第9話 裸身の覚悟
くすんだ銀色の軽鎧を身に纏った大柄な騎士が、黒いノースリーブのロングワンピースに身を包んだ四腕の未亡人の腕を捕らえていた。
騎士は捜査官であるようで、すぐにでも未亡人を連行しようとしていたが、未亡人は無実を訴え、力の限りそれに抗っていた。
「神妙にせよ。この禁止薬物が何よりの証拠だ。言い逃れはできんぞ!」
騎士は周囲に見せつけるように小瓶を未亡人に突きつけた。
『フェイクエリクサー』。
不老不死の妙薬であるエリクサーの失敗作ともいわれるこの薬物は、服用すると莫大な魔力が身に宿ると身体に錯覚させ、偽りの万能感と一時の若返りを与える。しかし効果は数時間ほどで、中毒性が極めて強く、服用を続けるとアンデッドに成り果ててしまう。
王国、そして連盟でも忌み嫌われる禁止薬物であった。
「それはわたくしのものではありません。審査所の審査もきちんと通っています」
「ふんっ、現にこうして隠し持っていたのだ。審査をくぐり抜けた方法もじっくり調べさせてもらおう」
未亡人の肢体を舐めるように見る大柄な騎士の目は、劣情に塗れていた。
「まったく身に覚えがありません。濡れ衣です」
「……ほぉ、陛下から特別騎士に任ぜられ、子爵位を持つこの俺が、たかだか商人の未亡人に濡れ衣を着せていると、そう言いたいわけだ。それはこの俺、ひいては陛下に対する侮辱であるぞっ」
大柄な騎士は未亡人をぎらりと睨みつけて恫喝するが、未亡人は毅然とした態度を崩さなかった。
この騒動に気づいたアルセリアは真っ先に駆け出そうとしたが、ロブがその肩を押さえてしまう。
「待て、どうするつもりだ」
「あのやり方は不当です。このプラットホームでは王国と連盟の協議によって策定された特別法が適応されますが、その中に捜査官は二人以上で行動しなければならないという原則があります」
「……原則なら特例もあるんじゃないか?」
アルセリアはキッとロブを睨みつけるが、返答には力はなかった。
「……確かに、現行犯であれば、捜査官が一人でも問題にはなりません」
単身突然現れ、強引に身体検査を迫った大柄な騎士の行為は現行犯逮捕とは言い難い状況であったが、嘘か真か禁止薬物が見つかり、衆目の目に晒されてしまった。
現状はぎりぎり現行犯逮捕といえなくもないような状態であった。
「なら、あんたが行ったところで解決しないだろ」
「いえ、調査官は不当な行為に関して抗議することできます」
「現行犯逮捕に介入する権限があるのか?」
アルセリアはなにも言えなかった。
『――ああやって犯罪奴隷に落とすのよ? 連盟はそれを知っていて、なんのペナルティも与えない』
どこからともなく聞こえてきたベルタの声に、アルセリアは言い返す。
「それは違います。連盟は協定違反を許さず、厳しい態度で臨んでいます」
『形式上の警告のみで、あとは傍観するだけよ?』
アルセリアがさらに言い返そうとしたところで、ロブがぽつりと呟いた。
「……まあ、それでも無駄ってこともないか」
ロブがさらに小さく何事かを呟いてからポンッとアルセリアの肩を放すと、アルセリアは目を見開いて一瞬躊躇いを見せたが、そのまま駆け出した。
「異界連盟全界機関調査部調査――」
だが、騎士と未亡人の間に割って入り、アルセリアが口上を上げようとした瞬間。
騎士の手元にあった小瓶が、一瞬にして瓶ごと蒸発した。
同時に、未亡人の着ていたロングワンピースがすとんと脱げ落ち、地面に落ちる前に一瞬で消滅する。
その場に残ったのは、裸身を晒した未亡人だけ。
誰の目にも、小瓶とロングワンピースが、同時に、一瞬で消滅したようにしか見えていなかった。
突然大事な証拠を失った大柄な騎士は目を怒らせて周囲を睥睨し、殺気混じりの怒号を上げる。
「誰だ、出てこいっ。王国に楯突く気かっ!」
だがそう言われて出てくる者などいるはずもなく、怒号のあとは小さなざわめきだけがプラットホームに広がっていった。
大柄な騎士と未亡人の間にいたアルセリアにも何が起こったかは把握できていなかったが、裸身を晒してなお必死の表情をしている未亡人に気づく。
その目は、見たくもないはずの騎士の手とアルセリアの間を何度も行き来していた。
こうまでされれば、その意味に気づけないアルセリアではない。
唯一の証拠であった『フェイクエリクサー』は消えた。
未亡人に濡れ衣を被せようにも、未亡人はなにも持たず全裸を晒しており、隠すところなどありはしない。よって――。
「これ以上の捜査は違法です」
アルセリアがきっぱりと告げると、騎士は眦を釣り上げて、怒気を漲らせる。
だが、アルセリアがその手に枷を生み出すと、それ以上は何もしなかった。
異能持ちの調査員、それが騎士を躊躇わせた。
アルセリアは未亡人に上着をかけ、その身体を支えるようにしてロブのほうへと戻ってくると、そのまま界境列車に乗り込んだ。
「規則となっておりますので、しばらくこちらにお立ちください」
界境列車に入ってすぐ、車室の手前にあるデッキ部分で車掌のキューバスがそう言うと、未亡人は素直に頷いた。
ほんの数十秒ほどで、検査は終わる。
「――はい、異常はありません。それでは界境列車の旅をお楽しみくださいませ」
魔法式や魔導式、機械式、電子式等あらゆる方式による身体検査が行われたことで、未亡人は体内のいかなる部分、そしてそれ以外の方法でも、不法な物を持ち込んではいないと証明された。
大柄な騎士の行為は、未亡人を陥れるためのものであったと確定した。
こんな検査があるとわかっていながら、禁止薬物をプラットホームに持ってくる意味などない。
まして、王国の審査所をきちんと抜けているのだ。潔白は明らかであった。
「ありがとうございました」
未亡人が礼をすると、アルセリアは首を横に振った。
「わたしはなにもしていません。偶然、何かが起こった。そう、偶然」
アルセリアはじっと未亡人を見つめるが、未亡人は首を横に振る。
未亡人は咄嗟に状況を利用しただけで、何かが起こったのかまではわかっていなかった。
大柄な騎士は未亡人とアルセリアが界境列車に乗り込んだあとも睨み続けていたが、しばらくすると悪態をついて去っていった。
ロブはデッキで検査を受ける未亡人を横目に、それを見届けてから界境列車に乗ろうとして、足を止めた。
『フェイクエリクサーを焼却し、服を脱がせて焼却した。さすが、魔王殺しの勇者といったところかしら?』
気怠げな、ベルタの囁きであった。
ロブはそれとなく周囲を窺うが、やはりベルタの姿はどこにも見当たらない。
「知らないな。何か見たのか?」
『いいえ? まったく気づけなかったけど、この場であんなことができるのはアナタくらいじゃないかしら』
「あんたもできるし、ほかにもいるかもしれない。偉大な勇者の血を引く王族がこっそりやったんだろうよ」
『アタシに嘘なんてつかなくていいのよ? 連盟には言わないわ。むしろ、せいせいしたくらいなのよ?』
「知らんな。……まあ、仮にだ、仮に俺がやったのだとしても、証拠はない。バレなきゃいいのさ。バレなきゃな」
ロブは誰にともなくそう呟き、今度こそ界境列車に乗り込むが、すぐに立ち止まる。
車室前のデッキには、アルセリアと検査を終えた未亡人が待っていた。
「何事もなくてなによりだ」
ロブはそれだけ言って車室に戻ろうとしたが、未亡人がさりげなくロブに腕を絡ませて、囁いた。
「……聞こえていました。助けていただいのですね?」
「……さて、知らんな。まあ、もし俺が助けたのだとすれば、やらなきゃならんことがある。連盟とあんたが繋がっていたらこの列車の身体検査なんぞ無意味だからな。この俺の手で、あんたの身体を隅から隅まで調べさせてもらおうか」
ロブはムフフと鼻の下を伸ばし、冗談半分にそう囁き返したのだが、なぜか未亡人はさらに身を寄せ、微笑んだ。
「……そうですね。勇者様が納得されるまで、存分にお調べください」
予想外の反応にロブはあれ? という顔をしているのだが、下心というのは厄介なもので、未亡人にやんわりと腕を引かれると抵抗することもできずに歩き出していた。
腕を引かれて未亡人の車室へ行ってしまったロブの背中を、アルセリアはただ見送ることしかできなかった。
アルセリアはロブの背中が見えなくなったあとも立ち尽くしていたが、しばらくすると我に返り、誰もいない車室へと戻った。
ほとんど習慣化された動きでソファに座り、端末を開く。そして今日の報告書を書こうとして、手が止まった。
そのままゴチンと、テーブルに突っ伏してしまう。
濡れ衣を被せて犯罪奴隷に落としてしまうなど、連盟の資料にはなかった。
内政不干渉を貫く連盟の不作為は、あまりにも無情だと感じられた。
だがなによりも、ロブの言葉が頭から離れなかった。
バレなきゃいいのさ。バレなきゃな。
今回はこれでよかったといえなくもない。
そうしなければ、未亡人の人生は破滅していた。
だが、ロブがこの先もこんなことを続けるというのは、看過できるものではなかった。何か一つでも間違えれば、簡単に道を踏み外してしまう。仮にも勇者がそんなことになってはいけない。
だが、どうすればいいのか。
アルセリアの思考はまったくまとまらず、ロブのこと、連盟のこと、王国のことが、ぐるぐると思考を埋め尽くしていた。
***
車掌の許可を得て通された未亡人の車室は家族用のもので、ロブの車室よりも広く、大きなベッドがあった。そここにある子供たちの玩具や服などが家庭の匂いを感じさせる。
「子供は?」
「今朝から知人の車室に預けてあります。王国への報告義務はわたくしだけが行うものですから」
王国では界境列車の存在を知る者は限られており、乗客となった者には定期的に報告書を提出する義務があった。
毎日のように二階のラウンジに通っていたロブは、それも含めて未亡人のこともいくつか知る機会があった。酒に酔ってお互いに身の上話をするなど、よくあることである。
とはいえ、先刻のプラットホームのようなことが起こるなど予測などしていなかったし、未亡人から何か頼まれたというわけでもない。
ただ、久しぶりに気持ちよく呑めた。四腕の未亡人が美人であった。情にほだされた。そしてなにより、濡れ衣などいうのが心底気に入らなかった。
だからロブはあの時、腰の銃を抜き撃った。
アルセリアが二人の間に割って入り、周囲の視線を集めた、あの瞬間。
唯一の証拠である『フェイクエリクサー』を、『炎線銃』で焼却。
同時に、未亡人が着ていたロングワンピースの留め具を撃って脱がし、地面に落ちる前に焼却した。
一連の早撃ちはロブが転生してから独力で修練したもので、何万何十万回の試行錯誤と十五年の戦争によって磨かれた純然たる技術である。その気配の逸らし方、初動の消し方、徹底的に無駄を省いた身体動作によって、すべてを一瞬でやってのけたのであった。
未亡人が羽織っていたアルセリアの制服が、はらりと脱ぎ捨てられる。
ロブの前に、再びその裸身が露わになった。
「隅から隅まで、お調べください」
プラットホームでは毅然としていた未亡人であるが、今は羞恥心が勝っているようで、恥ずかしそうに局部を手で覆い隠していた。
「……冗談半分だったんだがな」
言葉ではそう言いながらも、ロブの目は未亡人の裸身から離れない。
「もう半分は本気だったのでしょう?」
本当に禁止薬物を隠し持っていないのか。ロブが手を貸す上でそれが一番の問題であった。
そのために、大柄な騎士と未亡人の間に割って入ろうとしたアルセリアには、未亡人を助けたら近くの出入口から乗り込まず、戻ってきてほしいと頼み、未亡人からも目を離さなかった。
結局、連盟の身体検査でも問題はなかったのだから、ロブとしてはそれで幕引きにして構わなかったのだが、自らの目で真実を確かめるという癖が、つい冗談となって出てしまった。
「それが勇者としての正義から出た言葉なのだと、わたくしは思っております」
未亡人はロブの下心などとうに気づいていた。
だが同時に、勇者として生きてきたロブの正義を知っていた。ラウンジで何度も聞いた人間臭い英雄譚には葛藤、そして正義があった。それを自分の都合で曲げさせるわけにはいかない。
「義務感でこんなことをするなら――」
「そんな女に、見えますか?」
そんな使命感があったのは事実であったが、それだけではないのもまた事実であった。
未亡人は熱っぽい目で、ロブを見つめた。
こうなってしまえばロブが拒否などするわけもなく、するりと未亡人の顔に手を触れて、ほんのりと紅潮した頬、耳、口腔、顎、首筋、腕、腋へと手を滑らせる。
ロブの手が動くごとに未亡人は切なげな息を漏らし始め、空いた手はロブの服を脱がしていった。
いつしか、二人の腕はお互いに絡みつき、どちらともなくベッドへと倒れ込んでいた。