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『地獄の一ヶ月?』前編

 

 どうしてこんなことになったのだろうか、何処で間違えてしまったのだろう。

 嫌々、僕は決して悪くは無いのだ。絶対に悪くない!

「…………今なんて言いましたか?」

 携帯電話越しに聞えて来るのは女性の声、残念ながら彼女、鮎原夢ではない。

 もしそうだったならこんなに苦しまなくて済むのに。

 別に怪しい会話をしている訳では無く、いたって普通だ。

 普通、だと思うのだが。

『聞いてなかったの? もう、ならもう一度言うわね?』

 この声の持ち主は僕がお世話になっているカメラマンの空月九十九先生だ。時は早朝、今から出勤しようと着替えているところに電話が来た。しかしその内容に頭がカラッポになってしまうくらい衝撃が走ったのだ。

 これは幻聴じゃないのか?

『良く聞いてよ? わたしはこれからアフリカに行くから当分仕事は無し、わたしが居ない間の給料は自分でなんとかしてね?』

「……えっと、いっぱい言いたいことがありますが、とりあえず何故急にアフリカに行くんですか?」

『仕事なのよ、助手として白原も連れて行きたかったけどパスポート持って無いでしょ? 嫌~伝えるの忘れててさ、はっはははは!』

 笑い事では無い気がするが?

『仕方ないからわたし一人で行くわ』

「ちなみにどれくらいの期間です?」

『一ヶ月! と言うわけでわたしが居ない間給料無いけど頑張ってね! ……あ! 飛行機出ちゃう、じゃ! お土産くらい買ってくるから!』

 そして切れた。

 いきなりなので頭が回らない。えっとつまり一ヶ月暇になったのだ。

「……ま、まぁあ学生以来の夏休みみたいな感じだと思えば……」

 言い訳が無い! 今月は前の月に稼いだ賃金が振り込まれるが来月が問題だ。

 来月になったら給料は無いからご飯が食べられない、家賃が、電気代、水道代、光熱費、その他もろもろが払えない。

「ピ、ピンチです……うわああああ! どうしよう! 餓死してしまいますよ!」

 どうする、どうする? 落ち着け僕よ、頭の中で穴掘って北極か南極の水を入れて頭を冷やせ。

 金が無いなら作るまで。ならばどうやって?

「落ちてる財布を狙う?」

「嫌々、そんな非効率的なことは論外です」

「じゃあ銀行強盗!」

「僕を犯罪者にする気ですか? それも論外です! もっと簡単な方法が…………あれ?」

 僕は今誰と話していた? 後ろを振り替えるとそこにセーラー服姿が。なんだお隣りの桜井鏡ちゃんではないか。驚いた、驚いた。

「って! なんで貴女がここにいるんですか!」

「お兄ちゃん、朝はおはようから始まるんだよ?」

「あ、はい、おはようございます」

「うん、おはようお兄ちゃん!」

 可愛らしくお兄ちゃんと言われると和んでしまう、まるで本当の妹みたいだ。

 嫌々、そうじゃなくて。

「鏡ちゃん、どうしてここにいるんです?」

「だって隣りから妙な呻き声が聞えたら誰だって気になるよ。ここ壁薄いの忘れたの?」

「……なるほど、それは心配させてすいません。……あれ? どうして僕がお金の心配をしているのを知ってるんです?」

「だって思ってたことが全部口から出てたよ? それに気が付かないって相当焦ってるんだねお兄ちゃん」

 誰か穴を掘ってくれ、そこに飛び込むから。

「畳の上に穴掘るのは無理だよ?」

 これも漏らしていたのか、僕は重傷だ。

「……えっと、どうやって入って来たの?」

「玄関からだよ? 鍵開いてたから」

 掛けるのを忘れていた、嫌々不用心だ。こんなことをしている場合ではない、なんとか対策を練らねば。

「とりあえず心配してくれてありがとう、もう大丈夫ですから戻って下さい。学校あるでしょ?」

「何かお兄ちゃんを苛め……励ました方が面白そうだから学校休む!」

「何言ってるんですか、学校は行かないとダメですよ!」

 と言って手首を掴みお隣りにいる筈のお姉さんに返そうと試みた。しかし鏡ちゃんがそれに反抗の意思を示す。

「良いじゃない! 一日くらいズル休みしたって!」

「ダメです! ほら行きますよ?!」

「嫌、放して! お兄ちゃんのケダモノ~! 鬼~! 鬼畜~! 変態~! エッチ~!」

 人様が聞いたら誤解を生むような単語を並べて。と言うか最後のエッチは納得いかない。引きずって来る最中ずっと恥ずかしい単語を叫んでいたが無視して玄関へと辿り着く。

 朝っぱらからどうしてこんなに疲れ無ければならないのか考えながら扉を開けると、そこに鏡ちゃんのお姉さん、桜井水面が仁王立ちをしていたのだった。

「白原さん! 妹に何をする気ですか!」

「……はい?」

「とぼけても無駄無駄無駄です! ああっ! 鏡! 可哀相に、もうすぐお姉ちゃんが助けてあげる! そうすれば白原さんに○○○や○○○○○や○○○○を強要されることは無いですからね!」

 どうやら鏡ちゃんが叫んでいたことを鵜呑みにしたらしい。

 それにしても良くもまあ放送禁止用語を羞恥なく言えたなこの人。

「きゃ! お、お兄ちゃん! わたしに○○○や○○○○○をするきだったの! 変態! 見損なったよ!」

「それ自分で叫んでいた単語じゃないですか!」

 ああもう、こんなことしている場合じゃないのに!

 忙しい最中、唐突に携帯が鳴り響き更なる修羅場を用意してくれたらしい。睨む姉と目を潤ませた妹に見つめられながら通話ボタンに力を入れる。

『おはようございます十夜、朝の忙しい時間に電話をして申し訳ありません』

 この声は夢ちゃんだ、丁寧な喋り方からして甲斐甲斐しい彼女らしい。

「いえいえ、問題無いですよ? どうしましたか?」

『あの、今日は何時頃にお帰りですか? 遅くなるようでしたら晩ご飯を用意しに行こうと思ってるんですけど』

 優しい、本当に優しいなあ夢ちゃんは。こんな彼女を持てて僕は幸せ者だ。

「夢ちゃん実は……」

「嫌ーー! お兄ちゃんのケダモノ~!」

『え?! 今の声はなんですか十夜!』

 鏡ちゃんめ余計な事を!

「嫌、違うんですよこれは……」

「いつまで妹を離さない気ですか! こ、こうなったらわたしが○○○○○を鏡の代わりにします! だから鏡を離して下さい!」

「お、お姉ちゃん……やだ! お姉ちゃんに○○○○○したらわたし許さないから!」

 この姉妹、実は狙ってないか?

『一体何をしてるんですか十夜! ま、まさか…………私は遊びだったんですか! 体が目的だったんですか!』

「違います! 一体どんなことを考えたらそんなことを言えるんですか?」

「お、お兄ちゃん、わたし初めてだから……優しくしてね? くひひ」

「黙っていて下さい!」

 くひひって、やっぱりこの姉妹また悪戯を。

『あぅ……十夜が私に黙ってろって言いました……大声で……怒鳴りました~』

 今にも泣き出しそうな声が僕を抉った。ああもう誰か助けて下さい。

 誰かーー!

 その後は地獄だった、夢ちゃんに誤解だと謝りながら醜悪姉妹を撃退し、鏡ちゃんは学校、水面さんは仕事へと出掛けて行った。

 どうにか場を治め、僕はふらふらになりながら部屋へと入りぐったりと座る。朝からなんでこんな目に。

「……さて」

 素早くカジュアルな服装に着替え、部屋を後にし出掛ける。今から行く場所は高校時代にアルバイトをしていたところだ。一ヶ月だけ働かせて貰えないか交渉に行く。

 そこはここからわりと近く、歩いて行った方が良いだろう。車だとガソリン代が掛かるし、節約にもなる上健康的。

 そんな訳で徒歩で出発。

「久し振りに行くな~、僕のこと覚えているかな?」

 歩きながら昔を振り返る。あの頃は……良い思い出はあまりないな。

 約十五分くらい歩いたろうか、一定のリズムを刻みながら進んでいると見知った顔を見掛けた。前から走って来る人物が僕を見つけるや否や更に加速、ぶつかる勢いで目の前に現れる。

「はぁ、はぁ、はぁ……ど、何処に……行くんです……か? はぁ、はぁ……」

「大丈夫ですか夢ちゃん?」

 そう、我が愛しの彼女、鮎原夢だ。ストレート髪を乱して肩で息を。随分急いで来たみたいだ。

「と、十夜、ほ、本当にやましいことをしてないんですよね?」

「はい。神に誓っても良いですよ? 僕は夢ちゃんしか目に映りません!」

 しまった、なんて恥ずかしいことを堂々と言ってるんだ僕は。

 頭の中で穴掘って叫ぶ、恥ずかしくて。

「……本当ですね十夜?」

「はい、本当です」

 じっと瞳を覗き込み、しばらく彼女と見つめ合う。

 数秒後、安堵の笑みを浮かべる彼女がいた。

「……分かりました、私十夜を信じます!」

 良かった、誤解が解けたらしい。

「あ、そうでした。今日仕事はどうしたんですか? お休みですか?」

「あ~実は……」

 当然の疑問をぶつけて来たので訳を話して聞かせた。

 それを終えると呆れたような顔を浮かべた、当然か。

「じゃあ一ヶ月無職ですか?!」

「無職って……一応まあそんな感じかな。だからその間アルバイトをしようと思ってですね、今からそこへ行くところですよ」

「そうだったんですか……十夜が一ヶ月大変……ですか……」

「夢ちゃん?」

 何やら考えているが、何故だろう嫌な予感がしますよご注意をと知らせが何処からかやって来てにやつく。

 最近そんな知らせが頼んでもいないのにやって来る機会が多いな。

「それでは出かけてきますから……あ、部屋に来ますか? 鍵を渡して……」

「そうだです!」

 突如彼女が叫ぶ。

ど、どうしたんですか夢ちゃん?」

「私良いことを考えてしまいました! これは素晴らしい考えです! じゃあ十夜、夕方来ますからそれまでバイバイです! 楽しみにしてて下さいね!」

「え? え? あの、夢ちゃん!?」

 何やら意味深な言葉を残し走りさってしまった。

 何故か置いてきぼりをされた子供みたいな心情を味わい、苦虫を噛む。

 夕方になったら分かるさ。

「さて行きますか」

 謎を抱えながら僕はまた歩き出すが、この胸のもやもやはなんなのか正体を探りながら無意味だと停止。考えても仕方ないので進むだけだ。

 歩き、ようやく目的地に到着した。嫌々、変わってないな。

 そこにあったのは喫茶店だった、名前を喫茶店『ママンの胸』。妙な店の名前だが、外見は80年代の喫茶店をモチーフにしており、赤レンガの壁がレトロでなんだか心地が良さそうな店だ。しばし懐かしい建物を目に焼き付けから中へと入ることにした。

 扉を開けるとカランカランと懐かしく聞き慣れた開閉音が耳を癒す。

「いらっしゃい~!」

 元気な挨拶を放ったのはこの店のマスターだ。黒の短髪にがたいが大きく柔道選手のような体型、顎鬚を生やし、サングラスをした男性が迎える。

 見るからにヤクザと間違われそうな風貌だが、決して怖い人ではない。その理由は直ぐに分かるだろう。

「お久し振りです、僕のこと覚えてますか?」

「……まぁ、なんて懐かしいお客様かしら、久し振りね十夜ちゃん! ワタシ貴方を忘れたことなんてないわよ~!」

 そう、この方はおねえなのだ。名前を加藤錬士郎(かとうれんしろう)、この『ママンの胸』のマスターだ。

「良かった、覚えててくれましたか」

「当たり前じゃない~、その可愛い顔を忘れる訳がないわ~。ふっふふん、成長したわね、見事ワタシのタイプになっちゃって……食べちゃいたい」

 あれ、最後なんて言ったんだろうか、聞き取れないくらい小さな声に絞った。

 ま、そんなことよりもバイト出来ないか訊かないと。

「あの加藤さん……」

「十夜ちゃん、ワタシを呼ぶ時はかれんちゃんって呼ぶようにしてたはずでしょ~?」

 ああそうだった、加藤さんは自分のことをかれんと呼ばないと怒るのだ。名字の加藤のかと、名前の錬士郎のれん、それを会わせてかれん。嫌々久し振りだから忘れていた。

 しかし、かれんちゃんなんて見た目ヤクザみたいな人に言うのは抵抗があるのだが。そうだ思い出したぞまた、昔間違えてかれんと呼ばなかった時があったが……。

『ふっふふん、十夜ちゃん、次加藤って呼んだら~……五体満足に帰れると思うなよガキ?』

 と凄まれたっけ。

「か、かれんちゃん、今日はお話があって来ました」

「まぁそうなの~? 座って、座って! 今お客さんいないしワタシ特製のコーヒーをご馳走しちゃうわ!」

 そんな訳でカウンター席に腰を下ろし、久し振りの店内を見回す。変わって無い、あの頃のままだ。店の奥にギターが飾ってあり、時々加藤さんがそれを使って得意の歌を歌ってくれたっけ。

 しばらくしてコーヒーが目の前に置かれる、それを一口。美味しい、昔のままだ。

「それで? ワタシに何の話しかしら? ……ま、まさか……あら嫌だ、等々ワタシもお嫁さん……」

「違いますよ!」

 昔からこうだったな加藤さんは。

「実はですね、一ヶ月だけで良いんですけどここで働かせて貰えないかと」

「OK! じゃあ明日からね!」

「ええ! い、良いんですかそんなに簡単に決めて!」

「ええ良いわよ! ちょうどアルバイトの子が進学やら就職やらでみんな辞めて困ってたところなのよ~、バイト募集出してるけどなかなか決まらなくてね~、一ヶ月だけでも大助かり! ……でもどうして一ヶ月だけバイトしたいの~?」

 理由を手短に簡潔に伝えると一瞬怖い顔になったかれんちゃん。もうそれは極道の頭と思える程迫力が。

「なんだと? 海外に行くから一ヶ月テメェでなんとかしろだと? そいつここに連れてこいや! 頭勝ち割って脳みそを擂り潰して納豆とネギいれてストローでチューチュー吸ってやっからよぉ!」

「ひぃ! か、かれんちゃん言葉が男になってますよ……」

「……あら嫌だ、恥ずかしいわ~。ふっふふん、十夜ちゃんに恥ずかしい姿見られちゃった! 十夜ちゃんのエッチ!」

 こ、こんな人だが良い人だ。本当に良い人なんだ。怖いけど。

「とにかくそうと決まったら明日からお願いしようかしら?」

「ええ大丈夫ですよ、任せて下さい!」

 そんな感じに昔の話しに花を咲かせ懐かしさが僕らを包む。

「……それにしてもワタシ驚いたわよ」

「突然来ちゃいましたからね、連絡を入れるべきでした」

「ううん、そのことじゃないの。……十夜ちゃんが変わったことに驚いたのよ……昔じゃ今の十夜ちゃんを考えられなかったわ」

 ああそうだった、昔僕は……。

「……成長した、ってことじゃないかと思いますよ」

「そうかもね。何が十夜ちゃんを変えたのかしら? 気になるわ……今の十夜ちゃんがずっとずっと素敵よ?」

「ありがとうございます」

 長居したな、明日から頑張ると伝え僕は店を後にする。

 不意に過去が脳裏を霞め、苦味が広がる。

「本当に昔の僕からしたら、今の僕なんて想像がつかないでしょうね」

 そんな言葉を空気に食わせ、ボロアパートへ向け進むのだった。

 気分を払拭に専念しながら歩き、アパートに着く頃にはいつもの晴れ晴れとした心理状態を作り上げられた。

 二階に上がり部屋へ。とにかく資金はなんとか確保出来そうだ。

 安堵が駆け抜けた瞬間眠気が襲い、それに飲まれて行く。





 ――夢を見た。


 二つぶら下がっていた。


 ゆらりゆらりと。


 ただそれだけ。


 僕はただ見ているだけ。


 ただそれだけ。


 嫌、見ているしか出来ない。


 ――あの日から、僕は……。






「十夜? 起きて下さい十夜!」

 不意打ちなる声が夢から救いの手をさし伸ばし、それを握り締める。まどろみを掻き分け向かった先に笑顔が。

 無意識にそれを抱き締めた。

「あぅ! と、十夜!」

「……あれ?」

 僕は今まで何をしていた? 確かバイトを決めて、アパートに帰って来て、それから……ああ、寝てしまったんだ。

 夢を見ていたような気がするが、なんだっただろうか?

 とても嫌な夢だったような。

「と、十夜~」

「へ?」

 一気に眠気が逃げ出し現状を素早く認識させる。

 僕は夢ちゃんを寝ぼけて抱き締めていたのだ。

「わ! ご、ごめんなさい!」

 素早く離れると、何故か愛しげな彼女の表情を知り、更に混乱。

「あぅ、わ、私達は恋人さんですよ? だから抱き合っていたって良いんです。十夜はすっごく温かかくて、居心地がバッチリでした」

 確かにそうだ。僕らは恋人なのだ、抱き合っていて何が悪い?

 て、あれ?

「夢ちゃん、どうして貴女が部屋にいるんですか?」

「何言ってるんですか十夜、夕方に来るって言った筈ですよ?」

 なんて言われたので窓に視線を、すると赤い空が顔を出す。

 どうやら寝過ぎたらしい、意外にも僕は疲れが堪っているのかも知れない。

「すいません寝ぼけているみたいです。……あれ? それはなんですか?」

 彼女の傍らに何やら巨大なピンク色をした物体が。

 はて、あれはなんだろうか?

「これですか? 鞄です、旅行鞄」

「旅行鞄? なんでそんなものを……?」

「それは私の着替えを入れて来たからですよ」

「あ、なるほど……って、着替え?」

 再び、嫌、三度と言うべきかこれから大変なことが在りますよご覚悟をと、不安が知らせを飛ばす。

 その答えが彼女の口から飛び出し僕を抉った。

「十夜、今日から一ヶ月同棲しましょう!」

 空白。頭の中を掘られ中身を体外に捨てられたような感覚。

 今彼女は何を言った?

「ええ! ど、同棲って、誰がですか?」

「私と十夜です!」

「で、でも夢ちゃんのご家族の方がなんと言うか……」

「もう了承済みです! なんなら電話してみますか?」

 ちょっと待って欲しい、なんで同棲することになっているんだ? そりゃあ夢ちゃんと同棲生活だなんて夢みたいな話しを嬉しく思わない筈は無いが。

「ど、どうして同棲をしようと思ったんです?」

「だって一ヶ月すっごく大変何でしょ十夜は? だから私が一緒に暮して十夜を楽させてあげます!」

「それは嬉しいですけど……」

「……十夜は嫌なんですか? 私と一緒は嫌なんですか?」

 上目遣いと涙目が懇願の眼差しを。嫌々、この顔には弱いんだ。

「うっ……わ、分かりましたから、だからそんな目で見つめないで下さい」

「それじゃ同棲OKですか!」

「はい、一ヶ月だけですがよろしくお願いします」

 と言うなりひっくり返されてしまい畳が頭に直撃。

 嫌々、毎度お馴染みの彼女のキスだ。勢いが付き過ぎて今にも泣きそうだが我慢する。

「ぷは! ふふっ、嬉しくてキスしちゃいました、気持ち良かったですか十夜?」

「痛……あ、嫌、気持ち良かったですよ、あははは」

 そんな訳で一ヶ月だけだが同棲生活を余儀無くされるのだった。しかし僕は分かっていなかったのだ、これが地獄への一歩だと言うことに。と、大袈裟にしてみたが、あながち間違いじゃないのかも知れない。

 神様は残酷主義者ですか? それとも……。




 そんなこんなで翌日の早朝、まどろみを退散させ重い瞼を上げた。

 時間は六時丁度、バイトは九時からなのでまだ早い。しかしたまには早起きも良いものだろう。

「……あれ?」

 体が動かない。何故? 視線を彷徨わせ、そして見つけたのだ、動かない理由を。がっちりと僕を抱き締めるように彼女が眠っていただけ。

「なんだびっくりしました…………って!」

 ご存じ我が彼女、鮎原夢が青いパジャマ姿のまま隣りに敷いてあった筈の布団から這い出し、僕の布団の中で眠っていたのだ。

 一気に目が覚めた、どうしてこんなことに?

 それにしても可愛い寝顔だな、パジャマがはだけて胸の谷間がちらほら。って、僕のバカタレ! 頭の中で穴掘って叫ぶ、恥ずかしくて。

「そ、そうだ、起こさなきゃ! 起きて下さい! 夢ちゃん! 朝ですよ!」

「う……ん……?」

 これ以上ちらほらと見える谷間なんぞを眺めてしまったら理性が崩壊し、何をしでかすか分からない。まだ早いがさっさと起きて貰おう。

「ん? ん~……ふわぁ~! ……おはよ十夜~」

「お、おはようございます」

「まだ眠いよ~、十夜、まだ一緒に寝ていようよ~。えっへへ、十夜凄く良い匂いがする~!」

 などと良いながら抱き締める腕に更なる力を与え、よりがっちりと僕は固定されてしまう。そして彼女の胸が更に……。

「お、起きましょう! 早起きはなんとかの得です!」

「え~! 夢まだ十夜と離れたくない~! ……あれ? 十夜、夢のお腹に何か……」

「わああああああ!」

 違う、これはその、えっと、つまり!

「もしかして十夜は夢に欲情……」

「うわあああああ!」

 誰か助けて下さい!

 嫌々、お見苦しいところを見せてしまって申し訳ないと頭の中で謝罪を述べてみたが果たして誰に言ったのやら。

 とりあえず彼女を起こし朝ご飯の用意を。

「十夜~、朝ご飯は何~?」

「トーストと目玉焼きです」

「あ、夢のは半熟ね!」

 と言いながらツインテールに髪を結う。欠伸をして彼女は何かを思い出したように声を上げる。

「ああ! 夢は十夜に楽をさせるんだったんだ~! 十夜、夢が朝ご飯作る~!」

「……え、本当ですか?」

 過去を振り替えるとストレートの甲斐甲斐しい彼女バージョンの夢ちゃんだったらご飯とか作ってくれたが、ツインテールバージョンは初めてだ。楽しみと不安が混じり合うが、せっかくしてくれるのだからやって貰おうかな。

「じゃあよろしくお願いします」

「うん! 夢に任せて!」

 ではその間に着替えをするか。私服に着替えているとキッチンから香ばしい匂いが。美味しそうな匂い、もしかしたらどの彼女も料理は得意らしい。

 窓から外を眺めると良い天気だ、これは布団を干しておくには最適だろう。

 まだ料理も出来ないし、布団でも干すか。

 一応このボロアパートにもベランダが存在するのだが小さい。二人で一杯になる程の広さだ。布団を干していると、お隣りのベランダに見知った顔が。

 眠そうな顔をした桜井鏡ちゃんが現れたのだ。

「……あれ、お兄ちゃんおはよう。お兄ちゃんも布団干し?」

「おはようございます、どうやら奇遇らしいですね」

「……あれあれ? 部屋に誰かいるの? 物音がするけど?」

「ええ、僕の彼女がいますよ……」

 多分、そう言ったのは間違いだった。

「彼女ってあの時のお姉さん? 泊まったの? てことは……やだ、お兄ちゃんはエッチだ!」

「はい?」

「だってお姉ちゃんが言ってたんだよ、男女が同じ部屋で一夜を共にして何も起きない方がおかしいって! きっとお兄ちゃん昨日は……狼さんになったんだ! うわ~! 大人だ~!」

 何やら憧れと言うか尊敬の眼差しが僕を刺す。変なことを吹き込まれているらしい。

「鏡ちゃん、必ずしもそんなことになるとは限りませんよ?」

「と言うことは昨日は何もなかったと言いたいのですね白原さん?」

 ここで桜井水面さんが現れた、ニヤついた顔で。

 嫌な予感が警鐘を鳴らし始め、汗を滲ませてゆく。

「そうですか、白原さんはフヌケだったんですね?」

「手を出して無い! お兄ちゃんまさか……たまなし?」

「十夜はたまなしじゃないもん!」

 なんてことだ、夢ちゃんまでやって来てしまったでは無いか。

「あらあらまあまあ、噂をすれば影ですね。おはようございます、えっと鮎原さんでしたね? この前はどうもお騒がせしました」

「ああ! あの時の、確か十夜のお隣りさんだ!」

 クエスチョンを出してもよろしいだろうか? 何故こんな狭いベランダで朝っぱらから騒いでいるんだ僕らは?

「十夜はたまなしじゃないの! 夢見たことあるんだから! 十夜はすっごいの!」

「あらあらまあまあ! で? で? 白原さんの“もの”ってどれ程ですか?」

「ん? お姉ちゃんなんの話し?」

「鏡にはまだ早いわ。で? 白原さんの……」

「止めて下さい!」

 なんて話をしているんだ彼女らは。

「とにかくご飯食べますから行きますよ夢ちゃん!」

 無理矢理中へと導いたが、ドッと疲れてしまった。

「お姉ちゃん、なんの話か教えてよ~!」

「もうしょうがないわね鏡は、あのね……」

「教えないで下さい!」

 更なる疲労が。嫌々、バイト頑張れるだろうか心配だ。

 彼女が一生懸命に作ってくれた朝食を有り難く頂く。

 嫌々、美味だった、料理が上手いのはどの彼女でも同じなのかもしれない。

「えっへへ、美味しかった?」

「はい、素晴らしかったですよ」

「良かった~、夢、十夜の役に立ったかな?」

「はい」

 と答えるや否や軟らかい感触が唇に。彼女のキスだった、ギュッと抱き付かれて身動きが取れない状況が生まれる。

 その最中彼女の舌が侵入を果たし僕と絡み合う。

「ん……」

 どうにかなりそうな状況で時計が視界に入り時を知らせ驚愕。

 あんなに早起きしたのにもう出ないと遅刻だ。慌てて彼女を引き離す。

「あん! もっとするの~!」

「ごめんなさい夢ちゃん、もう出ないと遅れちゃいます」

「んーー、もう行っちゃうの~? 夢寂しいよ~!」

 縋ったように甘えた声はまるでロープだ、僕をグルグルにして動きを奪われてしまう。上目遣いが堪らない、じゃなくてもう行かないと。加藤さんは時間に厳しい方だ。

 昔一度だけ遅れて行ったら、地獄を見た。

「続きは夜です! とにかく行きますから!」

「本当! 絶対だよ! 夜一杯一杯するからね!」

 これってまずいことを言ってしまっただろうか?

 とにかく今は遅れる訳にはいかず、行って来ますと述べ部屋を後に。

「行ってらっしゃい!」

 少し早足気味に進み、なんとか間に合った。喫茶店『ママンの胸』、いかがわしい名だが意外に常連客が多い。

 その理由は加藤さんの入れるコーヒーが絶品中の絶品、隠れて名店と言われる程旨い。

「おはようございます」

「待ってたわよ十夜ちゃん! ささ、奥で着替えて来てね!」

「着替え? エプロンだけじゃ無いんですか?」

「実はね、十夜ちゃんが一ヶ月だけバイトに戻って来てくれたからあるイベントをしようと思ってね! 一ヶ月限定だから!」

「イベント……ですか?」

 着替えれば分かると言われ何だか分からない内に更衣室へ。

 そこに衣装の上に紙に『十夜ちゃん専用』と書かれ、ハートマーク入りが置いてあった。

 嫌な予感がするが生活の為だ、やむを得まい。着替え終わる頃にはイベントの正体らしき格好へと成っていた。

「……これは執事の服?」

 確か男の使用人が着る服装だ、一体何を考えてるんだ加藤さんは? などと思っていたら突如扉が開き、自称かれんちゃんが飛び出して来たのだった。

「いやん素敵~!」

「うわあ! ま、まさかずっと覗いてたんですか!」

「ふっふふん、当たり前よ~! 十夜ちゃんの上半身が細くて素敵だったわ! ガリガリでもなく、マッチョでもない中間で、良いカ、ラ、ダ! 食べちゃいたいくらい素敵だったわよ~!」

 怖気が一気に突き抜け鳥肌を立たせ、冷や汗を。身の危険を感じ後退する。

「嫌ね、冗談よ冗談!」

「あ、じ、冗談ですよね? あははは……」

 加藤さんが言うと冗談に聞こえないから怖いのだが、それは黙っておくか。とにかくイベントの正体を教えて貰おうか。

「あの、僕に何をさせる気ですか?」

「実は、一ヶ月限定、数年前に流行だったメイド喫茶改め、執事喫茶をしようと思うの! 十夜ちゃん顔格好部類に入るから大丈夫、繁盛するわ!」

 バイトする場所間違えてしまっただろうか? 逃げ出す?

「十夜ちゃん、嫌だとか、やりたくないとか、逃げ出したいと思ったら……朝日拝めると思うなよ?」

「ひぃいいいい! に、逃げ出したいなんて思ってません! やらせて下さい!」

 この時何故か悪徳商法に引っ掛かったように感じてしまった。

 落ち着いてくれ思考よ、僕自らここへ飛び込んだんじゃないか。

「……で、具体的には何を?」

「まずは言葉遣いを直しましょう。良いかしら? 男のお客様には旦那様、女のお客様はお嬢様って呼ぶのよ? いらっしゃいもお帰りなさいませって言わなきゃダメ!」

 つまりメイド喫茶の執事バージョンか。それを僕がするの?

 ああ、先生、今日程貴女を恨んだことはありません。帰って来たら文句の一つでも言ってやる。

「じゃあまだ始まるまで時間があるから練習しましょう! もちろん、手取り足取りナニ取りでね!」

 危険だと体が勝手に駆けた。

「待てやゴラ!」

 襟首を捕らわれ、ズルズルと更衣室に引きずり込まれて行く。

「さあ十夜ちゃん、可愛がってあ、げ、る!」

「ぎゃあああああ!」

 夜明けの空に悲鳴が舞う、果たして僕は一ヶ月生きて行けるだろうか?

 肉体的にも、精神的にも……。


 

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