第17話 強引な調査員
転生前のロブは幽霊を見たことがなかった。今生でもスケルトンやゾンビまでは遭遇したことはあったが、やはり幽霊は見たことがなかった。
その幽霊が今、続々と界境列車に乗り込んできた。
その姿はピントの合っていない写真のようにぼんやりしているが、確かにそこにいる。わいわいガヤガヤとまるで修学旅行に出発する学生のように落ち着きがなかった。
「――それではさっそく聴取りを開始します。一番の方からお願いします」
アルセリアはいつにもまして使命感に燃えている。
メカカモノハシのパッシェはその横でカパカパと幽霊に向けて、嘴を鳴らしていた。
ラウンジから朝帰りして、昼遅くに目覚めたロブは二日酔いに痛む頭を押さえつつ、何がなんだかわからぬその光景を、他人事のように眺めていた、はずだった。
「――ロブさんも手伝ってください」
「え゛っ? ――う゛っ」
なんの因果か、ロブは返事と同時に吐き気を催し、ベッドから転がり落ちるようにしてトイレへ駆け込んだ。
***
あの荒廃世界で起こった『界境列車ジャック事件』は表沙汰になることもなく、何事もなかったかのように界境列車は次の世界へと旅立った。
そのあとは多少の遅れこそあれど順調に駅を巡っていく。
だが、五つめの駅を過ぎたあたりで突然、界境列車は予定進路を大きく外れてしまう。
「――何がっ」
界境列車と意識の一部を同期していた車掌のキューバスは運転室に駆け込んだ。
叩くように白い水晶と青い金属で作られたメインパネルを起動させると、キューバスを中心にして大小様々な仮想パネルが出現する。
「自動エラー検知に反応なし。機関部異常なし、車内環境異常なし、各車両連結異常なし、魔導回路……」
早口で口頭確認しながら、思考と指先の両方で界境列車の運行システムを点検していく。
キューバスの感情を表すかのように、体内に生まれた無数の気泡が激しく浮き上がっては消えていた。
「……全システム、魔導式共に正常」
だが、異常は検知されず。界境列車は今も予定進路を外れ、とある世界へと向かっていた。
「この先は……第877番世界。しかしここはすでに滅んで……いや、もしかすると」
界境列車は何かに引き寄せられるかのように、呆気なく世界の壁を越えた。
越えた先では、しとしとと雨が降っていた。
眼下には巨大な城と城下町。ただ、石造りのそれはどれもが朽ち果て、至る所から植物が生い茂っていた。人の気配はまったくない。
ここはかつて無差別召喚を繰り返し、ついに文明が滅んでしまった世界。連盟が接触したときにはもうすでに末期状態に陥っていたが、それでもなお連盟の加入を拒み、そして自滅した。
「現地の調査員から説明が欲しいところですが……」
運転室から外を確認していたキューバスの身体がふるりと震えた。
眼下の巨大な城から赤黒い霧が立ち上り、界境列車の前に大きく広がる。城下町からも次から次へと小ぶりな黒煙が狼煙のように立ち上り、あっという間に囲まれてしまった。
だが、この事態を予期していたキューバスは車内放送を流しながら、メインパネルを叩き、車外映像を各車室へ実況中継し始める。
『――当列車は予定進路を外れ、第八百十四番世界に到着致しました。現在、悪霊に周囲を囲まれておりますが、当列車の武装で撃退可能と判断し、迎撃を開始します』
界境列車の周囲にはさらに黒煙、悪霊たちが集まってくる。
「――魔導兵装起動。……対霊障壁の構築確認、全兵装発動準備完了」
界境列車の外装に描かれた黒字の文様が強く発光し、無数の赤光が界境列車を螺旋で包む。
先頭車両の両サイドにある大盾のような装甲が後ろへ向けて開かれ、各車両の外装もそれぞれに武装を展開した。
『――それではご覧くださいませ』
糸のような無数の銀光が界境列車から放たれる。
開かれた装甲や各車両の武装から放たれたそれは周囲の悪霊を貫いた。
それは一瞬の出来事であったが、なおも増え続ける悪霊を追いかけ、駆逐する。
――オォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオンッ
正面に立ち塞がっていた巨大な悪霊が怨念を撒き散らす。
銀光はいくつも突き刺さっているがまるで意に介していない。
『これより少々揺れますのでご注意ください』
赤光の螺旋を纏った界境列車は急加速する。
そして呆気なく、巨大悪霊を貫いた。
――オォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオンッ
巨大悪霊はなおも界境列車に追いすがろうとするが、界境列車が貫通した痕に残った列車型の赤光が爆裂。
一瞬の閃光のあとには何も残らなかった。
城下町から少し離れた平原に停車した界境列車は、白地の駅名標とプラットホームを形成した。
しばらくすると、そこに一人の女が現れ、泣きながら跪いたのである。
「――びゃああああああああああああ。ごめんなさいぃいいいいいい」
雨に濡れるのもかまわず、女は謝った。
その周囲には陽炎のように揺らめく幽霊たちが集まり、女と同じように謝ったり、女を慰めたりしている。
キューバスは警護員二名を従え、女に近づいた。
「現地調査員のパメラ・ロッフィ調査員ですね」
パメラはキューバスの言葉に一瞬ビクっと背を震わせるも、傘を差しだしてくれたキューバスの優しげな様子と周囲の幽霊たちの励ましに身を起こした。
くりっとした目は涙を溜め、狼耳はへにゃりと倒れている。白い調査員服に小柄な体躯が着られており、ぴょんと飛び出たふさふさの尻尾も雨に濡れてしんなりと垂れ下がっていた。
「なぜこんなことに?」
「えーと、それは……」
急に湧きだした悪霊が手に負えず、恐くて号泣してしまった。
異能を暴走させて界境列車を引き寄せてしまった。そして。
「――みんなを故郷の世界に帰してあげたいんです」
パメラは自分の後ろにいる大勢の幽霊たちを見ながら、キューバスに頼み込んだ。
この世界はかつて無差別召喚を行い、どうにか魔王を討伐した。
だがそれに味を占めてしまったこの世界の国々は無差別召喚を繰り返し、国家間の戦争に用いてしまった。召喚者たちは血みどろの戦いを繰り広げながらも文明を急激に発展させ、そしてあるときを境に滅亡へと歩みだしてしまった。
パメラの言う『みんな』とは、戦わされて死に、幽霊になってしまった召喚者たちのことであった。
「……列車の運行妨害はとりあえず置いておくとしても、それは私の一存では決めかねます。調査部の権限を侵すことにもなりかねませんし、なにより乗客の皆様の安全を順守しなくてはなりません」
幽霊とは肉体的には死亡した生命体が、未練を抱いて現世に留まった姿のこととされ、悪霊とは幽霊がなんらかの要因により歪み、凶暴化した姿のことと連盟によって定義付けされている。
基本的には幽霊は暴走するような力はないが、悪霊にならないとは限らない。
ちなみに、非物質の情報生命体系の種族との違いは、成長性や適応性の有無や浄化系の魔法が効くかどうかという点である。
パメラは涙ぐみながらも頼み込む。
「幽霊さんたちはいい人ですし、万が一のことがあれば私の異能で……」
だが、異能を暴走させてしまった自分が言えることではないと気づき、尻すぼみになってしまった。
「しかし、なぜここまで強引なことを? 貴女は確実に罰せられてしまいますよ」
「仕事のできない私が悪いんです」
パメラはえへへっと自嘲するが、問題は別にあった。
悪霊退治に幽霊救出。まったく金にならない仕事で、しかも対象は生者ではない。
古い幽霊の偏った記憶という記録としては少々心許なく、検証作業も煩雑で、学術的優先度も低い。しかも文明が滅び、知的生物が存在しないため、報酬も見込めない。
絶対的に予算が不足していた。
「……ですけど、すごく頑張って戦った幽霊さんたちが、何も報われないまま悪霊になってしまうのはあまりにも悲しいじゃないですか。だからせめて、故郷の世界に帰してあげたいんです」
パメラの叫びに、周囲にいた幽霊たちはその気持ちだけで十分だとパメラを慰める。
『――協力させていただきます』
界境列車から響いてきたアルセリアの声に、パメラはハッと顔を上げ、周囲をキョロキョロと見回す。
『まあ、幽霊程度なら浄化も難しくはない。かまわんじゃろ』
『呑みたいやつはラウンジに来いっ。浴びるほど呑ませてやる』
『子供がいますので、同じような子供か優しい方であれば』
続々と乗客たちの声が外に届けられた。
実は、キューバスによる実況中継はずっと続いていた。
パメラの一言一句を映像と共に見た乗客たちは、召喚被害者の霊に同情し、賛同したのである。
金持ちの道楽、確かに界境列車にはそんな一面はあるが、道楽だからこそパメラの気持ちに応えることもできるのであった。
「ありがとうございますっ。ありがとうございます」
パメラは何度もそう言った。
それを見たキューバスの表情に表立った気配はなかったが、マネキンのようなその相貌はどことなく微笑んでいるようであった。
そうと決まれば善は急げで、幽霊たちが続々と列車に乗り込んたわけであるが、その際、パメラが一つ乗客にお願いをした。
「わたしのほうですでに聴取りは終えているのですが、わたし以外が聴取りすることで情報の擦り合わせもできますし、それに幽霊さんたちは話すのが好きなので是非最後に話してもらえたらなぁと……」
意外と厚かましいパメラの願いに、乗客は一様に苦笑を浮かべた。