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アフターレジスタンス  作者: 島村時雨
第二章 堕天の玉座
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6話  千変万化のロゴス

 注目される言葉の豪雨は、放課後が訪れるまで止むことは無かった。

 流石に迂闊だった。教室に戻れば戦慄に走るクラスメイト達がご丁寧に待ち構えており、興味津々な眼差しが星を纏って光線を放つ異常な景色に、注目の当事者の傑は思考が真っ白になるほどの脱力感に蹴落とされた。


 下手な噂話なのに、物凄い早さで学生達に流布しているのは何故だろうか。

 とはいえ、普通の生活をしていれば支障に来すことは無い。


 今のところ真面目に学校生活を送っていると思いたい傑は、一目散に自分の席へ戻る。メガネをかけ直していると、前に見据えた景色の中に見覚えのある人物が腕を組ながら立っていた。


「何かやらかした事でもあったの? 貴方は」


 首を傾げるクリーム色をした縦ロールの髪型をしたお嬢、葛葉京華。

 泰然とした様子で言葉を投げ掛ける彼女。群衆よりも我先に、噂話を耳にして真相を確かめようと傑の前に現れていた。


 単純な真実への追求とはいえ、貫禄ある気配について気分が重い。


「俺は別に将と常盤さんの三人で昼食を取っていたよ。それなのに、いつの間にか根拠のない噂話が溢れ返っていました。誰かと食事したら駄目なのか?」

「別にどちらでも構わないわよ。だってそれは貴方の勝手だから」


 赤の他人ような模範解答をする京華は誇らしく鼻で笑う。

 一様真剣に考えていた傑にとって訝しくなる結果ではあるが、それも事実なので素直に反論の矛を鞘に収めた。


「はあ……、当分の間食堂には行けないんだろうな」

「それは大変な身分ね。一人でも複数でも結局はみんなの注目の的にされて、落ち着きの欠けた食事は、味付けのないただの無個性よ」


「弁当を作ろうにもバランス良く栄養を取らないとならないのか。時間は掛かるし二人分作る羽目になる。正直言って、面倒なんだよな……」


 努力を捧げる方向性の違いが垣間見れる。

 現状を言葉にした京華ではあったが対しての傑はどちらとも否定的。双方の感覚の違いが炸裂した瞬間、残された選択肢は勝手に進んだ。


 頭上に浮かぶ豆電球に光を灯した傑は手の平をポンと当てる。


「あ、別に食堂に行く必要もないか。コンビニで栄養が補えるじゃないか」

「え?」


 方向転換の冴えが働いた傑に京華は戸惑いの声を漏らしてしまう。予想していた展開が逆手を取られた事態に、珍しく納得の行かない表情を浮かばせた。


「ちょっと待ちなさい。貴方は食堂で昼食を取らなくても、他の場所でなら弁当を用意して食事を済ませればいいだけなのに」


「流石に疲れるよ。一人で食べるのに、そこまで拘る必要はないと思う気がする。多分俺は細々と光の当たらない所でコンビニ弁当を食べた方が性に合ってる」


 ある日に過ごした孤独の人生。教室の片隅で眺めた景色は今も覚えてる。

 どうしようもない絶望に追い込まれた弱い自分はもう何処にも居ない。過去を取り戻しても、以前の生活からは逃れることのない定めだと思う。案外悪くないと感じながら、この都は確かに存在する。


 繋がりから離れようとした一人の少年にとって。

 必ずやって来る昼食の時間は、いつもの環境に過ぎないものだから。


 無色透明の価値に余計な拘りは要らない。


「誰かと共にする食事は美味しい。けど、一人になりたい時間があってもいい」

「……それは寂しくはないの?」


 笑顔で満たされる賑やかな景色はきっと素晴らしいものだろう。遠くから眺めるだけの傑は鮮やかな世界に手を伸ばすことは出来ない。


 誰かの微笑む居場所を見守るだけで平凡を送れるのなら。

 一人で過ごす時間にも実感している傑では、これ以上有り余る幸せだった。


「別に。俺にとっては当たり前の時間なんだ。寂しさの欠片もない。それから一人で食事をするのは悪くないぞ。じっくり考えるのに最適なのさ」


 強いたげられた孤立から学んだ境遇を楽しそうに話す傑。今となっては遠い過去に過ぎないけれど、現実を受け止めるキッカケとなっている。失敗を重ねて覚えることは自身の成長に繋がる。失敗することは間違いではない、成功そのものだ。


 元々独りで過ごしたい人間として、至極理想的な答えだった。


「……それに校内で話せる仲間は少ないし、結局はぼっちになるんですけどね!」

「コンビニ弁当なら、さぞかし悲しいものになるわね」


 容赦のない上からの目線が痛い。他の人が見ていても本当に哀れだと思う。

 しかしこれが現実だから否定はしないし仕方ない。


「カロリーメイトとドリンクゼリーを主食にすれば……」

「もはや昼食と呼べるものなの?」


 三日で飽きる未来が見えた。

 京華の言う通りそれは昼食とは言えない。これはただのおやつである。無機質な食事は約束された栄養を引き換えに、見栄えが掻き消されておりコンビニ弁当よりも哀愁感を漂らせてしまう。


「た、確かに昼食とは呼べないな。うーん、明日の昼食になったら考えるか……」

「それはもう手遅れでしょ……」


 頭痛でもするのか頭を片手で押さえる京華は溜め息が止まらない。


 対して食事よりも箱猫のゲームに関して意識を傾けている傑は呆れる彼女の反応を見て、笑顔を浮かべたまま静かな苛立ちを募らせていた。


 まるでその解決策を知っている彼女の素振りに感付いた傑は、メガネを外しては挑戦を受ける姿勢に構えると躊躇いなく言葉を告げた。


「……じゃあ、他に何かしらの解決策があるのかよ?」

「あるわ。実に健康的になれる答えが。それは、誰かにお弁当を作ってもらうの」

「ただの嫌がらせですね分かります」


 迷惑極まりない愚弄だった。お弁当を作ってくれる人物なんて傑には存在しないというのに、京華のわざとらしい謀計に嵌まった傑は無抵抗に白旗を上げる。


 将は却下。常盤さんに作らせて貰っても本格的に噂話は広がるばかりに。日和は逆に弁当を作って欲しいとねだられる。有馬では毒を盛られそうで怖い。リア充は論外。もうどうすればいい。


「よし、自分で弁当作った方が早いな!」

「……貴方がそう決めるのであれば構わない。だけどこれは例え話よ。私に頼めばお弁当を作って貰えるとは思わなかったの?」


 潔く周回して諦めた傑に、見兼ねた京華は不機嫌そうに言葉を並べた。

 口元を尖らせる彼女はどこか怒っており、こちらへ突き刺してくる目線がとても痛い。身構えていた傑は冷や汗を掻きながら小さな反抗を起こす。


「客観的な視点だな。普通に考えられないだろ! どういう思考回路してんだ!」


「あら残念。男の子なら夢見るものなのに。意味のない孤独に苛われる貴方を外の世界へ連れ出すだけの事よ。とはいえ、貴方自身がお弁当を本当に作ってしまうと言うのなら、この話は白紙に戻すわ」


「元々白紙だったんですかね……」


 双方に揺るがない意志が迸る。混濁した世界観が激突する中で、エスカレートの帯びた言葉の数々に、離れた所で静観するクラスメイト達の興味すら飲み込んでは周章狼狽の木霊は止まらない。


「というか、なぜ葛葉が弁当を作る理由が? 料理には自信があるんだけど……」


「なるほど。つまりそれは、人に頼らずとも自力で解決するつもりね。人の優しさを顧みず妥協しない姿勢では宣戦布告を表明するものよ」


 これまでとは違う鋭い目付きは動くもの全てを黙らせるように。

 静かに佇む彼女の姿はその場に顕著するだけでも、凍て付いた空気に含める烈火の決意は確実に混沌に満たしていく。


 京華は分かりやすい挑発を隠そうとはせず。

 目の前にいる言葉だけの少年を軽蔑にも値しないほどの存在に見えていて。


 腕を組み、クリーム色をしたロングの髪を揺らしながら見下す彼女は、それは楽しそうにしてゆっくりと微笑んだ。


「と言うものの、家事全般については私の方が優勢なのかもしれないけれど」

「……いいや。それは、ないな」


 女子でも容赦のない鋭利な目付きが教室内で炸裂する。喧嘩を売られたと悟った途端に豹変する傑は言葉を足らずにして脅威を知らしめる。棘に覆われた一面に、刮目してしまったほとんどのクラスメイトは肝を冷やして声が出ない。


「こ、これがいわゆる一触即発って奴ですね……!」


 群衆に紛れてるアイリスでさえ舞台に上がる場面が見付からない様子だ。

 むしろ何が起きるのか楽しみで仕方がない彼女は目を輝かせる。雌雄を争う修羅場を頬を朱色に染めては小さな歓喜を上げているのを、立役者の二人は知らない。


「何かしら? 私は事実当然のことを言ったつもりよ」

「まだ勝負すらしていないのに出来事を確定するのはただの欺瞞だ。言葉に信憑性がないのは分かっている。葛葉がその証明する方法が実現しない限り、俺は認めることは出来ないし判断出来ない」


 淡々と言葉を告げる傑は優雅な振る舞いで文庫本を読み始めた。脚を組ながら読んでいた所に挟む栞を外しては、指先で弄べるゆとりを余している。


 立ちはだかる困難に対して思量が冴え渡る傑は口元を綻び微笑んだ。重圧の中でも明らかな実感を見出しており、彼女の言葉も潔く受け入れていた。

 だからこそ、向けられる挑発を悪巧みとしての知恵を借りて。


「ただし、弁当を持参していれば証明できるかもしれない」

「……」


 立証するためには過程が必要だ。確かな証明を待ち望んでいる。全てが勝敗によって決まる世界の傘下にあるのなら、傑は清々しいほどまでに事柄に秘められた真実を求めていた。


 確定してしまう現実を見据えるために。

 あえて否定しなかった傑は、京華の透き通る瞳を見ながら、言葉を投げ掛けた。


「本当に真実が知りたいなら、まずは自分を信じることだな」


 これ以上は語らない。

 後は読書に専念するだけの傑が椅子に腰掛けて残された時間を過ごしている。多くの謎めいた言葉を残して、聞き耳を立てていた学生達を悩ませていく。


 出任せな噂が左右に飛び交う中で、京華だけは微笑みを溢していた。

 その場所から離れようの踵を返して背を向ける。クリーム色の長い髪は滑らかに揺れている。少し離れた所で立ち止まる京華は決して振り向くことはぜすに、短い言葉で幕を締め括る。


 今も覚えてる彼女の声の音色は、明るみのある優しさを含めているような。

 そう聞こえた気がした。


「……別に、後回しな表現をしなくてもいいのに」


 最初に謎を振ってきた奴が何を言うか。顔色を変えずに読書を続けた傑はメガネを掛け直して勝手に思案する。再び教室が喧騒に包まれる前に、一人寂しく隅っこで学校生活を送らなければならなかった。


(流石に目立ち過ぎた。仲間が多くなるほど一人の行動が制限される……)


 アイリスの管理下にある以上、余計な詮索はやがて命取りになる。それに有馬のような化け物と将や美散のような新参者にも同等の脅威が降り注ぐ。


 一番のウイルスに成り果てるのは、同じ時間を共にする狂乱の刺客だけ。

 隣の席にいる凪波アイリスしか居ない。


「あのですね、千住くん。ちょっとだけ質問をよろしいでしょうか? すぐに済む興味事なので。京華ちゃんとは一体どのようなお話をなされたのですか?」


 さらに寄ってくるのはライトブルーの瞳をした帰国子女のアイリス。

 彼女は手を背中に回しており、こちらに向ける微笑みは抜かりなく美しい。些細な動作だけで漂う甘い香りは儚く散ってしまう。


 様子を伺う近い距離にいる彼女に対して、傑は自分らしさを告げてみせた。

 根暗の性格を払拭した少年は清々しいほど明朗に答えた。


「実は昼食の時間に学校のみんなに迷惑を掛けてしまって。……まあ、自分も反省はしてる。その真相を知りたかった葛葉と話したら争論に飛んだ。どちらの弁当が実に美味しく出来ているかの勝負を始めたんだ」


「……分かりました。話してくれて、ありがとうございます」


 彼女にとって関係のない話を聞かせる。

 この日に起きた出来事を述べるだけの傑。そこに緊張の兆しは見せない。


 むしろ周りを巻き込む勢いは増して滅茶苦茶な方向性を見出だして進んでいく。


「けれど平等に勝敗を決められる自信が全く無いんだよな。中庸な人の判断が必要だけど、知り合い達は確実に意図的になるだろうし。アイリスが審査してくれると助かるんだけど……」


「え、え? 私が審査の役をですか……?」


 常識的に困惑するアイリスは不安そうに苦笑を浮かべてしまう。別に構わないと思っていた傑は変化を見せずに続行させる。


「ああ。不正はないと信じている。それに味を確かめるだけでいいので!」


 手を合わせ合掌。文庫本は乱暴に机の上を踊って倒れた。表情は机で伏せており懇願する相手を前に見捨てる行動は出来まいと想定余裕でした。


「味は約束できる! 後は、食べてくれる人の気持ちだけなんだ!」

「う、うーん」


 帰国子女のアイリスに判断を委ねさせる鬼畜の傑。どうせ監視されるのであれば彼女の学校生活に刺激を与えてしまえばいい。邪魔されているのに気付かず、延々と振り回される人生を記憶として残してやる。


 窮屈な人生を革命すら起こしてしまう叛逆者らしい傑の行動に。

 観念したのかアイリスは難痒そうに肩を竦めた。


「……が、頑張ってみます」

「いや、本当に助かる! ありがとうなアイリス!」


 箱猫のゲームマスターに堂々と手を握る笑顔の傑は実際冷えていた。上部だけの反応に彼女はひたすら困惑するがそんなの眼中には無かった。


 平凡を求めていただけに過ぎない少年にとって、これは茶番劇なのだから。

 彼女の前にどこにも温情を掛ける場面は存在しないと。


「それでは、私はほんの少し用事がありますので……」

「ああ。じゃあな」


 渋い印象を残した所でアイリスは会釈を返して教室を出ていく。そして彼女が見えなくなった途端にハンカチを使って手を拭う傑は冷徹に時間を過ぎていく。


 手の感触すら覚える気が失せるほどの無機質な反応。

 だが、メガネの奥で仕舞う感情は実に正直であり人間味のある揶揄を築くだけ。


(どうせ手を洗っているんだろうが)


 もう一度読書を始めようとしたが静寂に耐え切れなくなったクラスメイトが質問攻めを繰り返してきた。あまりの迫力に不意に栞は外れてしまい、どの文章を読んでいたのか忘れてしまう。


「……」


 息を吹き返した活気のある教室の雰囲気と台風の目の中心にいる傑。怒涛の声と興味の眼差しは絶えずに豪華な賑わいは続く。


 なのに。

 いつかは冷めてしまう話題を必死に掘り下げようとして。


 その景色は中身のないダンボールのように、限られた視界はとても窮屈だった。

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