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『鮎原家の人々』

 

 姉妹の事件から一週間近く経過した、叔母からの仕打ちを受けて全身に痣が出来ていたと水面さんが教えてくれた。

 やはり爪痕は深い、鏡ちゃんは笑顔でこんなのは直ぐ治るよと言う姿に強さを感じてしまう。その笑顔が唯一の救いだったと思う。目に見える傷は癒えるが見えない傷は根を深く這わす。

 でも、きっと、姉妹が仲良く暮らして行く内に徐々にだが傷は癒えると信じている。

 それに以前にも増して姉妹は絆を強めているのだ。

『鏡! わたしのプリンまた勝手に食べやがりましたね!』

『何よプリンの一つや二つや三つ! ケチケチしないの!』

『三つ!? 三つも食べたの! もう鏡のお馬鹿さんーー!』

 薄い壁越しに聞こえるこれは幻聴か? またドタンバタンと物が飛び交う音が吠える。

 まあ喧嘩する程仲が良い、と言うことだろう。多分。

「ふふっ、相変わらず賑やかですねお隣りさんは、やっぱりあんな姿があの姉妹らしいですね十夜?」

 綺麗なストレートヘアを持つ彼女鮎原夢がほのぼのとお隣りさんの騒動を聞きながら笑みをこぼしていた。

 確かにあの醜悪姉妹はああしている方がそれらしい。震える鏡ちゃんや怒り狂う水面さんはもうお目にかかりたくは無い。

「えっと話の途中でしたね夢ちゃん、それで話とは何ですか?」

「実は家族が十夜を夕飯にご招待したいらしくて来ていただけませんか?」

「夕飯をですか……」

 夢ちゃんの家族には一度だけ会ったな、結構前だったから久し振りに対面するのか。

 やはり一応僕は夢ちゃんの彼氏なのでちゃんと挨拶はしないと行けないよな。

「分かりました、ならご相伴にあずかりましょうか」

「本当ですか? じゃあ私のお家に十夜をご招待です! えい!」

 突撃して来た夢ちゃんに倒されて唇が重なり合う。いやいや、いつものようにキスだ。嬉しいような久し振りなような妙な感覚を覚えるが、後頭部が悲鳴を上げる。

 擦りながらこれも幸せかな? 何てまたまた妙なことを思うのだった。

 まあとにかく善は急げと言うから今から出発しようかと夢ちゃんと意見が同意し出発することに。

 現在午後一時で外は晴れ、出掛けるには良い天候である。玄関を開け放つと丁度逃げ惑う妹とそれを追う姉に出くわしてしまう。

 いやいや、ツイてないようだ。

「あ! お兄ちゃん助けて! へるぷ~!」

「待ちなさい鏡! わたしのプリンを返しやがれです!」

「ふーんだ、もうお腹の中だよ~だ!」

 これに巻き込まれたらかなりのロスタイムとなるのは明白、だから強行手段に打って出る。

「こんにちは二人共、良い天気ですね、じゃあ僕らは急いでますのでそれじゃ!」

「あぅ! と、十夜、いきなり腕を引っ張っちゃ……あぅ~! 十夜のおまおまおませさん~!」

 素早く夢ちゃんの腕を掴みダッシュ。去らば姉妹よ。

「あ! お兄ちゃんが逃げた! 裏切り者~!」

「あらあらまあまあ、白原さんったら照れ屋さんね! じゃないわ、鏡! 天誅!」

「ひぃ~!」

 悲鳴が聞こえたのは気の所為だと自身の中で勝手にそう処理した、日常茶飯事なので大丈夫だろう。多分。

 夢ちゃんの家はけっこう近く歩いて二十分足らずだ。健康と節約を兼ねて徒歩でそこへと向かうことにしていた。

 さてとこれからお邪魔するのだから手ぶらじゃ失礼かな。

「夢ちゃんちょっと寄り道良いですか?」

「寄り道ですか?」

「うん、ちょっとお菓子を買っていこうかと。手ぶらじゃ失礼かなって思いまして」

「そんな大丈夫ですよ気を遣わなくても……」

 そうはいかない、一応これもマナーみたいなものだ。

 茶菓子の一つくらいは持参した方が良いだろう、夕ご飯をご馳走になるのだから。

「茶菓子を買うつもりですからそんなに高い買い物ではありませんよ。そうしないと僕の気が治まらないんですよ」

「そうですか、だったら私は止めないです。あ、ちなみに家族全員甘い物好きです!」

 ならばお菓子だな、そんな訳で途中ケーキ屋へとより色々な種類の洋菓子を購入。

 さてと、改めて出発だ。

 辿り着いた場所は住宅街の一角で屋根と壁が真っ白に染まる二階建ての家が一軒だけ目立っていた。レンガを模した白壁が特徴的なここが鮎原家である。

 アルミらしきプレートに横文字で『鮎原』と少し近代的な表札が掲げられている。塀も白で清潔感を思わせるが良く観察するとやや黄ばみ掛かっているのを発見したがそれでも綺麗だと思える家だ。

「いつ見ても綺麗なお家ですね」

「ありがとうございます。ではどうぞ我が家へ」

 彼女に招かれた鮎原家へと踏み入って行く。

 玄関を開け放ちただいまと夢ちゃんが恒例の帰宅挨拶を。

「おっかえり~! お、その人が噂の夢の彼氏?」

 栗色のショートヘアをした女性が出迎えてくれた、身長が高く足が長い。口の右下にホクロがあり、高い鼻、鋭い目を輝かせる美人が笑みを。

「もう椿(つばき)姉ったら十夜に失礼ですよ」

「あははは悪い悪い……」

「えっと紹介しますね十夜、この人は……」

「あ~待て待て、自己紹介はわたしっが自らするわ。おほん、あ~わたしっは鮎原椿(あゆはらつばき)、年齢は乙女の秘密で趣味もまたまた乙女の秘密、まあ多才な才能を持っているかのような感じだけどそこらへんは普通って認識して貰っても構わないだろうな! まあそんな訳でよろしくね!」

 うむ、名前しか分からない自己紹介である。長く話したのに何て中身がスカスカな。おっと、失礼なことを思ってしまった。

 まあ多分夢ちゃんが椿姉と呼んでいたのを察するとお姉さんだろうか? でも兄妹はお兄さんしかいないと言ってたような。

「えっと……初めまして白原十夜と申します、これからよろしくお願いします」

「礼儀正しいわね、気に入ったわ。どう? 夢から乗り換えてわたしっと結婚しない?」

「椿姉! 何を言ってるんですか! それに言うに事欠いてしれっと結婚何て飛躍し過ぎです! 私怒りますよ!」

「何よそんなに怒らなくても良いじゃん。冗談じゃないよ~」

 ぎゃあぎゃあと口喧嘩を始めてしまう二人、取り残された僕はどうしたらいいのか。

 取りあえず割って入って話を正常化させるように努めてみるか。

「口論中すいませんが椿さんは夢ちゃんのお姉さんですか?」

「あ~違う違う、夢はわたしっの娘!」

「あ、何だそうで……え?」

 む、娘って椿さんはどう見ても二十代後半から三十代前半くらいに見えるのだが?

「わたしっが小学校の時に産んだ子よ」

「ええ! し、小学校!」

「十夜落ち着いて下さい! これ全部嘘です! もうまた人をからかって遊んで! ダメでしょう!」

「ごめんごめん、だって十夜くんの反応が面白くて面白くてついつい悪乗りしちゃったわ」

 なんだ嘘か、どうも椿さんは悪戯癖があるらしい。

 一瞬醜悪姉妹が脳裏を過ぎり『くひひ』とあざ笑うのだった。

 ううっ、寒気が。

「あぅ、これでは全然話が進みません! 改めて紹介します、椿姉は私の叔母さんなんです!」

「ちょっとちょっと! 叔母さんなんて呼ぶなって言ってるじゃん! わたしっは美人で美人なお姉さんと紹介しなさい! あ~世話が焼けるわ」

「お母さんの妹です……一応姉代わりでお世話になってるんですよ」

 夢ちゃんのお母さんの妹か、それなら多少若くても問題無いか。それにしてもテンション高い人だな椿さんは。

「あ~とにかくだな、玄関でペチャクチャ喋って無いで上がりなさいよ」

「椿姉が妙なことを言うのが悪いんです! あ、どうぞ十夜上がって下さい」

「お邪魔します」

 家へとようやく上がり案内される、廊下を進み突き当たりを左に行くと庭が見えて来た。そこにはレンガで造られた花壇があり、色とりどりの花が根付かせて生き生きとしている。

「あれはおばあちゃんが育てている花です。おばあちゃんの趣味みたいなものでガーデニングですよ」

「へぇ、凄く綺麗で見ていると和みますね」

「母さんは花とか育てんの好きだかんね~」

 母さん? ああそうか夢ちゃんのママの妹なら椿さんにとっておばあちゃんは母親じゃないか。

 それにしてもおばあちゃんか、そう言えばじいちゃん元気にしているかな? 最近電話して無かったから。今日の夜くらいにじいちゃんに電話をしておこうかな、久し振りに。

 花観賞を程無く終えて案内された場所は和室だった、そこにはもう誰かが座布団に座っているのが見えた。黒髪を後ろで束ねている方だ、目が細くてあり優しそうな印象を受ける婦人がニッコリと笑いながら僕らを一瞥する。

 この人が夢ちゃんのおばあちゃんか。

「おばあちゃん、私の彼氏を連れて来ましたよ」

「お帰り夢、ほほ、可愛い子が来たね~」

「初めまして、白原十夜と申します」

「はい、初めまして。祖母の幸子(さちこ)です……それにしても本当に可愛い子じゃないか夢、ほら立ってないで座りなさいな~」

 印象も優しそうだったがどうやら本当に優しい方らしい。座布団に座ると椿さんがお茶と和菓子を持って来てくれた。

 お菓子、そうだ僕が買って来たのを渡そうか。

「あの、これ詰まらない物ですが……」

「あらやだ、そんな気を使って下さらなくても良かったんですよ?」

「いえいえ、今晩ご馳走になるのでこれは早いお返しですよ。遠慮せずに受け取って下さい、おいしいって評判のケーキです」

「じゃあお言葉に甘えますわね? せっかくですから今頂きましょう……椿、お皿とフォークを持って来てくれないかい?」

 持参したケーキはみんなで食べながら他愛ない話に花を咲かしてゆく、やはり質問が会話の大半を占めていた。

 夢ちゃんの何処が気に入ったのかとか仕事のこととか色々と質問に答えて行くのだったが話が椿さんの話題に切り替わる。

「もうこの子も良い歳なのに結婚のけの字も見せないんですよ~?」

「ちょ、母さん何言ってんのよ! わたしっに釣り合う男が居ないだけだってば!」

「その言い訳もう何年も聞いて耳にたこが出来たわ、もう直ぐ40になるのに情けないわ~」

「わたしっはまだ35よ! 娘の年くらい覚えておいてよ! もう……ねぇ十夜きゅ~ん、やっぱり夢をぽいっと捨ててわたしっに乗り換えない? こう見えても料理家事洗濯はお手の物、貴方の体から心まで癒して、あ、げ、る! さあ、はんまーぷらいす!」

 全力で却下させて頂きます、との言葉を叩き付けてやると幸子さんが爆笑。夢ちゃんは椿さんに怒りをぶつけている。いやいや、楽しい人達だな。

 夢ちゃんと椿さん、それから幸子さんの三人がこの家に住んでいる。前に夢ちゃんから家族のことを聞かせて貰った時に教えて貰ったが夢ちゃんのお母さんは亡くなっているらしい。

 詳しくは知らないが交通事故が原因らしいが。

 お父さんのことは教えてはくれなかった。理由は分からない。でも彼女は語りたくはないとの意思を示してる手前それ以上の追及はしない。

 両親がいない、か。

「十夜、夜まで私の部屋に行ってましょうよ!」

「夢、彼氏と二人きりだからってやらしいことすんなよ?」

「し、しません! 椿姉とは違いますから! もう、早く行きましょうです十夜!」

 と強引に手を引かれ夢ちゃんの部屋へと向かう。

 あそうか、夢ちゃんの部屋に初めて入るんだ。

 手を引かれ二階へと案内されて更に奥へと足を運ぶと彼女の部屋がようやく姿を表す。夢ちゃんの部屋か、いやいや実際楽しみで仕方が無い。胸を弾ませながら扉が開くのを今か今かと待ち侘びる。

「ここが私の部屋です……えっとあんまりジロジロと見ないで下さいね? 恥ずかしいですから」

「はい、分かりました努力します」

 と言ったが実際はジロジロと食い入るように見てやろうとの算段を計画していた。しょうがない男である僕は。やっぱり女の子の部屋と聞いたらそわそわしてしまうのは男の常だろう。

「では……どうぞ」

 こうして部屋への扉が開放されて行く。そこに広がっていたのは清潔感漂う空間だった。

 先ず目に入ったのは白いレースのカーテン、次は部屋の右側に青色のベッド。枕元に可愛らしいくまのぬいぐるみが一体ぽつんとそこにいた。

 側には本棚があり、映画のDVDが並べられている、左側にはテレビがあってゲーム機が見えた。その隣りには勉強机が。

 けっこうシンプルな造りで壁は白壁のまま綺麗である。

 ここが夢ちゃんの部屋か。

「あぅ、十夜の嘘つきさん! ジロジロ見てやがります! ……あんまり女の子らしい部屋じゃないですよね?」

「女の子の部屋は多分人生で初めて見たと思うけどここは清潔感があって綺麗な部屋ですよ。シンプルなのがまた居心地が良いんでしょうね……僕は好きですよ夢ちゃんの部屋」

「そ、そうですか? それなら……嬉しいです」

 床は薄いピンクのカーペットが敷かれクッションが置かれているのを見ると床に座れるようにしているらしい。部屋の奥に白いタンスがあり、あそこに衣服をしまっているのか。と言うことは下着も……。

 て、何を考えているんだ僕は! このすけすけすけべ野郎!

 久し振りに頭の中で穴を掘って叫ぶ、恥ずかしくて。

「とにかく座りませんか? あ、私飲み物持って来ますね? 適当に寛いでて下さい!」

 夢ちゃんは慌てて一階へと向かうのだった。

 多少だが暇になってしまった、なので部屋を見て回ることに。ベッドの上に置かれたくまのぬいぐるみはかなり古いようで胸元の青いリボンの色が薄くなっている。

 多分小さい頃から大事にしているのだろう。古い割りには綺麗な毛並みである、ちゃんと洗って大切にしているんだろうな。

 本棚を眺め勉強机の上も目を通す。整理整頓されていて綺麗だ。

「ん?」

 不意にとある物が足元に転がっているのを目撃する、布っぽいが一体これは何だ? ハンカチか何かだろうかと拾って広げると僕の思考が固まってしまう。

 純白なるパンツだ。夢ちゃんの下着が落ちていたらしい、それを知らずに拾っちゃったんだ。

 どうしよう、これは多分洗濯物をタンスに入れようとした時に落としたのだろう。て、何冷静に状況分析をしてるんだ、夢ちゃんの下着を僕は手に取ってしまったんだぞ!

「ど、どうしましょうか……」

 と、動揺している時に限って夢ちゃんの帰りは早い。

 扉が開き夢ちゃんが帰還。

「お待たせしました十夜!」

 咄嗟に背中の後ろに手を回し下着を一時隠す。

 こんなのを持っているところなんか見られたら変態確定だ。

「あぅ? 十夜、今何か隠しませんでしたか?」

「な、何も隠してないですよ、あははは……そ、それより喉が渇きましたね」

「あ、じゃあ丁度良かったです、オレンジジュースですけど飲みますか?」

「はい、喜んで!」

 彼女が視線を手元のジュースに移した時に元の地面に落とそうとしたが、また彼女の視線が僕に向く。その焦りが咄嗟にズボンの後ろポケットに下着を擦り込ませてしまう。

 て、ポケットに入れてどうするんだ僕は!

「十夜? 何だか顔色が悪いですよ?」

「気の所為です! そ、それではジュースをご馳走になりましょうか!」

 まあ部屋を出る時にでもさり気なく下着を落として行こう。

 バレませんようにと祈るばかりだ。クッションを差し出されてそれに胡座をかきジュースを一口。ズボンのポケットにある下着が気になって正直味が分からない。

 心臓がバクバクと暴れている小心者な僕がここにいる。

「そうだ! 十夜、ご飯まで時間が有り余っていますので映画を見ませんか? 丁度面白そうなのをレンタル屋さんから借りて来たんです」

「い、良いですね、見ましょうか……」

 この状態で話をまともに出来るか不安だったが映画を見るなら動揺もバレにくいかも知れない。

 それに映画に集中していたら直ぐにご飯の時間になるだろうから。そしたらこの下着を部屋を出る時に床に落として行けば……。

 こうして映画を見ることに。それにしても最近はゲーム機でDVDを再生出来るなんて、あまりゲームはしないから驚いた。

 と言うか僕がもの凄く疎いだけなのかな?

 映画はやっぱり面白い、やはりストーリーに色をつけるのは役者の演技力であろう。ちなみにサスペンスものを見ていたのだが夢ちゃんイチ押しの女優、佐波葉子は演技力がかなり凄いと絶賛していたっけ。

 美人だよな、あ、いや夢ちゃんだって可愛いし、別に浮気心がある訳じゃ……。

 て、何をムキになっているんだ僕は、これじゃ道化じゃないか。

「面白かったですね、これ七部作らしいですよ」

「七部作ってやたら多いですね……まあでも最後は意外な展開で面白かったです」

 映画の話をしていると扉をノックする音が話に割り込む。

 開かれた扉からは夢ちゃんの叔母である鮎原椿さんが現れる。

「椿姉、どうかしましたか?」

「あれ? 何よただテレビ見てただけ? わたしっはてっきりノックに慌てた二人がそそくさと服を着替えている光景が見られると期待してたのに……十夜くんのたまなし!」

「椿姉! もう変態さんです!」

 何故だ、良くたまなしって呼ばれてしまう。軽く傷付いた。

「それで? 何か用事ですか?」

「えっと何だったっけ? ……ん~、ああ、ご飯出来たよご飯! 優しいわたしっが呼びに来てあげたのさ! 感謝するべし」

「もう、普通にご飯だって言って欲しいです……じゃあ十夜行きましょうか?」

 ご飯の時間か、そう言えば窓に映る風景は黒一色だ。映画が面白くて時間経過に鈍くなっていたらしい。

 立ち上がり退室しようとした時に僕はあることを忘れていた。

 それに夢ちゃんが反応を示した。

「あぅ? 十夜、ズボンのポケットから何かが落ちましたよ?」

 ズボンのポケット? ちょっと待て、確かポケットの中にはヤバイ物を忍ばせていた筈だ。

 そのヤバイ物を夢ちゃんが拾ってしまう。

 そしてそれを広げると見事なパンツが。無論、僕はただ今顔面蒼白になっているのだ。

「こ、これって……十夜、これはどう言うことなんですか!」

「ち、違います! それは……」

「どうしてですか、どうして、…………“椿姉の下着”を十夜がポケットに入れてたんですか!」

 え? 今何て?

「わあ~十夜くんたらわたしっの言ってたことを真に受けてこんなことを? 嫌! ダメ! わたしっ安い女じゃないの! ……でもわたしっに欲情しちゃう気持ちは分かるわよ、良いわ、今からトイレに行ってそのパンツで一発……」

「ストップ! 違いますから! 僕は盗もうとしてた訳ではありませんよ! それに飛躍し過ぎた妄想は止めて下さい!」

「そ、そうですよ! 椿姉卑猥です! 十夜は私のパンツにしか欲情しません!」

 それはそれでヤバイ奴じゃないか。夢ちゃん、それはフォローになってないよ、むしろ現状を荒らす恐れが。

「あら? じゃあ何でわたしっのパンツを十夜くんが持ってたの~? はっはっは、何気にすることは無い、ただわたしっが魅力的だっただけの話よ……ふぅ、お姉さん困っちゃう!」

「絶対に違います! 十夜はおばさん何かに欲情しません!」

「おばっ!? わたしっはまだ若いわよ!」

 段々と話がズレて来ているような。ズレた口論は更に激しさを増し、それに比例しズレも増して最初のパンツ事件は何処に行ったのやら。

 終いにはどっちが料理が旨いか何て話になってたりと完璧に最初の話は霧散していた。

 まあ丁度良いか、忘れてくれるなら。

「……あれ? 何で私達お料理の話で喧嘩していましたっけ?」

「ん? ……あ、わたしっのパンツ!」

「そうだったです! さあ十夜説明して下さい!」

 こうなったら正直に話すしかないだろう。落ちていた布を拾ったらそれが下着で、それを持っているところ見つかったら変態に思われるので咄嗟に隠した、と。

「何だそうだったんですか、それなら最初から言ってくれれば良かったのにです。きっと間違って椿姉の洗濯物を持って来ちゃったんですね私」

「ちぇ、つまんないの~。……十夜くん良かったらこれいる? 今夜使っても良いよ?」

「全力でお断りします!」

 説明疲れた、最近、いやこのところ説明してばかりな気がする。もしかしたら損な性格なのか悪い星の下に生まれただけか。

 まあ下着の件は片付いたので良しとしようか。

「とにかく夕飯出来てるからさ早く行きましょうか、母さん首を長くして待ってると思うし」

「ですよね……じゃあ直ぐに行きますから先に行ってて下さい」

「そ。じゃあ早く降りてきなさいね?」

 椿さんが部屋から退場するや否や待ってましたとばかりに夢ちゃんがくるりと僕に体を向ける。

 瞬時、彼女が飛ぶ。無論僕目掛けて。まあお馴染みだがキスだ。勢いが強過ぎてベッドに倒れ込む、家族の前だから我慢してたのかな?

 と思いながらキスを堪能するのだったが、部屋に舞い戻って来た椿さんにキスの姿を目撃されてしまうのだった。

「いやはや、イチャイチャしてるかなと思って覗いたら……」

「ぷは! つ、椿姉! い、いきなり入って来るなんてダメです!」

 やはり家族に見られるのはさすがの夢ちゃんでも恥ずかしいと見える。

 て、ちょっと待って欲しい。つまり現在非常に恥ずかしい目に合ってるんだよな僕らは? キスを家族の方に見られた、そう思ったら恥ずかしさが芽生えて行く。

「もうお盛ん何だから二人ともっ! ……あ、わたしっ母さん連れて外に出てよっか? 3時間くらいで大丈夫?」

「何ですかその具体的な時間は! もう変な妄想禁止です! 椿姉はすけすけすけべさんです!」

「え……3時間じゃ足りないのかしら? もう、夢ったらいつの間に……十夜くんの仕込みが良いのね? ……で、普段は何プレイしてる訳? 教師もの? ナース? ま、まさか……赤ちゃんプレイ!?」

 ああ、何だか頭が痛くなって来たよ。

「あぅ? 赤ちゃんプレイってどんなのですか?」

 まさか、夢ちゃんが妙なものに興味を持ってしまった。赤ちゃんプレイなるものに食い付いてしまうとは。案の定と言うのだろうか、椿さんがニヤリと何ともやらしい笑みを。

「良いかい夢、赤ちゃんプレイとはね……」

「何を馬鹿なことを言ってるんだいお前は!」

 救世主幸子さん現る、そりゃそうだご飯だと呼びに来てなかなか帰って来なかったら見に来るのは当たり前だ。

 ようやくご飯にありつけるな。

「母さん、だったら知ってんの赤ちゃんプレイ?」

「え? えっとね~……おほん! 馬鹿馬鹿しい。ほほ、全くしょうがない子達ね、馬鹿な話をしてないでご飯よ」

「そ、そうですよ。夢ちゃん椿さんご飯にしましょう」

「そうね、さすがのかわゆくて美人なわたしっもお腹が減っちゃったわ。下に行きましょう」

「もう椿姉ったら……じゃあ行きましょう十夜」

「ええ、行きましょう」

 一階へと降り食卓へと向かう一行を後ろから眺めながら付いて行く。夢ちゃんの祖母に叔母、この三人だけだがそれでも立派な家族である。

 笑顔を絶やさない温かい場所、それが眩しく見えて目が潰れてしまいそうだ。何て大袈裟な表現をしてみたが、あながち間違いでは無いのかもしれない。

 家族って良いな。

「十夜? ぼーっとしてますけど大丈夫ですか?」

「え? あ、ああ、大丈夫ですよ夢ちゃん。僕は大丈夫……」

「……そうですか」

 要らない心配を掛けてしまったみたいだ、全く僕って奴はしょうがない男だな。

「ほほ、今日は奮発してすき焼きにしましたよ。夢、ちょっとまだ準備があるから手伝ってくれるかい?」

「分かりました、じゃあ行って来ますね? 少しの辛抱ですよ十夜」

 キッチンへと消えて行く夢ちゃんと幸子さんを見送る。

 椿さんと二人きりだ、何かまた変なことを言われそうな予感がするけど気の所為かな?

「十夜きゅ~ん、正直……夢とやった?」

「な、何を言ってるんですか椿さん! 決してそのようなことはしていません!」

「あははは、照れてるし可愛いなぁ……そっか、夢を見ていたらそれくらい分かるわよ。あのね十夜くん、夢に酷いことだけはしないでね? これは家族として貴方に頼むの……お願い」

 今までと違った椿さんの真剣な表情が僕を貫く。

 家族として、夢ちゃんが悲しむところを見たくない、させたくないと強く願う純粋な気持ち。だから返す言葉は決まっている。

「もちろんです、僕は夢ちゃんに酷いことは絶対にしないと誓います」

「OK、その言葉を聞けてわたしっは大満足よ! ……それにしてもあの夢を受け入れてくれる奴がいるなんてね、それだけでも嬉しい」

「……あ、あの、夢ちゃんは昔から……あ、いえ、何でもないです」

 昔から様々な“彼女”を使い分けて来たのかと尋ねるつもりだったが自分のことを話して無いのに聞き出す何て卑怯じゃないか。

 だから尋ねるのを止めた。しかし遅かったとしか言えない、椿さんは何を言い掛けたのか理解してしまったのだ。

「夢の変わり様が気になるわよねそりゃあ……少なくとも姉さん、夢の母親が亡くなってからはもうあの調子だったわよ」

 母親が亡くなってからはもうあの調子だった?

 だったら夢ちゃんのお母さんが亡くなる前は一体……。

「そりゃあわたしっも母さんも最初は驚いたわ、でも……あんなことがあったんだもん、多分それが……」

「椿姉!」

 それは刺すような、抉るような苛立ちを隠し切れない叫び。キッチンから戻って来た夢ちゃんが椿さんに怒鳴り、睨み付けていたのだ。

 怒りを孕んだ視線が椿さんを焦がす、こんなに怒りをあらわにする夢ちゃんを見るのはあの桜井姉妹の叔母さんに怒鳴った時以来だ。

「ご、ごめんなさい夢……もう勝手に話さないから」

「……そうして欲しいです。それにそのことは私からいずれ話しますから……だから言わないで下さい」

 音を切り取ったように沈黙が居座る、重い、凄く重い無言の世界が重圧に感じる。

「ちょっとちょっと、何暗くなってるのみんな、これからご飯なのに辛気臭いわよ」

 ここで幸子さんが爽やかな笑みで無言を叩き割る。

 正直その明るさに助けられた。

 幸子さんの巧みな話術と明るさでギスギスしていた雰囲気が一気に華やかに飾られ生気を戻らせて行く。食事を始めて数分後にはあんな事態の影すら臭わない日常が流れていた。

 美味しいすき焼きを食べながら笑う、でも心の中で夢ちゃんの怒鳴る姿が何度も繰り返されて深々と根付く。

 過去に何かあったんだ、椿さんの話からそう推測出来るし夢ちゃんの態度がそれを裏付ける。

 僕の隣りで幸せを噛み締める彼女を眺めるしか今は出来ないもどかしさ。触れるだけで壊れてしまう、何故かそんな想像が脳裏に住み着くのだ。

「十夜? 私の顔に何か付いてますか?」

「……ご飯粒が付いてます」

「あぅ! やだ、恥ずかしいですよ……早く教えてくれたら良かったのにです、もう十夜の意地悪さん……」

 食事を終えしばらく会話を楽しんでいるともうすっかり夜が空に居座っている姿が窓越しに覗く。

 もう夜八時を過ぎた頃である、随分と話し込んでいたらしい。

「それではそろそろおいとまさせて頂きますね、幸子さん、すき焼き美味しかったです」

「ほほ、喜んで頂いて嬉しいわ。もう帰られますの? 名残惜しいわね~、また来て下さいね?」

「はい、喜んで」

 立ち上がると三人共釣られたかのように立って玄関まで見送りに。

「十夜きゅ~ん、今度は夢がいない時に来てね? そうしたらお姉さんといけない遊びしましょうね?」

「つ、椿姉! 十夜を誘惑しないで下さい!」

「良いじゃんケチ、減るもんじゃ無いでしょ?」

「椿姉だと色々減っちゃうんです!」

 本当の姉妹みたいだな二人共。

「それでは失礼します」

「あっ、私見送りにしますね十夜!」

「お~お~、お熱い二人だね~! 羨ましいなぁ。じゃね十夜くん、また来なさいな」

 こうして玄関を出て家の前へと歩みを進めふと見上げると当然の黒一色、すっかり夜に包まれていた。

 家から漏れる微かな光が僕らを照らす。

「今日はありがとうございました夢ちゃん、本当に美味しかったですよ」

「喜んでくれて嬉しいです。またこうやってみんなでご飯を食べましょうです十夜……」

 ストレートヘアバージョンの夢ちゃんが優しいキスをして来てくれた。

 いつもは飛び付くのに、何故か今日は優しいキス。

「また後日に会いましょう十夜」

「……はい、帰ったらメールしますよ」

「楽しみに待ってます、じゃあおやすみなさい」

 一人歩く夜道は肌寒くて街灯を浴びる度に光が恋しいのだと思わされてしまう。

 彼女、鮎原夢が何を思い生を謳歌しているのかは分からない。

 それをこの先知ることはあるのだろうか?

 足音と共にそれを思い帰宅して行く通路に答えが落ちていたならば迷わず拾うのだろうか?

 彼女はいつか必ず話すと言ってくれたじゃないか、だから待とうと決めた筈。

 なあ、壊したくないだけなんだろ?

 彼女との日々を壊したくないだけ、仮初たる日々にまだ浸り足りないのか?

 怖いなら自分を話せば良い、待つだけなんて卑怯だろう?

 卑怯、確かにその言葉は合っているかも知れない。彼女が離れて行くと考えるだけで胸に風が吹く、空しさを味わわせる。

 風が漏れる穴に詰めるのだ、卑怯な心を。そうやってまた微温湯へと浸り、彼女の手を握る。

「……小さな人間だな僕は」

 彼女の笑みを起爆にまた一歩進む、星が見え辛い空の下を。


 

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