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アフターレジスタンス  作者: 島村時雨
第一章 叛逆者の覚醒
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21話 本物のココロは

「どうして貴方は自分を傷付けるような事に至るの?」


 不意打ちに言葉が向けられる。

 人気の欠けた廊下では傑と京華の二人のみだった。HRの時間が迫ってきてるだけあって、その静けさは優しく思えてしまうほど。教室の中で囁き続ける呪詛はあまり聴きたくないものだ。


 最悪な空間から解放された傑。

 それを導いてくれた京華は平行しながら訪ねてくる。ハンカチを持っていた右手には自虐の副産物として傑の血が付いていた。


 殺伐とした空気の中で仮面を被る彼らとは違う行動を示した彼女。

 助けるために止血したとはいえ、傑は申し訳ない気持ちになってしまう。


 これは自ら挑戦した犯人との戦いだというのに。

 彼女は一切関係ない。


「別に。好きでやっているだけだ」


 耳が痛くなる無音の廊下に木霊する答え。反響しても帰ってこない。


 理由なんて様々な方向性に向けられる事が出来る。今回の場合は、傑がこの事件を起こした当事者であると仕立てあげようとした犯人の目論みから逃れようと行動を実行しただけ。それがクラスメイトを巻き込む事態を対抗するために自身を傷付ける方法しか他に無かった。


「俺は冤罪を仕立て挙げられる前に多少の犠牲を施したに過ぎない。助けてくれたのは有難い。けど、これは俺の問題でもある。君には関係ない」

「そう。関係ないのに経緯を教えてくれるのね」


 HRを告げるチャイムが虚しく響き渡る。

 これで教室に居なければ遅刻扱いにされる。彼女の出席数の事が無駄に気になった傑は平行する京華に恐る恐ると声を掛けた。


「……教室に戻らないのか?」

「あの事態で真面目に授業が開始できると思える?」


 率直に思わない。

 陰湿な攻撃と傑の自虐は流石に担当の吉田は事態の深刻さに気付いた事だろう。


 一方的に犯人を決め付ける狂暴な感情と、奈落に落ちていく人の苦情を見て高揚に浸るクラスメイト達を。欲望ためだけの行動力に理性は含まれておらず、まして協調性も崩壊。ただの犯人を加担した共犯者。


 そして空しいばかりの被害者である傑が目標として目に付けられた。


「今頃吉田先生は彼らに問い詰めていると思うわ。貴方を傷付けるように仕組んだ犯人を探そうとしてね。けれども、本物の犯人には届かないでしょうね」

「本物の犯人?」

「ええ。貴方は被害者。それだけ」


 怪我人の傑を置いて先にスタスタと上品に歩く京華。

 貫徹したつんけんな態度よりも、気になるものが疑問となって変わった。


「ちょっと待て。その言い方だと俺が犯人じゃないと気付いている?」

「そのぐらい気付いていたわよ」


 こちらに振り向き淡々と語る京華は当然だと言わんばかりの涼しい表情。声のトーンはどこまでも落ち着いており、傑より冷静さを備えている。何せ狂気染みたクラスメイトの中で現実を見ているのは彼女しか居ない。


 そして傑さえ見落としていた真意を気付いていた。


「私には証言がある。それは貴方が食堂で昼食を取っていた事を。私の知り合いにも頼めば貴方の濡れ衣を晴らせられるわ」


 まさか彼女はあの食堂コントを見ていたのか。

 傑が狐の仮面を被った青年に苦戦していたのを、京華は最初からそう見抜いていた事になる。彼女の存在には気付いてはいたが、眼前に現れた謎の青年によって周囲をよく警戒していなかった。


 喧騒が入り乱れていた空間というのに物凄い着眼を持っていた。


「ただでさえ貴方は有名な人物であることを、忘れてはいない? 千住くん」

「……迂闊だった」


 無作為に人が寄ってきたのは圧倒的な学力のせい。

 一躍有名になったものの、それを嫌って教室の片隅で過ごしてきた。そのため話し掛ける人達が将ぐらいにしか居なくなるほどの空気のような存在に生まれ変わったというのに。


 今回は目の色を変えて彼らは傑に執着してきてる。

 それも盗撮の濡れ衣を着せようとする姿勢は、嫉妬にも近いのか。


 何事もなく保健室に辿り着いた。

 用件と内容を告げる京華と傑の左手の現状に驚きの色を隠せない先生。


 流石に事故として彼女は説明してくれたが向けられる目線がかなり冷たい。自らの手で犠牲を生んでこの始末なのだから傑は余計な事は言えない。


 傷の内容は悲惨なもので重症。当分は物を持たないことを宣告された。

 沢山の画鋲が刺さり血溜まりが出来るほどの出血だというのに、傑の病状は貧血だった。越したない怪我で済まされる。


「ふふ、貧血で済まされたわね」

「染みる……ッ」


 水洗いした手に消毒液を処方されて悶絶する傑に優しく微笑み掛ける京華。

 授業に支障が来すほどの痛感と貧血に傑は保健室で休むことになった。ベッドに腰掛ける傑から離れた所で椅子に座る京華は頬杖をつきながら、


「このまま安静していなさい。私が見ててあげるから」

「そこまで過保護される覚えはないぞ。病人らしく座っているか寝るかにする。悪いが葛葉はきっとこれ以上の用事はない。先生がいれば十分だ」

「あら聞いてないの? これから先生は出張よ」

「……」


 手を洗いに行った時に先生から話を聞いていたというのか。

 とはいえ傑は先生が出張しようが関係ない。一人黙って眠ってしまえばいい。迷惑を掛けないための京華を保健室から出さなければならないというのに。


「待て待て、どうして俺に構う必要があるんだ? 助けてくれた事に感謝してる。けれど葛葉がすることの重要性は無いと思えるんだが……」


 否定的の傑は京華を見ていない。

 虚ろな目線は絆創膏だらけの左手を捉えるだけ。


 そんな威厳の欠けた少年の露呈する弱さに彼女はため息を吐いた。


「貴方は今誰かに狙われているでしょう? 少なくともこの事態は急速に誰もが知れ渡るわ。当然貴方が怪我をして保健室にいる事も暴露されている。隙を見て犯人やクラスのみんなが貴方を傷付ける可能性がある。そうさせないために私が千住くんを保護するの」


 犯人の目的が傑の地位を壊すためにあるならば。

 怪我をしている相手が特定されている場所に込もっていれば狙われるのは時間の問題だ。それもクラスメイトの仕返しの脅威もある。


 数え切れないほどの見えない敵の前で立ち塞ぐために彼女は志願したのか。

 たかが同じクラスメイトだけの偽りの生活を送る仲間だけなのに。


 傑は彼女の事を何も知らなかった。


「どうして葛葉が、そこまでするんだ」

「冤罪を掛けられた貴方を守るのは当然。クラスメイトとしてではなく、人間としての当たり前の行動よ」


 言うことは必ず返す。

 それも明確な方向性を見据えて、一貫した目標を抱えている。彼女のプライドはただの良心ではなく、当たり前に困っている人を助けようとした常識が現実を見る力になっていた。


 弱い人を守るための行動力。

 まさしくそれは誰もが認められる強い人の証だった。


「それに貴方は何も悪くないもの」

「……」


 言い返す悪い言葉が見付からない。

 彼女の正しさには抜かりはなく、全てが納得の行く当然の答え。二言も許されない厳かな常識を彼女はただ告げただけなのに傑にとっては左手の痛みよりも比べるほどの無駄くらいに痛感する。


 傑が掲げる正義より、彼女の常識が上回っていた。

 鋭くて美しい眼差しを向ける京華は首を傾げてはゆっくりと言葉を掛けていく。


「貴方は悔しくはないの? 一方的に嫌がらせを受けても、平然とする? 私にはそう見えなかった。貴方は自ら傷付けてクラスのみんなを震撼させようとした。それは嫌がらせに対する行動だとしても、その人には痛みを感じない。貴方が血を流してもみんなは血を流さない。だって、直接な痛みを知らないから」


 相手を戦慄を覚えさせようと左手を犠牲にしても。

 痛みには伝わらない。残るのは不快感だけにしか過ぎない。


 ただ自身を守るためにした行動は無駄ではない。群衆に囲まれた現状で担任の吉田が現れた事。それを狙いとしていた傑はクライメイトにも罪を課そうして。

 けれど、紛れもなくやっている事が犯人とは変わらなかった。


 誰かの恐怖が見たくて、震撼する彼らが見たくて。そうして得られた答えが自虐しか方法の無かった傑は犯人を真似てしまった。歪んだ景色を払拭するために強大な刺激として出血を選んだ結果は、敵に弱体化している事を告げているようにしか見えない。


「……貴方は犯人に弱さを晒してしまった」


 それでも優しく微笑み掛ける京華の心境が分からない。

 辛辣な言葉の表現なのに評価は入れ替わっているみたいに。


「……何が言いたいんだ。誹謗なのか賞賛なのか教えてくれ」

「そうね。貴方を嫌がらせをするクラスのみんなは悪いと思っているし、無駄に怪我をした貴方も悪いと思っている。否定的な評価よ」

「どちらでもないか」


 彼女らしい反応は中庸的な目線。

 勢力に加担しない第三者の立場の意見を述べる事が出来る世界観。


 傑の思う世界の見方とは懸け離れている。思想以前に、人の在り方が差別化しない常識が優れている。どこにも偏りのない彼女は間違いを正せる人間。


 歪んだ景でも変わらない意志の持ち主が目の前にいる。


 弱肉強食の世界の中で、傑よりも現実をを見えている京華は傑の何か言いたそうな不満のある冷めた目付きを見て軽やかに微笑んだ。


「でもね、私は貴方の事が知りたくなった」

「……!」


 どう反応をすればいいのか困る。

 彼女の唐突な発言に傑は驚きつつも身構えていく。猜疑心が生まれ警戒する。


 これ以上誰かに騙されないためにも。傑は犠牲をしてきた。

 それは紡いできた今日までの意識が無駄になる瞬間を意味する。犯人の方向性が見えてきた今を守り抜けなければならなかった。


 何としても。目の前に立ち塞がる困難を越えなければ。


「……お前は、何を企んでいる? 目的はなんだ!」


 震わせた唇は恐れを抱き、強張る表情は平常心を欠けていく。


 もはや傑は目に見える者が敵意ある物と判断していた。信用という救いも情意という助けも全て目の色を変えて。思い続けてきた意識は着実と変化を現す。それは孤独の道に進もうとする恐怖だけが傑の糧になってしまった。


 散々裏切られて、失うことしか人生を送らなかった彼は。

 既に人を疑うことが唯一の答えだと、思想が偏った途端に。


「私の目的? それは貴方の苦しみを見たから助けたの」

「な……」

「だって、貴方は常に助けて欲しいと伝えてるようにしか見えなかったから」


 血迷っていた傑には譫言のように聞こえていた。

 しかしそれは明確に彼女の透き通る真実を耳にする。疑いを募らせた疑心の色は京華の暖かい眼差しで霞んでいく。身構えていた姿勢は解けていき、遠退いていた感覚は熱を帯びた。


 大声を発したため傑は身体に負担が掛かり頭痛に襲われてしまう。


「そんなつもりはしてない。俺はただ犯人を見付けようとして……」

「嘘ね。貴方の行動は人を惹き付けるものがあったわ」


 間違いを訂正する感覚で細々と告げる京華は手を掲げては眺める。


「気付いていないだけかもしれないけれど、貴方は確かに大切な物を求めている。独りでひっそり過ごしていると思えるけどね、本当は気付いてほしいのよね」

「……何が」


 気分の悪さに目付きが鋭くなる傑は睨み付けるように京華を見た。

 深淵の底から覗かせる叛逆を企てたる双眼。無意識に凝らそうとする瞳は敵意を隠そうとはしない。明白な狂暴性のある視線は彼女に恐怖を貫こうとしても。


 それでも彼女は、年相応のにこやかな微笑みを浮かべていける。

 立て続けに告げる言葉は誰かの心そのものを写していた。


「助けて欲しかったんだよね?」

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