第18話 騒がしき列車行
界境列車は幽霊たちを乗せ、第877番世界を旅立った。
アルセリアはさっそく聴取り調査を始め、二日酔いのロブも仕方なしに協力することとなった。
なんせ幽霊たちは騒がしい。パメラが他の車室に挨拶に行った途端に騒ぎだした。
寝てなどいられないし、二日酔いの頭にも響く。
「ヒャッハー! これからはオレ様の時代だぜっ」
「……狭い、……つまんない」
「時代は変わりゆくのだな。こんな列車が世界を越えるとは……分解してもよいか?」
「お腹すいたーっ、お酒のみたーーいっ、お菓子でもいいよーっ」
「かわいこちゃーーんっ」
狭い車室で未練の赴くままに振る舞う幽霊たち。両手を広げてアルセリアにピョーンと飛びかかるお調子者まで現れる始末。
「――大人しくしてください。あなたの聴取りはまだです」
だが、アルセリアは座ったまま、片手に握った『魔を捕らふ枷』で受け流す。
「まじでっ」
幽霊は叫んだ。
受け流すと同時に幽霊の手首に触れた『魔を捕らふ枷』はその両手首をしっかりと拘束。
アルセリアはそのまま幽霊を床に転がし、さらにもう一つの手枷を組み合わせてテーブルの脚に繋いでしまった。
実体どころか非実体までを拘束するアルセリアの異能にお調子者の幽霊は驚いたわけだが、すぐに表情を変えた。
「……ィィ」
どことなく紅潮した様子でそんなことを呟く。
アルセリアは意味がわからず首を傾げていたが、ロブなどは業の深い奴めと面白がっていた。
調査員の車室、しかも隣室にはパメラの部屋があるということで比較的扱いにくい幽霊が詰め込まれたようであるが、アルセリアはそんなことはまったく気にせず、聴取りを続行した。
「――ごめんなさいっ」
騒動を感知し、パメラが駆け込んできた。
「いえ、まったく問題ありません」
「ほらっ、みんなも謝って。ほんとにごめんさないっ」
パメラが狼耳をへにゃりとさせて申し訳なさそうにアルセリアに謝ると、それを見た幽霊たちもばつが悪そうな顔で大人しくなり、テーブルの脚に繋がれた幽霊もどこで覚えたのか土下座していた。
まあそれならばと、アルセリアはテーブルから幽霊を解放する。手の拘束は残しておいたが。
「気にしないでください。先輩の仕事を手伝うのは当然のことです」
「せ、せ、先輩なんてとんでもないですぅうううううう」
パメラは滅相もないという風に首を横に振った。
アルセリアは三十一歳、パメラは二十歳。年齢こそアルセリアが上回っているが、調査員としての経歴でいえばパメラのほうが十年近く先輩になる。
かつてパメラはその強大な異能から将来を嘱望され、十歳で連盟にスカウト。学校に行きながら調査員として働いていた。
だが、異能の制御が一向に向上しなかった。そのせいで、正式に調査員として活動し始める頃にはほとんど閑職扱いであった877番世界に左遷されてしまった。
もっとも、本人は左遷されたとはまったく思っていなかったが。
「アルセリアさんこそ、魔王殺しの勇者さんを迎えにいくなんて、大抜擢じゃないですかっ」
パメラはロブをキラキラした目で見つめ、そのふさふさした尻尾をぶんぶんと振った。
アルセリアはどう答えていいかわからなかった。
即応できる者がアルセリアしかいなかった。ただ、それだけなのだ。
「――可愛らしいのに、狼なのね」
するといつのまにか、ロブの隣にベルタが座っていた。
「――ぴゃあああああああああああああああああああああっ」
パメラは驚き、飛び上がる。
左遷されたとはいえ調査員。一目でベルタを『界越えの魔女』という賞金首だと見抜き、仰天してしまった。
面白くなさそうにパメラを見つめるベルタ。
「……可愛らしいのに、狼なのね」
なぜかもう一度、そんなことを言った。
「あわわわわわわわわわわわわわわ」
睨まれ、小さくなるパメラの横から、アルセリアが『魔を捕らふ枷』を伸ばした。
だが、ベルタはそれをあっさりと避け、そのまま巻きつくようにロブの膝の上に座る。
浮いているせいかほとんど重みはなく、ロブは二日酔いも忘れてその柔らかさに鼻の下を伸ばした。
「――女王さまあぁんんんっ」
例の手枷を嵌められた幽霊がロブと同じような顔をして飛びかかった。
「……おイタはダメよ?」
幽霊は飛びかかった格好のまま、ベルタに触れる寸前で停止した。
「あぐっ」
髪が数本、絡みつき、幽霊を拘束し、喉を締め上げる。
ものぐさで戦闘能力は高くないベルタであるが、電子世界だけでなく非実体の世界への干渉は可能である。
「……ィィ」
一般的な女性に首を絞められた程度の締めつけであったが、幽霊は再び恍惚とした表情を浮かべた。
なぜ喜んでいるのかわからないアルセリアやその意味に気づいて顔を真っ赤にしているパメラと違い、ロブは馬鹿だねえとくっくっと笑う。
ベルタは幽霊をポイッと捨て、ロブの首にぶら下がるようにして耳元で囁いた。
「アナタも縛られたい?」
ロブは少し困ったような顔をする。
「……俺はどちらかというと縛るほうかな。やったことはないけど」
ベルタはあら、と頤に指を当て、そしてすっとアルセリアに両手を差し出した。
「あんまりきつくしないでね?」
まったく話が理解できていないアルセリアであったが、怪訝な顔しながらもベルタに手枷を嵌めた。
「これでどうかしら?」
まるで見せびらかすように、ベルタは両手に嵌った手枷を見せる。
「いやどうもも何も、そもそも何しきたんだ?」
「つれないわぁ? あのときの返答を聞きに来たのよ?」
武装客船に潜入したときのベルタの誘い。素晴らしき爛れた生活。
「ああ、それか。悪くないが、追々捨てられるのがわかりきってるしなあ」
「アナタは意思が強いから大丈夫。アタシを貪りながらでも堕ちないわ。アナタが嫌なら悪いことだってしないわ?」
まるで天使を唆す悪魔のように、ベルタはロブを勧誘する。
「ん~」
大いに揺れるロブ。
「それはアナタ自身が罪を償ってからにしてください」
アルセリアがベルタを引き剥がした。
「アタシは何もしてないわ?」
「それは裁判で証明してください」
「まあ、いいわぁ」
ベルタはつまらなそうに視線を逸らし、そこでパッシェを見つけた。
「……ん、意外と触り心地もいいじゃない。狼じゃないならなんでもいいわ」
つるりとした金属製の嘴を撫でられ、どことなく嬉しそうなメカカモノハシのパッシェ。
「でも、何をどうしたらこういう風になるのかしら? 特にこの目。たぶんあんまり見えてないわよ?」
パッシェをじっと見ていたベルタがそんなことを呟くと、アルセリアが少し申し訳なさそうな顔をした。
だが、それはアルセリアのせいだけではなかった。
パッシェはロブがラウンジに行くとき、ついて行くことがあった。そこで何かと可愛がられ、酔ったロブがうろ覚えのカモノハシの生態なんかを披露した結果、様々な世界の人に少しずつ手直しされてしまった。
平たい嘴。ダックスフントのような胴体。短い手足に水かき。さらには平たい尻尾まで。異なる金属のツギハギと銃痕が少し目立つが、立派なカモノハシとなった。
ただ、目にめり込んだひしゃげた銃弾だけは抜けなかった。
「あんまり無茶しちゃだめよ?」
魔法の苦手なアルセリアをからかうようにそう言ってから、ベルタはパッシェを持ち上げ、そのお腹を指でくすぐった。
――カパパパパパっ
くすぐったさに身を捩るパッシェであったが、その弾みでめり込んでいた銃弾がぽろりと落ち、その銃痕にはまるで目のようなオレンジ色の光が点った。
「これでいいわ」
ベルタは褒めて? とでも言いたげにロブを上目遣いする。
「助かった。で、これからどうするんだ?」
「捕まっちゃったからどこかの駅まで連行されるんじゃないかしら?」
ベルタがちらりとアルセリアを見る。
「……そうです。ここからだと三つほど先の駅になると思います」
「ならそれまでここに泊まるわ?」
「そうはいきま――」
「逃げちゃおっかな?」
アルセリアはその大きな目をさらにくわっと見開きながらも、しぶしぶベルタの要求を呑んだ。
特に大きな害があるわけでもない、そう思って許可したわけだが、その夜、アルセリアは早くもそのことを後悔し始めていた。
聴取り調査を終えたロブが早々にベッドへ入ると、そこにベルタが潜り込んでいたのだ。
狭いベッドにロブとベルタが寝ているだけであるが、それを見た幽霊たちが騒ぎ出した。
「オ、オ、オレ様の前でそんなことしていいと思ってんのかっ」
「時代は変わったものだ。男女がこうしてあられもなく……まだ始まらないのかね?」
「……ワクワク」
「うそ? まじで? きゃーっ、そんな関係なの? それとも割り切った仲? きゃーっ」
「放置プレイとは……ィィ」
まったく集中できないとばかりにアルセリアはテーブルにごちんと突っ伏した。
「ごめんなさいっ……あわわわわっ、ど、ど、どうしたら」
隣室のパメラが騒ぎを聞きつけて飛び込んできたのだが、アルセリアはテーブルに突っ伏してうんともすんとも言わないし、ロブとベルタに至っては同衾中。
もはやどうしていいかわからず、パメラはオロオロするばかりであった。
こうして騒がしい幽霊たちやベルタに振り回されつつ、界境列車が次の駅に到着したのは三日後のことであった。