第11話 アルセリア・リゴット
「――動かないでくださいっ」
アルセリアの制止に、反射的に腰の銃を抜きかけていたロブはどうにか堪えた。
そこに、がぁうあっーと草原から飛びだしてきた気配の主は、その巨大な舌でべろんとアルセリアの顔を舐めると、その場にちょこんと座った。
アールヴの不穏な言葉もあって、警戒していたロブであったが、目の前の光景にそれが杞憂であったことを悟った。
その獣はティラノサウルスによく似ているが、退化した小さな翼を持ち、全身はひよこのような毛に覆われている。小柄なアルセリアを丸呑みできそうな大きな顎と牙を持つが、その瞳は凶暴性など微塵も感じさせず、今もその巨体を小さくして大人しく座っていた。
「まったくの無害ですから、安心してください。この子は『世界樹の獣』の一頭で、ドラケノスです」
アルセリアはドラケノスを手招きした。
するとドラケノスは嬉しそうに尻尾をぴんと立て、アルセリアの前に顔を下げて鼻先を擦りつける。
アルセリアもそれ答えるように、その大きな顎を撫でた。
すると、ぐるるるという気持ちよさそうなドラケノスの鳴き声に釣られるかのように、草原に潜んでいた他の気配もぴょこんぴょこんと顔を出し、ロブたちの元へと集まった。
「……無害なのはわかったが、無防備過ぎやしないか? まあ、これなら自給自足ができるっていうのも納得だが」
ロブが狩猟者の目で、近づいて来る『世界樹の獣』たちを見やる。
すると、ドラケノス、それに近づいてきていた巨大な獣たちはビクリと身体を震わせて立ち止まり、少しばかり後退りした。
「いえ、狩猟は禁止です。ロブさんも、そんな目をしないでください」
その言葉にロブが狩猟をきっぱり諦めると、巨大な獣たちは再び近づいてきた。
十本足の犬に柔毛に包まれた蛇、巻き角のある猫など、巨大な獣たちはついさっき狩ろうとしていたロブにも人懐っこくその身を寄せてくる。
「野生なんて欠片もない。よく密猟されないな」
ロブはそう言いながらも、ちゃっかりと左脇に羊のような毛が生えた大蛇を抱え、右手ではすぐ近くに伏せた十本足の犬の頬や鼻を掻き撫でた。
二頭の毛は手入れされているかのように心地良い。
「彼らもアールヴたちと同じように『読心』を持っていますから、そういう人物には一切近づきません」
「そのわりに、サービス精神はアールヴよりも旺盛みたいだな」
「どんなに人懐っこくても、この子たちは獣ですから。敵か、味方か、それだけです」
人が人に抱く劣情や嫉妬など『世界樹の獣』には関係がなく、人もまた『世界樹の獣』を人と同じようには見ない。『世界樹の獣』にとっては、自分たちを狩ろうとしない相手であれば、なんの問題もなかった。
但し、殺人願望、強姦願望、窃盗願望などを抱いている場合は、アールブたちと同様に忌避し、近づくことはない。
「まあ、それなら納得といえば納得か」
「それに食料も尽きることはありません。世界樹が落とす十種の種を組み合わせて植えることで、様々な作物となります」
「至れり尽くせりだな……」
欲らしい欲もない自然志向の種族性に、読心と開心による相互理解、理想的な食物、無害な獣たち。その特異な力によって排他的ではあるものの、この世界にはアールヴしかいないのだから、なんら問題ではなかった。
「ええ、まあ。理想郷なんていわれることもありますね」
だが言っている言葉とは裏腹に、アルセリアの口調にはいつものように誇らしげなところはなかった。
かつて、この世界はアールヴたちだけになってしまうほどに、魔王に追い詰められたことがあった。
千年の歴史を誇る連盟の記録にも残っていないほどに昔のことで、召喚した勇者が魔王を倒したのか、それともアールヴたちが自力で魔王を倒したのかは不明であったが、魔王は無事に討伐された。
そのあとしばらくして、この世界は創設間もなかった異界連盟と接触したのだが、そのときにはもうこのシステムは構築されていたといわれている。
一説には勇者が神となって今の世界を作り上げたのだとされるが、その証拠はなく、アールヴたちの間ですらただの伝説として受け継がれているだけであった。
ようするに、この世界は連盟との縁がなく、ロブに連盟をアピールしたいアルセリアには困りもので、しかしだからといってこの世界の案内を疎かになどできず、予定表の駅名を見たときどうしたものかと考えたのであった。
「ただ、連盟に残っている記録には初期に何度かの社会的混乱が――」
「――こんなところにいるなんて……正気を疑うわ?」
いつのまにか、不機嫌そうな顔をした『界越えの魔女』ベルタ・アンデールが草原に立っていた。
その姿を見るなり、アルセリアは異能を発動しようとするが、寸前で思い留まる。
「ほんと、面倒な世界よねえ?」
「……なぜここに」
わかった風な態度のベルタを、アルセリアは悔しげな表情で睨みつけた。
「別に、何も?」
ベルタの言葉を額面どおりに信じることなどできないが、そのベルタを捕まえることもできないのもまた事実であった。
この世界は連盟に参加こそしているが、指名手配犯の懸賞金制度には同意していない。
そのため、調査員のアルセリアといえど、ベルタを捕まえることはできなかった。
アールヴたちにとっては、凶悪な犯罪者もその犯罪者を追って現れる賞金稼ぎや調査員も、社会秩序を乱す者でしかなかった。
「――でも、そうね」
ベルタは不機嫌そうなエロスを振りまきながら、無造作に腕を振った。
すると、草原に魔法陣が現れ、使い魔の犬たちがぴょこぴょこと飛びだしてくる。
「遊んでおいで?」
ベルタの許しを得た使い魔の犬たちは、恐れることなく世界樹の獣たちにじゃれついた。
世界樹の獣たちもあっさりと受け入れた。
小さな二足歩行の犬たちを潰さぬようにしながら、匂いを嗅ぎ合い、毛繕いをし合う。
大きな舌にべろんべろんと舐められた使い魔の犬たちは、お返しとばかりに飛びつき、鼻先をぺろんと舐め返す。
小さい毛玉と大きな毛玉が、境目もわからぬほどにころころと転がっていた。
そこでふと、使い魔の犬たちは十本足の犬の腹で寝そべっていたロブを見つけ、ぐるるっと牙を剥く。
犬たちは、ロブとの諍いを忘れてはいなかった。
世界樹の獣たちは困ったような表情でオロオロとしているが、ロブはくっくっと笑い、立ち上がる。モフモフの大蛇を抱えたまま。
「武力行使は禁じられています」
アルセリアの制止など気にすることなく、ロブは異能を発動し、大きな筒を片手に担いで、引き金を引いた。
すぽーんと飛んでいくボール。
すると、十本足の犬がぴょんと駆け出し、空中でぱくんと咥え、戻ってきた。
「でかした」
ロブが片手でぐしぐしと顎を掻いてやると、十本足の犬はもう一度もう一度と催促する。
それから数度、ロブがそれを繰り返すと、本能と理性の狭間で葛藤していた使い魔の犬たちは呆気なく本能に負けて、ボールを追い出した。
ボールバズーカ。
サッカーボールほどのボール弾を撃ち出すバズーカであるが、ようするにただの玩具で、殺傷能力や特別な効果はない。他にもパンチングガンやマジックハンドガンなど、トイガンシリーズはいくつかあるが、そのどれもが無害無意味で、『夢幻銃砲』になったあとも弾数は無限であった。
我先にとボールを追う犬たちを見て、ロブは高笑いする。
「フハハハっ、しょせんは犬よ、本能には抗えまいっ」
少々苦戦させられた犬への意趣返し、とでも言わんばかりの高笑いであったが、なんだかんだで遊んでいるだけである。
意外と面倒見がいいともいえなくもないロブの様子に、つつつと近寄ってきたベルタが耳元で囁いた。
「――あっ、そうそう。あの子、元はただの事務員よ?」
ぞわぞわっと背筋に走る甘い感覚に緩みそうになる表情を堪えながら、ロブは問い返す。
「……アルセリアのことか?」
「そうよ」
二十歳で異界連盟全界機関調査部調査員になろうとしてなれなかったアルセリアは、そのまま事務員として就職。十年の間、調査員としての訓練を受け続け、毎年調査員への異動願いを提出するもすべて却下され、十一年目にしてようやく調査員になったのだとか。
「あいつ、俺より年上だったのか……まあ、エルフか妖精に近いんなら妥当か」
二十歳を超えてしまえば、エルフや妖精の年齢など人にはわからない。というより、同じエルフや妖精ですらわからない。
意外な感想を口にしたロブにベルタは目を丸くする。
「アルセリアの経歴の何が悪いのかわからん。あんたは何がしたいんだ?」
王国では犯罪奴隷制度の裏側を教え、今度はアルセリアの過去を暴露する。ロブにはその目的がわからなかった。
「だって、魔王殺しの勇者を迎えるのに、新人調査員が一名なんておかしいじゃない? 現時点で生きている魔王殺しの勇者はアナタを含めても十人かそこら。歴史的にも百人と少しくらいなのよ?」
最近では連盟が各世界と協力して魔王を倒すことはあるが、倒した者が『魔王殺しの勇者』と称えられることはない。あくまでも、未開世界に召喚された結果、単身、もしくは現地世界と協力して魔王を倒した者にその称号は与えられる。
ようするに、異界連盟はロブを軽んじている、とベルタはそう言いたいらしい。
「――そんなことはありませんっ」
嫌がらせのようなベルタの伝声魔法で、すべてを聞かされていたアルセリアは、嘘偽りなどないとでも言うように、その大きな目でまっすぐとロブを見つめた。