第七章:刃物
独房から這い出た僕が目にしたのは、廃病院を思わせる真っ白な通路だった。
“廃”病院と表現したように、本来純白である筈の通路はところどころが浅黒く染まり、清潔感よりも寧ろ不気味さを際立たせている。
――窓の様な物は一切ない。
チラチラと明滅する、切れかけの蛍光灯だけが、通風口の換気音がゴウゴウと反響するその空間を薄ぼんやりと照らしていた。
「……まったく、いい趣味してるよ」
慎重に慎重を重ねて歩きながら、僕はつい皮肉げに愚痴っていた。
別に、通路の内装について言ったわけでは無い。
何度目かの曲がり角を曲がった時、部屋を出てから既に幾つか見つけていた“あるモノ”に、再び出くわしたというだけの話である。
――カメラだ。
大きさは僕の片手程度のものだろう。
鋭く、蛍光灯の灯りを反射してチカチカと光る円形のレンズが、天井付近の高いところから視姦する様に僕の姿を見下ろしている。
カメラとは、本質的にヒトがヒトを見て記録しておく為に存在するモノだ。
あのレンズの向こうには、一体どんなニンゲンが座っていて、そしてどういう気持ちで僕を観察しているというのだろうか。
――気持ちが悪すぎて、想像したくもなかった。
「…………」
見られるというだけでも、不快極まりない。
僕はカメラに背を向ける様にして、“左腕”で前方を確かめながら歩き去ろうとし――、
――何かが、引っかかる様な感触を覚えた。
「!?」
――バネ仕掛けの様な音。
対象の皮膚を打ち、肉を削ぎ落とす為に存在する“鞭”が振るわれた様なその威圧感と共に、風を切る様な雑音が僕の鼓膜を叩いた。
上方から降ってきた何かが、ゾブリ、と、信じられないほど不快な音を立てて二階堂の腕を貫通していく。
「なん……、だ?」
――死んでいた。
“彼”の腕を持たず、無用心に進んでいたら、僕は間違いなく死んでいた。
死後硬直の始まっている“彼”の腕を握り締めながら、怖気に背筋が凍りつく。
「なんだ……、なんなんだよ!!
何がしたいんだよお前はッ!!」
叫んでも、応える声はどこにも無い。
ジジジ、と。カメラが回る不快な雑音だけが、換気扇の音に混じって聞こえるだけだった。
僕を守ってくれた彼の遺物へと目を落とす。
――もう、ボロボロだった。
今の矢の様な何かを受け止めたから、というだけじゃない。
これまでにも何度も、部屋を出てから前方を確かめる為の“罠避け”として使っている内に、幾度と無く傷ついてきた結果だ。
もう、血の通っていない彼の腕。
肉による結合がズタボロになったこの組織は、あと一回くらいは役に立ってくれるかもしれないが、それで完全に粉砕されて使い物にならなくなってしまうに違いない。
赤黒く光るナイフが、毛穴の開いた皮膚を剥いで手の平を貫通し、赤い、赤い、そして薄っすらとピンク色に色付いた筋繊維をテラテラとヌメらせて――、
「……、ナイ、フ?」
――そこで、気がついた。
どうやら、いま降って来た物の正体はナイフだったようだ。
サバイバルナイフを思わせる悍しい刀身が、三本。骨の隙間を縫う様にして、二階堂の腕に引っかかっていて――、
「――――ッ!!」
――瞬間。
激しい目眩に、視界がグニャリと歪んだ。