第19話 聞き取り調査難航中
三日後、界境列車は次の世界に到着した。
そこは険しい雪山に囲まれた大きな街にほど近い林の中。
全域が雪と氷に覆われたこの世界で最も大きな城下町であったが、蒸気機関が生まれたばかりのこの世界では、界境列車の存在を知る者はほんの一握りの賢者だけであった。
この世界の発展を抑え込んできた凍てつく吹雪は、駅名標とプラットホームを生み出して停車した界境列車をあっという間に白く染め上げていく。
そんなホワイトアウト寸前のプラットホームに、数人の幽霊とパメラが降り立った。
「――パメラちゃん、ありがとう。皆さんも、ありがとう」
幽霊を代表してそう言ったのは、あのお酒やお菓子が食べたいとゴネていた若い女の幽霊だった。
今は、あの馬鹿騒ぎしていた姿からは想像もできないほどに、穏やかな表情を浮かべている。
幽霊たちの故郷はこの氷点下二十度を超える城下町よりも、さらに田舎の北方辺境にあった。
故郷の村が戦争に巻き込まれて百年以上前に滅んでいることは、幽霊たちも知っていた。
それでも幽霊たちは恨み言一つ言うことなく、ここからさらに北へ行ったところにあったであろう故郷の村を見つめ、そして天へと昇っていく。
パメラは目に大粒の涙を浮かべながら、見えなくなるまで、感じられなくなるまで幽霊たちを見送っていた。
幽霊たちが天へ昇ると、界境列車は当初の運行予定に戻すべく、早々に次の世界へと旅立った。
「――ごぎょうり゛ょぐ、あ゛り゛がどう゛ござい゛ま゛ず」
雪まみれで涙も鼻水も凍らせたパメラが、泣き笑いのような顔で戻ってきた。
アルセリアは慌ててタオルを渡し、車両に一つは完備されているサウナに遠慮するパメラを押し込む。
サウナで温まるパメラのえずくような泣き声を背に聞きながら、アルセリアは気持ちを新たに車室へ戻り、聞き取り調査を再開するのであった。
だが、そんなパメラやアルセリアの想いを知ってか知らずか、幽霊たちは再び騒ぎ出した。
「俺の右手が疼く。かつて魔王を屠った聖剣はどこだっ」
「退屈こそが人を愚かな行為に走らせる……うむ。走ってしまいそうな我がおるな」
「……飽きた」
「……ィィ」
すでに拘束されて喜んでいる幽霊もいたが、聴取り調査を終えた者や順番がまだ先である者が退屈を持て余していた。
サウナから戻ってきたパメラがオロオロし、アルセリアがマイペースで聴取りを続ける中、幽霊たちと同じように退屈していたロブが動きだした。
ただでさえ慣れない聴取り調査である。完全に飽きていたのである。
使命感に燃えているアルセリアの前でいつものようにラウンジに行くのも気が引けて、ロブは休憩を装ってラウンジへ行こうとした。
するとロブの不審な動きを察したのか、幽霊たちもこっそりついてくるではないか。
「ずるいわ?」
当然のようにベルタもついてきたが、まあ問題はない、はずである。
「――旅に危険と情けはつきものよ。そうでなくては道楽のし甲斐がない」
ベルタにワインを注がれた恰幅の良い中年男性はガハハと笑ってそう言った。
酔っ払いが調子の良いことを言っているように聞こえるが、その男は本気であった。事前に何枚もの契約書にサインをしているし、遺書まで書いている。
「これ、いい香り」
中年男性に奢られたワインをグラスの中で揺らすベルタ。
「そうだろう。それは連盟創設九百年を祝ったときに作られたものだ。五つの世界のブドウから生み出され、およそ百年が経とうとする今でもワインに最も適した品種として君臨しておる」
中年男性はベルタが賞金首と知っていながら、あっさりと受け入れた。
「こっちの蒸留酒もどうだね? 世界樹の古枝で作られた樽で二十年と、歳は若いが、ワシはこれでいいと思っておる。蒼霧に満ちた森の小さな蒸留所で少量しか作られておらんゆえに名は売れておらぬが、連盟加盟国随一であろう」
「あら、ほんと。おいしい」
積極的に男たちの相手をしているというわけでもないのに、ベルタの周囲には酒好きの男たちが集まっていた。
賞金首であるベルタが、手枷を嵌めてお酒の相手をしてくれる。
そのなんともいえない不道徳な行為に、ラウンジに入り浸っている男たちはたちまち虜になった。
もちろん一緒にラウンジに来た幽霊たちにも、幽霊でも呑めるように魔法的に加工されたそれを盛大に振る舞うことも忘れていない。
あの四腕の未亡人も子供たちを連れてやってきていて、少し離れた場所でお酒を飲まない他の幽霊たちと仲良く談話している。
ロブはロブで魔王殺しを聞きたがった幽霊たちの相手をしていた。
ちなみに、美女とあれば誰でも飛びかかっている例の幽霊は、ここでも未亡人に飛びかかったわけだが、列車内の防衛設備が反応し、一瞬のうちに簀巻きにされて転がされた。
「……これは、良くないっ。その未亡人によるやり直しを要求するっ」
もっとも、誰も相手にはしなかったが。
翌、昼遅く。
少々元気の良すぎる例の幽霊を黙らせるため、予定を変更して聴取り調査を行っていた。
ロブが。
「――おれの名前はアルレッキーノ。あれはおれが学生の頃のことだった」
かわいこちゃんに聞き取ってもらいたい、くらいは言うかと思っていたが、思いのほかあっさりと話し出すアルレッキーノという幽霊を、ロブは意外に思いながら耳を傾けた。
アルレッキーノが召喚されたのは大学からの帰り道のことだった。
ただの大学生が小さな国に召喚され、そこで全世界の命運が託されてしまった。
他国が召喚した数人の召喚者と共に旅立ったアルレッキーノは、幾多の試練と苦難の果てについに魔王を倒した。
だが、それで終わりではなかった。
魔王亡きあとの覇権を巡り、各国が争いを始めた。一度魔王が侵略したためにかつての国境が曖昧になり、それを利用し、大義名分とした。
アルレッキーノを召喚した国はスイスのような永世中立国で一切の侵略を行わなかったが、時代のうねりは容赦なく彼らを呑込んでいく。
魔王すらも屠ったアルレッキーノの異能は強力で、国民と共に一致団結して、国難に立ち向かった。そのときにはもう故郷に帰ることは諦め、その国で生きることを決めていた。
アルレッキーノは常に前線に立ち、政治家はその政治力でもって他国の召喚者たちと協力関係を築き、国民は税と兵力でそれを支えた。
アルレッキーノは侵略者を殺して、殺して、殺しまくった。それこそが、己を頼ってくれた人たちを守ることだと信じて。
だが、それはかつて守った人たちを殺すことであった。魔王の脅威から全世界の人を守るために魔王を倒したのだ。たとえ侵略者であったとしても、かつては守った相手なのだ。
数えきれぬほどの戦いにアルレッキーノは摩耗していった。
あるとき、ほんの少しだけ迷った。
かつて共に旅をし、ほんのひととき情を交わした女だった。
そして、背後から殺された。かつて共に魔王を倒した男の一人に。
だがなぜか解放感があった。
その次は残った人々への申し訳なさだった。不思議と、憎しみはなかった。
雨が降ってきた。
血を洗い流してくれる、そう思って、どうにか仰向けになると、雨はいっそう強くなった。
だがそれは雨ではなく、男の涙であった。
概ねそんな内容を、ロブは感情を排し、レポートっぽく仕上げた。レポートなどそれこそ転生前ぶりである。
「よっしゃ、見せてくれっ」
ロブは少し驚いた。
幽霊たちは話すことに興味があっても、書かれた報告書には興味を示さなかったから。
ハノーヴァス語で書いた聴取り調書を、アルレッキーノが読める言語に翻訳する。それはアルセリアが本型の端末を用いてやってくれた。
そうして翻訳されたレポートを読んだアルレッキーノであったが、言葉短く拒絶した。
「ん~、これじゃあいやーん」
レポートのような書き方が気に入らないという。
「ったく、どう書けってんだよ」
日記風、一人称や二人称のなんちゃって小説風を提案してみるが、それも違うと駄々をこねる。
「こうなんてーの? 情緒というか感性というか?」
「無理だ。俺は詩人でも小説家でもねえ。アルセリアにでも書かせろよっ」
旅日記で多少は文章に慣れていたという程度のロブが、そんな他者の心情を細密に表現する文章など書けるはずもない。
「そりゃあおれもあのかわいこちゃんに手取り耳取り話したいけど、こればっかりは無理なんだよー」
書いてくれと頼むアルレッキーノに、無理だと首を振るロブ。
そこに、騒ぎを聞きつけたパメラが現れ、いつものように心底申し訳なさそうに謝ってから、
「出来る限りでいいんです。付き合ってあげてくれませんか? 故郷に到着するまででいいんです」
と、あの厚かましさを発揮した。
ロブは嫌な予感がしてアルセリアのほうを見ると、アルセリアは言われるまでもなく先輩の言葉をフォローする。
「問題ありません。残りの方の聴取りはこちらでやりましょう」
ロブはうんざりした様子で恨めしげにパメラを見た。
「ご、ごめんんさい。で、でも私にとってみんなは家族みたいなものなんです。せめて家族の遺言くらい叶えてあげたいんです」
耳も尻尾もへにゃりとしているが、その目だけは真摯にロブを見つめていた。
ロブは困ったように、がりがりと頭を掻いた。
少しだけ、パメラに思うところがないわけでもない。
『死者の血族』。
それがパメラの異能であった。
幽霊を見ることができ、話すことができ、他者にも見えるように可視化することもできる。
悪霊を討つ力にも秀でているが、最大の能力は幽霊たちを束ね、使役し、その力を借りることができるというものであった。それはかつて幽霊たちが持っていた異能であっても例外ではない。
だが、強力な異能であるが故に扱いは難しく、争いを好まず、自己主張の弱いパメラでは幽霊たちを制御しきれず、宝の持ち腐れ状態であった。
そんな状態で、幽霊たちを故郷に帰してあげたいと強烈に願った結果、使い切れていなかった幽霊たちの異能が混ざり合い、ただただパメラの願いを叶えるべく、界境列車を引き寄せたのであった。
つまり、幽霊の力はパメラの力なのである。
そんな幽霊たちを故郷に帰すという行為は、パメラが自ら、自らの力を削っているということである。
それは、使えば使うほど弾が減っていくロブとほとんど同じであった。
どんどん無力になっていく。
それを覚悟で幽霊を故郷に帰すパメラの願いがそんなに軽いものであるはずもない。
「……ああ、もう。書けそうなら書いてやる。それでいいだろ」
ロブがやけくそになってそう言うと、パメラとアルレッキーノは手を取り合って喜んだ。
「……」
そんな、パメラが願い、ロブが折れるまでの一部始終を、ロブのベッドに寝転んだベルタはつまらなそうに眺めていた。




