31話 胡蝶の夢
瞬く暇も与えないまま投擲する無数の刃物の弾丸を、傑は左目にある六芒星真眼を凝らしながらギリギリの所で体を俊敏に避けていく。
白色の壁を貫通してしまうほどの殺傷能力のある刃物の鱗片の軌道を見ていた傑は特に顔色を変えずにして階段のある方角へ前進する。
だが、未だに止血が至らない現状を把握した将は、平然としながら粉々になったガラスの絨毯となった廊下を歩き、愉悦そうにして言葉を放つ。
『アハハハ! 全部、全部避けやがった。やっぱり傑はすげぇよなぁ!』
(こんな奴を正々堂々と立ち向かえるか!)
一方で正面からでは対峙は不可能と判断した傑は相変わらず消極的だった。
流石に物理面においては相手の方が秀でている。
それも無傷の将と負傷の傑の立場では、明らかに状況はこちらの方が不利だ。部が悪過ぎる。まともに戦っていても望みは絶望的であり、勝てる光景が浮かばない。殴られたら即死だと考えていいくらいのレベルだ。
物理的な戦いには諦めている。
だからこそ、物理戦を避けるための秘策はとうに実行していた。
条件は整っている。
「とりあえずお前は落ちろ!」
そう言葉を放つと共に左目を凝らす。透明化した将は廊下を歩いていたが、その足元に何かしらの圧力によって廊下に空洞が生じた。
大地に亀裂が走る重力の暴走は周辺を歪ませていく。凝縮されていく現物は無慈悲に塵と化し、原型を留めなくさせる。覚めない振動と共に繰り広げる爆音は校舎を破壊する勢いを乗せて。
爆音と重力の中心に立つ将はそれでも依然と涼しい表情を浮かべている。
『そうか、なるほど。傑は鬼ごっこがしたいんだな。俺が、鬼だ』
勢いを増してくる圧力によって、空洞に吸い込まれるように将は一階へと落下していく。けれども反応を露呈しない結果に傑は苦い顔を浮かべてはこの場から素早く離れた。
「誰が鬼ごっこするか、馬鹿野郎」
乱暴に作られた空洞を見下す傑は捨てるように視点を変えて階段に向ける。
このままでは追い付かれるのは時間の問題。少しでも凌げるべく、将を一階へ追放したのたが、傑は先程の集中力で体には疲労を蓄積してしまっていた。
「……く、派手に戦うのは無理だろうな」
出血量と能力の酷使、更に六芒星真眼の回数で傑の勝敗は等しく決まる。その数少ないチャンスを最大限に活かすべく、どんな卑劣な手段を行使しても構わない精神の傑は、絶対に将を倒さなければならなかった。
この戦いに負ければ全てが終わる。
それは誰かを救えなかった事になる。それだけは決してあってはいけない。
「もうこの事件を終わらせなければ、きっと誰かは笑顔を浮かばない。将を止めないと、悪夢から覚めることはなくなってしまう前に、俺は、俺が出来る事を全力で成し遂げるだけでいいんだ……」
階段を上がる度に腕から伝う血は落ちて弾ける。
動けない左肩を抑えながら四階に辿り着く。一刻も早く将から距離を広げなければならないのに、どうしても体は十字架を背負わされたように重くて言うことを聞いてくれない。
冷えていく体温。
感覚は徐々に鈍くなり、左肩の痛みさえ分からなくなる。
そろそろ自身の体が壊れ始めていると感付かせる。それを暗闇の中で傑は哀れるように笑う。やはり自分は未熟者であると理解しながらも、無謀な行動を続ける自我の強さに偏見してしまう。
「本当に将が犯人だったんだな……」
傑は目指していたものがある。それは犯人が壊した平凡の時間だ。
当たり前の日常のためにしてきた努力は偽物ではない。二択しかない選択肢を最高の答えとして変えるために埋め込むピースを獲得してきたというのに、目の当たりにする真実は残酷に過ぎない。
疑いたくはなかったけれど、犯人が将だと最初思えたくなかった。
むしろ見ないフリをしていたのかもしれない。
「あの日から全部、おかしかったんだ。アリサと付き合うのに俺に相談する時点で。簡単だったんだ。好きな人を取られないように邪魔者を排除するために実力を計っていたことぐらいに」
知っている人物は朝から会話してこないし、下話もほとんどスルーしてきた。
根暗だった傑を配慮して昼休みにやってくる親友だったのに。
行動が全部真逆になっていて。
人が変わったかのように空気を吸う人間がこのタイミングで過去の幼馴染みの事を語りかけてくるなんて、傑の考えとして絶対に有り得ないのだ。
「俺はアリサの事が死ぬほど嫌いだっていうのにな」
生理的に受け付けられそうにないほどの、彼女に対する感情は憎悪だけ。顔を見ることも話すこともさえ反感を抱いてしまう。鉢合わせしたくなかった傑は人から好かれないよう、あえて孤高の人生を歩もうと多少の無茶を経験した。
別に人を信用していなかった訳ではない。
本当の理由は彼女に対する憎しみの感情によって人を避けていただけ。
また誰を疑って後悔してしまう未来を恐れたから。
「将だけが彼女の事を語っていたのも、俺に対する当て付けだった」
誰もアリサに対して触れる事は無かった。
相変わらずの日常を奪った憎むべき犯人を探すために再結集した、友達と遊び隊のメンバー達は目標を一つにして決意は固めていた。
しかし将だけはアリサの事しか語らず、具体的な現状については語っていない。
なぜなら悲劇という名の物語を創始させた張本人だから。
「そうだよな。俺を呼んだのは、無駄な濡れ衣を着させるため。犯人を確定させるための駒。大嫌いな人間を奈落に落とすのに地位を壊すのは当然だ」
教室を離れた絶妙なタイミングで将は放課後の時に行動を開始した。自身を透明する能力で他者を嫌がらせするのは容易い。呼吸するように校内を侵入する狂気染みた神経は相当の殺意を込める器をクラスメイトに移し、怒濤の暴力と雑言の洗礼を染めようと仕向けた。
全ては思うままに世界の中心で嘲笑う人間は、人の幸せを貶すように奪う。
まさしく強欲で作られた自意識の塊、略奪者だ。
「……そんなの全然、詰まらないよな」
仕向けられた全ての出来事が傑を排除するための手段だったのであれば、被害者の傑は不愉快そうに拳を握り上げる。
天井に覆われた外の世界へ見上げて、希望のある光景を目指す傑。
増えてくる血痕の跡は略奪者を誘導するための手段。覚束ない足取りも距離を調節するための罠。反撃のチケットは限られる中で使い切る。
だからこそ、いい加減、友情染みたごっこはもう止めよう。
一つだけの真実を目指すべく果たすためには何が必要なのか。何が失われなければならないのか、真相を究める傑は確かなる勇ましい笑みを浮かべながらゆっくりと前を見据えた。
「やっぱり俺は、逃げ続ける戦いなんて、性に合わないな」
常に振り回される立場に佇んできた。静かに現状を傍観するしか能のない、第三者の生活は偽りの景色だ。それこそ傑が望んでいない温い日常だ。縛られた人生はそれ以上存在しない。これから始まる悲劇の物語は自らの手で壊していく。
これ以上、誰かに自由を奪われてはならないと決意した瞬間。
高揚する叛逆の灯に輝きが生まれた。
「この際犯人が誰でも構わない。友達なんてただの人の決められた繋がりだ。友達を殺そうとする奴なんて友情という言葉は要らない。友達は俺が決める。俺が友達を選ぶだけでいい」
ゆっくりと四階に辿り着く将に対して傑は廊下で佇んでいた。
迫り来る見えない恐怖が、止まることのない戦慄が、これからの未来を決めるのであれば。傑の決める選択肢はどちらでもない真新しい答えを決める。
「だから、お前の夢を壊さないといけない」
ハッピーエンドでもバッドエンドのない真実の答えを導くために。
敵対する略奪者を潰す事にした。
「悪いがこれで鬼ごっこはお仕舞いだ。次からは将を、殺す」
赤き六芒星の瞳を見開き、身構えたと同時に傑の周辺にバチバチと青い静電気が走る。圧縮する風はやがて渦を巻き、窓ガラスは次々と乱暴に割れては教室の中に存在する物全てを巻き込んでいく。放たれる突風は傑を遠ざけるように、あらゆる物を場外へ雪崩れ込む。
弾丸の雨と化した凶器は一目散に将に向かってくる。
だが、未だにゲーム感覚でいる将に相変わらず表情に焦りはない。飛び掛かってくる弾丸の雨を避ける事も出来たハズなのに、意地を張っているのか刃物を持った右手で処理をしていた。
『全く温い攻撃だね。何のつもりだい? 俺を失望しないための無駄過ごし?』
的確な物体の軌道を予測し対処する。全く無駄のない完璧な手捌き。ガラスの破片もほとんどハエ叩きの感覚で廊下に落とす人間離れした俊敏な機動力。勝利へと近付く一歩を踏み入れる最高の能力。
向こう側にいる相手に迫力がないと見定めた将はカッターナイフを持つ。
煙幕が上がる状態でチャンスを見逃さないと、廊下を駆ける。
『今度はこっちの反撃だ!』
傑の怒濤の攻撃を無傷で対処した事で僅かな達成感を浸る時。
破られる煙幕の隙間に割り込むような形で傑は突っ込んで来ていた。
『いつの間に……!?』
「語る言葉があるなら想像力を働かせろ」
不気味に照らす赤い瞳を凝らす微笑の絶えない傑。
構える右手には禍々しく集められた力の集合体。辺りを灯す威光は形状を変えて十字のように切り替わっていく。
様変わりする恐怖の色彩によって、将はつい反射神経で両腕で防ぐ仕草をする。それを見逃さなかった傑は鋭い目付きのまま唸る右手よりも先に左足で将の上体を空中へ蹴り上げたのだ。
捻りを込めた一撃は将に激痛を与え、口から吐血を吐かせる。
『がは……っ!?』
ほとんどの攻撃に対し無傷で済まされた将だったが目を覚める刺激が全身を伝う。朦朧とする視界の隅に次の行動を仕掛ける小さな十字を手の平に収めた傑が待ち構えており、
「……何か言いたそうな顔をしているな。だが、俺が語ると思うか?」
僅かな時間の間で言葉を呟く。
それでも傑は畳み掛ける攻撃を止めるつもりは毛頭無かった。その証拠として、閃光を放つ十字を寝かす右手をくの字に曲げた将へ向けながら天高く掲げる。
十字の光は呼応するように一瞬煌めく。
途端に天井を貫き、天空を裂ける強大な十字架の光の柱が生誕した。
神々しさと禍々しさを兼ね備えた厳かな光の柱。閃光の波動は鼓動を脈打つように。強さを兼ね備えた圧倒する存在と儚さを備えた瞬間の残滓の景色は漆黒色に染まる世界に灯した幻想的な光だった。
光の柱に射たれた将は動く気配が無い。十字架が消えても屋上で倒れたまま。
そんな絶命状態の相手に軽やかに屋上へ飛翔する傑はため息を吐く。
「退屈だな。……本気になれば、結果は見えていた」
哀れな目線を凝らし、倒れる将に向けながらも人の情けは過去に捨てている。
力を込める感覚だけで二本の杭が光を帯びて宙に浮かび、無慈悲に将に向けて両腕に突き刺してみせた。物理的な攻撃手段ではなく、あえて精神面を汚染するだけの方法に。
これまでにない激痛は将を強制的に現実を呼び起こした。
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああァァァ!!」
立場が逆転する瞬間の悶絶の木霊は漆黒色の世界の下で響かせる。
透明化が乱れるほどの精神の痛みは発狂を呼び起こす。それは傑が受けた左肩の痛感よりも遥かに越えているだろう。
「お前のイカれた能力について少し語ろうか」
畳み掛けるのを止めるつもりのない傑は両手に十字の光を携える。狂暴な笑みを浮かべた傑は余計な事を喋らせまいと将の顔を踏み込んでは淡々と語る。
「身体強化の弱点は内側による痛みだ。綺麗な体に苦痛を与える事で、自分が未だに人間であることを証明させられる。それはお前の能力が人間を越えている訳ではなく、与えられた力を有り難く使っているだけに過ぎない」
形あるものには通用しない屈強な強さ。どんな衝撃にも絶える鉄壁の能力は所詮、ゲームによる与えられた産物である。もちろん弱点は確かにあって、それを証明させた傑はただの人間ではない。
成すことも壊すことも可能の能力者であるからだ。
「それとお前の切り札でもある透明化の力にも過信していた。お前はのうのうと満身しながらやって来た頃には俺には見えてたさ。もちろん、左目にある力でな」
赤く光る六芒星の瞳を誇示する傑は挑発するように将に見せている。
ギロリと睨むしか方法のない略奪者は充血してしまいそうな勢いで凝らしている。余程堪忍袋が耐えきれなくなったのか精神の痛みさえ感じてない様子だ。
そんな憤怒に染まった友達だった人物に。
鼻で笑う傑は耳元で囁くようにして残酷な言葉を溢した。
「やっぱりお前ではアリサを守ることも、愛する事も出来ない臆病者だ」
「……ッッッ!!」
「何キレてんだ? 本当の事だろう? 事件を起こした張本人が彼女であるアリサを気遣いさえしなかった最低野郎が、彼女の前に真実を語ると思えるのか。それは無理だ。濡れ衣を着せようとした相手に負けるようでは、お前は誰かを守ろうとする意味なんて無いだろ」
嗜虐的な表情を浮かべる傑の姿は鬼のように。
もはや眼前にいる少年は人格そのものを凶暴なものに変貌していた。
友情の微塵もない冷酷さと死闘の瀬戸際にある戦闘を心から楽しむ意識は将の知る人物とは掛け離れている。一方的な展開を運ぶ狂人は争いをやめない。
十字架の光を将の頭上に構えた傑は、盗撮事件の決着を宣言する。
それは一人の能力者を敗北へ繋がる結末を迎えるために。
「……本当に失望した。今のお前では彼女を救えることは不可能なんだよ。何故だか分かるか? ……結局お前は何も知らないんだな。何せお前はここで俺に殺される運命なんだからな!」
「や、やめ、ろ、すぐ、やめろぉ……!」
必死に抵抗する将は自身の降参を懇願を望むが、それを破棄と決定する傑は常識の欠片も無い。見据える目標ためだけに躍動する叛逆者は人間の姿をした悪魔そのものだった。
真実を勝ち取るためなら親友でもある将を殺してでも構わない。
事件を闇に葬りさるための犠牲は、ゲームが始まる前から決めていたのだから。
「ああ、なんて無様だ。何がアリサを幸せにするんだ。誰一人救えない臆病者なんてアイツには似合わない。むしろお前と居ると最低だ。というか、アリサも落ちぶれたものだな。こんな男を好きになるとは、本当に見る目が無い低俗の人間に過ぎなかった訳だ」
彼女そのものを否定してきた叛逆者はやれやれと肩を竦める。
平気で罵る無慈悲で卑劣な少年に、黙っていた将は怒りの噴出点を抑え切れないでいた。彼女を侮辱する親友に、沸き上がる新たな感情を抱き始めていく。
目の前を深紅に染める暴走の先にある意識は、殺意だけだった。
「これ以上、アリサを侮辱するなああああああァァァァァァッッッ!!」
二本の杭の光から無理矢理解く将は傑が作り上げた能力から解放する。
暴走する心が力の糧となり、願いのままに動き始める将は双眼を見開く。
突然の出来事に想定してなかったのか叛逆者は驚きを隠せないでいる。口を微かに開けており、空中へ飛び出された衝撃に瞳を閉じてしまった。
生じた瞬間を怒りに任せた将はもう見逃せない。
研ぎ澄まされた意識は傑の行動を凌駕し、暴走する感情だけが将を強くした。
「がは……ッ!?」
目に止まらぬ速さで将に首を締め付けられていた叛逆者。首がきしめくほどの腕力の応酬に抗おうとしても身体強化された腕を剥がす事は出来ない。体をじたばたさせても将は一切びくともしない。
手の平に携える十字架の光が消滅する中で、将はポツリと言葉を溢す。
「本当は、アリサは傑の事が好きだったんだ」
その言葉に込められた様々な思いを傑は全く知らない。
たった一人で生きてきた人間に誰かの好意など眼下に無かった。嫌いでいる相手など構う必要の要素を欠けてしまっているのに、真実を告げたとしても何も変わらないというのに。
分かりきっていた過去の副産物を、それでも抱えた将は吐き出してしまう。
まるでそれは限界だと言わんばかりに。
「昔から彼女は傑の事を思っていたんた。君が居ない時によく話していた。それを聞いていた俺は、衝撃的で何も言えなかったよ。なんとなく、気付いていて、それでもどこか納得がいかないもどかしさがあった。けれど」
情緒不安定な感情は全て行動に委ねられる。
さらに傑の首を締め急ぐ。勝手に力が込み上げる沸騰した憎悪の意識は、もはや苦しみ続ける叛逆者の表情すら直視しない。ただただ言葉を告げる事だけが最後の理性を保っていた。
全ては隠してきた本音をぶつけるために。
「……お前は事故に遭ったのに生還した。あの時死んでいれば、アリサは悲しまずに済んだんだ! お前が生きているからアリサは一生救われない。悲劇は続いてしまうんだよ……ッ!」
彼女の笑顔を取り戻したい。
生まれて始めて好きになってしまった金髪で碧眼の少女。
その美しい生き様を見守ろうと遠くから見据えてきた将は二度と彼女と隣になる瞬間は来ないと思えて諦めて。
けれど世界はアリサを日本に戻ってきてくれた。
これは奇跡だと信じた将はもう一度彼女と共に過ごす時間を求めて歩み寄ろうとした。変わらない想いを背負いながら、不安と期待を持ち合わせて勢いのまま彼女に告白した。
すると彼女はぎこちない笑顔で将の気持ちを受け取ってくれたのに。
少し寂しそうにするアリサは屋上で傑を見詰めていた。
――結局は彼女もまた過去の想いを捨てられずにいたのを気付いてしまった。
「凄く苦しいんだ。どうしてこんなに苦しい想いをしながら生きているのか馬鹿馬鹿しくなるんだ! 誰かを好きになる事は、人を傷付けてしまう事に繋がるのは、全部、掻き回したお前が悪いんだよォ!」
沸騰した鍋はいつか中身を吹き出すように限界へ辿り着く。
我を怒りに託したまま、その願いは大切な何かを引き裂きながら叶えた。
何かを潰す水っぽいものが弾ける音が聞こえた気がした。
それと糸が切れるような空しさが将の暴走する意識を鎮めていく。現実へ目が覚める感覚へ戻すと、両手に込められた代償が眼前に待っている。
「す、ぐ、る……?」
震える口元と驚愕した表情。頬を伝っていく透明の滴はもう誰かに届く理由を失う。生きる定めを失った叛逆者はやがて体温を失い、体は冷えていく。
思い浮かぶ親友の笑顔が一瞬に浮かんでは砕けるように消える。
そして眼前に広がるのは、瞳に光を失った親友の哀れで綺麗な亡骸だった。
「う、ああああああああああああぁぁぁぁぁぁ!!」
我に還る自意識と首を締めた感覚は取り除かれない。目の前の結末を受け入れない将はあまりの恐怖と絶句で親友の亡骸を捨ててしまう。
天井に横たわる叛逆者の亡骸の口から錆び付いた赤い液体が外へ漏れ出す。まるで意思が残っていると言うのか、液体は尻餅を付く将の方へ向かってくる。
藻掻き苦しむの親友が救いの手を求めているかのよう。
「来るな。来るな来るな来るな来るな来るな来るな来るな来るな来るなぁ!!」
一直線に将が悪足掻きする方向へ向かってくる無数の液体はフェンスの方へ誘導する。それを知らずに後ろに引いていく将は見る全てを否定してしまうほど、精神的な部分が壊滅していた。
その両手で親友を首を締めて殺した真実を否定し続けている。
目指した夢を勝ち取れた者の得た代償は、親友の殺害だけだった。
「ほ、本当は殺すつもりは無かったんだ……!! や、やめてくれ……ッ!!」
後悔と絶望が将を支配する。
望まれなかった未来に否定したかった将は頭を抱える。何もかも夢だと思っていたい。望んでない最低な未来を受け入れられない。現実と空想の境界線が入り乱れるその瞬間。
恐怖と悲壮に取り憑かれた将に、肩をとんとん叩く者がいた。
「……?」
唐突に現れる現実味の導きに将はその方角へと見据える。救いを求める声を何かに届いた事により、僅かな希望が芽生えてくる。現実を否定し続けるための、永遠なる逃げ場を求めようとして。
だが、見据えた先に立つ人物の左目には、赤い六芒星の紋様が浮かんでいた。
この手で締めた筈の親友は苦笑する。
「騙して悪いな。お前は永遠と夢の中で静かに眠ってくれ」
そう言葉を告げると共に窶れていた将は眠るようにして倒れた。
屋上には叛逆者の亡骸も血流も存在していない。綺麗に清掃された広場があるだけ。その場に起きたのは幻覚を見ていた将とそれを遠くで拝見していた傑だけ。
「……ようやく戦いが終わったか」
緊張感から解放された傑は安堵してため息を吐く。
蓄積した疲労と左肩の傷。さらに能力の酷使に膝を手に付けてしまう。左目も今更疼き血流が頬を伝うという体の負担には立つのも困難だった。
でもこれで戦いは終わった。盗撮事件は収集が付けられる。
事件が終われば彼らは相変わらずの日常を過ごせると信じて。
(これが最高の選択肢とは思わない。正しい答えがあった筈。……俺がもっと事態に気付いていれば、将やアリサが笑っていられる未来を見ていたのかもしれない)
どれだけ頑張ったとしても納得のいく結末には至らない。それは未だに実力不足でもありその程度の行動力しか無かった。将との戦いは避けられぬまま対話も出来ていなかった。
今は将が生きている証明こそが傑にとって大きな価値がある。
「後は、将を元の場所へ帰らせないと……」
足元をふらつきながらも屋上で気絶する将を担げなければならない傑。ただでさえ深傷を負っているのに力業をこなしたら体が壊れて使い物にならなくなってしまう。
それでも親友を救いたい気持ちは人一倍あった傑に。
最後の仕事を憚るように、四階に繋がる扉から新たな刺客が現れる。
聞き覚えのある忘れる事のない胡散臭い声の持ち主である、少女であった。
「また会えたね、千住傑くん」




