2話 不協和音の囁き
『君は、つまらない世界のためにリバイバルしてみない?』
お気に入りの洋楽が流れてくるハズだった。
それを強制的に掻き消したのは、誘うような機械染みた女の子の声だった。唐突にやってきた非常識は耳に差し込んだイヤホンに通じて、完全に行動を遮る。
「は? 何が?」
その意味が分からなく、傑はスクランブル交差点の中心で立ち止まる。
不意に感じた違和感。
それを傑は周囲を見回す。
けれど人の流れは相変わらずのように止まろうとはせず、ただただ目的のためだけに歩き続けている。急に立ち止まる傑に多少の戸惑いを見せているが。
人の流れも、鳥の羽ばたきも、電光掲示板に示す映像も。
認識する全てが傑にとってその光景がスローモーションのように見えていた。
それはまるで脳に誤作動を起こすタキサイキア現象のように。
記憶に刻まれた景色は出来事の瞬間をゆっくりと経過していく中で、イヤホンから聞こえる機械染みた声は愉快そうに続く。
『あれれぇ? 意味がよく分からなかったかな? じゃあ、もう一度言うよ。この世界がつまらないと思ってる君へ。僕とゲームをしないか?』
かなりの語彙力の低さを伺える声のトーンとボクっ娘を無視して、今起きている現状に怪異が起きていても平常心を保つ傑は尋ねてみる事にした。
「具体的に何」
『おっ、やる気はあるみたいだね! けれどエッチな事じゃないんだなこれ~』
「違う。根本的なルールについて」
『うん、それぐらい僕にも分かっていたさ!』
調子を狂わせるけろっとした声が返ってきた。
どこか胡散臭さと相手を小馬鹿にした雰囲気が漂い、表裏のなさに傑は多少苛ついている。その見えない相手に向ける静かな敵意が現実を見据えてる。
心中を察することはない声の主は滑稽さを彷彿させながら言葉を続けた。
『まずは携帯端末の画面を開いてください! なんと不思議! じゃじゃーん! そこに見知らぬアプリがあるではありませんかっ!』
指紋認証で開いた画面には本当に見知らぬアプリがあった。
闇色に沈む不気味なそれは、何も表記されていなかった。何かしらの故障でアプリを開いた可能性が浮かんだが傑はここ最近の行動に確信するものがある。
この携帯端末は新品当然で機種変更したばかり。触れる機会が少ないだけあって今のところ何かしらダウンロードする必要が、傑にはどこにも無かったから。
名無しのアプリの存在が、物事の一点に集中する。
立て続けにやってくる非常識は勢いを殺さない。むしろこれが現実であると言わんばかりに機械染みた女の子の声が無性に響く。
『見えました? んじゃあ無印のアプリを是非押してくださいませ。開くとですね『シュレディンガーの猫』っていうゲームが起動すると思うんですよ。あ、画面とか真っ黒になってます? それであるゲームの参加をしてほしいんです……』
最後の方で声音の弱さがあり、途切れ途切れになってるが、傑には関係ない。
強いて言うならこれ以上不要だった。
「……、」
言われる前に押したら、画面が真っ暗になっていたのだ。
それどころか全く機能すらしていない。認証しても反応は虚しいばかりで画面も変わらずに真っ黒。一様スライドするが、やはり駄目だ。というか電源すら入っていないんじゃないかと思うくらいに携帯は作動しない。
とりあえず事情を話してみる事に。
「ちょっとまて、画面が全然動かないんだけど」
『え、ありゃりゃ? 故障ですかね? それでは困りますね……。しょうがないので僕が説明してあげます』
「違う、そうじゃない」
もしこれが故障なら流石に黙っていられないのだが、イヤホンを耳に差し込んでるだけあって、機械染みた女の子の声は人の話を聞く耳を持たない。
それでも話は勝手に続いていく。
『おおよその概念はこんな感じ。箱の中にいる猫を、探してほしいのです! 無事に見付けるとなんと! 一つだけ願いを叶えることが出来るんだ。凄くない? でも条件があってね、自分の正体を暴露したらその権限が剥奪されちゃうんだ……』
しゅんとしそうな声のトーンが聴こえるが傑はそれを黙々と聞いてる。
未だに人の流れがスローモーションに見える景色を眺めながら。
『権限が剥奪されないよう、なるべく最低限自分の弱点を隠すことが賢い行為だと思いますよ? あ、もしかして僕、結構お得な情報を提供しちゃったかな? これはこれは大出血サービスだ!』
一人勝手に大はしゃぎする声の持ち主に、傑はイヤホンの音量を下げる。相手の事よりも携帯端末を優先するが起動してくれない。
むしろ壊れているのでは、怪訝そうに画面をタッチする。
『どうです? 俄然やる気が出ましたか?』
「いや、俄然やる気はないし、それよりも寒気がした。胡散臭い」
『アイェェェ!? ガゼンなんで!? サムケなんで!?』
思っていたのとは違っていたのか、驚愕の声音を吐き出すようなトーンが叫び声と近いものがあった。しかしながら慌ててる様子が一切捉えきれてない。
『ちょ、それはどうしてなのさ。僕に教えてほしいよ!』
音量を下げたのにめちゃくちゃうるさい。突飛的な怒号に一瞬体を退ける傑だが冷静さを欠けず、イヤホン越しに告げる声の主に言う。
ただ、ある事だけを告げてみせた。
「どうせ、これは何かしらのハッキングの類いだろ。それも端末を越してイヤホンで音声を聞かされている。希に見る、新手の詐欺」
傑は、最初から疑いを持っていた。
何もかも都合が良すぎる夢のような条件と、馬鹿みたいな弁舌とその芝居。売り文句がどれだけ長けていようが、傑は自然に冷静になればなるほど、可能性という現実味が徐々に浮かび上がっていた。
偶然が偶然を重なりそれを奇跡へと思い込ませる行為に傑は騙されない。
「大体、携帯にそんな機能は付いてないしな。聞いた事もない。老若男女だって分かることさ。明らかに不気味で、怖いものがある」
明確な違和感を感じても傑の意識は乱れることはなかったのは、現実を区別する認識の力があるから。
「それにこの携帯は機種変更したばかりのものだ。音楽アプリしか取ってないし何もデータを移してないんだ。だから、この非常識は、携帯の不具合によって生じた単なる嫌がらせに過ぎない」
常に隣にある現実があれば、不可解な出来事は証明することができる。
それを見付けるための時間を掛けたに過ぎない。
辿り着いた答えは一つだけだ。
「つまりこの携帯端末は不良品って事だろ。これは詐欺だ」
空を切る鋭さのある声がイヤホン越しに話す相手に突き刺す。下らない戯れ言を聞く必要のなくなった傑は向ける興味が冷めていた。
目の前に起きている事実よりも、やるべき事を重点的に進める。
一向に改善するべくこの不良品の携帯端末をどう対処するか。
事情を説明するのにもかなりの時間が掛かりそうだし、もしかしたら信用しきれずに取り替える始末になるなら、どこか気が晴れそうにない。
そんな先の事を見越している傑に、イヤホン越しに話す相手は唐突に告げる。
『ほう……。詐欺、ですか』
心臓を抉るような嘲笑の含めた声のトーンが傑の思考を震わせる。
静寂に返る雰囲気は変化の訪れに共鳴し、冷めた空気は重く沈み、のし掛かる感覚に生きた心地が全くしなかった。変化する状況が理不尽にこの身が流されている事も傑はただ静かに現状を見据えるしか手立てはない。
『確かに君が言う理由も一理ある。実に模範のような答えだ』
明確になる敵意の色に対して、それでも機械染みた女の子の声は自分には関係なさそうに話す。微かな笑い声が漏洩しさぞかし興味を持った程度でしか、判断してないような素振りが酷く性格に現れていた。
あまりにも冷酷で軽蔑する意識が表に露呈しようが、声の主は何も変わらない。
沸騰した鍋の蓋が外れてもそれが当然であるかのように。
二度と戻ることのない深淵から覗かせる何者は愉悦を覚えていた。
『だけど、それが素晴らしいんだ! 周りの変化に流されない判断力と、いかなる時も疑ることを忘れない精神が、常識から外れない意識を作ってる! この世界に起きる物事が全て現実である結論に至るその想像力が、凄く堪らない!』
どこか物凄く評価してらっしゃる。
熱狂的な熱弁によって傑の堪忍袋の緒が切れた。しかし激昂することはなくひたすら呆れていた。
傑にとってそれはただの迷惑の一部に過ぎなかった。怒号を飛ばしても何か変わることはなく、経験値を積み重ねることも大した意味も含まれていない。
とにかく関わらない方が賢明だ。
だが、熱狂的な熱弁を掻き消し、酷く恐ろしげに淡々と言葉を述べてきた。
まるでどこかで監視されてる嫌悪感が帯びていく。
『まあ、信じようが信じないかは相手次第なんですよね。幾ら否定しようが目の前に起きた現実は何も変えることが出来ない。そう思いませんか?』
「……」
どこも共感する部分は存在しない。ただの疎通のない会話があっただけの事。とち狂ってる相手に答えようとしても、全く意味が無い。
ただ、迷惑なだけだ。
話そうとしない傑に、イヤホンから聞こえる声の主は笑う。
『そりゃあ誰だって否定はしますよ。だって、起きている出来事は今の科学では証明できないモノですから。そのぐらい、分かるでしょ?』
最初から見透かしていたかのように。
事前に分かりきっていたものを尋ねる趣旨は些か悪辣で。それが当然たろうと声の主は素っ気ない。
『でも、その割に反応が乏しい感じなんですけど』
人の反応見たさでしてるのか、成果を上げられずに不貞腐れているような雰囲気を放っている。想像とは違う結果に不快そうにしていたが、話題を転換するその声は胡散臭さが蘇り、とても明るかった。
『それはそれとして、とにかく君は正式にゲームの参加者になったけど、成すか壊すかは君の判断で構わない。大体詐欺みたいなものですしぃ』
(自分で言ってるんじゃねえか)
という事は、数の埋め合わせに巻き込まれた感じでいいのだろうか。
何にせよ傑は勝手にリタイアするので実績関係ない。思い出したら既に終わっていた。そんな展開になってほしいものだ。
『よし、とりあえず説明を言えた所で、僕はここでお別れでーす。あ、そーれ』
「何がよしだ。携帯はどうするんだよ」
『あ、別に問題ないよ。そのアプリはね物凄くバッテリーを喰っちゃうんだ。だからその携帯はただの充電切れ! そういえばこれは言ってないや……』
「ただの害悪じゃんか……」
そもそも携帯がクラッキングしても相手の意図が分からない時点で害悪で確定なのだが……。携帯が動かない以上、この時点で被害届を出す事は難しいため半分諦めかけている。
どうせ頭が痛い人に見られるのなら、止めるのは賢明だろう。
するとイヤホンから漏れる声の主は「ちなみに君の感覚を戻しておいてやったぜ☆」と簡単そうに言い放つ。いつの間にか傑はただ一人、スクランブル交差点の中心で佇んでいた。何も無かったかのように渡り抜く。
歩道に辿り着いた所で声の主に話そうとしたが、相手は既にもぬけの殻だった。