第七十四章:散乱
氷室が狂ったように藻掻き始めた。
毒物を注入され、動かなくなっていた筈の彼の身体は、黒い悪魔の腹部を突き立てられた瞬間から高圧電流でも流されたかのように暴れだす。
一瞬だけカメラに映った彼の顔は、人の表情とは思えないくらい苦痛と不快感で酷く歪んでいた。
水揚げされた魚のように跳ねまわる氷室の身体。
やがて蜘蛛は、満足したように彼から降りて――、
『─────!!!!!!
───!!!!!───!!!!!
…───……─!!!!!
────…………!!!!!!!!!!!…───!!!!!!
───……─…!!!!!─……──!!!!……───!!!!──………──…!!!!!!!!
───……!!!!─…─!!!!!!……──…!!!!!──……!!!!!──………─!!!!!──……─…──…!!!
!!──…─………─!!!!!』
――それで、氷室は完全に壊れた。
充血して開きっぱなしになって涙がダダ流れになった彼の目は、半分白目で虚空を仰ぐ。
手足は電気ショックを受けたカエルのように痙攣して、両手は肉が抉れるのも顧みずに、バリバリと腹の皮を掻き毟っている。
その中身は、悪魔の腹部と全く同じようにモコモコと蠢いているように見えた。
「何だよあれ!?
な、何が起きてんだ!?」
隣から、船橋の疑問が聞こえる。
だが、僕にはその答えが分かった。
分かってしまった――。
ある種の蜘蛛にとって、母親とは食糧だ。
例えば日本のカバキコマチグモと呼ばれる種類では、仔蜘蛛が巣の中で孵化した後、先ずは最初の食糧として母蜘蛛の身体を食べつくす。
それ自体は特に珍しくも無い習性だろうが――ああ、だがあの巨蜘蛛の生態は、それよりも遥かに凶悪だ。
恐らくは人為的に作られたであろうあの母親は、自分が子の餌になってやるなんていうのは真っ平御免らしい。
そして腹の中で孵ってしまった腹ペコの仔蜘蛛を、自分の身を守りながら産む方法は恐らく一つ――。
『────!!!』
氷室の腹が破れた。
腹が破れて、食い散らかされた内臓がボトリボトリと床に飛び散った。
氷室は正気を失った目で、身体中の皮膚が内側から破かれ、数えきれないほどの仔蜘蛛が産まれ落ちていく様を見ている。
――あの蠢く腹の中には、どれだけの仔蜘蛛を詰め込まれたというのか。
腹腔の中を仔蜘蛛で一杯にされ、生きながら内臓を喰われていく不快感を想像して絶望的な吐き気を覚えた。
『……─…─…──!!』
やがて氷室の口からは、大量の黒い粒が吐き出された。
納豆のようにネバネバと糸を引いている黒い粒は、その一つ一つが悍ましい仔蜘蛛の幼生達なのだろう。
貪欲な食欲を持つソレらは、外に出るなり耳の穴や眼球から氷室の身体に再び潜り込んで、彼の身体の中を無遠慮に貪っていく。
その頃には氷室の内臓は床のアチコチに散らばって、穴の空いた皮膚から漏れた血液が、ボトボトと赤黒い水たまりを造り始めているところだった。
最後に氷室は何度か痙攣して――それで、終わった。
空っぽになった身体はペッタリと潰れてしまって、ボロボロでシワクチャの皮膚が完全に人としての原型を失ってしまった。
我が子の誕生を見届けた母親は、蠢く腹を引きずりながら、食肉工場と化した仮眠室を後にした――。




