第四十四章:素性
「私は氷室 椿樹。
とある製薬会社で研究指揮をとっている。
仕事柄、多くの人間を犠牲にしてきたからな。
ここに呼ばれた理由があるとすれば、恐らくはそれだろう」
険悪な空気のまま円になって座って、一分くらいが経っただろうか。
氷室は淡々と自らの素性を語りだした。
「へ? 犠牲って――人体実験てこと!?
……うわっ。
言われてみれば、いかにも悪の科学者って感じ……」
「気に入らねぇな。
人の命を何だと思ってやがんだ」
亜希は興味津々、船橋はいかにも不愉快そうに氷室の話を聞いている。
僕はというと、氷室の素性は一度聞いている為、黙って矛盾が無いかだけを探っていた。
……まあ、アレである。
何でこんな中学生の宿泊学習みたいな状況になってしまっているのかというと、一応の責任は僕にある。
あれから暫くもめたのだが、どうにも決着がつきそうになかったのだ。
放っておいてもいいが、亜希の怒りの矛先が段々と我関せずで居た僕の方にシフトしてきたので、
『取り敢えず、自己紹介でもしておかない?
お互いをよく知らないんじゃ、もめてもあまり意味は無いと思うよ』
と提案し、今に至る。
正直に言えば提案の意図は別にあるが、おそらく場は収まるだろうという確信はあった。
船橋は見るからに粗暴ではあるが、亜希の話を聞いて僕を助けようとしてくれていた辺りから、ある程度は筋の通った性格だと推測は出来るし、
……氷室にしてみれば、彼らを完全に罠避けとしか見ていない。
聡明なこの男が、みすみす道具の特性を理解する機会を不意にするとは思えなかったのだ。
「……貴様らにだけは言われたくないものだな。
私は多くを殺したが、間違いなくそれ以上の命を救って来たのだぞ?
並の犯罪者に比べれば遥かに良心的なくらいだろう」
ここまでは、僕が聞いた話とまるで同じだ。
ただ一つ、気になる事があるとすれば――、
「待った、氷室。
アンタが言う犠牲にしてきた人間っていうのは、まさか犯罪者じゃないよね?」
彼――氷室椿樹の素性は、あまりにもこの状況に合致しすぎている。
もしも彼が犯罪者を使って人体実験をしていた場合、犯人と無関係だとはとても思えないのだが――。
「残念だが、貴様の期待には応えられない。
私が使ったのは、死を待つばかりの老人や自殺志願者だ。
まあ、嵩張るゴミをリサイクルして社会の為に役立てている、とでも言えば分かりやすいか?」
「……っざけんなっ!! それで誰が喜ぶってんだよッ!!!!」
激昂して氷室に掴み掛かる船橋を、亜希と二人がかりでなんとか押さえる。
……まったく、混ぜるな危険とはこのことか。
自然界では絶対に出会ってはならない二人である。
「安心しろ。私とて、別に無理矢理奴らをモルモットにしたわけでは無い。
大抵の被験者は、どうせ死ぬなら家族に金を残したいと自ら志願したものさ。
それに私とて、命を差し出すに相応しいだけの額を支払ってきたつもりだぞ?」
「…………」
おそらく、氷室の言葉に嘘は無いのだろう。
僕が知っている限り、この男は詭弁は語るが嘘をついた事は無い。
――だが、同時に。
この男は、恐らく真実も語ってはいない。
研究者とすれば、実験体として脆弱な老人は敬遠したいだろう。
とすれば。氷室が主に実験に使いたがったのは、比較的若くて健康な自殺志願者達がメインだったということになるが――。
保険金目的でもない限り、そこまで家族を気にかけている人間が、そうそう自殺など考えるものだろうか――?
この男が、どの程度の意志を“志願”として扱ったのか。
それを、僕に知る術は無い。
「けっ、どいつもこいつも腐ってやがる。
ちっとは命を大事にしろってんだ!!」
そんな僕の推測を知ってか知らずか。
船橋は、不愉快そうに悪態をついていた。
「ほう? ならばそういう貴様こそ、一体何をしたというのだ?
ここにいるからには、まさか無実という訳でもあるまい」
「別に。テメェに比べりゃ、大した事じゃねぇよ」
面倒臭そうに鼻を鳴らしてから。
船橋は、自らの素性を語りだした。




