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「ごめんなさいっ!」
ボクは天文部のみなさんに向かって頭を下げた。
今日は天文部の活動で科学館のプラネタリウムの上映を見に来ていた。天文部のみんなと言っても集まったのは、伊織とボクと、一年生の癒し系男子の丸井くんの三人だけだけど。
どうしてボクが謝っているかというと、ボクがプラネタリウムを壊した……じゃなくて、こともあろうに伊織部長の横の席でイビキをかいて寝ちゃったから。ふわふわソファに背もたれがリクライニングして、暗くて静かだなんて、寝ろって言われてるもんだよね……。
伊織の冷気を感じる視線も、今日は一段と氷点下。そんなにみつめられたら冷凍マグロになりそうです。そしてセルフ土下座の床は絨毯敷きです。
「もう一度聞くけど勝倉さんは本当に星座に興味あるんだよね? 毎日眺めてるって言ってたよね」
「ええと、毎日欠かさず見てます……朝のテレビの星座占い」
正直に白状すると、伊織は物も言わずに去っていった。丸井君が、そんなボクらのやりとりを見てあわあわしている。
「あっ、玉野先輩っ待ってください。あの、勝倉先輩、プラネタリウムは僕も時々寝ちゃうこともあるので!気にしないでくださいね。あ、あと、テレビの星座占いは星座を観るとは言わないんで、早めに謝ったほうがいいですよ」
もじもじした様子でそれだけ言った丸井君は、ちょっと内股で伊織を追って去った。二人とも、女の子を一人にするとはどういう了見だね、と落ち込みながら、ゆるゆる立ち上がった。
「茜ちゃん? 何してるの?」
聞き覚えのある声の方を見れば、利恵が立っていた。
「別になんでもないよ。この絨毯ふっかふかでさぁ~」
どこからみられていたのか分からないけど、必死で下手な嘘をつく。
利恵は少し小馬鹿にしたような顔でボクを見た。
「こんなところで絨毯に座り込んでたの? 相変わらず変な茜ちゃん。背中が寂しそうだったから、玉野君にもフラれて落ち込んでるのかと思った」
「違うよ」
「そうなの? さっき玉野君が茜ちゃんと話して、怒って向こう行っちゃったの見えちゃったんだけど……フラれてたんじゃなくて良かった。私、茜ちゃんにも幸せになってもらいたいんだ。直巳くん、奪っちゃったみたいになっちゃったから、気になってたんだよ?」
もう気にしない、って切り替えたはずなのに、なんでだろう。利恵と話していると、ボク、惨めな人間みたいに思えてくる。
「変わってる茜ちゃんには、あの玉野くんがお似合いかもね」
クスクスと利恵が笑う。友達だと思ってたのに、どうしてこんなになっちゃったんだろう。
「どうして、って思ってる? 私ね、茜ちゃんのこと、実は入学して知り合ってからずっと大嫌いだったんだ。自分のことボクとか言うし、大して可愛くもないし、おせっかいで、強引であり得ない。そんな茜ちゃんに彼氏がいて、私には彼氏がいないのが許せなかったの」
「そんな理由で? 直巳のこと、好きになったんじゃないの?」
「別に」
利恵がにっこりと笑う。
平日の夕方の科学館のプラネタリウムの扉の外は誰もいなくて寒々しい。
「次は玉野君を誘惑してみようかな。地味で冴えない系だけど」
「だ、ダメ! 伊織とは付き合ってないから、巻き込まないで!」
利恵に掴みかかろうとして、突き飛ばされた。
絨毯敷きだけど、床が固くてお尻が痛い。
「で、でも」
「ほら、立って」
ぐいっと二の腕を掴まれて引き上げられた。
「いつまでこんなところに座ってるのさ、茜」
「い……?」
ボクを無理やり床から引き上げたのは、制服のブレザーを脱いで、着崩したシャツと、眼鏡を外してピアスが見えているカフェ仕様のちゃらい伊織だった。
「あれ……怒って帰ったんじゃ」
「ちょっと頭を冷やしたくて洗面所行ってただけ。トイレで茜の元彼見かけて、嫌な予感して戻ってみれば。茜はまたこの人に絡まれてたの?」
「ちょっと、誰!?」
と、利恵は頬を染めて吠える。さっき、地味で冴えないと利恵が言ってた男ですよ。
利恵が男に媚びたような甘ったるい声と表情になる。
「茜ちゃんのお友達ですかぁ? 奇遇ですね。私も茜ちゃんと仲良くてぇ。まさか彼氏だなんてことないですよねぇ。私、この子のことよく知ってるんですけど、変な子なんでおすすめしませんよぉ」
伊織は利恵ににっこりと微笑みかける。
「変な子なのは知ってて付き合ってるからお気遣いなく。彼氏とデートに来ているのに、他の男にそんな態度みせると誤解されちゃうよ?」
利恵の視界に直巳が映ったのだろう、さっと利恵の頬が紅潮した。
「この子のこと、虐めていいのは僕だけだから。もう手出ししないでね。でないと、学校に居られなくなっても知らないよ?」
伊織の迫力のある笑顔で睨まれて、利恵は顔を青ざめさせた。
後ずさって、直巳の腕を掴むと、逃げるように足早に去っていった。
*
「えっと……いくつか質問させていただいても?」
「いいよ、どうぞ」
「えーーっと、一番気になるところから聞くけど、ボクたち付き合ってたっけ」
「天文部にカフェのバイトに、勝倉さんの付きまといに付き合ってあげてたでしょ?」
「ボクを虐めていいのは伊織だけ、というのは……」
「あれは本心だよ。最近ね、勝倉さんが他の子に弄られてるのを見るとムカつくんだよね」
伊織はニコッと笑って、ボクの胸のリボンの形を直す。
「えっとね、学校にいられなくするって、あれ、伊織、もしかして影で番長とか……」
「そんなわけないでしょ。やり方はいくらもあるけど、そんな面倒なことしないよ。平穏大事」
「えっと、その、さっき、茜って呼び捨てしたのは」
「ああ、あれね。いつも勝倉さんに呼び捨てにされてるのもフェアじゃないから、勝倉さんもいつか呼び捨てにしようかなとは思ってたんだけど、また余計な誤解を持たれたら困るから苗字で通してたんだ。でも、あの場合はその方がいいかなって。つまりハッタリ」
「誤解、されたよ。きっと」
「茜に……?」
急な呼び捨ては心臓にくる。きゅんとくる。
撃ち抜かれながらもなんとか言い返す。
「や、りょ、両方に……?」
「ふうん、ま、いいんじゃない?」
「へ?」
「さっきの寝顔もだけど、その間抜け面も可愛いなって思い始めた頃。誤解じゃなくなるようにすれば問題ないんじゃない?」
「???」
「理解が追い付かないんならそれでもいいよ。あ、丸井君お待たせ。上着持っててくれてありがとうね。コーヒーごちそうするから僕の家寄っていって」
柱の影で伊織の上着を持っていた丸井君に、伊織はにこやかに話しかけ、上着を受け取った。
丸井君がちらちらとこちらを窺いながら、返事をする。
「ありがとうございます」
伊織が顔だけ振り向いて、愉快そうな瞳で肩越しに言う。
「茜、来ないの? 本当に置いていっちゃうよ」
最初に出してくれたカフェオレの香りが脳裏に甦る。
「い、行く!」
『珈琲ブレイクハート』おわり