『理不尽なポニーテール』
そこに写し出された風景は永遠にそのままを固定し、半永久的に存在させる。一枚の紙でしかない世界だが、ずっと変わらずに優しく微笑むのだ。
ただ、破いたり燃やしたりすれば消えてしまうが。
それでも僕は好きだ、思い出を止どめ、変わらせずに残すそれが美しいと思う。写真と名の付いた箱庭、それが魅力的で堪らない。
レンズ越しに垣間見た世界は何故か別世界のような錯覚を引き起こし、シャッターを押すだけで囲える。
嫌々、少し熱く語ってしまった。
「早くプロになりたいな……」
と呟きながらカメラをバッグにしまい、我が愛車へと乗り込む。仕事の帰りに美しい夕日が見えたのでカメラに納めたくてシャッターを夢中で押した。
人工物たるビルの森に現れた夕日がなんとも綺麗な光と影のコントラストを生み、幻想的だった。まだまだ僕は半人前、いつかは自分の写真集を出してみたいものだ。
そんな思いを抱き、お馴染みのボロアパートへと帰宅し、住み慣れた自分の部屋へ。
ゆっくり出来ると荷物を降ろした時だ、何やらお隣りから騒がしい音が……。
『わわ! 何するのよ!』
『問答無用です!』
何やら物を投げ、食器らしき物が割れる音や、走り回る音が一気に耳へとダイブして来るのだった。
そしてその直後、いざこざに完全完璧に巻き込まれることを知らせるメロディに殴られた。インターホンが連打で鳴っている、嫌な予感がするから必殺居留守を発動。
『開けてよ! いるのわ分かってるんだから! 助けて! 助けて! 見殺すの!? 人でなし!』
幼い女の子の声がするが聞き覚えが無い、訳では無い。
ああ、またか……。
居留守は無意味らしい、頭を掻きながら玄関へと旅立ち直ぐにそれを終え、溜め息混じりに扉を開放する。
するとそこにはセーラー服姿をした中学生の女の子がいた。
何故中学生か分かるかって? 嫌々、手の込んだ仕掛けでは無い。ただ僕はこの娘を知っているだけだ。
淡い栗色をしたショートの髪を左側のみ括ったテールが特長的だ。幼さを残す顔立ちだが性格を表したかのように目が鋭い。
この娘は桜井鏡、僕との関係はお隣りさん。
「やっと出て来たわね! 突然だけどお隣りのお兄ちゃん、わたしを匿って!」
「……はい?」
「惚けないで! と、とにかくお邪魔するわよ!」
と言って我が物顔で中へと侵入して行く。
ああなる程、あの人から逃げて来たのか。
「わたしが居るって言っちゃダメなんだからね!」
「あの……鏡ちゃん、もしかしてまた……」
「それで隠れたつもりですか? あらあらまあまあ、まだ鏡も子供ですね」
突然後ろから女性の声が。振り返らずとも誰かは分かっているが一応そちらへと振り向く。鏡ちゃんと同じように綺麗な淡い栗色に染まる長い髪を靡かせている女性がいた。
鋭い目付きの鏡ちゃんとは正反対に少し垂れ気味の目付きで見るからに優しそうなお母さんって感じの愛着あるフェイス。
この人は同じくお隣りさんで名前を桜井水面。
「げっ! お姉ちゃん!」
そう、水面さんは鏡ちゃんの姉で、姉妹で、お隣りさんなのだ。
「出来の悪い妹がご迷惑を掛けて申し訳ありません白原さん、直ぐに連れて行きますからご安心を」
「ひぃ! 殺される! 助けてお兄ちゃん!」
物騒なことを口にしているが心配はいらない、いつものことなのでもう慣れた。単なる姉妹喧嘩なのだ。
毎回こんな風に喧嘩をし、僕の部屋に避難してくるのだ。
嫌々、全く迷惑な話しだ。
「さあ、白原さんの背中から出てきなさい鏡、今日と言う今日は許しません! 子供染みたことをして! お姉ちゃんはプンプンですよ!」
「お兄ちゃんわたしを助けてよ! もしあの悪魔にわたしを渡したら呪ってやる!」
「……とりあえず二人共落ち着きましょう。一体何があったんです?」
姉妹仲良く、それが一番良い。そうなればこんな騒動に巻き込まれずに済むのだから。
中立な立場にある僕はこの場を治めねばなるまい。
「わたしが大切に大切にとっておいた……プリンを食べやがったんです!」
「何よプリンの一つや二つ! ケチケチしないの!」
「なんですって! プリンはわたしの命なんです! もうお姉ちゃん怒りましたーー!」
ああ、大きな子供が二人いる……。
ムキーーと人語を忘れたように睨み合う二人、嫌々、頭が痛くなりそうだ。
とにかく仲裁せねば。
「鏡ちゃん、水面さんが怒るのは無理ないと思いますよ? 勝手に人の物を取ったり食べたりしちゃダメですよ? 鏡ちゃんだって自分の物を食べられちゃったら嫌でしょう?」
「……むむ、一理あるわね……良いわ、ここはお兄ちゃんの顔に免じて謝ってあげる! ……ごめんなさい」
「……もう、食べたかったらわたしに言ってくれたら良かったのに」
謝り方に問題があるがとりあえずこの場が平和へと向かっていると見た。
良かった、めでたしめでたし……にはならなかったようだ。
ここで第三者が登場。
「十夜! 仕事ごくろうさんだったな……って、あれ?」
長い黒髪をポニーテールに仕上げた彼女、鮎原夢が現れたのだが、何やら怖い顔で僕ら三人を見回す。
嫌な予感がする。
「……おい十夜、こいつらはなんなんだ?」
「ゆ、夢ちゃん落ち着きましょうか。凄く眉間にシワが寄ってますが別にやましいことは無いのです、えっと紹介しますねこちらは……」
「初めまして。わたしは桜井水面、白原さんと隣人で……ウフフ! な関係です……くひひ!」
ちょっと待った、ウフフな関係ってなんなんだ? ああそうだ、水面さんは結構悪戯好きだったっけ。
待て待て、今の鮎原夢はポニーテール、つまり男勝りな方で、そんなことを言ったら……。
「ウフフな関係だと?」
鬼だ、目の前に鬼が立っている。
「はいは~い! わたしは桜井鏡! お兄ちゃんと隣人で……やだ、お兄ちゃんのエッチ! って関係で~す! ……くひひ!」
ああそうだ、妹も悪戯が好きだったのを忘れてた。
「やだ、お兄ちゃんのエッチ! な関係だと?」
悪魔だ、目の前に悪魔が立っている。
ニヤリと醜悪に染まった笑みを浮かべ、姉妹仲良く僕を悪意ある瞳で見つめる。嫌々、喧嘩する程中が良いとは良く言った、貴女達は間違いなく仲良し姉妹さんだ。
「十夜、テメェ……」
「落ち着きましょう! これは冗談なんですよ!」
「「酷い! あの夜は激しくわたしを求めて愛を囁いたのに!」」
息ぴったりに同じ台詞を良く間違えないで言えるなこの醜悪姉妹! 話しがややこしくなるじゃないか!
「お、落ち着きましょう夢ちゃん!」
「黙れ! テメェには鉄拳制裁が必要だ! オレと言う女がいるのに……十夜! お前はお兄ちゃんって呼ばせるのが趣味だったのか! なら好きなだけ呼んでやるよ! 覚悟しろお兄ちゃん!」
「待って! 待って! へぶっ!」
渾身の右ストレートが顔面へと放たれた。
ああ、僕は死んだ。
三途の川を垣間見た気がするが、多分幻だろう。一瞬だったしそれに、何故か僕の彼女鮎原夢が手招きしていたから。
あれは幻想だ、そうだ違うのだ。
ここまでの思考は数秒足らず、気が付けば夢ちゃんが馬乗りになり拳に息を掛けていた。なるほど、追撃か。次は本当に三途の川を渡るかもしれない。
「歯ぁ食いしばれよ浮気お兄ちゃん! テメェの腐った根性を叩き直してやるよ!」
「お姉ちゃん、やり過ぎたかな?」
「そうですね、白原さんこのままじゃ死んじゃいますね。助けますか?」
「そうよね、助けよう。……えっと可愛いお姉さん、全部嘘なんだけど」
「……はぁ?」
救世主と思えた、桜井姉妹が助け船を出してくれたのだ。
本当に助かった……でも、誰の所為でこんな目に合っているのか忘れてはないだろうか?
上手く説明してくれたおかげで僕はこの世界に存命することを許されたのだった。ああ、リアルに死ぬと思った、本当に。
「そ、そうだったのか……悪い! 許してくれ十夜! オレ……浮気されたと思ってつい……」
「いえいえ、夢ちゃんは悪くありませんよ。むしろ悪いのは……」
姉妹をきつめに睨むと視線を逸らし、口笛を。
外見は違えど二人は中身が、本質が一緒だ。悪戯にも程がある。
「それでも悪かったよ、殴っちまったのは事実だ、だからこれで許せ!」
視野が彼女全てに塗りつぶされ口に柔らかな感触を味わった。
なんてこと無い、これはキスだ。軽く触れ、離れたと思ったらまた吸い付く。軽いキスを何度も放ち、最後には一つになるかと思う程の長いキスが襲う。
「ぷは。どうだこれで許してくれるだろ?」
「は、はい……」
いつも会えば必ずキスをしてくる彼女だが、やはり何回されても照れてしまう。
でも、嬉しいと思う自分も否定出来無い。
「うわ~、チューだチューだ!」
「あらあらまあまあ、白原さんはラブラブなんですね~?」
「……あの、いつまで二人はここにいる気ですか?」
呆れ顔で言ってやると誤魔化し笑いを浮かべ「お邪魔しました」と仲良く揃って出て行くのだった。
溜め息を一つ、それから夢ちゃんへ視線をやるとじっと僕を見つめている。
「えっと、なんでしょうか?」
「十夜、本当に趣味じゃ無いんだな? その……お兄ちゃんって言わせるの。な、なんならオレもこれから言ってやろうか? お、お兄ちゃん……」
「……生憎、そのような特殊な趣味はありませんよ」
さて、騒がしい姉妹も帰って行ったことだし夕飯の準備でもしようか。おもむろに立ち上がった瞬間、右手が掴まれる。そうしたのは無論彼女だ。
「十夜! 今からどっかに行くぞ! ドライブだドライブ! 暇だから連れてけ!」
「今からですか? もうすぐ日が沈みますよ?」
「構うものか、夜景を楽しみながらドライブも乙なもんだろ? それとも何か? テメェはオレの切なる願いを断る気かよ!」
と、手を握り締める力が段々と強くなって行き、危険の二文字がジワジワと這って来た。
理解した、拒否すればまた三途の川へとご招待なのだと。
「い、行きましょうか! 夜のドライブへ!」
「おお! そう来なくちゃな! 嬉しいぞこの野郎め!」
そして本日二度目となる口付けを。
さて、何処へ彼女を誘おうか、とりあえず適当に走らせればいいだろう。車に乗り込みキーによりエンジンに生命を与え、出発の準備が完了した。
「十夜、一つだけ言っておくことがある、心して聞け!」
「はい、なんでしょうか?」
「……ひ、人気が無い場所に連れ込んで押し倒すのは無しだぞ? お前も男だからオレと……エッチしたいと思うだろうが残念だったな、今日は危ない日だ、だから諦めろ」
ちょっと待って欲しい、それでは僕が夢ちゃんの体を目当てにドライブに誘ったみたいに聞こえるではないか。そりゃあ僕だって男だし、夢ちゃんの……は、は、裸に興味が無いなんてことは無いのだ。
そう言えば夢ちゃんとそう言うことをまだしてないな。
って、何を考えているのだ僕は。頭の中で穴掘って邪気を入れて土を被せた。邪気退散!
「分かりました、諦めます」
「ああ、そうしてくれ」
「……エッチ以外だったらなんでもして良いんですか?」
と意地悪な質問をしてみたのだが、果たして彼女はどのような解答を提示してくれるやら。
「エッチ以外だと?」
すると視線を上に向け何やら思考し始める。しばらくそのままだったが突如変化が。段々と頬が真っ赤になって行き、まるで頭から煙が立ち上ぼる如く沸騰していた。
「こ、この変態野郎が!」
「へぶっ!」
右アッパーを食らい僕は痛覚を貰うはめに。一体彼女の中で僕はどんな破廉恥なことをしでかしたのやら。
願うなら文章化、もしくは映像化して貰いたいものだ。
「この変態め! オレになんてことをさせる気なんだ! あんなことをあんな風に出来る訳無いだろうが!」
「……一体どんな内容なんです、ちなみに?」
「えっと…………は、話せるか馬鹿! さっさと車を出せ! 今直ぐ!」
散々な目に合ったがとりあえず夜のドライブへと出発。
しかし、本当に気になるな。
出発する頃にはすっかり真っ黒へと空が変色し、建物から漏れる電気光が疑似星となって地表の夜空を生んでいた。
車を走らせて行き、何処へ行こうかと悩んでいる最中、ちらりと彼女を一瞥。怒っているのかと思ったが意外にも楽しげに外界を窓越しに見つめていたのだった。
少し微笑む表情がまるで子供みたいで可愛らしい。
「……ん? なんだ十夜、オレの顔に何か付いてるのか?」
「いえ、あまりにも楽しげだったので喜んで頂けているなら嬉しいなと思っただけですよ」
「そうか……なら胸を張れ! オレは今凄く楽しいぞ! ……十夜と一緒だからな」
ん? 最後の言葉が小さくてエンジン音に食われてしまう。
なんと言ったのだろうか?
「最後なんて言ったんです?」
「……う、うるさい黙れ馬鹿野郎! そんな事は良いからお前は運転に集中しやがれ!」
はてさて、なんと言ったのやら。気になるな。
「……突然だが十夜、お前オレのこと好きか?」
何を突然訊いて来るのだろうか彼女は。そんなの当たり前じゃないか。僕は夢ちゃんのことが好きだ、大が付く程好きだ。
「ええ、大好きですよ?」
「オレの為ならなんでもするか?」
「え、ええ……出来る範囲なら」
「そうか。なら大丈夫だな、十夜、オレが好きなら…………ゲームソフトを買ってくれ! 今月はピンチなんだ、でもあのゲームがどうしてもしたいんだ!」
何を言い出すかと思えばそんなことか、てっきり無茶な注文をして来るとばかり思ったよ。
「良いですよ、但し条件があります」
「何? ……ま、まさかオレのおっぱいを揉ませろとか……」
「違いますよ」
「じゃあこのままラ、ラブホに向かってオレを凌辱……」
「しません!」
良くもまあ破廉恥な考えがぽんぽんと出るものだ、実際そうでも良いかな? と思ったのは内緒にしておこう。
恥よ我が思考。
「その考えはぶっ飛び過ぎですよ!」
「うっ、そうだよな、十夜がそんなことをする訳が無いよな……ちくしょう、これじゃオレが淫乱みたいじゃないか!」
「痛い! どうして頭を叩くんですか!」
「あ、すまん。つい癖で」
彼女の場合殴ることが癖になってしまっているのか。嫌々、これは治さなければなるまい。そうしないと僕の身が保たない。
「……で? 条件はなんだ?」
「そうですね、それでは……どんな時でも僕を殴らないこと。これだけですよ」
「……よ、良し、それに乗った!」
これで治ってくれるだろうか? そうであって欲しいと切に願う。
闇を切り裂きながら進む愛車をとある場所に向けて走らせることにした、あの場所に彼女を連れて行こう。車は人工物を離れ山道へと差し掛かる。
「ここは何処だ? 人気が無くなって来たが……ま、まさかテメェ本当に人気の無い場所でオレの体を!」
「違いますよ! おっと、その手はなんですか?」
拳骨を作り出した右手が今にも放たれようとしていたが、僕との条件を思い出しそれを納めた。
やった、彼女が暴力を押さえた。
「……ふん、何処へ連れて行くかは知らないが変なことをしたらただじゃおかないからな!」
「そんなことはしませんよ。今から行く場所は僕のお気に入りの場所です、今まで誰も連れて来たことがない場所です」
「そんな場所があったのか。そ、それってオレは特別だから連れて行ってくれるのか?」
肯定する。するとまるで子供のように笑う。
「嬉しいぞこの野郎め!」
頬に彼女の柔らかな唇の感触が走る。
気分が良くなったのは内緒としておこう。彼女から暴力が無くなれば痛みとはおさらば出来るだろう。
車はとある場所で停車し、エンジンを切った。
「着きましたよ」
「ん? なんだここ、何もないじゃないか」
暗がりに染まる生い茂る木々がずらりと並ぶ山の頂上で、円状に青々とした広場があるのみ。ここがお気に入りの場所だ。
「それでは降りましょう、外に出ないと」
「……あ、青姦……か?」
「違いますよ!」
外へ出るとやはり寒かった、夢ちゃんは身震いを一つ。
後部座席に置いていたグレーのコートを紳士に彼女へ着せる。
「ありがとう……」
「いえいえ」
「それで? ここに何があるんだ?」
「上を見てください」
見上げた先に深海が広がっていた、吸い込まれそうな黒と輝く生命の塊が何万、何億と立ち並ぶ海。
満天の星空が僕達を見下ろしていたのだ。
「綺麗……」
心を奪われたらしい、都会では見られない星空にはぎっしりと星が輝きを謳う。写真撮影で素晴らしい風景は無いだろうかと探して見つけたのがここだ。
そうだ、これはベストショットかも知れない。
車からカメラが入ったバッグを取り出して彼女に向ける。未だ溜め息を吐くように夜空を見上げる姿が何だか神々しくて、シャッターを切る。
うん、素晴らしい世界を囲った。この一瞬を写真が残してくれるのだ。
「なっ! テメェ勝手に撮りやがったな! 被写体に断るのが礼儀だろうに!」
「すいません、あまりにも夢ちゃんが美しかったので」
「テ、テメェ! 恥ずかしいことをぽんぽんと言いやがって!」
また手を上げ殴ろうとしてくる。ふっふっふっ、そうはいくか。
「その手はなんですか?」
「ぐっ! ちくしょう……ん? 待てよ……ああそうか、とりゃあ!」
「へぶっ! な、殴りましたね!」
「ふん、殴っては無いぞ? 今のは蹴ったんだ!」
それは屁理屈だ!
「殴らなければ良いんだろ? と言うわけでさっき殴れなかったからもう一蹴り!」
「そんな理不尽的なことを言って……へぶっ!」
理不尽だ、理不尽過ぎる。でも、こんなやり取りが楽しいと思う自分がいる。
嫌々、僕はMではないぞ断じて……。