第二十三章:虫籠
部屋の中は、異国へと繋がっていた。
腐葉土、だろうか? 熱帯の森林の様に湿った黒土が、8畳程度の広さの部屋の床を覆うようにして、すり鉢状に敷き詰められている。
「…………」
扉を開けたその姿勢のまま、僕は中に踏み込む事が出来ずに立ち止まっていた。
すり鉢の傾斜が急すぎて、一度落ちたら、左腕が使えない僕では登って来られない事が明らかだったからだ。
故に僕は、ナニか打開策を模索しつつも、所々に動物の骨のようなモノが転がっているその黒土を、呆然と見つめ続ける事しかできなかった。
「うぅ……」
彼女は、そのすり鉢の中心に居た。
最早立ち上がる気力も無いのか。
原型が無い程に崩れてしまった彼女は、泣きじゃくる様に蹲って、一歩も動かず地に伏している。
「――――っ」
――ズキリ、と。
胸の奥に、ナイフで突き刺されたような痛みが走った。
彼女がああなってしまった責任の一端は、間違いなく僕だ。
こんな、自分のことだけで精一杯の状況で、それでも他人を気に掛けてくれたような優しい彼女を、あんな姿にしてしまったのは、間違いなく僕の責任だ。
僕には、彼女を助けなくちゃならない義務がある――。
「待ってて!! いま助けるから――」
彼女を抱えてすり鉢から登ってこられるのか、なんて分からない。
でもそんな些細な事なんか、もうどうでもよかった。
ただ彼女を助ける為に、僕は、すり鉢の中に足を踏み入れようとし――、
「……へ? な、何? 何これ!?」
「――――!!」
ザワザワという、異音と共に。
彼女の様子に、明確な異常が起きる様を見た。
――咄嗟に、彼女の視線を追う。
見ると、彼女の足元からは、ナニか黒い煤のようなモノが濛々と湧き出し始めているところだった。
墨汁でもぶち撒けたかのような、真っ黒いナニかが、ゾワゾワと彼女の足に群がっていく――。
「イヤ、イヤッイヤァッ!!
痛いッ!! 痛い痛い痛い痛い痛いッ!! やめて!! もうやめてよっ!!!!」
彼女が断末魔の悲鳴を上げ始めた。
それと同時。煤が身体に広がるにつれて、彼女の脚からは吹き出す様に血液が飛び、劇薬で溶けた皮膚がグズグズと崩れていく――。
「何、だ……、アレ……」
咄嗟に、僕は目を凝らしていた。
その間にも煤は徐々に広がっていき、今では黒い絨毯になってすり鉢の底を覆ってしまっている。
そして、その絨毯の端をジッと見つめた、その瞬間。
僕は、ソレの正体を把握して総毛立った。
「……、蟻?」
――そう、蟻だ。
数千種とも言われる“蟻”という種の中には、グンタイアリという種類がある。
巣を作らずに移動生活をするという変わった習性を持つ彼らだが、この種が特に他の蟻と一線を画すのは、やはりその獰猛さだろう。
サソリやムカデなどの大型昆虫は勿論のこと、動けなければ牛や馬でも捕食するという大食漢である。
「待て……。この骨って、まさか……」
そこで、凍りついた。
部屋に散らばっている、無数の骨。
このカタチ。この砕け方。これは、絶対に動物のモノなんかじゃあり得ない。
どう見ても、間違いなく。
これは、明らかに、蟻に喰い散らかされた人骨だ――!!
この部屋の正体は、死の絨毯が潜む巨大な虫籠だったのだ。




