第16話 復活のカモノハシ
武装客船の船首近く、大型魔動機械発進口に界境列車の姿があった。
ニールの組織によってすでに武装客船は制圧され、居住区に一人君臨していたロブもすでに列車へ乗り込んでいた。
「――お約束どおり、今回の件は連盟に報告を上げ、しかるべく報酬を支払わせていただきます」
先頭車両にある車掌専用の乗降口の前に、人型の青いスライム種である車掌のキューバスとアルセリア、そしてニール・フラッグスがいた。
連盟とニール、両者の間で今回の件についての交渉はすでに終わっていた。
界境列車をジャックした襲撃者たちは、事前に界境列車の到着地点である船着き場の位置を知り、ニールの武装客船そっくりに船体を偽装し、通信暗号までを手に入れていた。
暗号や所定の手順が忠実に守られ、さらには出迎えの人員さえも偽装されてしまい、界境列車側は疑うことなく接触、そこにジャック犯たちが雪崩れ込んだ。
列車のシステムを握られて乗客を人質に取られては警護員たちも動けず、さらには乗客扱いであった魔王殺しのロブという戦力も荒野に置き去りにされてしまう。
武装客船側は連盟との取引きを望んでいたため、キューバスが交渉するという体で時間を稼ぎ、そこに別地点で襲撃されて足止めをされていたニールたちがようやく追いつき、救出作戦を決行した、というのが今回の事件の全貌であった。
すべては、ニールの組織に潜り込んでいたスパイによって引き起こされたものであった。
ただ、連盟とニールの間で結ばれていた駅設置における協定には、非常事態における責任の所在等が明確に決められており、スパイに気づかなかったニールに責任はなく、むしろ救出に報酬が出ることになっていた。
「ところで、あの勇者様がしでかした殺しについてはどう落とし前をつける気だ?」
ニールは紫煙を薫らせながら、薄暗い森の毒沼のごとき緑眼をキューバスに向けた。
「我々を救出していただいた兵士の方々に感謝の念は尽きませんが、決められた報酬以外で、救助作戦における損害等をこちらが補填する契約にはなっておりません」
「……味方殺しだ。道義的責任はある。界境列車なんぞで遊ぶ金満豚共がいるんだ、勇者様のために寄付ぐらいは集まるだろ」
ほとんど言いがかりのようなものであるが、ニールには一切の遠慮はなかった。
ニールはこの世界に骨を埋めるつもりであった。本国に帰る気は毛頭ない。
それはこの地で繋いでしまった恩や義理、因縁を断ち切れなかったということでもあったが、それ以上に連盟を信じていなかった。
二十数年前、突然無差別召喚にあったニールの所在は連盟でも把握していないとされていた。
だが、実際はコマンダーを倒して通信を回復する前にはこの荒廃世界の存在を掴んでいたのだとか。
『連盟は現地の紛争や生存闘争に関与しない』。
その原則のもとに、この世界を発見したときにはすでにニールが現地組織を率いてコマンダーを打倒しようとしていたため、救出しなかったという。
調査員であるニールが原則を破って現地勢力を率いていたことは緊急避難と判断されて不問とされたが、不問とされたがゆえにニールは放置された。現地人扱いされたのである。
ニールがそれを知ったのは、両親の安否を知るために連盟と連絡を取ったときのことであった。
結果として、独力で荒廃した世界を救い、再興させている調査員の英雄として語られるようになったわけだが、ニールとしては連盟に不信感を抱くことになった。これまでの経緯からも、現状の立場上からも。
味方殺しという言葉に、キューバスの体内でこぽりと大きな気泡が浮き上がった。
「……ロブさんは敵味方を的確に判断できる状況にはなかったと思われます。それに、今回の件で大きな利益を得たのはフラッグス調査官では? あるいは貴方こそが味方殺しとも……」
今回の事件はニールの組織に潜り込んでいたスパイが元凶であると結論づけられた。
しかし、そのスパイにそれとなく情報を漏らしたのはニールではないのか。ニール自身が情報をあえて漏らし、界境列車を用いて敵対組織をおびき寄せ、殲滅したのではないか。
そんな風に考える事もできるのですよ、とキューバスは仄めかした。
「知らねえな。言いがかりもほどほどにしてくれ」
「ええ、証拠はありませんからね。もちろんロブさんにも意図的に味方を殺したなんて証拠はありません。不幸な事故でしたね、ええ」
ニールはキューバスを睨みつけるが、ふいと視線を切り、燃えて短くなった煙草を踏み消した。
連盟とニールの関係は持ちつ持たれつであった。その関係が破綻するような交渉を、ニールとてする気はない。
ニールと連盟は、魔動機獣のサンプルと食料を交換している。
ニールがあえて魔動機獣を生み出すマザーを残したことで、この世界には野生の魔動機獣がのさばることになった。だがそれは生物がほとんど死に絶え、かつての技術も喪失したこの世界では唯一の資源である。
マザーは自らが生み出した魔動機獣が狩られると、新しい魔動機獣を生み出す。それを繰り返すことでこの世界には多様な魔動機獣が溢れていた。
生存闘争の末に生まれる魔動機獣の構造や魔法は、先進世界から見ても十分に研究するに値する代物が生まれることもあり、連盟はそれを求めていたのである。
ニールが話を切り上げ、キューバスが車内に戻ると、そこで初めてアルセリアが声をかけた。
「……フラッグス調査員はもう戻らないのですか」
どうにか絞り出した『戻らない』という言葉には、いくつかの意味が込められていた。
武装客船内で何度か見たニールの部下たちの残忍な行為が、アルセリアには忘れられなかった。
この世界の人間を自分たちと同じ価値観、倫理観で語ることは傲慢に過ぎるということはわかっている。
だが、ニール・フラッグスはこの世界の住人ではない。
アルセリアの故郷であり、連盟本部もある五つの世界が融合した世界『フェムグラーデン』の出身で、今も身分的には調査員である。間違いなく、アルセリアとほぼ同じ倫理観を持っていたはずであった。
「戻るとは随分傲慢な言い様だな。どんな聖人ぶった連中も一皮剥けば皆同じだ」
ニールは再び煙草に火をつけて、一つ大きく吸い込んでから、煙を吐き出した。
「……わざわざ|調査員(犬)になるとはご苦労なことだ。事務員のままのほうがよっぽどマシに生きられたと思うがね」
白の調査員服と決別したかのような漆黒のコートを羽織った調査員はそう呟いて、去っていった。
***
車室に戻ってから、アルセリアはいつものように報告書を作ることもなく、考え込んでいた。
『正義も悪もない。強い者が食らい、弱い者は踏みにじられる。勝者こそが正義と歴史を語る資格を持つ』
調査員の中でも英雄と謳われた人物の思いもやらぬ言葉は、アルセリアを大きく揺さぶっていた。
「……揺るがぬ正義は、存在しないのでしょうか」
アルセリアはあると思って生きてきた。
「正義か……正しくはありたいが、なかなか難しいな」
車室でくつろいでいたロブが、独り言のように答える。
人は生きねばならない。
その前提がある限りは盗みもするし、殺しもする。そこに、善悪がないことは事実である。
だが、その前提が満たされたとき、人はもう獣ではなくなる。
獣ではないからこそ種を超えて情を育み、正しさを求める。
種族は違えど、盗んではいけない。殺してはいけない。犯してはいけない。それは共通しているのだから。
「――まあ、俺はあると信じているがね」
世の中、善悪で判断できないことのほうが多い。ただ、だからといって善悪が存在しないというわけでもない。
『存在しない』。アルセリアは伝説的な調査員にそう言われ、消沈していた。
『存在する』。仮にも勇者であるロブにそう言われ、小さな光を見た気がした。
「と、いうわけで、ラウンジに行ってくるわ」
だがロブは、だらしない顔でそう言って、呑みに行ってしまった。
珍しく、ぽかんと口を開けて呆けてしまったアルセリアであったが、いつものように呆れたり、怒ったりすることなく、苦笑した。
しばらくしてアルセリアは報告書に取りかかり、それが終わると本型の端末からデータベースを引っ張り出した。
この世界のこと。ニール調査員のこと。そして連盟のこと。
そこにあるのは確かに通り一遍のものでしかなかったが、これまでの出来事を踏まえると、何か別のものが見えてくるような気がしていた。
ときおり、現在の権限では触れられない情報が出てくると、そのこと自体の意味も考えるようになり、アルセリアはますます端末に没頭していった。
***
どれだけ時間が経ったか。
列車はすでに次の世界へと向けて走りだし、列車内の時間は深夜を示していた。
端末の青い明かりだけがぼんやりと光り、テーブルに額をごちんと置いたまま居眠りをしているアルセリアを照らしていた。
すると、対面のソファに置かれたロブの背負い袋が動き出す。
もぞもぞと動き、顔を出したのは、メカカモノハシであった。
めり込んでひしゃげた弾丸がまるで目のようにぴかーんと光る。
が、それだけであった。
ジタバタしているだけでほとんど前には進めていない。
ふと、その物音に目を覚ましたアルセリアは、なんともいえない表情でそれを見つめた。
――カパパパッ
バレたっとでも言わんばかりに、嘴を小刻みに振るわせ、慌てふためくメカカモノハシ。
「……痛々しいですね。苦手ではありますが」
アルセリアはそう呟いてメカカモノハシを持ち上げると、端末で魔動機械の仕組みを調べ始めた。
……目が銃弾で定着してしまいました、どうしましょう。
などと、ときおり呟かれる物騒な言葉にメカカモノハシは戦々恐々としているが、逆らうこともできない。
しかも列車内は連盟の魔法圏内で、メカカモノハシのゴーレム化魔法は初歩とはいえ別系統の魔法である。
ある一つの魔法圏では、それ以外の系統の魔法が減衰してしまうという法則があるため、魔法が苦手なアルセリアが、連盟の魔法圏で別系統の魔法を用いるということは、その効果は推して知るべしであろう。
それでも、アルセリアよりもさらに魔法が苦手なロブがやるよりはマシであろう。
アルセリアは不穏な台詞を呟き、悪戦苦闘しながらも、ゴーレムを組み上げていった。
そうして出来上がったそれを持ち、アルセリアはふと零す。
「……モデルはどこの生物でしょうか。犬とも違いますし、嘴があっても鳥ではないですし」
嘴のある犬というのですら、無理がある。データベースにすらないのだからアルセリアとしては首を傾げる他はない。
――カパパパッ
犬ですといわんばかりにメカカモノハシが嘴を鳴らすも、アルセリアは気づかず。「もしかしてキメラでしょうか?」
よくわからないものはキメラにしてしまう、というのはありがちな思考である。
そこにラウンジで盛大に酔っ払ったロブが戻ってきた。
「おお、パトラッシュが動いとる」
元々名前などつけていなかったが、酔った勢いでロブは適当なことを言った。
「パトラッシュですか。パッシェですね」
アルセリアは魔動機械の出来に満足げな顔をしているが、メカカモノハシ、いやパッシェは内心で涙していた。
「にしてもすごいな。一応まともな感じだ」
完全二足歩行ではないものの、小型犬ほどの奇怪なメカカモノハシはテーブルの上をのそのそと歩いていた。ときおり二足で立ち上がるあたり芸が細かい。
ロブは酒臭い息を吐きながら、アルセリアの頭をぽんぽんと叩いた。
「……それは、性的迷惑行為です」
ジトっとしたアルセリアの視線が、ロブに突き刺さる。
ロブは酔いの回ったままで言い訳してしまう。
「いや、ほれ、ちょうどいい高さにあるから」
「それも身体的特徴と種族的特徴を揶揄するハラスメント行為です」
ロブもそこでアようやくアルセリアの教育的指導スイッチを押してしまったことに気づくが、時すでに遅し。
「ロブさんにはやはり勇者としての嗜みを身につけてもらわねばなりませんね。勇者がハラスメント行為で訴追や逮捕などあってはなりませんから」
ああ、これでしばらくまたラウンジに行けなくなるとロブは肩を落とし、ソファに突っ伏した。
「……ただ、相手との信頼関係が築けているのならば、その限りではありません」
酔いつぶれて眠ってしまったロブの耳には、そんなアルセリアの呟きは聞こえていなかった。