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珈琲ブレイクハート  作者: 紅葉
本編
3/6

 その一、卵は常温に戻す。


「常温って室温ってことだっけ」


「そう」


 冷蔵庫から出してしばらく置いた卵は、結露して汗をかいているみたいになっていた。伊織の書いてくれたメモを相手にした独り言に返事をしたのは、理科室の穴あき丸椅子に座って天文雑誌を読んでいる伊織。


「その二、お湯を沸かし、お酢をティースプーン一杯ほど入れる。グラグラ沸いてきたら、お玉に卵を乗せてそっとお湯に入れる。ここからアラームセットで9分……」


「菜箸で卵を横方向に回転させてやると黄身が真ん中になる。とりあえずは五分間頑張って……って、どうしてこんなところでやってるの」


 ボクは理科室にカセットコンロを持ち込んでゆで卵を作っていた。それに付き合うように横に座っていた伊織は雑誌から顔をあげてしかめっ面を見せた。


「最初は天文部の部室でやろうとおもったんだけど、科学の橋本先生に怒られたんだ」


「そうだろうね。あそこは狭い上に物だらけ。換気扇もないし、かろうじてあるのは窓と換気ダクトだけ。しかも理科準備室には火気厳禁の薬品もある」


「というわけで、どうせするなら理科室でやれと言われまして」


「素直に家でするとか、家庭科実習室借りれば良かったんじゃないの」


「家で一人でやるには自信がない。調理実習室は料理クラブが活動中だった」


「理科室も科学部さんが絶賛活動中だけどね。ちょっと待って、勝倉さん。その卵……孵化実験中の卵を拝借したりしていないよね。その酢もまさか酢酸……」


 辺りにお酢の匂いを漂わせ、卵がお湯の中で踊る。

 伊織の嫌そうな顔と、突拍子もない発想がウケた。ボクをどんな女の子だと思ってるんだよ。


「そんなわけないじゃない。そんなことしたら食べられなくなるよ。ちゃんと食酢となべと卵は料理クラブの人に分けてもらったんだよ」


「それならいいけど……。ところで勝倉さん?」


「ん?」


「そんなにゆで卵作ってどうするの」


 伊織が覗きこんで呆れ顔をみせた鍋の中には20個の卵が入っていた。平等にくるくる回転させるのが忙しい。


「えっと~、食材提供してくれた料理クラブに六個、場所を提供してくれた科学部さんに五個、めずらしく集まってる天文部のみんなに六個、見逃してくれてる橋本先生に二個進呈する予定だから」


 五分過ぎて手が空いたので、指折り数える。伊織はその様子を呆れた目で見ていたけれど、もうその視線には慣れっこになってしまった。


「あ、伊織の分もあるから」


「勝倉さんの分は?」


「え、あるでしょ?」


「20個ぴったりでなさそうだけど?」


「へ? ふぁ! しまった」


「……よくそれで高校生になれたよね」


「なにおぅ!」


 と、掴みかかろうとしたら、アラームが鳴った。


「ほら、9分経ったらすぐに冷水に取る」


 レクチャーしてくれるならレシピいらんじゃないかと思うが黙っておく。

 お玉で慎重にすくいあげて、冷水のはいったボウルに入れた。

 ころんと白い卵が沈んでいく。






 ゆで卵を配り終えて、最後の一個を伊織に差し出す。伊織は少し不機嫌そうな表情で、差し出したゆで卵を見ていた。


「別に要らないし。自分で食べてみれば?」


 むう、と頬を膨らませながら、ゆで卵の殻をこんこんと机に打ち付けた。ヒビに爪を引っかけてぺりぺりと殻を剥く。少し濁った薄皮を爪で破れば、ツルッと光る白身が顔を出した。

 そこからは薄皮も殻と一緒に剥いていく。するすると殻が剥けるのは、一種の快感だ。


「わぁ、見てよ伊織。こんなにツルツル! ほらほら!」


「見てるよ、本懐を遂げられておめでとう」


 と、大してめでたくもなさそうに伊織は言う。


「わぁ~! ありがとう。ほら、食べなよ」


 ずいっとツルツルのゆで卵を差し出す。ほら! ツルツル美味しそうだよ!


「いいよ、要らないって」


 ええ~、せっかくの成功なんだから。ツルツル、ツルツル……でこぼこよりも美味しいよ、きっと。

 調理実習で食べたねっとり美味しい黄身の味を思い出した。

 これを食べなきゃ損だよ。


「そんなこと言わずに。あ、ねぇ、ひとつお願いいいかな」


「なんなのもう」


「半分こにしてもいいかな」


 そう、これは食べなきゃ損だ。


「全部食べていいから」


 遠慮する伊織に二つに割った片方を押し付ける。渋々それを食べる伊織ににんまりしながら、自分も口に放り込む。


 白身プリプリ、黄身は理想通りのねっとり!!


「うっまーーい! これぞ玉子王子!」


「ぐふっ」


 伊織がゆで卵を吹き出した。






「本懐を遂げたんだから、もう僕に付きまとわなくてもいいでしょう。なんでここにいるの」


 身綺麗に整えたバイト仕様の伊織が、ボクを見下ろした。


「それはそうなんだけど、バイトも天文部も続けるよ。せっかく始めたんだし。何事も途中で放り出すなって安西先生が言ってた」


「安西先生って誰だよ。まあ、別にいいけどね」


「それに伊織の料理上手の秘密も知りたいし、チョーかっこいい彼氏もゲットしたい。そして直巳に利恵を選んだことを後悔させる」


「へえ、まだ諦めてなかったんだ」


「彼氏寝取った利恵に尻軽なんて言われて腹立つし」


「ああ、あれ。あの子が言いふらしてたの?」


「そう、あのあと深雪を問い詰めたら、そうゲロってさあ。利恵ってば、私が全然彼氏を取られて悔しがってないことを悔しがってんだって。サイアクでしょ? 落ち込んでるに決まってるじゃん! 悔しいから悔しがってるところ見せないけどさっ」


「ゲロって……、勝倉さん、前から思ってたけど女の子にあるまじき口の悪さだよね。本当にどうして今まで彼氏がいたんだか」


「ねぇ」


 ボクも今を思えば、どうして直巳みたいな男子に告白されて付き合えてたんだかと思わなくもないよ。小首を傾げて同意すると、伊織はがっくりと脱力したようだ。


「ねぇ、って。自分のこと、ボクっていうのも直らないよね。直す気がないでしょ」


「そんなこともないと思うんだけど」


「本当、女の子って怖いよね」


 と、伊織が嘆息した。


「伊織のそれって、そういうことなの?」


「日本語話してくれる?」


「だからさぁ、女の子が怖いから、伊織は目立たないようにしてるってこと?」


「怖いんじゃないよ、面倒くさいだけ」


「え、なんで!?」


 その時、白木のドアが開いた。カランとドアベルが鳴って来客を知らせる。

 少し愉快そうな表情の伊織が、ぎゅっとボクの鼻を摘まんだ。


「いてっ」


「洗い物以外の仕事もできるようになったら教えてあげるよ」







 伊織の働くこのカフェでは、ケーキ屋さんのようなショーケースが入り口、レジの横に置かれていて、ケーキのテイクアウトもできる。もちろんカフェスペースでも紅茶や珈琲と一緒に食べられる。

 販売しているスイーツはどれも大豆加工品が使われていて、ヘルシーだと人気なのだ。

 そのケーキを作っているのはオーナーの旦那さんで、隣の店舗でケーキ屋さんをしている。このケーキに使う豆腐の仕入れ先は、駅前の方の南豆腐店という老舗豆腐屋さんなのだそうだ。


「豆腐ってスーパーで買うものだと思ってました」


「まあ、大型店舗が増えて来ているから専門店はなかなか儲からないのが現実よね。でもうちの豆腐は美味しいから食べてみて。次からスーパーで食べられなくなるから」


 バイトの帰りにオーナーが豆腐をくれた。バイト中にケーキに豆腐が使われていることに驚いて、自社製品を食べてないとお客さんに勧められないと伊織に説教されていたら、オーナーが豆腐チーズケーキとそのままの豆腐を持たせてくれたのだ。

 実はあまり豆腐が好きではないのだが、そんなことを言い出せる雰囲気ではない。ありがたく持って帰ろうと、ペコリと頭を下げた。ちなみに一丁の豆腐ってこんなにデカいんだと衝撃を受けている。


「うちの……というと?」


「南豆腐店は私の実家なのよ」


「へえ、そうなんですか」


「うちのケーキを作ってるのは夫なんだけど」


「家族で多角的経営ってやつですか」


「勝倉さん、難しい言葉使うから頭から煙出てるよ」


「えっ、ドコ? って、ボクじゃなくて、私でもそのくらいの言葉は知ってるから」


 オーナーとの会話に割り込んできた伊織に鋭くツッコミ返していると、オーナーがクスクス笑い出した。


「伊織とずいぶん仲良くなったのね、同じ年頃の女の子と遠慮介錯なしに会話できるのは茉莉ちゃんだけかと思っていたわ」


「茉莉ちゃんって?」


「この子のいとこよ。中学生で双子ちゃんの女の子の方。私の義弟の子どもなの」


「と言うことは。あれ? オーナーは伊織のお母さん? だったんですか? もしかして!!」


「勝倉さん、気付いてなかったんだ。さすが天然だね」


 伊織が箒を持って、にっこりと毒を吐いた。


「伊織はまたそんなことを。この子に虐められたら遠慮なく言いなさいね」


「だ、大丈夫です。結構快感っていうか、ボクじゃない。私慣れて来ましたから」


「……伊織の相手ができるのは茜ちゃんだけのような気がしてきたわ」


 オーナーが頬に手を当てて嘆息した。言われてみれば、オーナーと伊織は顔がそっくりかもしれない。

 

 




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