29話 バベルの戦場
現実は如何なる時でも残酷だ。
隠し続けていた事実を見抜こうとする探求心で真実の扉が開かれる。
それは善か悪か。
人々は答えを嫌でも知る事になるだろう。
欲望の沙汰で歪められた偽りの狂言によって、楽園な地獄と化す。原型をなくし現然に顕著するのは人類の内側から吐き出された感情。何色に染めて何色に広がり世界を成してきたのか、奈落の最果てに踏み入れる者は動乱を実行する。
叛逆者はその物語の終盤の後見人となっていた。
夜中の学校を舞台として。
「やはりお前が犯人だったか、……加藤将」
「……!」
色彩さえ漆黒色に塗り潰す教室に見覚えのある明るい茶髪をした少年がいた。
普段から見ることの不可能な景色に溶け込んだ常識を覆る異常な結果を、扉の外に立つフードを被った眼帯の傑は全てを悟る。
教室にいる学生というのは傑の親友だったという事を。
そして盗撮事件を起こした犯人である事を。
「傑! 生きていたんだ……! お前が死んだと心配して……」
「それ以上近寄るな」
心配そうに駆け寄ろうとする将に対し、傑は言葉を吐き捨てる。
続けに冷めたような表情を浮かべその目付きは恐ろしいほど鋭利に尖らせる。
「お前、何勝手に俺を殺してんだよ」
幻滅する諦めた顔。
全てを物語る傑は多くは語らない。淡々と、物事を冷静に見据え相手が話してくる事を順応に専念する。ひたすら傑は将の距離を置いている。
それでも話を聞く耳を持たないのか将は説明しようと口答えしてきた。
「俺は、傑を殺した犯人を探そうとしていたんだ。ほら、この紙切れを見てくれると分かる。ここに『千住傑を殺したのは私です』って確かに書いてあるんだ!」
月明かりのない教室でその紙切れも、文字も絶望的に見えない。
それどころか情報自体さえ疑える要素も含まれている。何かを見せようとしている将だが、前に投げ出す事の想像力を欠けていた。
むしろ紙切れを渡さない可能性を考えるべきなのか。
「それは本当に書かれているのか?」
「ああ。だから傑も見てほしいんだ。嘘なんて吐いてない、頼む本当なんだ」
懇願する表情はどんなものだろう。
単純に意味など無いから想像しない。時間を惜しむばかりの傑に戯れをする有余よりもこの場所にやってきた理由を告げる事が最善である。
だからあえて真実を語るのに等しい。それが偽りの紛い物だと傑は知っていた。
何せその紙切れたるものの経緯を知るから。
「お前が嘘を付いてないのは分かっている。……けどな、その紙切れを書いたのは誰でもなく俺も本人なんだぜ?」
「……え?」
想像していなかったのか将は呆気に取られて声を漏らす。
手元にある筈の紙切れに書いたのは傑本人である。特定の人間を探すための手段として、デタラメな記述を施したのだ。行方不明となっている傑が死亡していて、それを殺した犯人さえいれは状況をガラリと豹変する事ぐらい分かってはいた。
相手の記憶に衝撃を与えるために親友の殺害を選ぶ。
濡れ衣を着せようとした人間に向けられた末路を告知するまでに。
「事件が起きている中で、失踪中の人間の身に生命を問われる事態に陥ったとしたら、一番精神に苦痛を感じるのは、犯人のお前だけなんだよ」
ただでさえ学生の死因については世間に騒がれるというのに。
行き過ぎた行動はやがて後悔へと苛まれる。自身がしてきた偽物の現実が人を無差別に貶めるのを分からずにいた犯人はある事実に気付く。
それは第三者の存在だ。
「七日と失踪した俺を流石の犯人も気掛かりするさ。何せ俺を殺した別の存在が現れたら、間違いなく問題を向けられるのは前者の方だからだ」
異なる問題が複重すれば、辿り着くのは一つそのものになる。
周囲の人間を最も影響力を与えた盗撮事件こそが、全ての物事を影の中に落とした原因だった。紛れ込んだ影の中に衝撃のある情報が飛び抜けただけ。
悲劇の被害者でもある千住傑が、死んでしまえばどうなるか。
簡単だ。容疑は全て犯人に委ねられる。
「それが将、お前が犯人って事だ」
「ちょっと待ってくれ。どうして俺が犯人だと決め付けているんだ!?」
否定的な姿勢は対話について不要なものに変わる。
将は狼狽して傑に感情をぶつける。それを傑は鼻で笑う。
「まだそれを言うか、分からず屋が。この場所にいる時点でそれを否定してるぞ」
頭をトントンと指で突き、健常者を確かめるような傑のわざとらしい仕草。
そして発せられた言葉は今宵の静寂を掻き消した。
「……その紙切れはな、本来は情報を行き渡らせるために俺の机に入れといた。誰かに見付けるために紙切れを仕組んだが、実現出来なかった。それは何故だか分かるか? 一番最初に持った奴が犯人だったからだ!」
事件の引き金を起こしたのはゲームの参加者であると気付いた頃から。
盗撮の犯人は男だと確定していた。
傑に秘められた能力で元の景色を取り戻すために計画を実行すると決めて以降、自身の立場を壊しても、犯人を捕まえてみせると決めた。それが予想外に続いた偽りの平凡と隠された悲劇に傑は七日を費やす事になってしまったが、それでも息の根を止める答えへと辿り着く。
犯人が身近にいた親友であった事を断罪する。
当日に紙切れを自分の机に仕組んだハズだったのだが、思うように成功した。
余計な詮索をしなければこうならなかったというのに。
「ちなみに初日に紙切れを入れたんじゃない。七日に机に忍ばせておいたんだが、その様子だと、周辺には変化が見られなかったようだな。……お前以外はな」
向こう側に立つ少年に眼帯の傑は静かに睨み付ける。
俯いている姿勢に将の表情は見えない。それでも傑は警戒心を高めて身構える。
「お前は、俺を助けに来たんじゃない。俺を殺しに学校に来たんだ。ゲームの勝者になるために、事件に関わった人間を一人残らずにな」
邪魔者を排除するために先手の技術が勝敗を分ける。
最も効率良く望んだ展開に運ぶには、常に自分のペースを保つ事が必要。それを犯人は被害者を選び、それを実行をしただけに過ぎない。
本来の目的は別の所に潜んでいるからだ。
「……傑、ゲームってなんだ? 勝者って?」
「馬鹿を言うなよ参加者。お前は能力を使って盗撮事件を起こした。それは間違いなく目標のためだけに仕向けた行動だっつってんだよ。テメェの腐った願望でどれだけの人達が悲劇を巻き込ませたんだ」
秘められた能力の魅力に取り憑かれ暴走する心は願いのままに。
隠された欲望は未知なる力となって、保持者を狂わせる。振るわれる力は周辺を変えて原型を留めなくなるほどの圧倒的な支配を見せ付ける。元々あった願いは歪み、禍々しい心は保持者を蝕む。
知らない所で能力の保持者が暴徒を化すのも時間の問題。
檻に囚われた『人間』が、ある日を境に人という固定概念を越える。
見る世界が唐突に変わってしまうのは。
人の間にある殻を破ることで、これまでの時代を終わりを告げるために。
そして向こう側にある新たな始まりの時代へ進む事を。
「力を持ったお前はもう変わったんだよ。二度と元の姿には戻れないぞ」
「何を言ってるのか、全然分からないけどね」
「……それてもなお、アリサについても惚けるつもりか?」
幾らでも語る口を惚ける少年に向けて傑はある少女の名前を使うと。
――微かに、空気の流れが歪み出した気がした。
漆黒色に染める教室に、カーテンは突然と揺れ出す。窓ガラスは開かれていないというのにも関わらず、小刻みに暴れ始める。
立て続けに教室にある物が乱暴な音を奏でらせる。
それは不器用にポルターガイスト現象が発生し、連動する音感のない演奏はとても耳障りに来すもので。
不快に顔を歪ませる傑はこの場を凌ぐ。
雑音が入り乱れる教室の中で将の双眼は傑をギロリと覗くように凝視する。
暗闇の中で、将の嗜虐的な笑みを捉えた。
「どうしてアリサの名前が出るのかな。全く意味が分からないな。俺はただ、犯人を見付けようとしただけに過ぎないのに、彼女は今関係ないだろ」
「……残念ながら犯人は見付からないしアリサも被害を受けてんだよ」
今度は将が言葉を溢していく。
変わり始める展開に傑は胸中で笑う。狙い通りに進む物語に勝機は近くなる。たかが一人の名前だけで感情を揺さぶられるとは思っていなかったが。
眼帯の傑は現実を見据える限り、目の前にいる奴に負けるつもりはない。
勝敗を握る鍵は手元に揃っている。
「あの日盗撮事件が起きた事は知っているな。その更衣室にはアリサがいたんだ。……言ってる意味分かるか? その犯人はお前の彼女のアリサの姿を盗撮しようと犯行に及んだんだ。本当に最低な奴だよな。そんな最低な犯人を、お前は何故見付けようとも捕まえようともしないんだ?」
「……!」
誰かを愛する心は観測できる銀河そのものさえを凌駕するものだと思えてる。
それはとても儚いもので、直ぐに壊れてしまうほど脆いもの。
けれど人々は生きるために脆い愛を守ろうと決意する。
言葉では語られない感情の真髄を。
なのに将はアリサの事を察していなかった。
真の被害者はアリサである事を見落としていた将は彼女をよそ見に別な事を成し遂げていたのだ。恋人なのに、大切な人だというのに、愛の欠片の微塵もない繋がりは本当にアリサを愛そうと思えるのか。
否、それを傑は否定してみせた。
家族を事故で失われてしまったが、少なくとも人の繋がりは言える。
好意に思う人がいなくても言葉で表せるのだから。
「俺を殺すよりもアリサを助けろよこの野郎! 犯人を捕まえてアリサに良いところ見せろよ! なんで、なんでそれが出来ないんだお前は! アリサはお前の大切な恋人なんだろ!? 何故彼女の事を考えないんだ! どうしてアリサを守れない? どうしてアリサの側にいてやれない? お前にとってアリサは一体何なんだよォ!!」
「……黙れよ、アリサアリサ黙れぇぇぇぇぇぇェェェ!」
何かが弾け飛んだように、将の感情は瓦解した。
衝撃波によって教室に存在するものが将から離れていく。視界を遮る傑のフードが強制的に解かれる。その衝撃の渦の中心に立つ将はゆらりと姿勢を落とし、見上げるように傑をその赤く光る双眼が捉えている。
開かれた口は三日月のように不気味でニヒルな笑みを浮かべており。
獲物を確実に仕留めるための右手には光を反射するカッターナイフを携えて。
こちらに向ける言葉はとてつもないほどに、憎悪と怨嗟が込められていた。
「黙って聞いといてやったのにごちゃごちゃうるせぇんだよ。あーあ、お前がさえ居なければ俺はアリサと一緒に幸せで居られたのになあ、頼むからホントに今死んでくれないか傑、邪魔なんだよ」
「ようやく本性表したか、大根役者が。ハッキリ言って俺は負ける気はないぞ」
傑と将の間で見えない衝撃が走る。
互いを睨み付ける時間は刻々と進んでいく。時計の針が動くよりも先に。
双方が思い描く世界のためだけに。
目の前にいる障害物を壊さなければならない。
「じゃあ殺しがいがあるね傑は。君は死んでくれたらアリサは必ず救われるんだ。そう彼女も望んでいるから。だから俺は傑を殺して、アリサを永遠に幸せにしてみせるよ」
「ハッ、その気持ち悪い夢を終わらせてやるよ」
当然の結末だった傑は眼帯を外してみせる。宣戦布告の合図だ。
望まれていなかった現実は無慈悲に訪れた。狂気の力に染めた親友の将は既に欲に溺れており、現実を見定める平常心はとうに失っていた。闘争心に応えるために、傑は手加減のないようにゲームの開始を告げる。
もはやこれは友情ごっことは呼べる次元ではない。
ただの勝敗を決めるだけの醜くて歪んだ熾烈な戦いだった。
能力者が引かれ会う定めだとすれば、この戦いは必ず終わりがあるという事を。
これらを知るのはこのゲームを支配する人間だという事を知らない。
奴はそれを全てを見ていた。
「おー、殺ってる殺ってる☆」




