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エピローグ

 

 それは不思議な光景だった、体が子供に戻った僕がいて周りにはお父さんとお母さんが笑顔で僕と手を繋いでいる。

 その手が温かくて自然と僕も笑顔になった。

 ここは何処だろう?

 ビルや商店街が見える町の中で雑踏を進むけど人々の顔が無くて全く動かない。

 だけどそんなことはどうでも良かった、だってお父さんとお母さんが手を握っていてくれる、それだけで怖くない。

 そんな不思議な空間をただただ三人で歩いていく、でも歩いていく先には町はなく何もない白い空間が広がっているだけ。

 そこが何故か怖かった、そこに行きたくなかった。

 そう思ったとき目の前に誰かがいた、家族だろうか?

 お父さんとお母さん、それにお兄ちゃんらしき子供と女の子、多分妹なのだろう。

 女の子は家族を見詰めてから涙を流して手を振る。

 それは決別の証。

 女の子は駆け出す、僕の目の前まで。

 その子は言った。

『一緒に戻ろうよ』

 僕はお父さんとお母さんの手を握りしめて拒絶しようとした、けど手がすり抜けてお父さんとお母さんが先に進む。

 待ってと追いかけようとしたけど足が動かない。

 叫んだ、連れて行ってと。

 でもお父さんとお母さんは首を横に振るだけ。そして手を振っていた、涙を流しながら。

 何故かその涙が謝罪する姿に見えたのはどうしてだろう。

 二人が白へ行ってしまう、女の子の家族も行ってしまう。

 僕は泣いた、悲しくて泣いた。

 そんな悲しみにくれる僕に女の子がキスしてくれた。

『私がいるから大丈夫だよ?』

 女の子の言葉に力がみなぎってくる自分に気が付く。

 だから僕は女の子を抱き締めてキスを返す。

 二人で手を繋いで元の場所へ引き返していく。

 どうしてだろう、僕はこの女の子を知っている気がした……。


 




 

「……と言う夢を今朝見たんです」

「……白原、それってお父さんとお母さんに付いて行ったら貴方死んでいたんじゃない?」

「やっぱりそう思いますか?」

 昼下がりの仕事場である事務所で我が師匠とも言える九十九先生と共に昼食を取っている最中である。

 そこで今朝見た不思議な夢を話して聞かせたのだ、あれは何だったのか気になっていたから誰かに聞いて欲しかった。

「どう考えてもあの世への行き道よ。で、その小さな女の子が貴方の彼女何でしょう?」

「そうとしか考えられません。家族構成もキスも、あの女の子は夢ちゃんでした」

「……それって遠回しにのろけてるの?」

「ち、違いますよ……あ、でももしあの夢があの世への道だったとしたら少しおかしい気がします」

 夢ちゃんの家族、その中に父親の姿もあったのだから。

「荒沢は刑務所に戻りました、つまり生きていることになります。もしあの夢があの世への道なら父親が居る筈ないと思います……」

「う~ん、そうねぇ……その荒沢って人は昔と比べて全くの別人みたいになってたんでしょ? もしも優しい父親の時が合ったのかも知れないわよ、しかしその父親の姿は影も形もない。ある意味それは死なのではないの? 昔の自分は今の自分にとって消えた存在、でもちゃんと覚えている。昔の自分ってある意味死人なのよ、だから荒沢って人の優しい父親だった頃の彼が夢に出て来て旅立つ。……ま、憶測だけどね」

 拉致事件から一週間が経過した日に九十九先生にそう言われて、改めて荒沢新一のことを考えてみることにする。

 夢ちゃんから聞いた昔の話では彼は最初からああだった訳ではないらしい。

 少なくとも夢ちゃんが赤ちゃんの頃、その誕生を大いに喜んでいたと夢ちゃんのお母さんが言っていたと聞いた。

 何かの切っ掛けが彼を変えたのか、それとも元々がああだったのか。

 今となっては分からない。だけど人は切っ掛けがあれば変われるのだ、良くも悪くも。僕は夢ちゃんと出会えたから変われた、そして幸せを知れたのだ。

 荒沢は何に出会い何を思い変わってしまったのか。

 それとも出会っていなくてそのことに苦しみ狂ったのか。

 今は独房の中で何を思い過ごしているのだろう。

 ただ一つ分かるのは彼に救いは訪れないと言うことだけだろうか。

 自身を暴走させ犯してしまった罪、どんな奇麗事を並べても罪は罪なのだ。

 彼はその償いに何もないただ空白の時間を過ごして行く、それが罰であると僕はそう思う。

「先生、人って善にも悪にも染まるんですね……」

「どうしたの白原、今回の事件で何か思うことが出来たの?」

「……下手をしたら僕が彼のようになっていたかと思うと少し怖くて……これから先、もし僕が狂ってしまったら大切な人を傷付けてしまうんじゃないかと……怖いんです」

 今の自分は絶対にそうならないと信じているし確信している。

 けれど未来の自分はどうなのかは分からない、今のこの思いが盤石であることを本当に願う。

「はっははは、そんなことで悩んでいるの?」

「そんなことって……」

「いい白原、それは当たり前のことなのよ? 誰でも理想の自分がいてそれに近付こうと努力している。未来の自分がどうであるかは未知なの。誰もがそんな不安を抱えている、このわたしでさえね。

 でもね、どんなに未知でも人には本質って言うものがあるの、わたしはね白原の本質は『人との繋がり』何じゃないかなって思うよ? 貴方は家族を大切に思っている、他人に優しく接する心があり、大切な誰かを守る強い意思が宿っている……そうやって人との繋がりを保とうと努力を惜しまない。

 本質とはなかなか変わらないものなのよ? だからこれはわたしの個人的な意見、白原、貴方は変わらずにいると思うわ。白原十夜は狂うことは無い。まあ、これは個人的な意見だから参考程度に心に留めておきなさいな」

 未来は誰にも分からない、けれど変わらないと言い切られると何だか清々しく思える。

 心が軽くなったような気がするよ。

「ありがとうございます先生、少し希望が持てそうです」

「感謝するなら貴方のお弁当のミートボールをよこしなさい、それわたしの好物だから」

 そんな訳で昼食のお弁当に入っていたミートボールを献上すると嬉しそうに放馬っていた。

 今の話の代価がミートボールなら安いものだ。

 先程よりも心が晴れて明るくなった気がする。

 さて、先程から思っていたことを問うてみようかと思う。先生の喋り方に少し違和感を覚えたのだ。

「突然ですけど先生、今まで僕をお前と呼んでいたのに何故今日は貴方と呼ぶんですか?」

「あ、バレたか。まあ別に深い意味は無いのよ……えっとこの前何だけど高校時代の仲間で同窓会を開いたのよ。で、そこで当時片思いをしていた人と話しているときに……案外子供っぽいところがあるんだな君は、意外だよって言われてさ、何だか恥ずかしくなってさ……」

「……だから僕を試しに貴方って呼んで大人っぽさを出そうとしたんですか?」

「まあその……正解」

 恥ずかしげに頬を赤らめて言っている先生は何だか可愛らしい。

 何だか親しみやすさが倍増していくみたいだ。

「な、何をニヤついているのよ! 早くご飯食べちゃいなさいよ!」

 いつも的確なアドバイスをくれる先生の意外な一面を見れて満足だ。

 この後仕事が終わるまで少し不機嫌だったが最後は謝って何とか許して貰えたのだった。

「あ、そうそう日曜日何だけど白原暇?」

 仕事を終えた夕方頃に突然先生がそう訊いて来たのだがあいにく日曜日は約束がある。

 それを伝えて何故そんなことを言って来たのか。

「ん~そっか用事があったか……まあちょっと休日出勤を頼もうと思ったが……まあ良いわ、日曜日はわたし一人でも大丈夫だから……ちなみにその日は何があるの?」

「ちょっと約束を果たしに行きます。一緒に行くと約束しましたので」

「ふ~ん、まあプライベートなことって訳ね? まあ楽しんできなさい、仕事のことは気にしなくて良いから……じゃあね、また明日」

 挨拶を済ませて事務所を後にした。

 日曜日は約束がある、それは夢ちゃんと出掛けるのだが彼女が前に行ってみたい場所があると言っていた、だからそこに行く。

 その場所はかつて目の前にして行けなかった場所……。

 愛車を走らせて安全運転で事故もなく親しみ慣れたアパートへ帰って来られた、車から降りるとアパートの前をほうきで掃除する大家さんに遭遇する。

 挨拶程度に言葉を交わして自室がある二階へ、ドアノブに鍵を入れ回す。が、何故か鍵が掛かった。

「あれ?」

 鍵が掛かったと言うことは今まで開いていた? まさか鍵の閉め忘れ? 何て物騒な、事件が片付いて気が抜けただろうか。いけないいけない、気を引き締めないと。

 もう一度鍵を回しロックを解除してようやく我が家へ。

 そして僕の思考がかっちんこっちんに固まる。

「あ、お兄ちゃんお帰りーー」

「……はい、ただいま帰りました……」

 何故お隣さんである桜井鏡ちゃんが僕の部屋に居るのだろうか?

「ん? どうかしたのお兄ちゃん、固まっちゃって」

「か、鏡ちゃん、何て格好をしているんですか!」

 バスタオル一枚、それが鏡ちゃんの着て、もとい、巻いている唯一のもの。

 しかもどう見てもお風呂上がりな姿で髪もまだ濡れていた。

「格好? ……あ、シャワー借りたよ!」

「ああ何だシャワーを借りたがらそんな格好をしているんですね、納得……出来る訳ないでしょう!」

「ん~、お兄ちゃん乗り突っ込み下手だなぁ」

 別に乗り突っ込みのスキルが絶望なまでに低かったとしてもどうと言うことはない。

 軽く傷付いて何か無い、本当に無い。……本当だよ?

「鏡ちゃん、何で僕の部屋でシャワーを浴びてバスタオル一枚なのか説明して下さい」

「えっとね、今日は部活が早く終わって早めに帰って来て、汗を流したかったからシャワーを使おうとしたら何か水しか出なくなってて壊れてたみたいなの。なのでお兄ちゃんの部屋のシャワーを借りました。アーユーオーケー?」

「あの、何で勝手に部屋に入るかの根本的な説明がないんですけど」

「だってお兄ちゃんまだ帰って来て無かったし、ドア開いてたし、良いじゃんお隣さんなんだし、それにわたし達ってそう言う仲でしょ!」

「どんな仲ですか!」

 まあ戸締まりをきちんとしなかった僕も悪いけど。

 何だか毎回鏡ちゃんは忍び込んでくるな、将来どんな大人になることやら。

「お兄ちゃん」

「何ですか?」

「お腹減った」

「……僕に何か作れと言いたいんですか?」

 と訊ねると満面の笑顔で頭を縦に振る。もしかしたら鏡は将来大物に成れるかも知れない程に遠慮が微塵も感じられない。

 でも良いかなそんなことは、お腹が減るって大変なことだ、小さい頃ご飯を作って貰えずに空腹で辛かったから。

「……仕方ないですね、大したものは作れませんよ?」

「うん何でも良いよ! どんなに不味くても食べてあげるから!」

「失礼ですね、これでも普通の味位は作れますよ……もしかして水面さんは今日遅いんですか?」

「お姉ちゃん? だったら今後ろにいるよ?」

 後ろ?

 疑問を持ったまま後ろへ振り向くと桜井姉妹の姉、桜井水面さんが玄関に佇んでいた。ああそうか扉を閉め忘れていたな、そりゃあ鏡ちゃんの姿が見えれば入ってくるか。

 ん? 鏡ちゃんの姿?

 バスタオル一枚だけ。

 あれ、嫌な予感が。

「し、白原さん、これはどういうことか説明して下さい! 何で白原さんの部屋で鏡がシャワー後のバスタオル一枚姿なのかを!」

「落ち着いて下さい、実は……」

「お姉ちゃん、わたしが頼んだんだよ」

 あれ、珍しく自分から説明しだしたぞ?

「わたしをね、女にしてって……」

「ま、まさか鏡、貴女……」

「ごめんねお姉ちゃん、お姉ちゃんよりも早く女になっちゃった、お兄ちゃんたらテクニシャンだったよ?」

 なる程、これはお約束となる訳か。いやいや相変わらず質の悪い冗談を言う。

 何かこの状況に慣れました。

「白原さん、中学生がお好みだったんですか?」

「あのですね水面さん、これは鏡ちゃんのいたず……」

「年上のお姉さんはやっぱり魅力が無いんですか! わたしはいつでもOKだったのに!」

 はい?

「えっと……水面さん?」

「白原さんは酷い人ですね、わたしの心を弄んで何が楽しいんですか!」

「まさかお兄ちゃん、お姉ちゃんに言い寄ってたんじゃないの!」

「もう嫌! わたしはおもちゃじゃ無いんですよ! 責任取って下さい!」

 何故だろう、今日は冷静でいられるのは。これは成長とでも言うのか。これは桜井姉妹が共闘した悪戯であるのは明白、修羅場ではない。

「鏡ちゃん、そろそろ着替えないと風邪引きますよ? 水面さん、夕飯の買い物は済ませましたか、もう直ぐ割り引きタイムですよ?」

「あらいけない、遊んでないで夕方の割り引きタイムに行かなきゃ」

「ちぇ、お兄ちゃんが冷静過ぎてつまんない……くしゅん!」

「ほら鏡、服を着なさい」

 大騒動にならなくて良かった良かった。何度も悪戯されて来たが冷静に対処すれば問題無かったんじゃないか。

 全く僕はどうかしていたんだ。水面さんは急いで自分の部屋へ走り去った後、鏡ちゃんが悪足掻きを始める。

「お兄ちゃん、バスタオルの中見たくない?」

「いえ、全然見たくありませんけど?」

「何だよーー、お兄ちゃん乗りが悪くなったね、じゃあお姉ちゃんの服の中は見たいんじゃない? お姉ちゃんね、すっごくスタイルが良いんだよ!」

「それは本当か!」

 第三者の声が響き渡る。

 何故こいつがここにいるのかと呆れる、多分水面さんが目当てで来たのだろう。

 親友竹崎龍士、玄関からお構い無しに堂々と入って来たのだった。

「邪魔するぞ白原十夜」

「龍士、何でここに貴方がいるんですか?」

「愚問だな、今日は白原十夜に会いに来たのではない。我が思い人がここの隣にいる、ならばそれが理由なのだ。俺はその理由に誘われた旅人なのだ」

「うわ、また眼鏡だ、何でここに眼鏡が来てるの?」

 嫌われているな龍士は、まあ自業自得でもある訳だが。

 実は龍士が水面さん目当てにここに頻繁に訪れているのだ、今日を入れて4日、さすがに鏡ちゃんも露骨に嫌そうな顔をしていた。

「何だその顔は、ロリ中学生よ俺とロリ中学生との仲ではないか、そんな嫌そうな顔とは決別すべきだ」

「わたしと眼鏡の仲って何! 変なことを言わないでよ!」

 あれデジャヴ? さっきと似たような展開だ。

「兎に角話を戻すぞ? 桜井水面さんが脱いだらスタイルが良いとは本当かロリ中学生!」

「……お兄ちゃん、金属バット持ってない? 眼鏡を殴りたくなっちゃった」

「鏡ちゃん、こんな奴でも一応友人ですので勘弁してやって下さい。まあ殴りたい気持ちは分かりますけど」

「白原十夜! お前は見方なのか敵なのかはっきりとして貰いたい! それにロリ中学生! 桜井水面さんのスタイルの良さを俺に伝えるのだ!」

 龍士の嘆きに似た叫びは失言だった、しかし本人は気が付いていない。

 何故なら真後ろに水面さんが立っていたのだから。

 鏡ちゃんが眼鏡後ろ後ろと伝えると龍士の顔が青に変色する。

「ち、違う、違います水面さん、俺が言ったことは……」

 水面さんは清々しく満面の笑みを浮かべ嬉しそうにこう呟く。

「竹崎さん、貴方は何で生きてるんですか?」

 大ダメージ、しかしそれでは終わらない。

「竹崎さん、ぶっちゃけ……無理です、生理的に。なので息をしないで下さいね?」

 これはきつい。龍士は真っ白になってしまった、ご愁傷様。

「……やり過ぎちゃったかな? 眼鏡が再起不能っぽくなっちゃったよ……くしゅん!」

「鏡、まだ着替えてなかったの? 早く着替えなさい」

「う~そうする」

 脱衣場へ小走りで駆け込んでいく鏡ちゃんは本当に寒そうにしていたが自業自得なのだろうこちらも。

 水面さんは慌てていたのを思い出す。

「じゃあわたしはこれで失礼しますね?」

「はい、行ってらっしゃい」

「ふふっ、行って来ます」

 スーパーへ水面さんが向かう、はてさて龍士と水面さんはこれから上手く行くのかは分からない。

 当の龍士は再起不能になって玄関のところで倒れていて、泣いている。今のところは何とも言えない。

「うう、体が冷えちゃったかも……」

「鏡ちゃんが早く着替えていれば良かったんですよ」

「お兄ちゃんが冷たい……でも優しいもんねお兄ちゃんは、そんな訳で温まる飲み物を要求するよ! わたしはもう一枚服を着て来るから!」

 問って隣へ駆けていく。その時、

「げふっ!」

 横たわる龍士を遠慮無しに踏みつけていた。やっぱりこの姉妹は似ていて仲良しだ。

 龍士の扱い方に優しさを添えてくれることを望む。

 変わらない日常は微笑ましくて心を和ませてくれる。

 九十九先生は僕の本質は人との繋がりと言ってくれた、だからこんなに楽しい日常は本懐だと信じてみることにしたんだ。

 そして僕の彼女鮎原夢、彼女が支えであり支えたいと願った人。

 これも繋がり、みんなよりも少し特別な繋がり。

 きっとこれからの人生を照らす光であると信じている。

 誰よりも何よりも。





 それから時がちょっと進んで日曜日、僕はかれんちゃんが経営する喫茶店『ママンの胸』で待ち人を待っている。

 今日は彼女が行きたかった場所へ二人で行く。

 数分かれんちゃんと話していると彼女が現れた。もちろん鮎原夢である。

 以前よりも明るい笑顔で僕を照らしてくれる、だから僕も笑顔で返す。

「お待たせ十夜、待ったかな?」

「いえ、今来たところです」

「いらっしゃい鮎原ちゃん、元気そうね」

「かれんちゃんさんもお元気そうですね」

「まあね、若い子が目の前にいると発じょ……じゃなくて元気が湧いて来るのよ!」

 何やら危ない発言が飛び出そうとしていたが気にしたら駄目な気がする。聞かなかったことにしておこう。その方が多分安全だ。

「あ、ごめんね十夜、約束の時間がちょっと過ぎちゃったね」

「大丈夫ですよ五分くらいどうと言うことは無いですから」

「……じゃあ遅れてたお詫びね?」

 と言うと僕に近付いて唇を重ねる。現在店内には他のお客さんもいるので注目を集めて羞恥が湧き上がる。

 しかしこうして彼女とキスすると言うことはいつもの日常が帰って来た証拠でもあって、このキスが嬉しい。

 そして愛おしそうに唇は離れた。

「ぷはぁ! ごちそうさまでした」

「まあいやだ、見せつけちゃって……十夜ちゃん、どうデザートにワタシの唇を奪ってみない?」

「……すいません、遠慮します」

「残念ね~……でも二人とも元気そうで良かったわ。鮎原ちゃん、これからも十夜ちゃんをよろしくね」

 高校時代から何かとお世話になったかれんちゃんは多分親のような感情が芽生えていたのかも知れない。

 それに僕を支えてくれた一人でもあるから。そんなかれんちゃんに夢ちゃんはにこやかに返事をした。

「はい!」

 するとかれんちゃんの表情が軟らかくなる。

 そして僕らはかれんちゃんと他愛ない話をし、しばらくしてから喫茶店を後に。

 天候は穏やかであり若干肌寒いが晴天だった。

 今日は車は使わずに電車でとある場所へと向かうことにした、まあその最近運動不足気味かなと肉体に活を入れようとした訳だ。

 それに夢ちゃんも乗っかってくれて二人で徒歩となっている。

「天気が良くて良かったよ」

「そうですね、お出掛け日和とでも言うんでしょうか」

「私は雨でも平気、だって十夜が居てくれるから……あ、私今良いこと言ったかな?」

「良いことと言うより恥ずかしいことの方がしっくり来ます」

「む~、やっぱり恥ずかしいセリフだったんだ……でも本当のことだから別に良いもんね!」

 腕を組みこの幸せを噛み締めながら歩いていく。

「あ、そうだ。十夜に訊きたいことがあるんだけど」

「訊きたいことって何ですか?」

「えっとさ、あの事件の時車の中で私に何かを言い掛けていたよね? 何を言いたかったの?」

 永久の誓いとでも言おうか、鮎原夢と一緒に人生を歩いていきたい。

 そう、求婚の言葉を言おうとして邪魔が入ったんだ。

 さてどうしたものか、求婚とは大切なものであり、やはりそれを言うに相応しい場所で伝えるべきだと思うが。

 それはどこでするのかは追々考えておこう。

「……その内伝えます。今は内緒です」

「気になるよそれじゃあ、十夜は何を隠しているの?」

「さあ、何でしょうか」

「もう惚けて……でも私は十夜を信じるって決めているから……言ってくれるまで待ってるよ」

 微笑む彼女、それは何よりも神々しく思えた。

 そして目的地に辿り着いた。そこはかつて幼き日に目の前にして行けなかった場所、悲しい記憶が根尽く場所。

 そこは動物園。小さい頃の夢ちゃんがお母さんに連れられてお兄ちゃんと一緒に行った。

 でも不幸が起きて結局行けなかった場所だ。

「お母さんといた最後の楽しい思い出と悲しい記憶の二つがここにあるんだ……あれから何度かここに来ようとしたけど……来れなかった……。

 不幸だった時私はこの先にある動物園へ行くことが出来れば不幸は終わるって信じていた、でもその一歩を踏み出せずにただ立ちすくんでいるんだよ。

 まるで幼い日の私がずっとここに捕らわれている、そんな感覚……やっぱり一人じゃ怖かった、本来は楽しい場所なのに怖い場所に思えて……足が動かない。

 でも、でもね? 十夜がいてくれるなら私はその一歩を踏み出せる、そんな気がするの……だからお願い……私の手を握って、力一杯強く握り締めて、そうしたらきっと歩き出せると思うから」

 ここは夢ちゃんのお母さんが亡くなった場所だ、つまり最大のトラウマを生み出している。

 母の死が幼い夢ちゃんには強烈過ぎてこの場所を無意識の内に恐れた。

 でも彼女は言う、僕と一緒ならば行ける気がすると。

 これは試練なのかも知れない。これから夢ちゃんが強く生きていくための試練。そして僕が夢ちゃんの支えとしての資格があるのかの試練。

「……ずっと手を握っています。今僕に出来ることはそれだけですから」

「ううん、手を握ってくれるだけで私は力が湧くの、温かくて私を包み込んでくれるような温かみ。十夜じゃないとそんな力は出ない」

 強い意思を帯びる瞳は僕を見つめ、求めている。

 ならば僕も見つめ返し彼女の力となろう。

 強く強く握り締める手と手、華奢な手は今にも崩れてしまいそうな程に震えて恐怖に耐えていた。

 崩れないように、意志を枯渇させないように、ぎゅっと握る。

 それを合図に一歩踏み出す。

 少しずつだが確実に近付いていく、だけどその度に震えが激しさを増して顔色を青ざめさせた。

 僕に出来ることは手を力強く握り締めることだけだ、これは夢ちゃん自身で解決しなければならないものだ。

 だから僕は補助みたいなもの。

 自身の葛藤、恐怖との対面、今彼女を襲うものの正体。

 挫けてしまいそうな泥沼を掻き分けて行くような感覚、でも彼女の瞳は強い光を帯びていた。

 大丈夫、きっと大丈夫。

 空は晴天に恵まれ光を降らせている、風は肌寒いが確かな温かみを感じる。

 それが力となってくれたらどれだけ嬉しいか。

 ねっとりとした時間は感覚を麻痺させるのかどれ程の時が経過したのか。

 僕がこうならば彼女の体感時間は更に酷いのかも知れない。

「十夜……」

 弱々しく僕の名を口にする。それは何を示しているのか。

 自分に負けそうなのか酷く弱々しくて崩れてしまいそうな表情、でも僕は背中を押す。

「大丈夫、半分まで来れたんですよ? 大丈夫です、夢ちゃんなら出来ます」

 力強く握り締める手、一人じゃないと伝える。

 それに呼応するように彼女が一歩、また一歩と歩み始めた。

 苦痛を乗り越えた先には絶景が待っている、全ての疲れを忘れさせそれに魅入る。九十九先生が登山をして話してくれた感想だ。

 その絶景とはやはり苦難を乗り越えた者にしか見ることの出来ない世界なのだろう。

 ならば、今どのように見えているのだろう彼女は?

 動物園の入口を突破した、彼女の眼にはどんな絶景が見えているのか。

 もうそこに不安なんてものは無く、ただただ清々しかった。

「十夜……私……幸せになれるかな?」

「なれます。絶対です」

「……うん、うん……」

 一筋の涙が落ちて行く、これまでの不幸と一緒に。

 何故かそう思えた。

「……ねえ十夜、好きな動物はいる?」

「好きな動物ですか……そうですね、ペンギンが好きです」

「ペンギンは水族館だよ?」

「そ、そうでしたね、あははは」

 他愛ない会話に幸せを感じた、彼女は瞳を潤ませながら行こうと僕の手を引く。

 凍り付いていた幼き日の夢ちゃんを追いかけるように彼女は歩き出す。

 そこに悲観はない。あるのは笑顔とキスだけ。

 羞恥を倍増させるような人前のキスを彼女がして来る。

 キス魔な彼女は気持ちをキスに乗せて伝えてくれた。

 これから本当の彼女を探す旅が始まる、当然僕もそれを手伝うと決めている。

 この花のように可憐で太陽のように輝く笑顔を見ていると旅は直ぐに終わるような気がするよ。

「十夜……ありがとう」

「どうしたんですか突然?」

「十夜がいてくれたから今がある、だから……ありがとう」

「僕だって夢ちゃんがいてくれたから今の僕でいられるんですよ、だからこちらこそありがとうございます」

 交わし合う感謝を絆として僕らはまた強く手を握りしめた。

「十夜、目を瞑って……?」

 新たな道を歩み始めた、きっとそこは笑顔で溢れていると信じて。

 今は夢ちゃんのキスの感触が全てだ。

 キス魔な彼女の本当は何なのか、このキスが教えてくれた気がした……。






 おわり

 『キス魔な彼女の本当は?』をお読み下さりまして誠にありがとうございます。

 この作品は他サイトで公開していたものに多少の修正をしたものです。

 毎回性格と髪型と喋り方を変える女の子がいたら面白いんじゃないのかと思い付き、これをラブコメにしようと思い立ちました。

 ですが現実にはそんな人に会ったことはありません。

 居る筈がないと言われると言い返せないのが現状です。

 安易に考えた設定だった為に悩みました。そんな変わった女の子は見たことがない、だから逆にそういう女の子にするにはどうすれば良いのかと考え始めました。

 それが鮎原夢を構築する最初だった訳です。

 世間一般的に言われる二重人格は幼い頃に虐待や精神的なダメージを受けると子供は精神的な苦痛から逃げるために、それは自分にではなく他の誰かに行われているとしてもう一人の自分を作り出してしまう場合があるらしいです。

 それをヒントに鮎原夢が生まれました。

 やはり過去の話を書くのはいたたまれない気持ちになりました。ですので最後は絶対に幸せにしたかった、なのでハッピーエンドを迎えられて彼女におめでとうとごめんなさいとの言葉を贈りたいです。



 次に白原十夜のことについて。彼もまた幼き日に親から虐待を受けて育った心の優しい子でした。

 両親の無惨な姿に心を閉ざして笑顔を忘れてしまう悲しい生い立ち。

 第二のコンセプトとして互いに傷を持つ者同士のカップルを考えた為にそんな生い立ちにしました。

 ラブコメにはヘビーな内容なのでどうしたらいいのか迷いました。

 なのでラブコメを前半に、シリアスを後半に分けることにしました。

 なので前半ははっちゃけました、物凄くはっちゃけました。

 やり過ぎたかなとちょっと反省してます。でも書いてて楽しかったから良かったです。

 不幸な設定だったからやはり彼にも言葉を贈るならおめでとうとごめんなさいを伝えたいです。



 さてさてちょっとした裏話、実は元々桜井姉妹は連載開始時にはまだ考えていませんでした。

 ちょっとした思い付きで登場させたら……お気に入りキャラになってました。

 こんなお隣さんが居るわけ無いだろ! と自身にツッコミながら書いてましたが、十夜の過去や夢の恨みなどで姉妹の話が話に深みを出したと思っています。

 最後には結構重要な位置付けになり、結果として思い付きも悪くないかなとか何とか……。



 と、長くなってしまいましたが最後に私が尊敬するある方の言葉で、周りの環境が人を作ると言ってました。

 口が悪い人とか意地悪な人とか一面だけをみると嫌な人としか考えられないですが、その人がどうしてそんな人間になってしまったのかを考えるのもいいかもしれません。


 そんな意味もキス魔な彼女の本当は? に加えたテーマでした。


 では最後にもう一度ここまで読んでくれた方々に感謝の言葉を。


 ありがとうございました。


 機会あればまた会いましょう。



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