第二十二章:毒雨
――悪魔の雨が止んだ。
彼女の組織が混じりあった、ピンク色の水溜りに触れない様に気をつけながら、静かに周囲の状況を把握する。
「刺激臭は無い。色も透明。この液体は……?」
真っ白になった頭で、僕は呆然と、液体が降ってきた通風口を見上げた。
――ふと、その時。
不意に、蛍光灯に異常が起き始めている事に気がついた。
液体が垂れたのか、或いは跳ねたのかは分からない。
僕に分かったのは、蛍光灯のガラス管の一部が濡れており、そこからポタポタと、蛍光灯そのものが溶けて滴り始めているという事実だけ。
「フッ化水素――」
液体の正体を把握した。
――フッ化水素。
ガラスを溶解するのが特徴のこの液体は、濃度や添加物次第では硫酸よりも酸化力の強い超酸となる。
人体に付着すれば皮膚を溶かし、骨を侵す猛毒である。
人の経口最小致死量は、僅かに1.5グラム。
大量に浴びれば、血液中のカルシウムイオンを奪われて心不全に陥る。
……この場合、意識ははっきりとしたまま死に至るらしい。
「マズいな。こんなモノを、あんなに大量に浴びたら……」
フッ化水素は、皮膚からでも容易に吸収される。
早く洗い流さなければ、彼女は近いうちに、間違いなく心停止を起こして死亡するだろう。
「ふっ……!!」
猛毒の水溜まりを、助走をつけて一気に飛び越える。
そして半開きになった、彼女が入って行った扉を、ノブに触れない様に気をつけながら足で開けた。
「……、いったい」
開けながら、僕の頭には小さな疑問が沸いていた。
彼女は一体、何を恐れたのだろうか。




