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ナギヒコくんと水色の戦争  作者: むらたけ
she sells seashells by the seashore.編
5/10

1-5:「A/b⇒⑬θn===>n℡」

親方! 腹から全裸のおっさんが!

「ミセリコルデ――慈悲の剣、と言う」

 赤塚の手に携えられた得物――ミセリコルデの先に雨粒が滴る。否、それは雨などではない。赤く、黒く、割れたアスファルトに染み込んでいく。

 その細身の剣は天に掲げれば、垂直に交わる刀身と柄とが、十字架の態をあらわす。

「祈れ、若きクダよ。おまえという贄は俺という姉の糧となる。十字に磔となった彼の神を思い起こせ。彼の信徒たちは一片の木片を信仰しているのではない。犠牲的献身こそが彼の十字架の意味だからこそ、その本質は崇拝される」

「いっ……み、わかんね………」

 ナギヒコは赤塚の前に膝をついていた。まるでかまいたちにでも襲われたかのように、その恰好はずたぼろで――わけがわからなかった。

 赤塚の連れていたあのうす汚い子ども、bが脚に絡みついたと理解した次の瞬間、すでに衝撃はナギヒコの体を襲っていた。

 右方左方前方後方、全方位から、目には見えないなにかによって、たこ殴りにされた。反射的に伏せて逃れようとしたところを、いつの間にか移動していた赤塚に、上空から抑えこまれる。

(ふざけろよ――こんなの、まるで……)

 魔法じゃねえか、とは吐き捨てずに、ナギヒコは曲げた膝の力を利用して飛び上がった。顎に直撃するはずの頭突きは、またかわされた。

「クソッ、なにがどうなってんだよっ!」

 間隙を突いてくるミセリコルデを、バックステップでかわし、ビニール傘で受け止める。鋭利な刃に借り物の傘のビニールははらはらと破けたが、気を配る余裕はない。目の端にbがこちらを凝視しているのが映った。

 まるで呪文でも唱えるかのように口を素早く開閉させている。

(あのガキがなにかやってるっていうのかよ……!)

 次の瞬間、ナギヒコは間横から薙ぎ払われていた。

「かっ……はっ…………!」

 廃ホテルの壁に全身を強打する苦痛に、意識が朦朧とする。首が言うことを聞かない。赤塚が靴音を立てて近づいてくるのは、うなだれていてもわかった。

(ここで……そうか、やっと、終わるのか)

 有璃素に刺されて死にぞこなった命がやっとここで回収される。いや、ここ数日どころの騒ぎではない。死の足音を聞きながら、ナギヒコは、ずっとずっと死にぞこなってきた自分を噛みしめた。

 思えば失敗つづきの人生だったのだと思う。

 ろくでなしの母親だとか。父親がいないだとか。

 男のくせに、顔が女の子みたいだとか。

 手が早い、足癖が悪い、口が汚い、勉強ができない、心が醜い。

 死んでもいい理由はいくらでも思いついた。

 養護施設「あさぎ」に預けられ、落ち着いた暮らしを手にしても、どこか遠くへ行ってしまいたいという気持ちは漠然とあった。

 今になって思えば、その「遠く」は養護施設の外でも、東京でも、ホストクラブでもなかったのだ。ナギヒコが生まれてからこのかた、ずっと遠ざかりたいと思っていたのは、他ならない彼自身だった。

(どいつもこいつも、よく、がんばるよな、誰だって、死ぬために生まれて来たのは変わらないって言うのに)

 ミセリコルデが空を切る音。

「死ね」 

(なのにまだ、死にたくないなんてっ……!)

 赤塚の宣告に、ナギヒコはぎゅっと身を縮めてその時を受け入れようとして――はたと、瞬いた。裂けた服から覗く、腹の醜い傷痕から、形のないなにかが漏れだしている。まるで水のように、ぬるぬると這い出していた。

「…………あ?」

 ナギヒコの体は、水色に発光していた。

 赤塚が大きく舌打ちし、背後へ飛んだ。その退路を守るかのようにbの唇が動く。風殺捕捉エアリエル。きょとんと腹から突き出した手を見つめるナギヒコを、あの全方位からの衝撃波が襲った。

「b、――againやれ

 赤塚が真横に伸ばした手で示した数、五回、bは風殺捕捉エアリエルを放つ。

 廃ホテルの外壁にヒビが入り、土煙が濛々と上がる。

 大通りでは足早に町を行く人々が「あれー、あそこ工事中? やだー、回り道じゃん」などと、声を上げていたその裏側で、ふと意識を取り戻したナギヒコの目の前には、全裸の男の筋肉でかっちかちの生尻があった。

 全裸。

 まるでナギヒコを守るかのように、赤塚とbの前に立ちはだかった男は、一糸もまとわぬ生まれたままの姿で、唐突にそこに存在していた。

「だ……誰……?」

 ナギヒコの震えた声を遮るように、男は吠えた。

 山のような体躯と、鬼のような赤い膚にふさわしい大音声で、その場にいる圧倒的弱者たちを、歪ませる。 

「捕捉干渉……!? このジャミング能力はまさか、ゲルダ型か? だとすれば、風殺捕捉エアリエルを凌いだあの防魔力は……」

 片腕でbの目と耳を防ぎながら、赤塚は構えたミセリコルデを離さなかった。測れない力量を前にして身動きを封じられれば、じりじりと後退せざるを得ない。戦況の変化を見てとったナギヒコは、壁にすがるように立ち上がった。 

 ずたぼろの体を引きずりながらも、本能に従って脱兎のごとく逃走する。

(やばい、やばい、絶対、やばい、なんだあれ、なんであんなものが)

 しっかりと縫いつけられている腹の傷を確かめるだけで、吐き気がこみあげてくる。

(なんであんなおっさんが、俺の腹から――――!)

 こらえきれず、ナギヒコは濁流の流れるドブに向かって嘔吐した。

 あの水色の生きものは、確かにはじめ、人の形をなしてはいなかった。傷口から外を確かめるかのように、触手のように蠢いたものが、bからの攻撃を浴びた刹那、大きく広がって防御の姿勢を保った。

二度、三度と爆発が起こるなかで、ナギヒコを丸く包んだ水色の膜は徐々に形を変えていく。とうとう人の形をとった男の腰には、「13」と、不吉な数字が刻印されていた。

 13?

 ひどく記憶の琴線を掻き乱す数字だ。あれは、なんだったというのか。

「け……警察……」

 ぽつりと呟いた先に、まるで神が投げかけた救いかのように、公衆電話が立っていた。ナギヒコは口を拭ってボックスに駆け込む。とにかく自分が異常な事態に巻き込まれたことは確かだった。おかしな男につけまわされ(一度はナギヒコが優位な状況に立ったが)、一方的に暴力をふるわれた。れっきとした殺人未遂に問える犯罪行為だ。

 はっきりとそう思いながら、しかしナギヒコはどうしても通報できなかった。ダイヤルボタンに指をかけたまま、動けない。

(どこの誰が助けてくれるんだよ、こんな状況で……)

 ナギヒコは自分でも構わない人間だということを嫌というほど思い知っていた。はじめから価値などないのだから、誰も彼を助けてはくれないし、自分ひとりで強くなるしかなかった。水色に発光するナギヒコのことを誰が助けてくれるだろうか。

 幸い、重大な危機は過ぎ去った。頭のおかしな男に殺されかけたことも、腹の傷から水色のなにかが出て来たことも、忘れて、日常に戻ればいいのだ。仕事を探して、いつかそのへんで生きだおれるまで働く。それ以外の結末など思い描けはしなかったが。

どのみち、夢も希望もない。それでも本能に従ってこの場から逃げることが、きっと正解なのに、急にその重々しい現実に震えが来て、ナギヒコは動くこともままならなかた。

「う……はは、は……惨めだな……こんな時に、電話をかける相手も思いつかねえ」

 電話。

 その単語に、ナギヒコはふと、なにかが繋がったような感覚を覚える。いや、本当は、その電話番号をナギヒコが思い出せるわけがなかった。美雨にメモ書きを渡されたのはほんの一瞬で、即、ハジメにバリバリと食われてしまった、あの聖のプライベートナンバー。

「あ……?」

 ナギヒコの指先に水色の光が滲んだ。覚えている。思い出せる。一言一句、まるで手元にあのメモ書きがあるかのように。

 放りこむように小銭を電話機に入れ、ナギヒコは指を動かす。最後まで押しきる前に、地鳴りがした。

 腰に13の刺青。

 あの男だった。

 ギュルルルルと、まるでその裸足でアスファルトの表面をくし削るかのように立ち止まり、手刀を構える。追ってくる赤塚の攻撃を、再び受け止める体勢だった。

「己のクダを追って来たか……成りそこないのミズでも、まだ死にたくはないらしいな。無駄なことを」

 ミセリコルデに伝ううす青い雫を、赤塚は薙ぎ払った。ナギヒコは目を見開く。

背を向けて佇む裸の男の体が、すでにいくつもの傷を追っていることに気が付いたからだ。

(あいつ、あんなに傷だらけで……)

 息を呑んだナギヒコを、赤塚は裸の男の肩越しに睨み据えた。

「処刑に、例外はない。貴様は、いまここで消す」

 裸の男が、再び吠えたのを皮切りに、赤塚が斬りかかる。男は腕で振り払った。青い血飛沫が驟雨に混ざり、溶けていく。男は一声いななき、アスファルトの地面を拳で打った。赤塚は飛びのき、空に向かって手首を返し、合図した。

「b、――goはなて

 bは地上30メートル、集合ビル7階の屋上に控えていた。ミセリコルデの十字の合図を受け、両手を地上にかざす。親指と人差し指で形作った三角形の中に、裸の男を捉え、微笑した。環状に波打つ地面の中心点から割りだす座標の誤差は、ゼロに近い。

飆殺捕捉テンペスト

 轟音と悲鳴。ナギヒコは電話ボックスの中で立ちすくむ。暴風に地は歪み、電線は引き千切れそうなほどしなった。ナギヒコは目の前の集合住宅の瓦屋根が吹き飛ぶのを見た。へたりこみ、ガラス越しに見上げた空は尋常ではない色をしていた。

「誰か、助けて」

 ナギヒコは震える手を宙に差し上げ、数字ボタンを手探った。目視せずとも、指先から漏れる水色の糸は、彼に正しいナンバーを導いた。

「助けてくれ……誰か……ッ」

 搾りだした声には、あっさりと返事が来た。ぶつんと繋がった受話器から聞こえて来たのは、ひどくかったるそうな、女の声だった。

『あーーーー、ハイ。座標捕捉しました』

 空が開く。晴れ間が射す。

『BENIKOシステム有線ワイアード=空間移動装置エレベーターを起動します』

 ナギヒコは思わずガラスに手をついて、外を見守る。開いた口が、閉じなかった。一台の軽トラックが、まるでスロープを下るかのように空を降りてくる。

『下へ、まいります』

 言葉と同時に、ガラスがはじけ飛んだ。トラックが荷台を電話ボックスに叩きつけるようにして停車する。咄嗟に両腕で顔をかばったナギヒコは、荷台に立つ人影にがく然とした。

 斜めに被られた校帽。白いシャツ。制服姿。グレーのショートパンツから伸びた足はすらりと眩しい。

「呼ばれて飛び出てじゃじゃじゃじゃーん……って、ゆうのかね? こうゆう時は」

 中学生ほどの少年が、ひどく嬉しそうな顔をして、ナギヒコに向かって手を差し伸べていた。

「ほら、乗れよ! お望み通り、あんたを助けに来てやったんだぜ?」

 顔をかばっていた腕をおそるおそる下ろせば、ガラスの破片がざらざらと床に落ちる。切り傷だらけになった腕に、店を出てからずっと引っ掛け続けていたレジ袋が、まだかろうじて残っていた。いつのまにか品物のビニールは破れていた。雨と砂塵、ガラス片、そして血に汚れ、そこに印刷されている「履歴書」という字は、ほとんど判読不能だった。


飛ばない軽トラは、ただの軽トラだ。

次回更新:9/21(月)17:00

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