新生活 ~ ついてない男 ついてきた男
時刻は午前二時。キンキンに冷やした缶ビールとソフトさきいかを持って、俺はテレビの前のソファに座り込んだ。あまり行儀のよいことではないが今晩くらいは許して欲しい。何せ、やっと引越しが終わったのだから。やっと俺は今までの窮屈な実家暮らしから開放されたのだ。明日からはこの部屋で、新しい、自由な暮らしが始まる。そう思うと、期待に胸が膨らむ。
俺はそんな期待に心を躍らせながら、俺は缶ビールのふたを開けた。プシュッと言う音と共に、ビールの苦そうな、美味しそうな香りがあたりに立ち込める。さあ、今夜は引っ越し祝いだ。存分に吞もうではないか。そう思って、ビールに口をつけようとしたその時だった。ガタン、と大きな音が玄関の方から聞こえた。誰だろう、こんな時間に。お隣さんか?それとも大家さんか?それとも、強盗?だとしたら引越しして早々に強盗に教われるなんて相当ついてないな、俺。そんなことを思いながらも、俺は護身の為の武器として、近くにあった突っ張り棒を手に取り、玄関の方へ向かった。しかし、玄関にいたのは、お隣さんでも、大屋さんでも強盗でもなかった。
そこにいたのは、俺の全く予想のしていなかったモノ、生気のない、青白い、情けなさそうな顔をした、痩せた中年の男だった。あまりに予想外な犯人に言葉が出ない。一方、青白い顔の中年はと言うと、はじめこそ「しまった。」という表情で固まっていたが、暫らくするとおどおどしながら自己紹介をしてきた。
「あはは、見つかってしまいましたね。ええと、ワタクシ、幽霊をやらせてもらっています中地という者です。これからよろしくお願いします。」
さっきよりも言葉が出なくなってしまった。幽霊だと?そんな馬鹿な。この科学万能の時代に幽霊なんているはずがない。俺はそう言いたい気持ちでいっぱいだった。しかしこの、中地と名乗った中年男の足元を見ると、透けていて見えないではないか。どうやらこの男、本当に幽霊らしい。
「……なんてこった。」
やっと声が出るようになった。
「俺は聞いてないぞ。曰く付きの物件だなんて。」
「そりゃあ、そうですよ。ワタクシだって今日引っ越してきましたもの。」
「だったら、この部屋じゃなくて別の部屋行ってくれないか?」
「無理です。我々にも取り決めがあるので。」
……なんということだ。やっと、誰にも邪魔されない自由な暮らしが始まると思っていたのに。家具や家電だけじゃなくて幽霊までついてくるなんて。全くついてないな、俺という奴は。
そんなことを考えながら俺は飲みかけのビールを手に取り、一気に飲み干した。きっと俺は疲れているんだろう。酔い潰れて眠ってしまえば、朝が来たときには幽霊なんて妙なもの、すっかり消えうせているはずだ。
「お酒ですか。ワタクシ、ビールよりも冷酒の方が良うございます、霊だけに。」
「……そうかい。」
もう何もかも嫌だ。俺、早く酔い潰れて眠ってしまえ。そして早く朝になってしまえ。明日の朝になればこの、中地とかいう妙な奴も消えてなくなってしまっているだろう。そんなことを考えているうちに、意識がぼんやりしてきて、いつの間にか眠ってしまっていたのだった。
そして翌朝、目を覚ますと、部屋に中地はいなかった。良かった。昨日のアレは幻覚か何かだったのだろう。そう思った俺は、とてもすっきりした気分で昨日の片付けを始めた。さあ、今日から俺は自由なんだ、誰にも邪魔されず、やりたいことをやりたいようにできるんだ。そう思うと嬉しくて嬉しくて仕方がなかった。
引き出しの中で申し訳なさそうに縮こまっているアイツを、中地を見つけるまでは。