プロローグ 魔王を倒した勇者の後日談
ロブがその指名手配を知ったのは、旅からの帰路であった。
小雪がちらつく街道を足早に進んでいたとき、突然冒険者たちからの襲撃を受けた。
襲撃自体は数分で片づけ、銃を冒険者たちの眉間にゴリゴリと突きつけつつ尋問していった結果、開いた口が塞がらなくなってしまった。
魔王殺しの勇者、ロブの指名手配。
指名手配したのは、新しく王位についた王弟。
「いやいや、人違いだろう」
ようやく絞り出した言葉はそんなセンスもない陳腐なものであったが、冒険者たちは冷たい大地に倒れ伏したまま、その言葉を否定した。
適当に撫でつけられた焦げ茶色の髪に、コメカミに走った二条の傷。フード付きの戦闘服にガンベルト、親指だけが分かれた奇妙な靴。ガンベルトに納まった銃の銃把には『ライフルの銃身に嵌った指輪』が刻印されている。
それになにより、ロブが冒険者の眉間に押しつけている回転式多銃身拳銃。姿形だけなら真似することもできようが、この未だ複製不可能なこの銃を持つ者はこの大陸に一人しか存在しなかった。
「……マジか。あいつがやるか、こんなこと。……いや、やるか」
新王となった王弟の性格とこれまでのことを思い出して、ロブは少しだけ納得してしまった。
ロブが現在住んでいるのは西の辺境であるが、そこは冬になると寒さが厳しく、寒さから逃げるように魔王の残党退治と称して旅をしていた。実際、残党退治も行っていた。
その最中に、魔王討伐の報酬であるささやかな年金の振り込みが止まったのだ。
そのときは冒険者ギルドの職員も事情がわからないようであったし、当然他の冒険者から襲われるようなこともなく、金額も普通の平民の月給程度であったため、問題にはしなかった。
「……なんだってんだか」
だが指名手配となると訳が違う。生活すらも危うくなる。
王都の伏魔殿を想像するだけでうんざりしながらも、ロブは冒険者たちをその場に放置して歩き出す。
魔王を倒してから二年ほど過ごした西の辺境に帰ることなど今さらできるわけもなく、ロブは心底行きたくなさそうな顔を王都方面へ向けていた。
***
乗合馬車にも乗れず、七日ほどかけて王都近くの街までやってきたロブであったが、宵闇に乗じてこっそりと街の中に入り込んだのはいいものの、王弟、つまりは新王の冷酷で傲慢な目を思い出すと、情報収集もままならなかった。
もしも、ロブが接触した相手が指名手配されている勇者に協力したとばれてしまえば、よくて極刑。悪ければ一族郎党が連座で処刑される。
十五年をかけた魔王討伐で一応の共闘態勢にあったのだから、それくらいは容易に想像がつく。
純血主義者で身分制度の申し子のような男である。平民の命など家畜を管理する家畜くらいにしか思っていない。
そうなると情報源は貴族階級や上流階級に限られてくるのだが、新王が既に立ってしまっているのだから、現在の貴族たちの派閥を知らずに接触などできようもない。下手をすれば担ぎ上げられる恐れすらある。
そんなわけでこうして路地裏から、夜の酒場から漏れ聞こえる情報に耳を澄ませているわけだが、わかるのは前王、そして前王の子が相次いで病死したということと、前王派の貴族たちが不正を暴かれてどんどん失脚し、かわりに領地を失っていた東部貴族たちが台頭しているということであった。
ロブはなんとなしに夜空を見上げた。
王族や貴族とは利用し利用される間柄ではあったものの、前王は魔王討伐後にロブの隠棲を認め、余計な手出しをしないように計らってくれた。今後表舞台には出ない、王国と敵対しないということが条件であったが。
そんな人物が死んだ。病死などではなく、おそらくは謀殺。
仇など討つ気にはならないが、まったく痛痒を感じないといえば嘘であった。
ロブは夜空に煌々と輝く三つの月を見上げながら、酒場の喧噪をどこか上の空で聞き流していた。
それからどれだけ時間が経ったか、ロブは不意に路地奥へ視線をやった。
「――初めまして。異界連盟全界機関調査部調査員のアルセリア・リゴットと申します。あなたはロブ、魔王殺しのロブさんとお見受けしますが、相違ありませんか?」
路地奥の闇から白い女が姿を見せた。
「そうだが……エルフ、いや妖精族か?」
透明感すら漂わせた極端に白い肌と人間よりも少しばかり尖った耳。肩ほどしかないであろうピンクホワイトの髪を後ろで小さく一括りにしている。
百三十センチあるかないかの身長に、極めてスレンダーな体型であるが、面立ちは決して幼くはない。人間よりも大きな両の目には奇妙なほどに強い目力があった。
「正確には、リリーレスです。こちらでいうならばエルフより妖精に近いかと」
まったく聞いたことのない種族であったし、そもそも着ているものが異質で、まるで冬用軍服のような画一性を感じさせる服装であった。
「ふーん。で、そのリゴットさんがなんか用かい? 俺の賞金目当てならくれてやるわけにはいかないが」
「アルセリアでけっこうです。本日は保護ないし勧誘に参りました。ロブさん、この世界を出て、異界連盟に所属する気はありませんか?」
耳慣れない、しかし容易に意味が想像できる単語にロブは胡散臭そうな、それこそ詐欺師を見るかのような目をアルセリアに向けた。
「異界連盟には千以上の世界が参加しています。全界機関は異界連盟直属の組織として、召喚被害者の保護、魔王討伐等の一定基準を満たした勇者の勧誘、そして異能者対策を主な業務として行っています」
確かにロブはこの世界に転生召喚された。
しかしだからといって、他にも世界はあります。はいそうですか。と信じる気にもなれなかった。
第一、こんな状況になってから保護だか勧誘というのは何か別の意図を感じてしまう。
そんなロブの不信感を感じ取ったのか、アルセリアはじっとロブを見つめて言う。
「信用はできないかもしれません。ですが、信じてほしいのです。同行していただけるならばすぐにでもその証拠を見せる用意もあります」
さすがにこれ以上は付き合っていられないと、ロブは手をひらひらと振って立ち去った。
カナダとアメリカを合わせたほどもあるこの大陸で、王国の領土はその半分以上を占める。だが残りの半分には小国、そしてエルフやドワーフ、獣人たちの国が十数カ国存在している。
アルセリアがエルフか妖精の使者で、今この状況下で勇者という看板を利用しようとしている可能性はまったく否定できなかった。
そうしてロブはアルセリアの申し出を断り、その日の内に王都へと向かったのだが、想定外の事態に戸惑っていた。
なんとアルセリアがついてきたのだ。
真夜中に道なき道を歩き、浮浪者のようにこそこそと街の片隅で仮眠し、また夜に動き出す。そんな決して快適とは言い難い道を文句も言わずについてきながら、何度も勧誘を繰りかえすのである。
「こんな状況じゃなきゃ大歓迎なんだが……。それにしてもしつこいというか、くそ真面目というか」
もしアルセリアが本当にエルフの使者ならば、ここまではしない。プライドと排他性、潔癖さがそれを許さない。
そうなると異界連盟とやらの存在を信じるしかないわけだが、とそこまで考えたところでロブは溜め息をつく。
なんだかんだ、自分はまだこの世界に未練があるのだと。
三日ほどで王都につくと、ロブは日没を待ってから王都に潜り込んだ。十五年もこの世界で戦ってきたのである。王都の外壁を越える抜け道の一つや二つは知っていた。
それから一つ前の街と同じように酒場の路地裏を巡り、こっそり耳を澄ませていたのだが、そこでばったりと遭遇してしまった。
どこにでもいるような街の巡回兵に。
夜半、酒場の明かりを挟んで、偶然、ほんの一瞬だけ交わったロブと巡回兵の視線。
その巡回兵にロブは見覚えがあった。
サボり癖のある、そのくせ妙に目端の利く男。一言二言話したことがある程度であったが、確かにあの十五年の戦いを共に乗り越えた者であった。
巡回兵もその一瞬でロブに気づいたようで僅かに目を見開いた。
だが、そこから先の反応はロブの予想とは違っていた。
「……ちっ、浮浪者かよ。驚かせんな。ったく、もっとわかりやすい格好しねえと撃っちまうぞ」
肩にかけていた王国軍正式装備である充填式魔導小銃を揺すって見せるだけで、路地の奥へと抜けていった。
さも、いつものように巡回を少しばかりサボるといった体で。
ロブはほっと息を吐いた。
同時に、身体からも何かが抜けていったような気がして、そうして気づいた。
明らかに、見逃された。手配書が回っているのだから巡回兵が知らぬはずはない。
だが、なんのことはない。普通の日本人として生きてきたロブにとって、何かと堅苦しくメンツや礼儀、格式を重んじ、腹を探り合う上流階級よりも、気さくな一市民である一般の兵士との付き合いが楽だったし、親しかったのだ。
上級階級と付き合いが乏しかったからこそこうして指名手配もされてしまったが、一般市民と親しかったからこそこうして見逃してもくれた。
だが、それが仇にもなる。
新王に睨まれないように、こうして窮屈な情報集を行ってきた。
心の奥底の苛立ちのまま新王を倒しにいかないのは、その手足となるであろう一般の兵士たちを殺したくないがため。
魔王こそ倒したが、未だ火種のくすぶるこの世界でようやく定職と家族を得た者たちを傷つけ、殺すことなどできようはずもない。
王都の路地裏で、ロブはどこか遠くを見るような目をして立ち上がり、呟くようにアルセリアへと言った。
「……保護って言ったが、異界連盟とやらに行くと俺はどうなる?」
「最低でも異界連盟員として市民権が与えられ、自立支援も十分に行われます。もしその力を生かしたいのであれば、適性次第では調査員としての道も開けるかと思います」
「そうか。……連盟とやらもこんなありさまか? いや、そうだな、どこでも一緒か。連れていってくれ。もう、ろくに戦うことすらできないかもしれないが、それでもいいなら」
かつて戦った日々を見つめながら、ロブはこの世界を出ることを決意していた。