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何をなすべきか。

作者: 夢野Q作

私は何をなすべくしてこの世に生まれたのだろう。

この問いの発端は、すべての現象には意味がある、という考えに起こる。

現象というのは、万有引力の方則や宇宙の創生、果ては動物の誕生に人の感情などの有象無象のあらゆるものを指す。

意味とは理由や原因とは異なる。はっきりとしたものではない。例えば、石が落ちているとする。その石に躓いた女を男が抱きとめる。これに様々な要因が加わると、十分に、ある無関係だった二人の人間を結びつける現象となる。

ではもし、男か女のどちらか一方がこの場所にいなかったらこのようなことは起こりえたか。石がなかったら。重力がなかったら。地球がなかったら。宇宙がなかったら。

このようにしてどんなに些細な事柄であっても、それが一見無意味であってもやはりなんらかの意味を持っているのだ。

より無意味そうな例を出してみよう。

男が一人、何も考えずにただ自分の部屋でぼーっとしているのである。ほんの三分間のことであった。しかし、人の脳というのはこういった半覚醒状態の時に興味深い働きをするものだ。瞑想と同じことである。この時にある種の新しい発見の芽が生まれているのだ。もしそれを完全に言葉にできずとも、行動に表れる。観察に優れた人間がそれを見れば、そのメッセージをしっかりと受け止めることができるのだ。

世の素晴らしいものの中には、偶然のひらめきによって作り出されたものが少なくない。

つまり我々が脳で複雑な情報を処理し、表現するすべての行動は、無意識のものであっても、多くの意味を含んでいるのだ。

その意味が他者へ断片的にでも伝われば、我々は生きている意味があるといえるのだはないだろうか。

そのことに気付いたからには、効率よく現象を観察し、より高度な意味のあるものへと変化させていく必要がある。

もちろん石ころから学ぶことだってまだまだあるに違いない。サルの動きに身体操法の極意が隠されていたり、植物の仕組みに人類の発展に重要な技術のヒントがあるかもしれない。

とは言え、それを学ぶ人間が誰かに伝えることをしなかったら、その意味はなくなりはしないけども、ちいさくなってしまうのだ。


表現者になるということは、重要な何かを他者に伝えるということなのだ。

そのためにはまず観察者でなければいけないし、理解者でなければならない。

私の能力では文章を書くことが精一杯のような気もする。それも危ういかもしれない。

最初の問いの答えがここに見えてくるような気がするのだ。

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