1-8:「いない☆いない☆ばぁ★」
しゃらんら!
しっかりと閉め切られたカーテンのひだに、ルツの影が躍っている。重さというものを感じさせない動きで、腕を広げてくるんと回転し、再び静止した時には、すでに彼はセーラーカラーの水兵服に着替え終えていた。ウィンク一回の間に目の前で起きた出来事に、名無しの男は拍手する以外なかった。
「すごい、こんなの初めて見た。ルツ、すごい」
「おいおい、よせよ。こんなのミズなら誰だってできるぜ」
そう謙遜しながら、ルツはまんざらでもなさそうに、くるん、ねじり鉢巻きと法被姿に、くるん、水玉模様のパジャマ姿に、二度、着替えを繰り返してみせた。
「すごい!!」
「……まあ、眞浦のじいちゃんが、あれ着ろこれ着ろってうるせーからさァ。レパートリーが無駄に増えたのはあるな、うん」
正面に正座して無邪気に褒めちぎってくる男を、ルツは「よし、おまえも試してみな」と、手招いた。
「!?」
「まあ、ともかくその服は着替えた方がいいんじゃねーかな」
「これ、眞浦がくれた……?」
男の着込んだTシャツの胸には「おっぱい星人」という筆文字がポップ体で印刷されている。
「ああ、おまえのクダ……ナギヒコくんだっけ? ひくと思うよ」
「ひく?」
「まあいいからやってみろって。無地のTシャツと、下は今と同じスウェットな。練習練習」
パンパンと手拍子を打ちはじめるルツに、男は慌ててくるんと踵を返した。「おっぱい星人」は消えてはいない。もう一度。やはりだめだ。男は唸りをあげて再び試みた。「おっぱい」だけが残った。
「だめだな、こりゃ……」
「うーむ……」
「着替えも一人でできねえなんて、このままじゃクダに捨てられるぞ、おまえ」
「えっ!?」
蒼褪める男の横で、ルツは腕組みをした。
「そもそも、クダと同期ができてないっつうのが問題なんだよなあ……おまえ、もしかして自分が何型なのかもわかんないのか?」
「型?」
ルツは「ああ、そこからか」と思い出したような顔をして、男の前に紙とペンを出してきた。
「いいか? 俺達ミズは、三種類の型に大別される。まあ持ってる特性ってことだな」
ルツはカレンダーの裏紙に、油性ペンでさらさらと字を書いて行った。「ゲルダ」、「グレーテル」、「ミチル」。そして「捕捉能力」。
「俺達ミズは、物体を座標として捕捉する能力を持っている。座標さえわかれば、どこへでも移動できる」
そう言いながら、男の前にいたルツは、すでに天井の梁にぶらさがっている。
「型っていうのは、その捕捉能力の特化した部位の違いだよ。たとえば俺はグレーテル型だ。身軽で攻撃力が高い。つまり捕捉能力を自分の手足に向けて使ってるわけだな。同時にどこを攻撃すれば相手が壊れるかってのも捕捉している」
梁からするりと足を離したかと思えば、ルツは男の前に立って拳を振り被っていた。ちょうど男の鼻さきに飛んできた蝿を、握り拳に当てると、蝿は粉のようになって破壊された。
「さっきおまえがやりあった、黒服のヤツ――あいつは、典型的なゲルダ型だな。三つの型の中で、捕捉能力は群を抜いて強い。形のないもの、たとえば風や火なんかも捕捉して持ってくることができるもんだから、あいつらの戦い方はほとんど魔法みたいなもんだ。まあ、本体は打たれ弱いから、殴れば一発だけどな」
ルツは拳を鳴らして男に二ヤッと笑いかけた。男にとっても、ルツの踵落としが炸裂したことは記憶に新しかった。
「ところが俺にも弱点ってものがあってさあ――ミチル型とは、極力、戦わないようにしてる。なんつうか、そう、グレーテル型にもゲルダ型にも当てはまらないやつを、便宜的に分類すると、ミチル型になるって感じなんだよ。ほら、空間移動装置、乗っただろ。あれを動かしてるやつが、ミチル型でさあ……意味分かんないだろ? 何をどうやったら自分が乗ってないトラックを空に浮かべられるんだよ。軽トラって1000キロ近くあるんだぜ、あれ……」
首をひねるルツに、男はうなずいた。
「グレーテル型、ゲルダ型、ミチル型。わかった」
「よろしい。まあ型ってデフォルトの状態のことだから、鍛えようによっては、だんだん複合型みたいになっていくんだけどな」
「……ルツは、そういうの、誰に教わった?」
男の言葉に、ルツは「あー……」と、困ったように両手を頭の後ろで組んだ。
「誰に――ってんじゃないんだよな。ただ知ってるとしか言いようがないよ。なんつうか、頭ん中にはじめっからそういうマニュアルが入ってるんだ」
「マニュアル」
「そうそう。おまえにも見せてやれればいいんだけどなあ」
二人のミズが喋っている様子を、ナギヒコは眞浦と階段の上から見下ろしていた。よほどルツがかわいいのだろう、声をかけないものの、眞浦は両目を糸のようにしてニコニコと自分のミズを見守っている。一方、ナギヒコはルツの予想通り、「おっぱい」Tシャツを堂々と着ている男に内心でひいていた。
「あっ、じーちゃん達、話おわったのか」
「ええ。ひとまずは」
階段を下りる眞浦に、ルツがぱたぱたと駆け寄る。名無しの男も似たようにこちらを見上げているとわかっていたが、ナギヒコは目を逸らした。彼はいましがた眞浦から受けた誘いのことを考えていた。
「マニュアル……そう呼ぶのが正解なのかどうかはわかりませんが、それによると、彼らのルーツはマヤ・アステカ文明の興ったメソアメリカにあるようです」
倉庫で古本をめくりながら眞浦はそう言った。いよいよオカルトか、と顎を引きかけたナギヒコに、眞浦は首を振る。
「マヤ・アステカというのは、少し大雑把すぎるいい方ですね。正確にはメソアメリカの母と呼ばれるオルメカ文明のあと、テオティワカン文化のことですよ。おや、ナギヒコくん、ご存知ない」
「だから、そんなに詳しいわけじゃないですって……」
「メソアメリカ、つまり北は砂漠、南はジャングルという自然の要塞に隔てられた中央アメリカのことですが――彼らの育んできた独自の文化は、多くの出土品として現代に伝えられています」
タルー・タブレロ様式、三足土器、「狂っためんどり」……意味のわからない言葉をぶつぶつとつぶやいていた眞浦が、ふと声を大きくする。「その中に「胸に人形を抱える人形」というものがありましてね。これがまた……数が多いんですよ。僕も史料でしか見たことはありませんが……あれは凄まじい。まるで、本当にそんなものが実在したのかもしれないと、信じてしまいそうになるほどです。こう、胸がくり抜かれた痕に、人形の刻まれた切片が詰められていて」
「……それが、ミズとクダの関係をあらわしてるって言いたいんですか。つまり、古代から戦争は続いていたって」
「不自然な発想ではないはずです。彼らの超文明には謎が多いんですよ」
8000キロ離れた極東でまで続けられる戦争を、不自然と言わずしてなんと言う。こめかみを押さえるナギヒコに、眞浦は「おっしゃりたいことはわかりますよ」と言った。
「まず僕たちに降りかかったこの戦争に仕掛け人がいるのは間違いないでしょう。僕に本を送りつけ、有璃素嬢に君の腹を刺させた、なにものか。神の座をかけた争いを、どこかの誰かが、我々にふっかけている」
「誰が、いったい――?」
「君もその一端に触れたはずです。ナギヒコくん。廃ホテルで君を襲撃した男のことは覚えているでしょう。彼は、ただのクダではない。聖獣という組織に属す人間です。名前は赤塚と、b」
眞浦は本の間から二枚の写真を取り出して、ナギヒコに示した。リクルートスーツの男と、あのうす汚い子ども--赤塚と、b。
「彼らは、資格を持ちながら戦争に参加しようとしないクダを処刑する役割を持っています。赤塚は聖獣の中でも筆頭と呼ばれる存在なのでしょう。我々の仲間も何度か捕捉しています。直接の交戦は、今回がはじめてでしたが」
「あいつらも、ミズとクダなんですよね?」
「ええ。しかし、明らかに特別な命令系統で動いているようです。聖獣の上部を辿れば、この戦争の仕掛け人が誰なのかわかる。そしてそれが――実際のところ、神に成るもっとも最短の道なのではないかと、我々は考えています。
眞浦と聖――そして、もう一人。唾を飲んだナギヒコに、眞浦は「我々は仲間を集めています」と言った。「聖獣に対抗するために、そして、我々と意思をともにするクダを神の座を就かせるために。--どうです、ナギヒコくん。我々とともに、戦ってはくれませんか?」
無職はショタコンじいちゃんにリクルートされるのだった……。
次回更新予定:9/28(月)17:00