『姉妹の苦悩と痛みと』
旅行を終えて一週間が過ぎていた、まああの旅行は特殊と言えば特殊だと断言出来てしまうだろうがそれでも楽しめた。
帰宅してからは仕事も充実しているし夢ちゃんとだってそれなりに楽しんでいると思う。
このまま何も起きなければ幸いである。不幸などとうの過去に置いて来たのだから。
だから今日の休日も幸せに暮れて行くのだと信じている。
「さてと、そろそろ出発しますかね」
今日夢ちゃんは忙しいらしく来られないとのことだ。だから僕はカメラを鞄に入れて風景画を写して回ろうと思っていた。
写すものは歩きながら決めようかと思う、歩くなら良い運動にもなり車より良い景色が見つかりやすい。そんな訳で靴を履き扉を開放つ。
出迎えたのは晴天と、後二人程いたのだった。
「おはようございます白原さん、今からお仕事ですか? それにしては随分とゆっくりな時間ですね?」
偶然にも全く同時に並立扉が開きお隣りさんと鉢合わせに。
桜井水面さんが青色のワンピース姿をしていたのだった、何処かへ行くのだろうか?
「おはようございます、僕は今日お休みですよ。水面さんはお出かけですか?」
「ええ、奇遇にもわたしも休暇です。今から高校時代の友達と久し振りに遊ぶことになってるんです」
それは楽しみだろうな、久し振りの友達に会うのは。
高校か、そう言えば水面さんて何歳なのだろうか? 鏡ちゃんが中学生なら二十歳前半くらいか。まあ女性に年を訊くのはあまりよろしくないな。
「そうですか、楽しんで来て下さい」
「ありがとうございます。じゃあ鏡、お留守番お願いね? 夕方には戻りますから」
とお隣りの部屋から桜井鏡ちゃんが現れた。
「行ってらっしゃい。あ~あ、わたし暇だよ……あ、お兄ちゃん何処か行くの?」
「うん、風景写真を撮りにね」
「そうなんだ、……ねえお兄ちゃん、わたしも付いて行って良い? 今日は暇暇何だよ!」
「別に構わないですけど、写真を撮るだけだからつまらないかも知れないですよ?」
「大丈夫大丈夫、家でゴロゴロしてるよりは健康的で良い暇つぶしになるもん! ねえ良いでしょう?」
確かにこんなに良い天気なのに家の中でゴロゴロは勿体ない。
まあ一人よりも会話があった方が楽しいかも知れないし。
「分かりました、了承です。良いですか水面さん?」
「ごめんなさいね鏡がわがまま言ってしまって。じゃあ白原さん、妹をお願いしますね? 鏡、ご迷惑を掛け無い様にね?」
「分かってるよ! でもいつも迷惑掛けてるから心配しなくても良いんじゃない?」
ちょっと待って欲しい、迷惑を掛けていると自覚があるなら反省すべきでは無いだろうか?
「あらあらまあまあ、鏡ったら……全くその通りですね」
「納得しないで下さい!」
と叫ぶと醜悪姉妹はニヤリと笑みを投げ付けて来るのだった。
嫌々、本当にこの姉妹にはお手上げだ。
そんな訳で醜悪姉妹の妹と風景写真を撮るべく旅立つ、行き先は決めずに適当に歩き回るのが僕のスタイルだ。そうすると思いがけない風景に出会えることがあり、面白い。
「お兄ちゃん何処に行くの?」
「適当に歩きましょうか、その方がまだ見ぬ風景を発見出来るかも知れませんからね?」
「自由気ままにさすらう、ってことだね? ん~、お兄ちゃんってなかなか渋いね? それともおっさんなのかな?」
軽く傷付いたのは言うまでも無いだろう。おっさんって、僕はまだ二十代なのだから。
あ、この際だから訊いておくか。
「鏡ちゃん、水面さんって何歳なの?」
「え? どうしてお姉ちゃんの年齢が気になるの? ……ま、まさかお姉ちゃんが好きになったの! 何それ、わたしがお兄ちゃんって呼ぶもんだから本当にお兄ちゃんになりたいの! お兄ちゃんロリコン!」
「……すいません訊いた僕が馬鹿でした。それからロリコンではありません!」
何だか妙な展開になりそうだったので話を逸すことにする、さてどんな話に変えるべきか。
ああそうだ、鏡ちゃんの学校生活について訊いてみようか。
「そう言えば学校って楽しい? 鏡ちゃんは何が得意ですか?」
「お兄ちゃん話を逸すの下手、まあでも乗ってあげるよ。わたしは優しいからね!」
軽く傷付いた。
「わたし勉強何か嫌いだよ、方程式とかさ、そんなのやったって何の役に立つの? そんなことより体動かしている方が好きだな、わたしこう見えたってテニス部何だよ?」
「へえ、鏡ちゃんはスポーツが好きなんですね?」
「うん! 体を動かしていると嫌なこととか忘れていられるからね……あ、別に今の言葉に深い意味は無いよ?」
慌てて訂正して来たが何かあるのだろうか? 丁度思春期の真っ直中だ、無い方がおかしいか。
「じゃあ次はお兄ちゃんの番、若い頃は何してたの?」
「ちょ、鏡ちゃん僕はまだ若いですよ……そうですね、学生の頃は勉強を頑張っていました」
「何その無難な答え、しかも無難の中でもランクは中以下だよ。あ、分かった、きっとお兄ちゃんって不良だったんだ! だから話したくないんだよ、そうなんでしょ? 盗んだバイクを買わされて、そいつで走り出しちゃってたのかな?」
何だろうそのシチュエーションは、それじゃ僕が間抜けな不良じゃないか。
そもそも不良でも何でもなかった、僕は……。
「白原十夜、ではないか?」
「え?」
突如誰かに声を掛けられた、振り替えるとそこに男がいる。
黒と茶の中間で染められた短髪、眼鏡を掛けその奥に見える鋭い目付き、眼鏡を取っても取らなくてもイケメンと呼ばれるだろうフェイス。
スラリとした体型に高い身長、頭の良さそうな大学生に見える。
「やっぱり白原十夜じゃないか、久しいな、高校以来か」
「竹崎龍士……?」
「お、名前も覚えておったか、感心感心」
僕はこの男を知っている、何別に大したことじゃないと思う。
高校時代唯一の友人とばったり偶然町中で再会しただけなのだから。
「誰? 知り合いなの?」
「え? あ、そうですよ、高校時代の友人です」
「白原十夜、今時間大丈夫か? せっかく久方振り会ったのだから話がしたいぞ? どっか店に入らないか? 立ち話はあれだろ?」
「そうですね……鏡ちゃんいいですか?」
「いいよ、なんか面白いこと聞けそうだしね」
そんな訳で近くのファミリーレストランへと入って行った。それにしても驚いた、まさか彼に会うとは。
高校以来だ、約2年ぶりだろうか。
「いやあ驚いたぞ白原十夜、擦れ違った時もしやと思うたが、やはりお前だったとは」
「久し振りですね、人をフルネームで呼ぶ癖も、ちょっとおかしな日本語もそのままですね」
「ふっ、さすが白原十夜、突っ込みの腕は衰えておらんかったか……ところで隣りにいるこの子は?」
「初めまして! わたしは桜井鏡って言います! わたしはお兄ちゃんの彼女で~す!」
あれ? 今爆弾発言が聞こえなかったか?
「むむう! 何と彼女と? 白原十夜、お前が所望しておったのはこんな幼子とは! まさかそんな奴だったとは、時間経過とは恐ろしい。しばしお目にかからぬ間にそうなっておったのか……」
「わたし幼子じゃないよ! こう見えたって中学生何だから!」
「中学生だと! そうか低年齢と大人一歩手前の中間をターゲットに狙撃したのか、まさにスナイパーよ! このロリコンスナイパー野郎! 凝縮しロリイパーとのあだ名をくれてやろうぞ!」
頭が痛くなって来た、昔のまんまだ本当に。
このままではロリイパーと本気で呼ぶ恐れがある、こいつはそう言う男だ。ロリイパーって何だかエッチな言葉に聞こえるのは気の所為だろうか?
て、何を考えているんだ僕は。
「鏡ちゃんはただのお隣りさんで、僕には夢ちゃんって言う彼女がいます!」
と言ってもなかなか信じて貰えず数分説明の繰り返し、全く鏡ちゃんは。
どうにかこうにか誤解を解き、一段落。
「やはり白原十夜だ、俺は信じていたぞ?」
「あからさまに嘘ですよね?」
「むむう、言うな、もうそれは過去の話だ。それより今は何をしておるのだ? やはりお前のことだから写真関係なのか?」
これまでのことをかいつまんで話た、空月先生の元で今見習いとして頑張っていることを。龍士も返すように近況を口にした、現在は大学生で物理学を学んでいるらしい。
「行く行くは教授となり論文を提示し、学会をあっと言わせたいものぞ」
「あははは、全く貴方らしいですね」
「うむ、俺という個体は変動無し、だからな。……それにしても変化を遂げたな白原十夜、喋り方が昔と違うではないか」
「え? お兄ちゃん喋り方違ってたの?」
「……ええ、変えました。深い理由は無いのですが敢えて言えば、二十歳になってもう子供では無い、自分を引き締める為にこう言った喋り方にしたんですよ……まあ僕なりの大人になった結果、と言いましょうか」
「なる程、自我の規律を改変させた訳か。さすがは白原十夜、悟りの境地か……」
何だか勝手に納得している龍士だった。この話はこれでお終い、とはいかなかったようだ。
「お兄ちゃんの前の喋り方ってどんなの? 教えて教えて!」
「俺が説明役を買って出よう。何と言おうか……一匹狼と表すことも出来ればクールと洒落た言葉も送ろうか」
「何言ってんのか意味分かんない。お兄ちゃん、昔の喋り方で喋って!」
「却下します。昔を掘り返すのは嫌ですよ」
ぐずる鏡ちゃんを鎮圧すべく後で何か買ってあげると言って交渉成立を果たす。何をねだられるかは知らないがとんだ痛手を負う。
こうして高校時代の友人竹崎龍士と懐かし話を終え、ファミレスを後に。携帯番号をねだられたので教えてやる。
「久々に懐かしい風に浴びれたことに深く感謝せねばなるまい」
「貴方は詩人ですかその喋り方……今に始まったことではありませんけどね」
「これはもう我が言葉の調べ、変えられん。ではそろそろ別れるか、今度はゆっくりと会って語り合おうぞ。では去らばだ白原十夜、……お前の笑顔を見れて深々と満足だったぞ。桜井鏡も達者でな」
と言って爽快に立ち去って人込みに消える。
「変な人だけど楽しい人だねお兄ちゃん」
「ええ、そうで……」
目の前に去った筈の竹崎龍士が急ぎ足で戻って来た、一体どうしたのやら?
「済まぬ言い忘れておった、白原十夜……可愛い子にお兄ちゃんと呼ばせる行為を好いているとは思いもよらなんだ……控えた方が無難だぞ?」
「さっさと帰りなさい!」
何を言うのかと思えばそんな馬鹿なことを!
ようやく去って行った、また戻って来ないものかヒヤヒヤしたが今度は大丈夫だったらしい。
安堵に浸っていると鏡ちゃんが動き出す。
「お兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃん……」
「な、何ですか急に?」
「お兄ちゃんって呼ばれるのが好きならいっぱい言って上げようと思って!」
「もう勘弁して下さい!」
兎にも角にも本来の目的を実行あるのみだ、それから様々な場所に行きカメラのシャッターを切る。
そう切るのだ、フィルムに風景を切り取り焼き付ける。その空間、時間を永遠に閉じ込めるかのように。
「ねえ、わたしも写真撮ってみたい」
「ではこの予備のカメラを使って良いですよ? 使い方は……」
二人で切り取り続け、楽しい時間を過ごすことが出来たと思う。
寝そべる猫、電線で寄り添う小鳥、何気ない川、町並み、それらがフィルムに刻まれ使い果たす。
「じゃあアパートに戻りましょうか鏡ちゃん」
「え~、何か買ってくれるって言ったよ?」
「う……そ、それは後日にでも……」
案の定鏡ちゃんが渋る。仕方が無いのでアイスを買って上げることに。
味は僕が決めて上げることになった、嫌々それは楽しみだ。夢ちゃん(ツインテールバージョン)に必ず進められた、嫌、強制させられたと言っても過言では無いあの妙なアイス。あれを日頃の御礼に買って上げよう、味は何がいいだろうか。
この前食べさせられたのはニンニクミルフィーユ、ラー油風味。あれは……アイスじゃなかった、あんなに辛いアイスは食べたことが無かった。
「お兄ちゃん、妙な顔してるよ?」
「へ! べ、別に何でも無いですよ!」
「怪しい~、まさかわたしに何かしようと考えてるんじゃないの! やっぱり変態だったんだお兄ちゃんは!」
最近ふと思うことがあるのだが聞いて貰えるだろうか? 僕の周りには激しく勘違いをする人々ばかりなような気がする。
またまたどう言い訳をしようか思案を練っていると妙なことに気が付く。
「……鏡ちゃん?」
あれだけ騒がしかった鏡ちゃんが沈黙し、文字通り固まっているのを眼が知らせてくれたのだ。
「鏡ちゃん?」
「あ、ああ……」
様子がおかしい、一体どうしたんだ?
とある一点を見つめているのに気が付く、それは僕の背後を見つめているらしい。振り替えるとそこには一人の女性が立ち尽くしていた、多分40代前後だと思う。
パーマの黒髪で肩に触れる程度の長さ、白と黒が特徴的な婦人服を纏い真珠のネックレスを掛けている。目付きは鋭く右目に泣き黒子、鼻が少し低く全体的に丸みを感じる。
誰だろうか、初めてお目にかかる婦人だ。
婦人は至極当たり前のように鏡ちゃんに言葉を吐き出す。
「鏡、久し振りね? 何年ぶりかしら」
「あぅ、うう……」
「どうかしたの鏡? 保護者を目の前にしているのに挨拶も無しなのかしら?」
「あ、ご、ごめんなさい、お、お久し振りです……」
何だ? 鏡ちゃんの顔色が蒼白へと変色して行き、ガチガチと歯を鳴らす。
「鏡、よくも……あたしに恥をかかせてくれたねぇ!」
理解出来なかった、嫌、したく無かったのかもしれない。
思い切り右頬を殴られ、地面に蹲る鏡ちゃんの姿が目に焼き付く。
え? 鏡ちゃんが殴られた?
「あれからどれだけ恥をかいたか分かるかい! あんたがあんなことをしたから近所中から笑い者さ!」
「ひっ!」
高いハイヒールで鏡ちゃんを踏み付けようと足を上げた時にようやく固まった体を動かし二人の間に割り入る。
ギロリと獲物を横取りされた猛獣のような鋭き眼光が僕に突き刺さった。
「何だいあんたは! 邪魔するんじゃないわよ! 何様、何様! 部外者のくせに!」
「落ち着いて下さい! 確かに僕は部外者なのかも知れませんがヒールの靴で踏み付けたら大怪我をしてしまいます! どなたかは知りませんが子供を痛め付ける権利なんて誰にもありません!」
「あたしゃねこの雌ガキの保護者さ! 保護者が子供をどう扱おうと勝手だろうが!」
保護者だって? いきなり現れた女がいきなり鏡ちゃんを痛め付けてその挙句には保護者と名乗るだと?
ちらりと首だけ動かし鏡ちゃんを眺めた、頭を抱えガタガタと震えている。涙目で完全に怯えてしまっているでは無いか。
本当に保護者だったとしても目の前で痛め付けられる姿を黙って見て入られない。
まだあどけない少女じゃないか、彼女が何者であろうと僕は渡さない。大人が子供を苛める何て愚の骨頂だ!
「貴女が保護者だとしても子供を痛め付ける道理はありません!」
「何だいお前は! 偉そうに説教をしようってのかい! 退きな! 退かないとお前もただじゃ済まないわよ!」
「何をされてもここは退きません! もしまだ何かしようと言うのなら警察を呼びますよ? いきなり殴り掛かった貴女が警官にどう説明出来るのか見物ですね、十中八九貴女が不利です! それでもまだ続けますか! ほら見て下さい周りを、人が集まって来たでしょう? まだ醜態を晒し続けますか?」
ここは町中である、これだけ騒いでいれば野次馬が即座に集まって円を囲むのは明白だろう。彼女はようやく現状を理解したらしい。
周りからの視線が焦りと羞恥、それと危機感を与えてくれたのだ。
「な、何だいあんたらは!」
言葉が弱々しい、怯んでいる証拠だ。これだけの目を相手にまだ暴力が続けられるだろうか。
集まった人は興味に惹かれてやって来たのが大半だろう。しかしその中には道徳心を持って彼女を睨んでくれる人もいる、これが更に効果的だった。
「どうします? まだ続けますか? 続けるのであれば警官立ち会いの中でとことん相手になりますよ僕は。さ、どうしますか?」
「あ、あたしゃ、こいつの保護者なんだ、それなのに……」
「それなのに! 貴女はこの娘を痛め付けました。さ、分かるように説明してもらいましょうか!」
目力と言うのか周りの視線が彼女に刺さって最初の勢いを殺す。腹立たしいのか右頬が痙攣のように引付いて奥歯を噛み締める。
まだ立ち去らないのか、ならば最後の押しだ。携帯を取り出す、それだけで彼女は動きを見せるのだった。
「あ、あんたの顔覚えたからね! あたしをこんな目に合わせたこと必ず後悔させてやるからね! 覚えておきな!」
僕と鏡ちゃんを睨み付けてその場からズカズカと音を立てながら去って行く。完全にいなくなるまで僕は壁役に徹していた。
お騒がせしましたと詫びを周りの人達に浴びせてから解散となり群衆は風景に混じり合う。直ぐにしゃがみ鏡ちゃんを介抱しようと話しかけてみるが、震えるだけで声を発しない。
確か近くに公園があったことを記憶から引っ張りだして鏡ちゃんをゆっくりと立たせ公園へと向かうことにしたが、立つことすらままならなかったのでお姫様抱っこをして駆け出す。
人込みにいるよりは静かな場所の方が良いだろうとの考えから公園へと踏み入り、辺りを見回す。
幸いだったのか丁度良く誰もいない無人だったから人目を気にすること無くベンチに座らせ様子を見ることに。
砂場や鉄棒、ブランコにジャングルジムが並ぶ世間一般的な公園だ。
鏡ちゃんはまだ震えている、涙もいつ決壊するか分からない。
「もう大丈夫ですよ、あの人は行ってしまいましたしここには僕以外誰もいません」
優しく頭を撫でてやる、サラサラとした髪が手に馴染むように受け入れてくれた。
暫くはそのまま時間が流れ、鏡ちゃんは動くことを思い出したかのように僕に抱き付き胸に顔を埋めすすり泣く。
あの婦人と鏡ちゃんがの間に何があったか知らないが、彼女の味方になると決意する。不意に脳裏が記憶を走らせた、あの記憶はもやを掛けて封印していた筈なのに。
鏡ちゃんを見ていたらそれが緩んだらしい。
ダメだダメだ、思い出すな。そうしないと……僕はまた昔に戻ってしまいそうになる。
しっかりと緩みを正しもやを再度被せ深く深く押し込めた。今は鏡ちゃんをどうにかするのが優先事項じゃないか。
胸を貸しながら僕は頭を撫で続けた、そうしている内に空が朱に染まり始め青を浸蝕して行く。
そんな空の下で鏡ちゃんがやっと顔を上げてくれたが目が夕日に負けじと真っ赤、見ていて切ない思いが寄り添う。
「……助けてくれてありがとう、お兄ちゃん」
「いえいえ、当たり前のことをしただけですよ」
「ごめんね、迷惑掛けちゃって……もう大丈夫だから、大丈夫……」
ゆっくりと立ち上がり公園内を歩き出した、僕もそれに便乗し鏡ちゃんの後ろ姿を追う。
「鏡ちゃん、もし良かったらさっきの人のことを話してくれませんか? 力になれるなら力になります。もし嫌なら嫌とはっきり言ってくれても構いませんから」
「……ごめんねお兄ちゃん、わたし……話したくないよ、助けてくれたのにごめんね……お兄ちゃんには関係ない話だもん」
「鏡ちゃん……」
これ以上踏み込めば恐怖を引き出してしまう可能性があった、問い詰めれば余計に傷付けてしまう。あれだけ震え、涙を流したのだ、傷を開けば取り返しの付かないことにもなり兼ねないと僕は判断する。
鏡ちゃんをこれ以上傷付けたくは無い、それに言いたくないとはっきり意思を表明しているのだ。
なら、僕に出来るのは……。
「帰りましょうか鏡ちゃん、多分水面さんが帰って来てるかも知れませんから」
「……うん」
笑顔を向けていつもの優しい日常を造ることに努めた。
邪気を払うように笑う。今日の出来事を見過ごしてはおけない、帰ってから水面さんに訊いてみよう。
久し振りに会った友人との時間を満喫した水面さんに水をさすみたいで嫌だけど、鏡ちゃんの為に水面さんと話をしなければ。
多少ぎこちない会話をしながら帰宅する、それでも少しだけだが鏡ちゃんの笑みを拝めることが出来て何よりだと思う。
完全に赤く空変化した頃にアパートに到着した、さて水面さんは帰って来ているだろうか?
「あ! やっと帰って来た~!」
僕の部屋の前で蹲っていたとある人物が素早く立ち上がり走り出す、二階から一気に駆け降りジャンプ。
僕目掛け飛び込んでがっちりと抱き付かれた。
「もう十夜ったら何処行ってたのーー! 夢ずっと電話してたのに出ないんだもん!」
鮎原夢が頬を膨らまし不機嫌だと主張している、嫌々その顔も可愛らしいな。
「電話何か掛かって……あれ?」
ポケットを探り携帯を見ると、どうやら電源を入れるのを忘れていたらしい。
「すいません電源を入れ忘れていました」
「もう! 夢ず~っと入口の前で座って待ってたんだからね! ……あ! 隣りのちびっこだ! まさか夢を差し置いてデート!?」
「うん、お兄ちゃんとデートしてたんだよ」
といつもの人を陥れる笑みを。ああ良かった、元気になってくれたらしい。
「夢を放ったらかしてちびっことデートするなんて! 十夜の浮気者! ロリコン!」
「うわ、お兄ちゃんってロリコンだったの! そっか、わたしを狙ってたんだね? このロリータスキー!」
「僕はロリコンではありません! 僕が好きなのは! ……あ~、何でもありません、とにかくロリコンでは無いです!」
またいつものように馬鹿騒ぎ、あんな騒動があったのにも拘らず鏡ちゃんは笑顔を絶さない。
まるで忘れるように笑っている、そんな印象を覚えてしまう。
「あらあらまあまあ、賑やかですね白原さん? 両手に花何て何処の助兵衛さんですか?」
「あ、お姉ちゃん!」
桜井姉、水面さんが何やら手荷物を携えて帰って来た、とても楽しそうに。
今日は楽しめたらしいが、その余韻を消してしまうかも知れないな鏡ちゃんのことを話したら。
「お姉ちゃんその手に持ってるのは何?」
「これは鏡の大好きなミルフィーユよ? 今日はわたしだけで楽しんで来ちゃったから鏡にお土産!」
「ミルフィーユ! わあ、ありがとうお姉ちゃん! 大好き! 愛してる~!」
「もう現金何だから……ほら冷蔵庫に入れてきなさい?」
嬉しそうにケーキの箱を受け取り駆け出して行く鏡ちゃんを見ているとまだ子供何だなと少し微笑ましかった。
そうだ、丁度鏡ちゃんがいない今なら話せるかもしれない。
「あ、あの……水面さん」
「はい、どうかしましたか白原さん? あ、白原さんもケーキ食べたかったんですか? 仕方無いですね、わたしの食べ掛けで良ければプレゼントしま…………ごめんなさい茶化して、どうやら只事では無い話みたいですね? 顔がちょっと怖いです白原さん」
「あ、すいません。……実は今日……」
保護者と名乗る婦人が鏡ちゃんにやった非道を話して聞かせた。
「その話は本当何ですか? まさか……でもどうしてあの人がこの町にいるの? せっかく逃げて来たのに、また鏡を傷付けて…………何処まで、何処まであの子を傷付ければ気が済むのよ! 許さない、鏡をもう悲しませないって誓ったのに! ……許さない」
いつも見慣れていたのは清楚で小悪魔のような面を持った優しい姉の姿、それが僕が知る限りの桜井水面さんだ。
怒りに取り付かれ歪む顔がとても恐ろしくて見ている僕が縮こまる程の憤怒。
「あ、あの水面さん……」
「何ですか! ……あっ、ご、ごめんなさい、わたしったらつい取り乱してしまいました。怒鳴って申し訳ないです」
「いえ、気にしてませんよ。あのもし宜しければ話して貰えませんか鏡ちゃんのことを、あれだけの出来事に立ち会ってしまって僕は放って置けないんです……えっと無理に聞こうとは思いません」
彼女の返答を待ったが長い沈黙が訪れてしまう。それはそうだ、水面さんと鏡ちゃんの問題であって僕は所詮他人なのだ。夢ちゃんも只事では無いとジッと無言を貫き通していた、深々とこの場が凍り付いて行く。
それを解凍させたのは無邪気な声だった。
「お姉ちゃ~ん、もうミルフィーユ食べて良い?」
二階の窓から身を乗り出した鏡ちゃんが年相応に笑って問い掛けて来る。
正直今はあの笑顔に救われたと安堵を浮かべ水面さんを一瞥するのだった。
「……夕飯の後に食べなさい? 今食べたら鏡のことだから夕飯残しちゃうでしょ?」
と笑って返す。
「十夜、よく分からないけど夢は今日は帰った方が良さそうだね?」
「あ、待って下さい鮎原さん。ちょっと買い物に行ってきますのでその間鏡をお願いで来ませんか? 白原さんも付き合って貰えませんか、買い物に」
これはまさか買い物を口実に話してくれる、と言うのだろうか?
「夢は構わないよ? こう見えても子守は得意なんだよ~!」
「ありがとうございます。白原さんは?」
「はい、お供しますよ」
付いて行くに決まっている、部外者なのかも知れないが鏡ちゃんの怯えた姿が瞼に焼き付いて離れない。
もう他人事じゃ無くなっていたんだ僕の中で。
「鏡、夕飯の買い物するの忘れて来たから白原さんを荷物持ちに二人で行って来ますね? 鮎原さんが子守してくれるからちゃんとお留守番してるのよ?」
「ふ~ん、……分かった、じゃあそのお姉さんで遊んでるね?」
「夢をおもちゃみたいに言わないで!」
と叫び二階へと向かうおもちゃ化された夢ちゃんだった。
「じゃあ行きましょうか白原さん」
「はい」
徒歩数分の距離に大きなスーパーがある方角へ進路を取る。
そう言えば水面さんと二人きりで歩くなんて初めてだ。
水面さんの横顔をそっと覗くといつものにこやかな顔、とは程遠い。意気消沈がはっきりと分かるような負の表情を晒していた。
声が掛けられないと言おうか正確には掛けるべきなのか迷いが口論で激しさを増す。気まずく黙々と歩いていると急に水面さんがスーパーとは別の道へと侵入し、僕に話し掛けてくれた。
「こっちに小さな公園があるんです、直ぐ近くですから、ゆっくりと話をするならそちらで良いでしょうか?」
了承してそのまま進むと言われた通りの小さな公園が現れた、砂場と鉄棒、それからブランコだけの少し寂しげな場所に踏み入る。迷うこと無く水面さんはブランコに座り、隣りの空きブランコへ僕を誘う。
それに腰掛け改めて水面さんを視界に入れ、彼女の言葉を待つ。
「……白原さんはやっぱり不思議に思っていたんじゃ無いですか?」
「不思議、ですか?」
「わたしと鏡、どうして二人だけで暮らしているのかですよ」
確かにそれは思っていた、姉妹二人だけで正直両親とかいないのかなと最初は思っていた。
しかしそれは何処の家庭にでも事情と言うもの抱えている、だから深く考えないようにしていたんだ。
「白原さんは正直な方ですよね? 顔に描いてありますよ疑問だったって……きっと人はそれぞれ理由を抱えている、だから訊かないでいてくれた、違いますか?」
「ええ、まあ……」
「ありがとうございます気遣いして頂いて。ちょっとした優しさが嬉しいです……今日鏡を助けてくれた、本当ありがとうございます。だから今か話すことはそのお礼みたいな感じで話しますね? 鏡の為に熱心になってくれた貴方に感謝をしながら……わたし達の過去を話します、良いですか?」
「……お願いします」
「……白原さんが昼間に会った人はわたし達姉妹の保護者、父の弟の嫁、つまりは叔母になります。わたし達は叔父夫婦に世話になっていたんです、前までは」
叔父夫婦か、だけどなんで叔母が鏡ちゃんをあんな目に。
それに水面さんと鏡ちゃんの両親は?
「わたしがまだ高校生だった頃に両親が交通事故で亡くなったんです、原因は自動車同士が不注意でぶつかり……猛スピードで信号待ちをしていた両親の車に…………。当時鏡はまだ小学生で、わたしにしがみついて泣いていたのを覚えてます。わたしも泣いて、二人で抱き合って泣きました……もう家族はわたし達二人だけ、もう父と母の笑顔が見られないと…………夜通し泣きました」
瞳が微かに潤み、深く瞼を下ろす。過去をしまい込むように強く強く閉じる。
それだけで悲しみが伝わり、僕は視線を下げ過去に触れてもう一度彼女を見た。
「そんなわたし達を引き取ったのが叔父夫婦でした、最初は感謝していたんです。まだわたしは高校生で鏡は小学生、生活が困難なのは明白、引き取ってくれたおかげでその点は心配は無くなりましたけど……。叔母がわたし達にとる態度が問題でした。ちょっとしたことで鬼のように怒りを顕にするんです、ヒステリックな性格も原因だったんでしょうが……もうあれは苛めでした。わたしが部活で帰りが遅れただけで家に入れて貰えず夜を明かしたこともあれば、ただ視線が合っただけで睨んだだろってひっぱたかれたり……。
まあ、他にも話せ無いような女性特有の嫌らしいことも……。わたしは何とか我慢で来ました、衣食住を与えて貰えていたから何も言い返せなかった、だから我慢の毎日です。でも……鏡はまだ幼くて両親の死が強いショックでいつも泣いていました、わたしはたった一人の家族である鏡を守る為にいつまでも泣いていたらダメだと自分に言い聞かせていたので泣くことを止めました。
悲しかったけど鏡を守る為に強くあろうと涙を流さないって誓いましたけど……鏡はまだ小さいから、ずっと泣いていて……それを叔母が気に食わなかったんですよ」
過去を思い出したのが負の感情を滲ませた表情が悲しげに映って見えるのだった。
それだけで酷く嫌な話が語られると理解させられたのだ。
「毎日すすり泣く鏡が苛立たしかったのでしょうね、泣くと直ぐに怒鳴って、叩いて、蹴って……小学校が早く終わるからわたしが帰るまではあの子を守って上げられない。お金を与えずに買い物を頼み出来ないと言い返すと殴られた。帰るなり髪を掴まれて風呂場に連れて行かれてシャワーを掛けられて、自分で洗濯しろと怒鳴った。自分だけご飯のおかずを作ってくれない時もあった。そんなことを部屋の隅で膝を抱えてあの子はブツブツと言っている姿が想像出来ますか白原さん! 毎日毎日叔母の苛めで擦り切れる寸前まで追いやられた……そんな姿を想像出来ますか?」
感情が水面さんの手を震えさせた、怒りと悲しみ、助けて上げられなかった惨めさ、それらが震わすのだ。
気付けば一筋の線が頬を落ちて行く姿が視界に映る。
水面さんの涙。
「このままでは鏡が壊れてしまう、だからわたしは高校を卒業後就職しました、仕事は何でも良かった、とにかくあの地獄から鏡を救う為に……叔母の目を盗み鏡を連れて今のアパートにやって来たんです。その後は大変でした、鏡の新しい学校、生活費、慣れない仕事、二人きりの生活……そして鏡の心。幸いにもあのアパートで暮らすようになって前の悪戯好きの可愛い鏡に戻りました。後は白原さんが知っている通りの鏡です、平穏な日常、だったのに……。叔母がどうしてこの街にいたのかは知りませんけど、また鏡を傷付けた、それが……許せないんですよ!」
温厚な水面さんが荒々しく嘆いた、拳をこれでもかと力一杯握り締めて震えている。叔母への怒りが震えさすのか、それとも自分の惨めさからか。
暫く会話が途切れた、何て声を掛ければ良いのか答えを知らなかったから。とにかく彼女が落ち着くまで待とうと空を見上げる、もう朱は黒に浸食されて行く途中で夕から夜に世界が変わる間際だ。
「……すいません白原さん、わたしちょっと感情的になっちゃいました」
「いえ、当然の感情だと思います。あの、一つ質問したいのですが……大丈夫ですか?」
「はい、もう大丈夫です。何ですか質問って?」
水面さんの話を聞いていて引っ掛かったことがあった、そのもやもやを彼女に問う。
「叔母の夫、叔父はどうしていたんですか?」
そう叔父だ、叔母は二人を苛めていたのなら叔父はどうなのだろうか? 一緒に苛めていたのならきっと話の中で叔父も出て来たと思う。
苛めをしていなかったのなら止める筈だろう、良識ある人ならば。
「叔父は……知らないんです、わたし達が苛められていることを」
「知らないんですか?」
「はい、叔父は仕事で帰って来るのはいつも夜遅くて、休日もあまり無い。そんな叔父が帰って来るまで叔母の苛めが続くんです。叔父がいれば叔母はおとなしい。むしろ叔父は優しい人でいつも可愛がってくれていたんです、唯一心が休まる時間だった」
「だったら叔父に叔母のことを話してみたら良かったのでは無いですか?」
これは当然の疑問だと思う、優しい叔父ならきっと助けてくれると思うのだが。
「わたしも一番にそれを考えました……でも叔母は勘が鋭いのかわたしに釘を差して来ました。言えば鏡に今以上の苦しみを与えてやる、と……つまり脅しです……わたしが学校から帰って来るまでにもっと酷いことをされたらと思うと……言えませんでした」
何て、何て卑劣何だ叔母は!
「叔父がいてくれれば鏡は無事だったんですけど、ある時長期出張で家を出てしまい叔母の天下になりました。ますます酷い仕打ちをされて……鏡が追い込まれた、だからわたしは連れ出したんですよ…………白原さん、もう一度言わせて下さい。鏡を助けてくれてありがとうございました」
ブランコから降りて深々と頭を下げる姿が目に焼き付く。
もう理由を知ったのだ、どんな思いで頭を下げているのか、それが分かる。
姉として、家族として心からの礼なのだ。
「頭を上げて下さい水面さん……もうすっかり暗くなりましたよ? 直ぐに買い物を済ませて帰りましょう、鏡ちゃんが待ってます」
「……はい、そうですね」
そのまま公園を後にしスーパーへと寄り夕飯の買い物を済ませてアパートを目指す。
帰り道は口数は少なかった、スーパーで特売をやっていてラッキーでしたねとか、夕飯は何にするのか等他愛ない話を咲かす。
桜井姉妹の理由を知った、だからどうだというのだ?
僕はそれを知って何が出来る? それを知ってどうするつもりだったのか。
鏡ちゃんを助ける為に? どうやったら助けられるのか分かっているのか?
そもそも赤の他人では無いか僕らは。
そんなことを思いながら足取りが重くて地面に埋まってしまいそうだ。
僕に何が出来るのか。
――あの人達を救えなかった僕に何が……。
聞かせても無駄だろうと知っていても話してくれた水面さんには感謝しなければならないな。どうしたら良いのだろうか、これから。
雑念混じりの思考を止める、等々帰って来てしまったのだ。
どう力になれば良い? そんな偽善染みた案を練る自分がいる。
アパートに戻って来た時にはもう夜と化した空が星をちりばめ始めていた、町中の為多少見にくいが綺麗な星空だ。
水面さんの部屋まで荷物持ちの本分を真っ当しながら付き添い帰宅を中に居るだろう二人に告げる。
「ただいま~、遅くなってごめんね鏡、鮎原さんもすいませんでした」
部屋の奥より駆け寄って来た鏡ちゃんが笑顔で出迎えてくれたことは嬉しい。
しかし今日の出来事で容易に想像出来るのだ。
無理に笑っている、心配させまいと笑っている。あの叔母とのやり取りを目撃した僕には理解出来てしまう。
それ以上に姉であり鏡ちゃんの昔を知る水面さんは誰よりも分かっている筈。だから、鏡ちゃんの笑顔が痛々しく映り、いたたまれない気持ちが沸き起こるこの現象を押さえ込み、笑顔で笑顔に応えるのだ。
それが鏡ちゃんが望む日常だと信じた。
「お帰りお姉ちゃん! お兄ちゃん! もう遅いよ、わたしお腹ペコペコで平べったくなってどっかに飛んじゃうとこだったんだから!」
「じゃあ飛んでけば良かったじゃない? きっと気持ち良く空飛んで外国まで行って、未確認飛行物体だとか騒がれて最後は……標本かしら?」
「どうしてもっと夢のある話をしないのかなお姉ちゃんは! お空に昇って天使になるとか……」
「平べったい天使何て嫌でしょ?」
馬鹿な話で騒ぐ姉妹はどこからどう見ても幸せな家族だ。
問題は山積みなのだとしても今だけは幸せだと信じたい。
「夢ちゃんありがとうごさいました、せっかく来てくれたのに申し訳なかったですね」
「ううん、夢は鏡ちゃんと遊んで楽しかったよ? 鏡ちゃん、また夢と遊ぼうね?」
「それは良いけど……お兄ちゃんの秘密もっと教えてくれるよね?」
「うん!」
んん? 何やら変な言葉が聞こえたのは空耳だろうか?
「ゆ、夢ちゃん、鏡ちゃんに何の話をしたんですか?」
「えっと……えっへへ」
どうしてそこで笑う?
「お兄ちゃんって、あれをこうするとあんなことになるんだね!」
「あらあらまあまあ、白原さんってあんなことを?」
「十夜はあんなことが凄いんだよ!」
あんなことって何だろう? いくら問い質しても教えては貰えなかった。
騒ぎ、暴れ、笑う。鏡ちゃんが望む日常だと信じて自分の部屋へと戻る。
僕らがいない間鏡ちゃんはどんな様子だったのかを夢ちゃんに訊くとずっと笑顔だったらしい。
楽しい日常を壊したくない、そんな思いを持っているかのようにずっと笑って過ごす鏡ちゃんが健気で力になってやりたいと強く思う。
幸せであって欲しい。
それから数日後、あんな事態が起こるなんて誰が予想出来ただろうか?