第五十四章:豹変
「……やれやれ、ここでも暗証番号か」
地下一階への階段前。
扉に備え付けられた第二の電子ロックを見て、氷室がぼやいた。
「はぁ? オイオイ、また時間掛かんのかよ」
「さっきの番号は使えないの?
えっと、ほら。マスターキーとかなんとか言ってたじゃない」
「無理だ。ここの暗証番号は、六桁だからな」
見るからに不満たらたらな二人に、ロックを弄りながら彼は続ける。
さて、そうなると――、
「氷室、開けられそう?」
「やってはみるが、望み薄だな。
この階には、マスターキーのような仕掛けは無いようだ。
何の道具も無しとあっては、私といえども流石に厳しい」
……まあ、当然だろう。
そもそも、素人が簡単に開けられてしまうような鍵は鍵とは言わない。
鍵という概念に対する冒涜と言う。
あ~、と。どうしたものかな。
「どうしたの?」
「いや、ちょっと待って欲しい」
僕たちはこの階段までほぼ一直線に来たから、この階の部屋には殆ど入っていない。
不用意な行動は避けたいが、マスターキーの前例もあるし、鍵が開かないなら一通り調べてみる価値くらいはあるだろう。
地図によると、この階のブロック数は三つ。
探索するなら分散した方が効率が良いが、そうなるとどこかの区画が二人になってしまう。
……ここまでは良いにしても、この組み合わせというのが大問題なのだ。
例えば――、
A:氷室+船橋
……アウト、だよな。
というか一番やっちゃいけないヤツだ。
なんか、目を離すと本気で殺し合いとかしそうだし……。
そもそもとして、何で犯人はこの二人をわざわざ同じ施設に入れてしまったのか。いや、割りと本気で。
B:亜希+氷室
これもダメだろう。
氷室は亜希の事なんか罠避けとしか思ってないんだから、帰ってくるのは氷室だけに違いない。
……と、いうか。これって氷室が悪いんじゃないか?
ほんと、ここまで何と混ぜても爆発する男も珍しいよ……。
と、なると。やっぱり残る選択肢は――、
C:亜希+僕
……嫌だ。ダメじゃなくて僕が嫌だ。
また何か妙な荷物を増やされそうだし、これ以上氷室に冷やかされるのはもう我慢ならない。
いや。というか、何で僕はこんなところでチーズ・ネズミ・ネコの川渡し問題みたいな事に頭を悩ませなくてはならないのか。
中間管理職は、どこのグループでも厳しいらしい。
…………。
「――よし。
みんな、この階を手分けして探索したいと思うんだけど、どうかな?」
「え~、面倒くさ!! もう足疲れたんだけど……」
「仕方ねぇだろが。ここから出る為だ、我慢しやがれ」
亜希は無理矢理散歩に連れて行かれる子犬のような目で僕を睨んで来たが、船橋の説得で渋々ながらも頷いてくれた。
口では嫌がっているものの、きっと内心ではこれが必要な事だと分かっているからだろう。
「それじゃ、二人はそれぞれ東と西のブロックを探索して欲しい。
僕は片腕が使えないから、氷室と協力して南を調べてみるよ」
――うん、どう考えてもこれしか無いな。
全員で行動するという選択肢もなくはないが、いかんせん時間が掛かり過ぎるだろうし。
戦力を余らせるのもナンセンスだし、これなら僕一人が我慢すれば済む事だ。
……どうして僕がその役なのか、という点についてのみ不満が無い事も無いが。
「氷室、アンタもそれでいいだろ?」
扉の前に張り付いている“素晴らしい協力者”に、僕は促すように同意を求めた。
「…………」
「? 氷室?」
氷室からの反応は無い。
――どうしたんだ?
見ると、氷室は左腕を服の上から押さえ込んで、さっきから妙に全身をガタガタと震わせているような――。
「氷室――?」
「……、馬鹿な」
――そして。
氷室は、何か妙に噛み合わない返事をした。
「――へ? ちょっと!!
どうしたのよアンタ、その汗!? 大丈夫なの!?」
氷室の様子を見た亜希が、悲鳴に近い声で問う。
対する氷室の返答は、ギロリ、という、爬虫類染みた睨みだった。
「……今、何と言った?
ふざけるな!! この私に向かって大丈夫かだと!?
貴様らごときに心配される程落ちぶれた覚えはない!!
罠避けの分際で、この私に意見などするな!!!!」
口から漏れた言葉は、彼らしくも無い激昂の声だった。
僕たちは皆、呆気に取られて言葉も無い。
蒼白な顔面で死人のような雰囲気を醸す氷室は、僕たちにとってそれ程までに異常に映った。
「……、そうか、分かった。
それじゃあ、南は僕が1人で探索するよ。
その間、アンタはここで解錠を続けるって事でどうかな?」
それだけを言って、僕は氷室に背を向ける。
……今は、そうする事しか出来なかったのだ。
不安はある。
出会ってから僅か数時間ではあるが、僕は氷室 椿樹という男をそれなりによく理解しているつもりだ。
あの冷静な男が取り乱したという事は、つまりはそれほどの事態が起きているという事を示しているのだろう。
「何よ、アイツ……!!」
「気が立ってるのさ。
言ってただろ? ここの鍵は、ちょっと複雑らしいんだ。
邪魔されたくないんだよ」
苛立たしげに舌打ちする亜希を宥める。
――本来なら、本当の事情を知っておかなくてはならない場面だと思う。
だが、氷室はきっと聞いても答えないだろう。
聞いて答える程度の事なら自分から話すだろうし、アイツがああいう態度を取ったという事は、つまりは“そういう事”なのだ。
ここは暫く時間を置いて、冷静に戻るのを待つのが得策だと考える。
ピリピリとした空気を漂わせる二人を促して、僕は地下二階の探索を開始した。




