第1話 丘の上の装甲列車
翌朝。王都からほど近い丘の上からは、風花の舞う王都がよく見えた。
だが、そんな風光明媚な景色など吹き飛ばすような存在が丘の上に鎮座している。
勇壮にして優美な装甲列車。炎のごとき紅蓮の車体に黒と金が格式と勇ましさを与え、さながら王家直属の重装近衛兵のようであった。
そんな豪華装甲列車が誰に見咎められることなく、丘の下から上へとその長大な車体を伸ばしている姿が突如として目の前に出現したのだから、ロブが呆気に取られてしまうのも無理はなかった。
「――発車の時間が迫っていますので、詳しい説明はあとにさせていただきます」
渡されたイヤーカフスを装着して口をぱくぱくさせていたロブは、もうどうにでもなれとやけっぱちになってアルセリアのあとをついていく。
列車内部に足を踏み入れた瞬間、ロブの前に別世界が広がった。
シックな赤と黒を基調とした車内はこの世界の王侯貴族など足元にも及ばないくらいに洗練されていた。手すり一つとっても触れてしまうのが躊躇われてしまうほどの光沢と質感で、足元に敷かれた柔らかな絨毯などは薄汚れた自分の靴で歩くことそのものに抵抗感があったほどである。
「この部屋です。わたしと同室となってしまうのは業務上の規則となっております」
「俺は構わんが、あんたはいいのか?」
「品性下劣の卑劣漢という調査結果はありませんでしたので、信用しています。それにもしそんなことになれば、手足の一つや二つなくなることを覚悟してください」
ロブは、恐いねえと軽口を叩きながら、アルセリアが開いてくれた車室のドアをくぐった。
そこはもはや一つの高級宿であった。
クラシカルな魅力に満ちあふれた部屋の真ん中には小さなテーブルがあり、それを挟んでソファ、その頭上には寝台がある。窓も大きく取られており、カーテンは絹のごとき質感であった。
ロブは足元にリュックを置き、どしんとソファに腰を沈める。アルセリアもそのままそっと対面のソファーに腰掛けた。
ロブは改めて、窓の外に広がる王都の風景を見つめた。
そして何かを思いついたように、窓を開ける。かつての日本で見たような窓の両端にある手動式のツマミを押し込み、持ち上げた。
「……妙なところでレトロだな。魔法くらい使ってると思ったんだが」
そんなことを呟きながら、再びソファに腰を落とし、そして窓から腕を伸ばした。
そこでようやくロブの口の端が愉快そうにつり上がっているのをアルセリアが気づき、制止しようとしたが時すでに遅し。
ロブの伸ばした腕の先には指鉄砲が作られており、それは王都の中心、王城へと向けられている。
――ばんっ。
ロブは小さく呟いた。
だが、何も起こらない。
はっと我に返ったアルセリアが問い詰めようとしたところで、窓の外が七色に輝いた。
くっくっくっ、とロブは喉奥から愉快そうな笑い声を漏らす。
『――これより界境列車は発車致します。外扉や窓は自動で閉まりますのでご注意ください』
発車アナウンスと共にゆっくりと閉まりだす窓に、ロブは慌てて手を引き抜いた。
「何をしたのですかっ」
呆気に取られて窓の外を見ていたアルセリアは、迫力のある大きな目でテーブル越しに詰め寄った。
窓の外では、王城が七色に染まっていた。
指鉄砲とロブの笑い声を聞けば、誰が原因かは考えずともわかるというものである。
「色々あったんだ。これくらいはな。これで後腐れは一切なしだ。なに、誰一人傷つけちゃいない。七日七晩、城も人も漏れなく七色に染まるだけだ。まあ、そのかわり何をやっても色は落ちないがな」
それは悪戯めいたささやかな報復であった。
アルセリアはさらに何か言おうとしていたが、意外とあっさり追求をやめた。
「気持ちはわからなくもありません。……あれがあなたの『異能』ですか?」
聞き慣れない単語であったが、ロブはすぐに察する。
「こっちじゃ『ギフト』と呼ばれてたがな」
ロブの異能は『ありとあらゆる銃と砲を創造できる』というもので、回転式多銃身拳銃といったものから、魔王を殺した衛星砲まで、無から銃と弾丸を生み出すことができる力であった。
実際のところ、魔王討伐前後で能力に変化もあったわけであるが、そこまで言ってしまうほどロブはアルセリアを信用できてはいなかった。
というよりも、その変化を知る者はいまのところ誰もいなかった。
そんなやりとりがあった間にも、少しずつ動き出していた界境列車。
丘の先、つまりは空中に線路があるかのように進み、そしてしばらくして空間に潜り込むようにその姿を短くしていく。
同時に丘の中腹にひっそりと立っていた古ぼけた駅名標も、飛び交う風花に混ざるように光の粒子に変わっていき、界境列車の最後尾が完全に空間へ潜り込むと同時に消え去った。
騙されているのではないか、そんな一抹の疑念を抱いていたロブであったが、こんな光景を見てしまってはもはや疑いようはなかった。
「ここが世界と世界の狭間である『界境』です。生身でこの界境に存在することはできませんので、絶対に外へは出ないでください」
窓の外は闇、いや黒で塗りたくったような奇妙な違和感のある空間であった。
そのなんともいえない不気味さにロブが見入っていると、車室のドアがノックされる。
「――車掌のキューバスです。ご挨拶に参りました」
水面に水滴を落としたときのような軽やかな声色だった。
アルセリアが入室を許可すると、そこにいたのは車掌服を着た青いガラスのマネキン、としか言いようのない存在であった。
「……モンスター、いやゴーレムか?」
ロブの小さな呟きに、アルセリアが注意する。
「スライム種の方々は連盟によって知的生命体として認められています。そのような物言いは侮蔑、差別に当たりますので注意してください」
まったく悪気があったわけではないロブがすぐに謝ると、車掌のキューバスは首を振った。
「環境や文化の違う世界からいらしたのです、誰がそれを責められましょうか。ただ、この列車には様々な種の方々が同乗していらっしゃいますので、それだけはご留意ください」
ロブがしっかりと頷くと、キューバスは本来の目的に取りかかった。
「それでは当列車をご利用のお客様に簡単な注意事項を確認させていただきます。そのイヤーカフスはこの列車の乗車券となっており、他にも翻訳や拡声、限定的通信機能等が付与されております。乗車券をなくされてしまうと、界境列車を見つけることすらできなくなってしまいますので、決してなくされないようにお願いします」
キューバスは簡素にわかりやすく、手短に説明を続けた。
「――はい、これで問題ありません。それではごゆるりと界境列車の旅をお楽しみくださいませ」
キューバスが出て行くと、アルセリアは上着を脱ぎ、白いブラウスに黒いパンツ姿となった。
「今日はこれで休みにしましょう」
そう言うと、アルセリアはさっさと寝台へ上り、ベッド脇のカーテンを引いてしまった。
ロブも疲れが溜まっていたのか、まだ僅かばかりあった警戒心は睡魔の前にあっさりと陥落した。
ロブが目を覚ましたのは、時刻としては夕方のことであった。
出されるままに夕食を食べ、しばらくするとアルセリアが切り出した。
「今からロブさんの聴取を行いたいのですが、どうでしょうか?」
ロブが端的に聴取? と聞き返すと、アルセリアが説明した。
「ロブさんの魔王討伐の過程を記録し、今後の参考にさせて頂きたいのです。もちろん報酬も出ます」
特に反対する理由もないロブは、今後の人生のために生活費を稼ぐのも悪くないかと、了承した。
「それでは聴取をさせていただきます。この聴取はすべて録音され、連盟の資料となります。もし語りたくないことがあった場合は黙秘が認められておりますし、聴取によって明らかになった犯罪行為などであなたが罰せられることはありません」
そこで一つ息を入れ、アルセリアはもう一つ提案をしてきた。
「それともう一つ、車掌さんから頼まれたことがあります。これは連盟の仕事ではありませんので、もちろん断っても不利になることはありません」
その提案は少し意外で、しかし断るようなことでもなかった。
この列車の乗客たちが、ロブの語る魔王討伐の聴取を聞きたいというものであった。これには報酬が発生するそうだ。
「それはいいが、移動するのは面倒だぞ」
「それには及びません。許可があれば、希望する乗客たちがそれぞれの手段を用いますので」
それなら勝手にどうぞと許可を出すと、至る所から接触があった。
アルセリアがほんの少し開けたドアの隙間を通って、小鳥や虫といった使い魔が、唐突に空中に現れた半透明の電子画面が、精霊か妖精のような小さな小人が、それぞれにロブを見つめていた。
暇なのか、とロブが呆れたような顔をするが、アルセリアが首を振る。
「――魔王討伐とはそれだけの偉業なのです」
「さいでっか。しかし、どこから話したもんか……」
そう言って、ロブはリュックから古ぼけた紙束を取り出し、ぺらぺらとめくりだす。
「それは?」
「これか? 元々はその日の戦闘を次に生かせるようにと書いていたんだが、いつのまにか旅日記になっちまったよ。転生直後のことも忘れないように書いていたはずだが、日付の順序がぐちゃぐちゃでな。……ちょっとこれはすぐにというのは難しいかもしれん」
紙束といってもサイズどころか紙質すら統一されていない。各地を転戦したせいで、荷物もぐちゃぐちゃになってしまっていた。
「では今日はまず、私が質問させていただきます」
ロブが頷くと、アルセリアはすでに質問を決めていたのか、すぐに問いかけてきた。
「――魔王とはどういう者でしたか』
なんでそんな質問が、とも思ったが、ロブはその質問の答えだけはすでに持っていた。
「――『絶対悪』。あれだけは、生きとし生けるものに対する悪だ」