第六章:左腕
――鎖の音が止んだ。
静寂を取り戻した小さな部屋の中で、固そうな扉だけがキイキイと音を立てて揺れている。
否が応にも不快感を駆り立てるその雑音は、死臭に群がるハエやゴキブリの鳴き声を連想させた。
崩れてしまった二階堂は、もう原型なんか留めていない。
愛嬌のあった顔立ちも、無邪気だったあの笑顔も、今では腐ったラズベリージャムを塗りたくった木偶人形の様な、グロテスクな肉の塊へと成り下がってしまっている。
――ナンダ、コレハ。
「うっ……」
――吐き気がした。
錆びた鉄の様な生臭さが鼻に篭り、生き血を直接啜っているかの様な錯覚にめまいがする。
ナニが起きたのか、彼の身にナニが起こったのか、アレがなんなのか彼がどこに行ってしまったのかどうして彼は居なくなってしまって声も聞こえないのか彼とアレとがどうしても重なってくれなくて視界は明滅してそのたびに心臓を鷲づかみにされて身体の中を引っ掻き回されている様な不快感が喉の奥からせり上がる。
だが、幸か不幸か。胃のなかが空っぽな為か、どんなに吐き気を覚えても実際に嘔吐する事は無かった。
――ナンダ、コレハ。
「う……ぁ……」
信じられない。●●の身体の中って、あんなに訳のわからないモノがタクサンタクサン収まっているモノなのだろうか。あんな、ヒダヒダがタクサン付いた黄ばんだ膜なんかナニがどうなって何の目的で使われていたのか全く検討もつかないし、その隣に飛び散ってるアタマの中身なんか喰い散らかされたスクランブルエッグそのものじゃないか。あんな、腐ったスポンジみたいにブヨブヨで皺くちゃのフォアグラが、さっきまで会話をしていた●の人格の正体だっただなんて、実際にナカからボロリと出てくるところを見てなければいったい誰が信じただろう?
突き出たアバラなんかまるで大きな食虫花の様で、その手前に見える上半分が吹き飛んだ頭蓋骨の奥なんか、大胆にも喉の奥から腹の中身まで懇切丁寧に見せびらかしてくれていて信じられないくらいダラシがない。
その様子が妙に綺麗で、可愛らしくもあり、そんなコトを考えてしまう自分自身も含めてなんだか妙に可笑しかった。
漂白された意識の中で、僕の頭に浮かんだ言葉は、一つだけ。
――“殺される”。
誰が何の為に何の目的でナニを仕掛けたのかなんて全く分からないが、もしもその誰かの目的がコレなのだとしたら、僕もいつかは間違いなくアレと同じ姿にされてしまうのだろう。きっと、あの扉から出たらわけも分からないままに身体を抉られ、内臓を食い散らかされて、叫ぶ暇も無いままにクチャクチャクチャクチャと解剖されてしまうに違いない。出られない。この部屋からは出られない。出られない? バカな!! それで話が済むものか!! アレを仕掛けた誰かは僕をああするつもりでこんな場所に連れてきたんだぞ!? もしも万が一そんな●●●イがこの部屋に帰ってきたらそれこそ絶対に助からないアレなんかまだマシだと思えるくらいグロテスクで醜い姿にされてしまうに決まっているじゃないか――!!
「…………」
扉に視線を移すと、取っ手には綺麗な肉がぶら下がっていた。
二階堂の身体で唯一原型を留めている、切断された左腕。
少し固くなり始めているソレを手に持って、僕は彷徨う様にして独房から出た。