだから、下着のときなどはアルセリアが試着室の前で仁王立ちしてベルタが誘うのを阻止するほど。
ただそのせいで、アルセリアも下着の試着に巻き込まれ、なんだかんだ言いくるめられて何着か買うことになっていたのだが。
「もう俺のリクルートは諦めたんだろ?」
「いつか気が変わることだってあるでしょう? それにせっかくここまで来たし、可愛らしいものは好きなのよ?」
ベルタはそんなよくわからないことを言っていた。
ロブと三郎の両手には店を回るごとに紙袋が増えていく。
頃合いを見計らってベルタがこっそり使い魔の犬を呼んで荷物をどこかへ運ばせていたが、その間はロブたちが持つしかない。
ロブと一緒にほぼ荷物持ちにされてしまった三郎であったが、ベルタに振り回されていることを不快に思っている様子はまったくなかった。
「前も言ったが、悪ささえしなければ孫みたいなもんだ」
ロブはこの言葉にふと、三郎の人生の裏側を垣間見た気がした。
日輪が日本に似た社会だというのなら、三郎ほどの立場ともなれば家族との時間も自由には取れなかったはず。子供どころか孫やひ孫を可愛がる時間も我が儘を聞いてやる時間も無かったことは想像に難くない。
晩年に差し掛かった今、その後悔をベルタたちに重ねているのかもしれない。
ただ、ロブはそんな年期の入った心境にはなれそうになく、なんだかんだで少し疲れた様子の三郎を引っ張って、近くの喫茶店に逃げ込んだ。
某有名コーヒーチェーン店に似ていなくもないその喫茶店は、通りに面した壁が一面ガラス張りになっていて表を一望できた。
向かいのビルの上層階の窓には、アルセリアを振り回しているベルタがちらりと見えるが、なにより目立つのは通りに立つ銅像だった。
風雨に晒されているようには見えないほどに、真新しい藤田三郎大元帥の立像。第二次世界大戦前後のものらしく若々しく、それでいて凜々しい。
三郎は銅像を見ると羞恥や悔いなどが湧き上がるらしく、銅像を見ようとはしなかった。
ロブと三郎の間には、コーヒーの香ばしい匂いと店内のざわめきだけが流れていった。
昼食というにはやや遅い昼下がり、へろへろになったアルセリアとまだまだ元気そうなベルタが店内に入ってきた。
「お腹空いたわ?」
ベルタの自由奔放すぎる物言いにもやはり三郎は怒らなかった。
そのあと昼食を食べると、ベルタは再びアルセリアを引きずり、アクセサリーだの化粧だのと買い込み、とっぷりと日が暮れると、そのまま歓楽街に突入してしまった。
初めはベルタが先導していたが、途中、酒を呑んでスイッチの入ったロブがかつての日本の記憶を辿るように歓楽街を連れ回し始める。
居酒屋のチェーン店に始まり、焼き鳥屋、パブ風の居酒屋、立ち飲み屋まで。ロブが日本で学生の頃に行ったどの店とも微妙に違ってよく似た店をはしごした。
三郎も半世紀以上も昔の召喚以前を思い出すのか、ロブを止めることなく付き合い、ロブと肩を並べて楽しむベルタや強引に巻き込まれているアルセリアを眩しそうに眺めていた。
そうして六軒目、三郎は小さなスナックで、同じように酔っ払っていたスーツ姿の見も知らぬおっさんと肩を組み、なぜか陽気に歌っている。二人は似ているようでまったく違う歌を歌っているが、当人たちは気づいていない。
仮にも勇者なのだから、どこへ行っても物静かな三郎さんを見習ってほしいと、アルセリアは溜め息をつき、そっとロブから視線を外した。
何も見ていない、ということにしたらしい。
「――アルセリアっ、飲んでるかっ」
そんなところへ、酒臭いロブがずいっと顔を近づけた。
「リリーレスは意外とイケるわよね?」
周囲の中年男性にお酒を奢って貰っていたベルタもいつのまにか横にいた。
「……いえ、お酒は控えていますので」
仮にも仕事中であるアルセリアは、こんな街中で飲む気はなかった。
ロブはそれ以上勧めなかった。迷惑行為はいけないと、アルセリアに詰め込み教育された成果ともいえたのだが、実はこれで五回目なのだから酔っ払いとは救いようがない。
ただそんなロブとアルセリアの横で、ベルタがこそこそと何かをしていた。
そんなことなど露知らず、アルセリアはベルタが何かを仕掛けたリンゴジュースに口をつけた。
途端、アルセリアの首が、力を失ったようにカクンと俯く。
リンゴジュースにこっそり蒸留酒を入れたベルタは楽しげにふふっと笑う。
ちょっとした悪戯。
調査員がお酒を飲んでもいいのかしら、と言うためだけに仕掛けたのだ。
「……ひっく」
なんとも不穏なしゃっくりに、ベルタが悪戯成功とばかりに微笑んだ。
「うふふふふふふふふふふふふふふ」
アルセリアは肩ほどしかないピンクホワイトの髪を小さく結んでいた紐を自ら外し、真っ白といっても過言ではない頬を真っ赤に紅潮させ、妖しげな笑みを浮かべた。
そのまま、持っていた蒸留酒入りのリンゴジュースを一気に飲み干すと、
「もう一杯下さいな」
と言いながらも、ベルタの前にあった赤ワインを瓶ごと強奪し、ぐいぐいと飲みだした。
そして、空瓶を抱き締めてころんと横になってしまう。
「あら、可愛らしい」
アルセリアの酔い方は予想外であったが、可愛いからそれも良しとベルタはその頬をつついていた。
「――キャアアッ」
突如、店の奥から悲鳴が響く。
何事かと誰もが顔を見合わせ、ロブと三郎は一気に酔いから覚醒する。
さらに怒声と食器の割れる音が続いて、店の奥のドアが蹴破られた。
飛び出してきたのはドスを握り、派手なシャツにスーツを着崩した厳つい男。
そんなどこからどうみても立派なヤクザが、手近なところにいたウェイターに無言でドスを突き刺した。
「あぁああああっ……」
崩れ落ちるウェイターに、血走った目で周囲を睥睨するヤクザ。
そこに飛びかかったのは、店の奥から現れた派手なシャツのこれまたヤクザで、その奥からさらに同様の男たちがわらわらと姿を見せる。
騒然となる店内。血を見た女が悲鳴を上げ、誰かが救急車を呼び、客の何人かはすでに逃げ出そうとしている。
だが、店の出入口からも物騒な男たちが姿を見せ、逃げ道は塞がれてしまった。
そこに、真っ先に飛び込んだのは、まさかのアルセリアだった。
「せっかくいい気分だったのに……」
いつもならば調査員としての立場から自制するところであるが、いい具合に酔っ払っていた。
まるでメリケンサックのように手枷を握り、ドスを振り回すヤクザの懐に踏み込んでぶん殴る。
一撃で白目を剥くヤクザ。
アルセリアは殴ったあとはすぐに異能を消し、何事もなかったかのように周囲を睨む。
「……っ」
そこで完全に目を覚ましたのか、アルセリアは自らの所業に一瞬呆然とした。
が、すぐにやってしまったものは仕方ないと開き直る。遅かれ早かれ、ぶん殴っていたのは間違いないのだから。
***
東都にあるもっとも高いビルの高層階に、日輪かぶれの現地調査員エドモンド・リスタルと界境列車の車掌キューバスがいた。
全面ガラス張りの部屋に畳が敷かれ、床の間には水墨画の掛け軸と、漆塗りの刀掛けに日輪刀までおいてある。日輪風ではあるのだが、全面ガラス張りで、日輪かぶれの金髪中年男性と車掌服を着た人型スライムが向かい合って座っていることで、どこか偽物臭くなってしまっていた。
そんな現地調査員の事務所ともいえる一室で、エドモンドは何度目かの溜め息をつき、窓の外に見える東都の夜景を見つめた。
ロブたちを送り出した翌日に、ロブが三郎と祖国を同じくする日本人だということが日輪政府に露見してしまった。
そのことで日輪政府が少々神経質になり、つい先程までエドモンドの元には何人もの政府関係者が押し寄せていたのである。
異界連盟はこの第989番世界には大きく関わってはおらず、いちいち対応する必要はない。
連盟は第二次世界大戦後に日輪皇国の無差別召喚術式を放棄させるべく、日輪政府に接触しただけで、統合政府も世界会議もなく、独力で世界の外に行く技術もないこの世界とは距離を置く方針であった。
しかし戦後、諸外国に連盟の存在が少しずつ漏れ、日輪政府との話し合いで国際連合の上層部、つまりは各国首脳と事務総長にのみ極秘事項として異界連盟の存在が知らされた。
各国の異界連盟に対するスタンスはそれぞれであったが、連盟はそれ以上何もすることなく、召喚被害者に対するケアと無差別召喚の監視のみを行っていた。
三郎とロブの面会もこの召喚被害者に対するケアの範疇であって、日輪政府にいちいち許可を得る必要は本来ない。
それでもエドモンドは前もってロブのことを知らせ、こうして余計な情報が漏れてしまったあともそれなりに日輪政府に対応した。
そうしてようやくエドモンドがキューバスと落ち着いて話す時間が取れたのが今、ロブの正体が露見した日の深夜、日を跨いでからのことであった。
「魔女というのはどうしてこう引っかき回すのですカネ」
ロブの素性をばらしてしまったのはベルタだと、すでにエドモンドは把握していた。
「魔女だから、と言ってしまうのもあれですが、古来より『勇者を惑わすのは魔女、導くのも魔女』と言われています。我々にとっては厄介としかいいようがありませんね」
「……一概に魔女だけのせいにはできない、というあたりが本当に歴史や物語は馬鹿にできまセン」
そもそも、ロブと三郎の面会を許可してしまったのは連盟上層部であった。
第二次世界大戦をどうにか引き分けにまで持ち込んだ立役者が引退した。
それだけでも日輪皇国にとって大事であるが、その直後から三郎には様々なところから勧誘が殺到した。
無論、異界連盟も勧誘はしたが、断られ、それきり。三郎との関係が悪化しないようにさりげない勧誘で、本人とは良好な関係。
連盟はあくまでも、本人の意思を尊重する。
今回も引退をきっかけに三郎の身に危険が起こり、現地政府と三郎の関係が悪化することが予想されたがゆえの勧誘でしかない。
しかし、それが日輪政府の不信感を誘ってしまったらしい。
だからこそエドモンドはわざわざ日輪政府を動揺させる必要はないと、今回のロブと三郎の面会には反対でアルセリアの申請も却下していたのだが、いつのまにやら連盟上層部がロブと三郎の面会を決めてしまった。
召喚被害者を手厚く保護するという連盟の根幹思想。召喚被害者との関係を良好なものとし、あわよくば勧誘を成功させるという実利。
そのあたりが連盟の意図かとエドモンドは推測したが、少し疑念もあった。
藤田三郎の異能は確かに強力なものであるが、魔王殺しのロブほどではない。本人の年齢もあり、勧誘はそこまで重要視されていなかったはずなのである。
エドモンドはまるで探りを入れるような目でキューバスを見つめた。
「正式な手続きを経た業務命令であれば、致し方ないことかと思います。一介の車掌には雲の上のことはわかりかねます」
キューバスは体内に一つ、水泡をこぽりと生じさせるも、それが何を意味するのか、エドモンドには計りかねた。
「……この国の政府が賢明だとわかったのは、収穫といえば収穫デシタ」
ロブの素性を知った日輪政府は揺るがなかった。多少の動揺はあったようだが、それもエドモンドがロブを介して三郎を勧誘することはないと言明したことで収まった、はずであった。
だが、ここにきて日輪政府以外の国が蠢きだした。
そもそも諸外国は三郎をあの手この手で自陣営に引き込もうと画策し、暗躍していた。
そこでロブの情報を掴んだらしく、連盟が三郎を横からかっさらていくと誤解したようであった。
諸外国にとって、三郎が日輪政府に残るならともかく、異界連盟などという得体の知れない組織に行くなどもってのほかの大事件である。
これまで異界連盟という組織に対して懐疑的な目を向けていた諸外国であったが、世界最大戦力である三郎が引き抜かれるという事態が現実化したことで、連盟の力を現実のものとして認識し、恐れを抱いたのである。
もともと連盟に対して反目していた社会主義国家と世界の二大宗教関係者が真っ先に反応し、それぞれに敵対する資本主義国も動きだした。さらに漁夫の利を得んとして巨大発展途上国も食指を伸ばす。
そうなると日輪皇国の警察、情報機関も対応に追われ、一部の愚か者たちも騒ぎ出す。
もっとも、あと二日もしないうちに、ロブは界境列車で旅立つ。
ロブたちがいなくなれば、事態は自然と沈静化する。
「……『妖精の羽ばたきは風を起こすことはできないが、心に波風を立てる』」
「不穏なことは言わないでクダサイ。仕事が増えたら、盆栽が寂しがりマス」
どこか他人事のような二人の言葉であった。
だが、翌日。
エドモンドの元に急報が舞い込んだ。
それを聞いたエドモンドは酷く冷めた眼差しで、夕暮れの東都を見下ろしていた。




