12話 何者
賢い選択は左右する人生を定めるための知恵だ。
常に最良の答えを辿り着くために、選択肢を絞り、己の判断で全てが決まる。
逃れられない運命から抗うべく数少ないヒントを手探りしながら時間をじっくり掛けてバラバラになったピース全てを埋めていく。
一つの失敗は許されない。
だからこそ、人は考え続ける。
傑もいかにして誰からも束縛されぬように思考を回転させた。そして手塩を掛けたその答えは、無難に影の中に潜める事。光の当たらない場所で生きるのが最善な選択肢だった。
光に照らされる者と影に潜める者。
対となる存在が居なければ物語は始まらないように、舞台にも裏側にも主役がある。そのためだけにある答えは決して交わる事はない。同じ世界を見据えていないのだから同然なのだ。
全ては自ら決めた意志によって。
網状に分けられた選択肢を確定させたから。
同じ道に進むことのないオリジナルの物語が始まる。そこに脇役も敵役も関係ない。全員が主役の世界が生まれる。それでこそ望む道へ進められる理由に繋がる。
欠けた部分を補うための登場人物が必要とされる日がやってきた。
けれど、そんな都合のいい解釈は誰も話を聞かない。
『彼らがこの世界に対する不満を持ち始めた頃だったかな』
画面の向こう側でズルズルと音を立てている。もしかしたら彼女は熱い飲み物を口に含めて飲んでいるのだろうか。
優雅な一時を楽しんでいる彼女は風化してしまう昔話のように淡々と語る。
『千人の群衆を統べる一人の英雄がいた時代。人間は誰かに守られる事が当たり前だと、そう思っていた時代があった。けれども、その大切に費やした時間を潰してしまう原因が起きたんだ。君は分かるかい?』
「……その千人の群衆の中に、異端者がいたんだろ」
とても分かりやすいものだと思う。
強者から守られ続ける生活に何かしらの因縁を付けて不満を爆発させたのだろう。
安寧の続く現状を、刺激という名の発展を進めた。
つまらない日常を変えるがための促進に対抗する安定した現状の維持。拮抗する戦いはマスゲームを綺麗に成功するべく反乱する勢力を排除しようとし、鎮圧を失敗した争いは本格化する。
今と変わらない派閥の争いは共存という言葉すら概念は無い。
簡単に答える期待の裏切らない傑に彼女はさぞかし嬉しそうな反応をした。
『正解。みんなが主人公だと思っているからね、一人だけちやほやする姿なんて正直嫌気が差して堪らないんだ。そんな生き苦しい現状を変えるために、共感する者達は真の英雄になるために反乱を起こすんだ。たかが欲望不足で現状を潰すのは、果たして本当に英雄になれるのかな?』
英雄になれる訳がない。
安定した居場所を混沌に変えるのは悪魔だ。もはや人間のする行動ではない。
『答えは否。第三勢力に淘汰されてしまったのさ。誰から見てもただの悪行だからね。仕方ないね。風化していく出来事に安定した生活を取り戻せると思いきや、歴史は繰り返す。二度も掘り下げる人間は必ずやって来る。不安を抱えながら、現状を打破する破壊衝動は止まらない』
自由を求める探求心は破滅へと繋がる。
ある意味ではそれが人間の本性なのだろう。
自分を邪魔する者なら容赦はしない。信用する者にとことん甘い。傍若無人に扱う様は自分が王様になった気分になっている。その快楽を酔い痺れ周辺を当たり散らす本性を見せれば、過去の栄光は二度と取り戻せなくなる。
判断の過ちとか軽いものではない。
自分自身の状態さえ管理が出来ないほどの、愚かな醜態だ。
『どんなに最良の答えを選んでもね、最後に降り注ぐのは過ちなんだ。一人の英雄でさえ回避しようのない定められた運命って訳だ。彼らを完璧に抑える術はないんだから』
全ては具合によって決まる。
これまでの行程によって可能性は限られる。そこで手に入れるものと失うものが別れていく。不意に余所見をすれば、逃れられない結末がひたすら深淵の狭間で見ているのだ。
死神が大鎌を携えながら、待っている。
『生きる事は常にルートを選んで行動する。選択しなかった別のルートならそれを回避できたのかもしれないし、新しいルートがどこかで隠されているのかもしれない。まあ選んでしまったものは取り返え出来ないものだと腹を括ってね』
既に決めた選択を変更することは不可能であると、彼女は答えていた。
たかが17年生きたくらいで人生を語るなと言われてしまうだろうが、傑はあまりにも失うものが多かった。
一人だけ生き残ってしまった罪はこの先も背負わなければならない。離れていくであろう親友も覚悟を決めて自ら離れて行くことも、全て傑自身が決めなければ何も変わらない。
平凡を求めるがための、最良の答えを。
「なるほど、俺はこのゲームへの参加する選択肢の答えによって変わるのか」
『だね。君の目の前には決めるものがあるからね。今からでも遅くはないよ。この話を聞いて現状は変えるのかい? それとも維持するのかい?』
再び傑はゲームへの参加について追及される。
どちらにせよ、決めても現状は変わることはない。話を聞かされて気が簡単に変わると思わない。傑はただ、勝者になる事を目指し、正直者が勝つ世界の糧にしたいだけだ。
二度目の質問に傑の決意は変わらない。
「俺はこの胡散臭いゲームに勝つために参加するだけだ。それ以上何もない」
それでも傑は選択を変えなかった。
理不尽に生きてきた人生に怯える必要はない。夢は自分の力で勝ち取るのに他人の助言なんて要らない。
願いを叶えるためのつまらない妄想なんざ引っ掛かると思っているのか。
傑は画面の向こう側にいる彼女を敵対するまで。
「そもそもお前が吹っ掛けてきたんだろ。辞めさせてどうするんだ……」
当事者が相手を辞退させるのか如何なものかと思うが、傑はゲームの参加をする事を改めて決意する。本人に言えて確かな自信が付いた気がした。
否定的だった自分は今やこうして熱心的に動こうとしている。
それは何かしらに対する興味があるからか衝動的に働いているだけか。真相は自身でさえ分からないが、とにかく果たさなければならなかった。
(……? やけに黙り混んだな)
体調が優れてきた傑に対し、携帯端末から何も応答してこない。
画面を見ても真っ暗なままだった。それどころか電源すら入っていない。もしかして電池切れか? そう思えた傑は充電器をプラグに差そうとする前に、
『ああ、ごめんごめん。悪いけど、少し用事が出来てしまったんだよ』
談笑を楽しんだような、軽はずみの声が部屋全体に染み込んだ。
先ほどよりも柔らかい声。それも相手が本当に親しいと思わせるほどの錯覚が生じる甘いイントネーション。これまでの印象を覆していく展開に傑は動くことも許されない。
『君以外にも参加者がいるものでね。そう簡単に都合がいいとは限らないんだ。彼らには成し遂げたい夢があるからね。それを導いていくのが僕の使命だ』
言葉は一方的で止まる気配もない。
しかし、それを傑は指摘できなかった。本来なら残された時間を効率よく扱うために一秒たりとも無駄にはしない人間が、沈黙に返ってしまうのは、
(……)
ほんの一瞬だけ、体が言うことを聞かなかった。
それでも時間は止まらない。机に置かれた目覚まし時計は今も刻み続けている。超常現象によって億劫を感じたあの時間は非常識に染めていた。
けれど、今回だけは違う。
(……なんで、汗を掻いてるんだ?)
知らぬ間に傑は大量の汗を掻いでいた。
頬をそっと伝う透明の雫は床に落ちていく。ポツリと落ちる飛沫の微かな音によって、止まっていた呼吸は吹き替えし、瞬きをする。
自分だけが取り残された瞬間が生まれた。それも知らない内に自身の体の変化さえ気付いていない。汗は止まる気配もなく、携帯端末を持つ手は静かに震えてはその画面に水滴が落ちていく。
彼女の声は今でも響かせる。けれど心臓が激しく高鳴る。
明確な感覚を取り戻した途端にどっと溢れる疲労が傑に向けて応答する。
これはただの嫌悪感じゃない、危惧感だ。自分の知らない何処かでいつの間に感覚だけがそれを覚えている。注意を促す感覚はこれ以上体調を崩しかねないと警告しているようだった。
(自分は、知らぬ間に恐れを抱いていたというのか?)
意味が分からない。何も接点のないのに、理由すら根拠もないに、彼女に対して恐怖を抱くなんて考えられなかった。学校で起きたあの違和感とは比べられないほどの不気味さを描いていく。
傑は完全に何かしらの恐怖を抱かせている。
そんな握力を欠けた片手は携帯端末を床に落としてしまう。落とした衝撃で会話相手の彼女はその異変を勘付いては質問にしてきた。
『どうかしたのかい?』
「な、なんでもない。手が滑って携帯端末を床に落としただけだ」
『それ、問題あるよね? まあ別にいいけど』
特に拘る理由のない彼女は追及しない。質問を回避した事で傑はただならぬ安心感を受け止めながら息を整えようとする。
荒い呼吸と動揺する感情。何かに怖れるなんて傑は初めてだった。
胸の中心が圧迫するような感覚は痛くて痛くて仕方がない。目の前の事に集中出来ないほどの乱れた意識は目的さえ見失いそうになる衝動に惹かれていく。
異常な空気から逃れるために、傑は携帯端末を拾い上げては警戒する。
四方八方から誰かに覗かれているような気がしてならないのだ。
『けれど良かったよ。もし君が参加しなかったらどうしようかと思ったんだ。まさか本当に参加してくれるなんて、やはり君は他の人は違うよ』
「……もしかしてそれが賢い選択って奴なのか」
『……ん?』
いきなり明るい声が消える。どうやら図星のようだった。
もしもの話。傑がゲームの参加をしなかった場合彼女はきっと因縁を付けて嫌味を含ませて言うつもりだったのだろう。
それは賢い選択ではないと鼻を高くしながら。
「まさかお前。この時ためだけに言いたかったのかよ……」
彼女なら絶対言いそうな風格があるので、傑は構わずに指摘。案の定彼女は黙り込んでしまったので傑は話を変えようとした所で彼女はすぐに復活した。
『あ、ああ! そうだよ。そうですよ! 君が拒否しないために時間を掛けようとしたのに君は積極的だったんだ! 思わず計画が狂ったじゃないかっ』
「そんなの俺が知るか……」
全く可愛げ無かった。
散々人を嗜虐的な態度を取っていたのにだ、案外小物だった事に幻滅する傑。自分はこんな情けない相手に踊らされていたのなら、後悔を越して虚無に浸る。
けれど相手は人間らしい反応をする事に驚きは確かにあった。
とても親しげで、人を退屈させないための技術は傑とは別の存在だ。
これまでの雰囲気を読み取って、彼女がもし学生であるのなら眩しい学校生活を送っているのだろうか。しかしとち狂った世界観でコミュニケーションを取れるのも怪しい。
そんな謎の不思議に包まれている彼女は手の平を返してみせる。
『とにかく、君がゲームに参加する事に非常に助かる。そうでなければ、待ち受ける運命からと逃れられないから』
「……お前、余程俺を参加させたいのか」
呆れてため息が出る。
どうしてそこまでの執着心を兼ね備えているのか。断ろうとする相手さえ躊躇うほどの頑固たる決意は流石で、ハッキリ言ってしまえば彼女は変人だった。
そう認識させる傑は首を左右に振る中で、変人と化した彼女は言葉を続ける。
声のトーンに含めるのは鋭利で刃物のような厳しさ。
「ああ、だって、君はいつかの運命に殺されるからね」
唐突に言われる死の宣告。
単なる脅しとして相手の行動を束縛させる。けれど傑にはそう聞こえなかった。
「それは物騒だな」
『まだ仮定されぬ未来だよ。いずれして時間が経てば君も解るものだ。君が他者に殺されないように僕がこうして会話しているのさ。それほど、期待しているよ』
(期待される覚えは無いんだけどな)
そう遠くはない未来に自身の死が待っている。
これらを回避するための知識と行動力は現に足りてない。
だが傑は独りでいる事に長けている。人目から避ける事ぐらい簡単で、自分の身を守るための方法は十分に探してきたつもりだ。実用しようとしても難しいと思うが生き残るために知恵を振り絞るだけ。
携帯端末を見つめていると彼女は時計を見たような反応をした。
『おっと、次の参加者の時間が来た。君との話、とても楽しかったよ』
「ちょっと待て」
強制的に会話が終わらせる前に傑は言葉で遮る。それに対し彼女は「えー……」と面倒そうにして本音を洩らすが、冷静さを勝る傑は、それでも彼女に話した。
一つだけ、知りたいものがある。
「お前は、一体何者なんだ?」
根本的に彼女ついて最大の問題点と言えるだろう。
何故傑の所に現れたのか。理由も語られていない。たったゲームへの参加の資格を告知したに過ぎない。そんな彼女は親しげに会話する中で、傑は違和感の原因を理解した。
参加者の正体や現状よりも。
彼女の正体の方が目を向けられる興味を持っていたのだ。
傑が気付く彼女についての見方が変わってくる。敵か味方かはたまた傍観者なのか。参加者になる上に関わってくる人達に判別する選択が、傑にはあることを彼女の存在によって生じていた。
現に目の色を変えているのに関わらず、携帯端末の向こう側にいる彼女は。
『残念だけど、僕は君の唯一の味方さ』
何も答えてくれなかった。
正体を隠し続ける彼女は業務用に丁寧な対応をする。それはまるで傑の質問を最初から見越していたかのように。網状に分けられた選択を、仮定される出来事をただただ彼女は枠を嵌めただけ。
その先にある答えも一貫してしまう彼女に質問する事自体無駄に等しい。
露呈する未熟さに傑は黙り混んでしまったが、それでも彼女は最後まで語る。
『けれどね、僕の名前は確かに言えるよ。それはアイリスだ』
「もはや日本人じゃねぇ!」
これはもう完全に馬鹿にしている。
更なる謎を呼ぶ結末しかやってこないと思えた傑は彼女、アイリスについて追及するのはやめにした。実に馬鹿馬鹿しい。
偽名であるためのハンドルネームを使う彼女ではあるが、偽名でも確かな証拠になれば別に問題にならない。それが何を意味して名前に決めたのか、永久的に分からないが。
「この際どうにでもなれよ……」
『本当に申し訳ない。僕だって日本人離れした名前には恥ずかしさもあるよ。けれどね、僕は金髪碧眼のハーフでもないし正真正銘の日本人だ!』
「もう日本人でいいんじゃないのか」
指摘をする前にアイリスの声はぷつんと途切れた。携帯端末を起動しようとするが電源は入っていなかった。昨日の出来事のように傑を独りにして彼女は去っていった。
静寂に還る浸透した空気がキツい。
いつものように残り少ない今日を過ごすつもりが、彼女の茶番に合わせていた事を今更知った。ロクな情報しかくれなかった事実に。
傑は最後の茶番劇にイライラし、動けない携帯を床に投げつけた。
「時間を返せこのバカタレ!」




