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ナギヒコくんと水色の戦争  作者: むらたけ
she sells seashells by the seashore.編
2/10

1-2:「私立カミシナ病院一般病棟5Fにて」

ハジメさん(28)

オフはもっぱら地域の野良猫を保護する活動に参加しているが、ホスト仲間にはひた隠しにしている。

「なぁにが重体だ、ピンピンしくさってからに、この馬鹿が」

「……ご迷惑、おかけしてますゥ……」

 投げつけられた朝刊を顔面に食らったまま、ナギヒコは頭を下げた。折り目の影から覗き見れば、やはり肩を怒らせて立っているのは、先輩ホストにあたるハジメだった。ホストクラブYOMIのナンバー3という肩書もうなずけるほど怜悧な目をした男前で、染め上げた金髪もなかなかサマになっているが、気に食わないことがあるとすぐ後輩に当たり散らすという悪癖の持ち主でもある。同じ寮住まいということもあって、ナギヒコは格好の的になっていた。

 ナギヒコはそろそろと新聞を畳みながら、ハジメのポケットにつっこんだままの腕に絡みついている女に視線を移した。年齢は三十代前半と言ったところだろうか。化粧が極端に薄いせいで、年よりもいくらか老けて見える。

 店で見かけたことはなかったが、グレーのカーディガンに黒いスカートという出で立ちの、地味な雰囲気の女だった。絵に描いたようなオラオラ系であるハジメが、マゾ気質のある女を得手としていることはすでに知っていた。もちろん、彼女もそうなのだろう。ナギヒコは二人に椅子を勧めた。

「でも、もう二、三日したら退院できるらしいです」

「あ!? おまえどてっ腹に穴が空いたんじゃねえのかよ」

「はあ……なんか、医者も驚いてましたけど……」

「ふうん……まあ、顔に怪我しなくてよかったな、おまえの唯一の取り柄が」

 事件から一夜明けた朝には、同じパイプ椅子に店長のヨミが座っていた。麻酔が効いていて意識がもうろうとしていたため、二言三言、言葉を交わしただけだったが、目を覚ました時には保険の申請から入院の手続きまでひととおり済んでいたので驚いた。公衆電話から礼を言うと「手間賃は給料から天引きしておくから」とのことだ。それが二日前のことだ。

 ハジメはナギヒコの話を聞いて鼻を鳴らした。

「店長、がめついなあ。例の《破璃鼠》ちゃんからも、相当ふんだくったって話だぜ。ああ、《破璃鼠》ちゃんのパパママ相手にだと思うけど」

「えっ……」  

「まあ、あの尖りっぷりから想像はしてたけど、やっぱかなり複雑な家だったみたいだな。《破璃鼠》ちゃんハウスはよ」

 有璃素が生きているということは、聴取を受けた時に、すでに警察から聞いていた。病院から与えられた別室で、ナギヒコは事件性をひたすら否定し続けた。

 突然、自宅を訪ねて来て腹を刺されるような心当たりは自分にはないが、接客をしていて知らず知らずに、彼女の繊細な心を傷つけてしまっていた可能性は大いにある。それは自分にプロフェッショナルとしての自覚が欠けていたのだから、有璃素のことはまったく恨んでいない。むしろ、申し訳ないとさえ思っていると。

 訴える意思はないということですか、と、念を押されて、ナギヒコは大慌てでうなずいた。彼女の将来ある身を思えば、二度と会うべきではないと思ったし、なにより、彼自身、有璃素のあの凶悪な笑みの真意を知りたくはなかった。

「……あの、ナギヒコくん、なんですよね」

「あ、はい」

 それまで、眼鏡の奥から意味ありげな眼差しを向けてくるばかりだった女に、急に話しかけられて、ナギヒコは我に返った。彼女は恥ずかしそうにハジメの手を握ったまま話し始めた。

「あの……私、美雨と申しまして、お話は常々、ハジメさんから……キャア」

 唐突にハジメに腰を抱かれて、頬を赤らめている。ナギヒコは思わず作り笑いをひくつかせた。六人部屋の病室で、無論、入院患者はナギヒコだけではない。

 片耳にピアスをルーズリーフみたいにジャラジャラつけた金髪の男と、その腕にぴったりと身を寄せている女と、どう見ても一般人には組み合わせの見舞客だ。

 さきほどから痛いほど突き刺さってくる周囲の視線に平常心でいられるほど、ナギヒコの胃は強靭にできてはいなかった。ハジメは表情を変えずに、すぐ隣にいる彼女を顎で指した。

「ああそうだ、美雨はこう見えてAV女優やっててよ、おまえのお袋さんのファンなんだと」

「あ、あぁ……なるほど……」

「そうなんです。私、嵐さんに憧れてこの業界に入ったみたいなところがありまして、美雨っていうのも、嵐さんの御利益があるかと思って名乗ってるんですけど……あの、息子さんがホストクラブにお勤めしてるって聞いて、それで……はうんっ」

 ナギヒコ目当てに店を訪れ、それで、あっという間にハジメの手に落ちたということらしかった。シャツの上から胸を揉みしだかれて、びくびくと身を震わせている美雨を横目に、ナギヒコはひっそりとため息をついた。

 山瓜嵐。

 今は懐かしきVHSの時代に一世を風靡したポルノ女優。

 それが、ナギヒコの産みの親だった。

「……変わってるって、言われません?そういう動機で、自分からあの世界に入るなんて」

「いやあ、今はそーでもないらしいぜ。求人で申し込んだのに、供給過剰で面接さえ受けられないってことザラにあるらしい。AV女優も昨今は狭き門なんだよ」

「ハ、ハジメくん、褒めてくれてるの」

「ん~? どうだろうな、俺は一般論を言っただけだ」

 美雨の手綱をうまく引いている。てっきり見舞いに来たのかと思ったのだが、単に女を見せびらかしたかっただけらしい。

 げんなりしていると、美雨はハジメの腕のなかでうっとりした顔をしながら「でも、ハジメくんに連れてきてもらわなくても、きっとナギヒコくんが嵐さんと血がつながってるっていうことは、すぐわかったと思います」と言った。

「あー……え?」

「ナギヒコくん、そっくりですね。嵐さんと」

 ナギヒコは言葉に詰まった。

「そーりゃそうだ、店長がこいつの面倒見てやってンのも、それが理由だからな」

「え? 店長さんが?」

「おまえと同じようにファンなんだとよ。画面越しでもシモの世話焼かれてた女だからな、自分の息子みたいに思うんじゃねーのか」

 女顔だと言われることは、よくある。山瓜嵐を知る相手であればなおさらだ。覚えてもいない母の顔は、レンタルビデオ店のアダルトコーナーへ足を踏み入れれば、パッケージにいくらでも印刷されていた。

 カラスの濡れ羽色と称された髪も瞳も、マネキンのような目鼻立ちも、色ばかりがよく乗ったうすい唇も、目映いばかりの富士額さえ、真似したつもりもないのに気持ち悪いほどよく似ている。ナギヒコはオールバックにまとめた前髪を気にしながら「……その通りです」と苦笑した。

「だけど、女性ファンに会ったのはこれが初めてだな。母もきっと、あの世で喜んでいると思います」

「あ……そう、そうですよね、ごめんなさい、亡くなったお母さんのことで、私、勝手にはしゃいでしまって」

 ナギヒコはまじまじと美雨を見つめた。ただの痴女かと思っていたが、やはり真面目な気質らしい。母親と同じ職業だからといって、性格まで同じなわけがないのだと、ナギヒコは改めて思い直した。それくらい、嵐は人間としても母親としてもやばい気性だったと聞かされていた。

「ナギヒコくん?」

「あっ……いえ、でも、今日、ハジメさんの紹介で会えてよかったです。俺、もう、店には戻らないつもりなんで」

「えっ」

 上品に口を手で押さえた美雨と反対に、ハジメは苦そうに口を開けた。

「店長から聞いてたが、本気なんだな、おまえ」

「はあ……いや、っていうかやっぱり、俺、二年続けて、そこそこプロ意識みたいなのあったんですけど、指名客にあんなマネさせちゃって……。こんなんでホストなんて続けちゃいけないと思うんですよ……」

「んだこら、メンヘラに振りまわされやがって。うちのナンバー2さまのことを忘れてんのか? 太客のシャンパンタワー、てっぺんからひっくりかえしやがって」

「聖さんは、あれやってむしろ喜ばれちゃうから、ホストなんですよ。俺は……足元にも及ばないっすよ」

 ナギヒコは数ヶ月前のVIPルームの惨状を思い出して笑った。思い返せばあの時も、ホスト達のなかで一番おろおろと動き回っていたのは、ハジメだった。

「俺は、大丈夫です。ちゃんと当てもあるんで、心配しないでください」

 ハジメは「けっ」と言って、美雨の肩を乱暴に抱き寄せた。

「まあどーせ、おまえなんか、いてもいなくても同じなんだけどよ。シフトの調整が面倒ってだけだ。あー、バカバカしい」

 ナギヒコが謝ろうとする前に、ハジメはベッドに寝た彼の腹に、ドンと紙袋を載せた。

「イーッ、いだあっ!」

「喜べよ、見舞いだ。俺さまからの、」

「あっ、そうだ、私も聖くんからお見舞いを預かってます」

 言い終える前に被せられハジメはつんのめったが、美雨は頓着せずにナギヒコの手に四つ折りにしたメモ用紙を載せた。

「ア……ひ、聖さん……?」

「おい、おまえ、俺のいない時にあいつと喋ったのかよ」

「え? うん、ヘルプでテーブルについてくれた……忙しくてお見舞いに行けないから、残念だと言ってましたよ」

 腹に載った重みに呻きながら、ナギヒコはメモを開いた。思わず、目を疑う。そこには、八桁の番号が走り書きされていた。

「こ……これ、もしかして、聖さんのプライベートの番号……」

「美雨、かけてねえだろうな」

「私、人のお見舞いは見たりしないです」

「ふーん」

 歓喜に打ち震えるナギヒコの手から、ハジメは事もなげにメモを取りあげた。抗議の声を上げる間もなく、びりびりと細かく破き、大きく口を開けたかと思うと、なんと呑みこんでしまった。

「あー、だめだ、腹の足しにもならねえ。美雨、どっかメシ行くぞ」

「あ、はいっ」

「なっ、なんてことするんですか! ハジメさん、ちょっと、ハジメさん!」

 ナギヒコの悲痛な叫びを、ハジメはドアの向こうにピシャンと追いやった。

「……ナギヒコくん、もう、戻ってこないつもりなんでしょうか」

「あ? おい、この俺様を指名しときながら、他のやつにさっそくなびいてんのか、こら」

「きゃあん、違うのぉ……」

 耳をひっぱられて、美雨は甘い声をあげた。

「ただ嵐さんの話を、もうすこし聞きたかったなあ、とか、思っただけ……」

「……ふーん。まあ、どうだかな」

 美雨を左腕に絡みつかせながら、ハジメはエレベーターの呼び出しボタンを乱暴に押した。ちょうど一階まで降りて行ったところだったので、五階まで戻ってくるにはしばらくかかりそうだった。舌打ちをして、階段へ向かって歩きだす。

「あいつにホスト以外になんかできるとも思えねえけど」

「そう? ナギヒコくん、要領がよさそうに見えたのに」

「……寮の監視カメラに、あいつが刺される映像が残ってた」狭い階段で、ハジメの低い声はわんと響いた。「女に斬りつけられて、あいつ笑ってたよ」

「ええぇ」

「そのまま五分以上、腹から血ィ噴きながら立ち話だ。自分を刺し殺そうとした女、なんで説得しようとする? そんな元気があれば、俺なら返り討ちにしてる」

「肝が……据わってるんですね、ナギヒコくんは」

「どうかね……ただのマゾなんじゃねえの?」

「ああ……ハジメくんの、好みな……?」

「うっせえ」

 トンと壁際に押しつけられ、美雨は喉で喘いだ。一度近づいた顔は、看護師が駆けあがってくる足音が近づいてくるまで、そのまま離れなかった。

「おい、雨かよ……」

 一階に到着したハジメは、自動ドア越しに外の天気を確認して声を荒げた。出入り口付近では傘を畳む病人や見舞客でごったがえしている。

「あっ……ハジメくん、よかったら、折り畳み傘を一緒に」

 その時、自動ドアを潜った男の肩が、ハジメの胸にぶつかった。ハジメが舌打ちすると、「失礼」と会釈をする。見ている間にも、二人が今しがた降りてきたばかりのエレベーターへと乗り込んで行った。

 入院病棟直通のエレベーターに用があるということは、彼も見舞客なのだろう。大きなブリーフバッグを持った、会社勤めらしい風体だが、ネクタイまでもが真っ黒というのが、院内では不吉に浮いて見えた。

「ハジメくん、大丈夫ですか? 濡らされませんでしたか」

 ハンカチを片手に近寄って来た美雨の髪を、ハジメは手癖のように引っぱった。すでに男はいなくなったというのに、まだ納得いかない顔をしてエレベーターを見つめている。美雨はきょとんと首をかしげた。強く接触したはずのハジメの胸は、すこしも濡れてはいない。

「なあ。今のヤツ、傘、持ってなかったよな……」

 エレベーターまでの道には、濡れた足痕さえなかった。所在を示すランプは、いま、五階で赤く灯っている。



美雨さん(35)

実のところプライベートでは女にしか抱かれない主義なのだが、ハジメはまだそのことを知らない。


次回更新:9/14(月)

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