第四十九章:食料
地図によれば、地下二階への階段の目の前。
シングルルーム程度の踊り場になっているその場所で、僕たちは再びたむろする事になった。
手持ち無沙汰に伺う僕たちの視線の先では、氷室がドアノブにくっついている装置をなにやらカチャカチャと弄っている。
「……ったくよぉ!!
まだ開かねぇのかよ!!」
「不満があるのなら貴様がやれ。
コンピューターサイエンスは専門ではないのだ」
船橋はあまり気が長い方では無いのだろう。
カニでも食べているように黙々と装置を弄り続ける氷室に、あからさまに気が立ってきているのが分かる。
「まさか暗証番号が必要だとはね。
なるほど、こんな鍵束だけじゃ逃げられない訳だ」
目の前に転がる安っぽい金属を眺めながら、僕はため息混じりにそう零した。
――そう。階段に続く最後の扉には、電子ロックが掛かっていたのだ。
幸いにして指紋や声紋、静脈なんかを認証させるような高度な仕掛けはついていないらしいが、当然にして今目の前にあるようなアナログな鍵を突っ込む場所なんか一箇所も無い。
氷室がなけなしの知識を使ってなんとか開けようとしてくれてはいるが、あの分ではいつまでかかることやら……。
「みんなー!! 差し入れ持って来たよー!!」
……その時、全く緊張感の無い声が聞こえてきた。
見るとスポーツドリンクを片手に握った亜希が、胸元に大量の食料を抱えながら小走りでこっちにやって来ている。
「どうしたの? これ――」
「暇だからあっちの方見て来たら、調理場みたいな所があってさ。
冷蔵庫漁ってみたら、なんか中に沢山入ってたの。
――ね。せっかくだし、みんなで食べない?」
「……、そうだね。
あと30分くらいしてから考えるよ」
修学旅行でお菓子を分け合うようなノリで亜希は言う。
彼女の右手に収まっているスポドリのボトルは、潔くももう半分くらいが空になってしまっているようだった。
……ナニが入っているかも分からないのに、よく飲めるものだ。
「コーヒーは無い様だな。
仕方ない、緑茶で我慢するとしよう」
――と。
僕が亜希に呆れきった視線を向けていると、またもこの男が爆弾発言をかましてきた。
「氷室――?」
正直、耳を疑った。
さっきから考えなしとしか思えない言動は、とてもじゃないが聡明なこの男のものとは思えない。
「……やれやれ、相原。
大方、貴様は毒でも入っているのではないかと警戒しているのだろう?
いいか? そんな訳が無いんだ」
亜希に投げ渡された玉露茶の蓋を開けながら、氷室は自信を持った声でそう断言する。
眼鏡の奥に見える双眸が、何故か僕を無言で諌めているような気がした。
「…………」
はっきり言う。
僕には、氷室が何を根拠にしているのか分からない。
この男がここまで言うからには、まず間違いが無いと言えるだけの確証があるのだろう。
だが今の僕には、それがなんなのか全く検討もつかない。
「どうした? 貴様とて、それだけ血を流したのだ。
水分補給も無しでは辛かろう」
氷室がそう言っている間にも、亜希は僕の顔色と腕を交互に伺いながら、スポーツドリンクを一本投げ渡してきた。
銘柄は、彼女が今飲んでいるのと同じ種類のものだ。
「…………」
正直、躊躇いはある。
氷室が何を根拠にしているのかなんて全く分からないし、それ以上に、普通に考えれば飲食物に毒が入っている可能性は十分以上に考えられるだろう。
だが――。
「……分かった。貰うよ」
実際問題、僕の喉の渇きはそろそろ限界を超えつつあった。
起きた時から既に喉が痛かったし、血を失っている事もあって、確かにこのままだと思考にだって支障をきたしそうだ。
そう考えた僕は、恐る恐る、確かめるように、一口だけスポーツドリンクを口に含んだ。
「……ん。うまいな」
――起きてから、初めて口にした水分は。
今まで飲んだ、どんな酒よりも美味だった――。




