17話 その先にある景色は
結局激しい論争は終わらなかった。
現実味のない口論は空振りに終わるのは、限られた時間が残って居なかった事。盗撮事件が起きたとしても通常通りの学校生活を送らなければならない。そうしなければ学力に影響を与えるからであろう。
「時間の無駄だったな」
たかが一時間で終わるような問題ではないと気付いていた傑。
女子更衣室にカメラが置いていた。
その言葉の羅列だけでも不愉快になるがその原因となる正体が掴めていない。
可能性は沢山存在する。
有り余るほどの数え切れないほどの可能性は傑でも困難だ。カメラの存在も証拠もなければ誰が仕掛けたのか不明なままだ。それも捏造も秘めていることから、どんなに工夫を凝らしても滑るだけ。
手掛かりがないというのに、犯人を探すのは無能だ。
被害者を生まれるだけに過ぎない。
突然の問題によってクラスの雰囲気は一変し、休み時間でも疑いの視線が鋭い。犯人を見付けるまで終わらないでいる。
当分は相手を疑うだけの学校生活を送る。
不穏な動きを見付けたら直ちに犯人を捕まえるように。
彼らの時間は犯人に奪われたようなもの。穏やかだった感情は姿を変えて敵意を剥き出しにする。気に食わない透明な存在に向けて彼らは怒りを露にしていく。
親友でさえ疑いを抱く青春は些か心地が悪い事だろう。
亀裂が走ってもおかしくはない。
この現状はいつまで続くのか傑は見届ける必要はある。嫌味になるが彼らの偽りの友情は果たして変わらないのか。結果が気になる興味は一日だけでは纏まり切れないので、友達ごっこを観賞するのを続行する。
事件が起きても傑は何も変わらなかった。
むしろ周りが変わった、と思えた。
至って普通の六時限目の授業を終えてもクラスメイト達の嫌悪感は収まる気配は無い様子。仮面を被っているのでその表情は伺えないが、角度で何となく分かる。
あれは疑いの目だ。
確かな証拠もないのに犯人探しを続けている彼ら。正義の真似をした空っぽの行動に目を合わせてはいけないと思えた傑は直ぐ様携帯端末を弄る仕草。
一番関係性のない人物こそ容疑を掛けられてしまう可能性が高い。
特に反応の薄い傑はどこか見られている感覚がする。
傑は別に構わないのだが、昼休みで食堂に居たことを証明すれば問題ない。そこに狐の仮面を被った青年が現れた事と、視界に縦ロールお嬢の葛葉京華が居た事を告げればいい。
けれど人の話を聞く理性があればの話だが。
そんな望みの薄い可能性に懸けても意味がないのであろうと、傑はこのまま放課後になるまで黙って過ごしていた。
早く帰りたい。
今まで通りの生活をしながらも心境はかなり窮屈だ。元々味方など居なかったが完全アウェーな立ち位置に生きた心地がしない。彼らが生み出す疑問視の弾丸は精神的にも影響を受けそうだ。
昨日の怪奇現象よりは大分マシなのだが、やはり狂う。
平然としているが傑がいる場所は違和感そのもの。仮面を付けていなかったであろう記憶の以前でも彼らの生活は偽物に過ぎない。
それらを見てきた傑は、今更の出来事に反応することは無かった。
放課後になるまで完全に沈黙を貫いた。
HRの時間でも吉田は犯人を見付けようとこれまでのやり方をしても、結果は変わらない。一方でクラスメイト達の絆はボロボロになって削られていく。誰が犯人なのか束縛した世界観では変化は生まれない。
きっとこの中に犯人はいないんだろうな。
勝手に判断していく傑の方が賢明な方法なのかもしれない。
そしてようやく放課後が訪れても未だに犯人探しは続く。
気が晴れない一部の女子は腕を組み扉の側でガン待ちしている。自らの手で検査しようとするが帰らせない様子に部活をする学生は反発してしまった。
「物凄く醜いな。これは」
敵意の爆発はもう止まらない。
お互い本音の事を言っているのだろうが傑は壊れたスピーカーのように聞こえてしまうので聞き取れにくいものだった。それを遮るように音楽を聴くためにイヤホンを耳に当てようとした途端に。
「おーい、傑いるー?」
教室の扉の向こう側で、誰かが傑を呼ぶ人がいた。
そこにいたのは人懐っこい容姿を持ち、オレンジ色でポニーテールの髪型をする少女、日和は仁王立ちで傑を待っていたのだ。
「なんで日和が来るんだよ……」
「あ、いたいた! 傑! 今日はさ一緒に帰らない?」
「大声で言うなし」
手を大きく振る日和に対し、頭を抑える傑は首を振る。
まさか日和が来るなんて思っていなかった。というか彼女は仮面を被っておらず、まして傑を見付けたら事で眩しい笑みは幼さを浮かべてる。その笑顔に安心するが、とにかく目立つ。
仮面を被る彼らの目線が非常に痛かったが、咳払いして席から離れる。
秒殺で一部の女子に囲まれてしまうものの日和の対応が生きた。
「やっぱり傑はモテモテだね~、でもあたしと喋るんだ。その時間を潰したくないから、通らせて貰えないかな。それ以上したら他の人に迷惑を掛けちゃうよ?」
自信有りげに言うと女子は速やかに教室の扉から離れていく。
あの時間で派閥が生まれていたのか、直ぐに理解する傑だったが、いきなり日和に腕を引っ張られる。
「お、おい、ちょっと待って……」
「つっ立ったままじゃ迷惑になるよ! ほら歩く!」
まるでその場から離れるように、日和は少し廊下を駆けるのを止めない。
転びそうになる傑だっだがポニーテールの髪が揺れる日和の背中姿を見る。大して背の低い彼女だったが、その背中は逞しくて大きく見えていた。
そういえば誰かに腕を引っ張られていたような……。
幼い記憶を巡らせても、一致するものは存在しなかった。
自分の勘違いなのか分からない。昔の思いでは曖昧なのは仕方ない。けれどその懐かしさは体の感覚だけが知っているのは訝しみを覚える。
記憶を改竄されている傑には一体何が本物の記憶なのか曖昧だというのに。
「……屋上に昇降口なんてないだろ」
「いいのいいの。細かい事は気にすんな」
「分かったから自分で行く。腕を引っ張られていると危ないから」
「なんだ、話が分かってるじゃん」
日和の目論みを探る傑は自らの意思で階段を上がる事にした。
あの場面にて解放されたのは救いだ。しかし真意が分からないままでは警戒心は解けない。答えが正確になるまではその景色を見ることしか、真実には届かない。
傑の視界には映る屋上を行く扉は開かれていた。
そこから太陽の日差しが差し込んでおりとても眩しい。手を使って視界を遮るが、先に日和は屋上へ向かってしまい傑は独りだけ残される。
扉の向こう側に何があるのか。
無意識の内に期待と不安が交錯させる。
自然と屋上へ行けばいいのに傑はどうしても最後の一歩で躊躇ってしまう。この先行ってしまえば、二度と何かを取り戻せなくなる予感がするのだ。
手を前に出す気力はとても弱々しく、微かに震えているのに気付く。
「……っ!?」
目の前にあるものが遠くへと伸ばされていく。自分だけが見えない奈落に落とされたような体の浮いた感覚が訪れる。立っているのかさえ分からないままに傑の意識は現実から離れていた。
ふらつく体と目眩のする頭痛に頭を抑える。
まただ、感覚だけがこの先の事実を知っている。記憶にはない覚えがきちんと働いて、それが警告している事を。沸き立つ嫌悪感が消えそうにない。
目の前を見据える事も困難になるほどの、遠退く意識。
そこにノイズの掛かった灰色の景色が映る。同じ場所というのにやけに損害の多く、傷んでいる。屋上の扉の先にある景色は深く染められた炎の空。その下で嘆く人達は次々に姿を変え、絵の具みたいなカラフルな色は飛び散る。
――例えるとしたら、この世の終わりだった。
「傑、どうしたのー?」
「あ、ああ、今行く」
日和の間延びした呼び掛けに、我に帰る傑は答える。
先ほどの景色は幻覚だったのか分からない。不可解に満ちた映像はとても自身から生まれたものではない。けれどそれがやけに鮮明に記憶に残る事態が有り得なかった。
明らかにこれは現実に近い出来事。
ただ傑だけが崩壊する世界の下で、惨状が広がる景色を見据えている。
これは、一体何を示しているのだろうか。
答えが浮かばないまま傑は日和が待つ屋上へと向かう。誰かに背中を押される勢いで傑は前を進んだ。視界が眩しく澄み渡る途端に、青空が広がる景色に見覚えのある彼らはそこにいた。
「逸と由貴。それに将か……」
「やあ、待っていたよ」
フェンスに囲まれた屋上にいたのは逸と由貴のカップルと変態の将だった。
この場に金髪碧眼の少女はいない。
「……これは何の集まりなんだ?」
「僕も正直同感だよ。まさかこのメンバーが揃うなんて、思ってもいなかったさ」
肩を竦めて言葉を告げる逸は至って平常心の様子。
缶コーヒーを口に含む将はこちらを見ており、振り向くと無言で笑顔にする。なんとなくその笑顔が不気味に思えた傑は怪訝そうにして女性陣へ向ける。お菓子を食べている日和と由貴は遠くの場所で談笑をして賑わっている。
屋上にいる全員が仮面を付けていない。
それよりもどうしてメンバー達が屋上にいるのか気になる。
普段から会わないのに傑を含めて呼んだ理由を問う。
「俺を呼んだ意味は?」
「盗撮カメラを仕掛けた犯人を見付けるために呼んだんだ」
答えるのは将だった。
静かなトーンをして話し掛けるものの、どこか雰囲気か違って感じる。例えるとしたら、至って真面目な部分に従来の特徴が掻き消されているような。
目の色を変える将の表情はこれ以上のないほどの真剣そのものだった。
「昼休みの時間に事件が起きただろ。その女子更衣室にカメラが置いていたのが発端なんだ。そして学年を通して授業を自習にしたらしいが、未だに犯人は見付かってないままだ」
「やはり他のクラスでも起きていたのか……」
盗撮事件によってほとんどの人間が関わっている事になる。この大勢の学生の中にたった一人の犯人を見付けるのは困難を余儀なくされる。時間も手間も掛かるほどの。
冤罪を突き付けられる可能性も含まれた膠着状態はどこまで続くのか。
「将は一行にも犯人を見付けたいんだとさ」
「……?」
逸が呼んだのではなく将が呼んだのと傑は知る。大体逸は呼ばないだろうし日和と由貴が呼ぶような用件がない。将なら本人がやって来るのにそうはしなかった。
なぜそこまでして犯人を見付けたいというのか。
傑は神妙な顔付きをしながらも遠くにいる将に告げる。
「一体何があったんだ?」
「……大きな声では言えないけど、事件が起きる直前に女子更衣室に着替えようとする女子の中に、アリサがいたんだ」
正直、どんな反応をしたらいいのか困ってしまった。
思考が追い付いていない。唐突に知らされる新しい情報に彼女の名前が浮かんだ事が、保っていた平常心を揺らがせた。それが事実だと確定するまでに、傑は否定しかけていた。
「嘘、だろ。まさか、そんな」
「嘘は付かない。彼女の口から聞いたものだ」
首を左右に振る将はこの場にいる誰よりも冷静でいる。
知らない所で起きた事件だと言うのに、平常心で居られる訳がない。
現に傑は沸騰していく熱を込めた感情が瀬戸際の所で留まるだけで何時爆発してもおかしくない。
かつての親友たった彼女が被害者という事を認めたくなかったのだから。
幸せを失われそうになる危機感が待ち受けていたというのに。
「アリサは、とても落ち込んでいたよ。クラスの女子の中に体調を崩している人もいるらしい。かなりショックだったんだろう。犯人はまだ見付かってないし、更なる被害が起きるかもしれない」
「阻止するために将は僕と傑を呼んだみたいだね。犯人を探すために」
全ては被害者になってしまった彼女のために。
原因の発端である犯人を見付けなければこの悲劇は終わることない。
これ以上誰かが悲しむ姿を見たくはない人達は今まであった日常を取り戻すために、頼りになる仲間と共に答えを探す。
望んでいた幸せを再び勝ち取るために、手を貸してほしいと。
「傑は分かる。分かってくれるよな? 犯人を見付けないとアリサは幸せになれない。俺はアリサに幸せにしたい。いいや、幸せにしないとならないんだ。そうでもしないと、傑に申し訳ないんだ……」
その言葉の意味を傑は理解してしまった。
静かに前を向けると、悲しそうにしてこちらを見つめる将がいる。近くで腕を組んでは様子を見据える逸がいる。別の場所で何も知らされずに笑顔を浮かべている日和と由貴がいる。
常にあるのは拠り所に日常があるから、彼らは何時でも前を進められる。
けれど平凡を失われてしまった傑は二度と取り戻せることはない。
大切にしてきた居場所を奪われないためにも奮起する姿を見て、傑は親友の気持ちを汲み取るしか救える方法は無かった。
そうでもしなければ、裏切りそうになるから。
「なるほど。将の言う事を理解した。それで俺は何をしたらいいんだ?」
生きるための選択を傑は数え切れないほど選んできた。代償として奪われ続ける犠牲にも慣れていた。何かを失う事も、何かを終えてしまう事も傑は容易かった。
自分の幸せなど、考えた事もない。
全ては大切だった人達のために力を振るう手を翳すだけだ。
「そうだね、傑には犯人に繋がる手掛かりを見付けてほしいかな。それと将は、彼女の側にいた方がいいかな。精神的に舞ってるなら君は優しく諭すといい」
「分かった。やってみるよ」
逸の適切な指示に静かに頷く傑と、どこか胸を撫で下ろす将。
ただ犯人に繋がるものでも構わない。
自分ではなくても他の誰かが見付けてくれる事を信じてる。その人こそが彼女が思う主人公であるという事を教えるための脇役を演じ続けるだけいい。
今見えている景色が変わってしまう前に、傑は決意を貫く。




