第九十八章:相原翔太
僕――相原 翔太が生まれたのは、都市郊外に住む一般家庭だった。
当時の家族構成は父と母、それに僕。三つ歳が離れて、妹の奈菜が生まれた。
一言で言えば、典型的な核家族。
それ以上に語る事なんか何も無い。
そんな生活が、あまりにも普通過ぎたせいだろうか。
正直に言うと、当時の事はあまりよく覚えていない。
精々記憶にあるイベントといったら、いつか家族みんなで行った近所の花火大会くらいのものだ。
――ああ。そういえばあの時は、誰かの誕生日を祝う名前入りの花火が上がってたのを見たっけ。
確かすぐ隣に、明らかに他の集団より大きな歓声を上げた家族が居て、それであの黄金色のメッセージが誰に向けられた物か一発で分かったんだ。
あの時の感動と羨ましさだけは、今でも忘れた事がないな。
もちろん、当時の僕たちにはそんなの望むべくもない事だったのだけど。
でも普通の家族っていうのは、どうやら普通に楽しかったらしくて、思い出が美化されるって事を差し引いても、月並みに言ってそれなりに幸せな毎日を送っていたとは思う。
……両親が離婚したお陰で、それも長く続いたものじゃ無かったけどね。
当時の僕は母にしつこく父の行方を尋ねていたらしく、僕にもなんとなくその頃の記憶はある。
……ほんと、我ながら随分と残酷で親不孝者な子供だったよな。
僕が父の事を聞く度に、母が浮かべるあの表情。
あの今にも泣き出しそうな笑顔がおかしいかったって事くらい、僕だって子供ながらに薄々感づいていたはずなのに――。
離婚の原因が父の浮気だった事を理解したのは、けっきょく僕たちを引き取った親戚がサラリと宣った後だった。
――正直に言えば。
子供だった当時の僕にとって、離婚の原因なんてどうでもいい事だった。
親が別れてしまった小学生にとっての論点なんか、大人の都合なんか関係なしに、どうせ父が居なくなってしまったという一点でしか無い。
小学校というコミュニティでは、大抵の事は謝れば許されてしまうから。
両親がどんなに聞くに堪えない金切り声で言い争いをして、時には暴力を振るったり物を投げたりしたって、そんなのは子供からすれば双方が変な意地を張り合っているようにしか見えなかった。
……ホント、当時は心底呆れ返ったよな。
子供らしくどこまでも利己的に、残酷に、バカバカしく――。
喧嘩なんかどうせ一時的なものだって高をくくってたし、だからきっと、僕も深く考える事だってしていなかったのだろう。
僕にとって変わった事と言えば、精々一つの事を心に決めたってことくらい。
――“彼女”を守る事だ。
学校の先生が仰ることには、強い者は必ず弱い者に優しくしなくちゃいけなくって、だから家族は絶対に僕たち子供を守ってくれる存在であるらしい。
……裏を返せばそれは、子供という弱い立場だった僕には、大人の母を守る事なんか出来ないということ。
子供が親を守ろうとするなんていうのは思い上がりだし、それに僕を守ろうと頑張ってくれている母に失礼だと思ったから。
だから僕は、せめて“彼女”だけでも守り抜こうと誓ったんだ。
きっと、父はそのうち機嫌を直して帰ってきてくれるのだろうから、それまで父の分まで彼女を守ってやろう、ってね。
きっとそれが僕の役割で、僕に出来る精一杯の事なのだと、幼かった当時の僕はそう勝手に思い込んでいたのだ。
――小学四年生の夏休みに、母が過労で亡くなるまでの話ではあったけれど。




