第五十一章:幸運
「ウソ。これって……」
亜希が、魂でも抜かれたような顔でナニか呟いている。
かく言う僕も完全にフリーズしてしまっていた。
これは――。
まさかとは思うが、暗証番号なのではなかろうか?
もしもコレがあのドアと符合しているのなら、即座にロックを解除できそうなものなのだが……。
「無理をして運んできた甲斐があったね。
奇跡的な幸運に感謝するよ」
目の前の現象の確率に茫然としながら、僕の口は勝手にそんな言葉を紡いでいた。
「ふん。だ、だから言ったじゃない。
ほら、さっさとそれあの眼鏡に渡してきなさい」
亜希は自慢げに胸を張って、さも予想通りのように振舞おうとしていようだった。
……いや、あのさ。
そんな逸らした目線と上擦った声で言われても、何一つ説得力が無いんだけど。
まあ、気付かないふりをしてあげるのが優しさか。
「分かったよ。流石に、そろそろ家に帰りたくなってきたしね。
じゃないと、大学の単位が心配だ」
軽口を忘れずに、資料を持って立ち上がる。
「心配なのは妹なんでしょ?
まったく、素直に言えばいいのに……」
そんな僕に、亜希はため息混じりにそう言った。
……なんか、遠回しにシスコン呼ばわりされているみたいでチクリとする。
少し、仕返しでもしておくことにしよう。
「それは、亜希もだろ?」
「へ?」
僕の一言で、何故かつり目を真ん丸に見開く亜希。
……なんだ、自覚無しか。
「亜希だって、姉の事を心配してるんじゃないか?
そうでもなきゃ、こんな自分が一番大変な状況で、家族が心配だから帰りたいなんて発想は出てこないよ」
「……、あははっ、やられた。
お姉ちゃん、確かにちょっと抜けてるトコとかあるからさ。
あたしがついてないと、もうほんっと危なっかしくて――」
亜希はおどけるようにそう言って、笑っていた。
――笑顔。
それは僕が殆ど見ていない彼女の表情で、同時に家族への親しみの表れでもある顔だった。
「――――っ」
――ヤバい。
ナニがヤバいって、とにかくヤバい。
いつも不機嫌そうに眉間にシワを寄せているから気にならないが、コイツ、なんか笑顔だけは反則的にかわいい。
──って、待て待て早まるな!! コイツの性格を思い出せ!!
えーと、例えばそう、アレだ。
奈菜がこんな性格に育ったら卒倒ものだぞ!?
「……、大丈夫だよ。
どうせ、ここを出たらゆっくり会えるんだしさ。
それに、危険なのは僕たちの方じゃないか。
この状況で心配なんてしたら、された方が怒りそうだ」
一瞬だけ脳裏を過ぎったバカな思考を一撃で殺して、速やかにいつも通りに軽口を叩く。
――帰ったら会える、か。
まるで自分に言い聞かせるように。
咄嗟に出たその言葉を、僕は何度も心の中で繰り返した。




