第十七章:負傷
「はっ……ハァッ……!!」
薄汚れた廊下をひた走る――。
何を恐れたのかはわからない。
何が恐ろしいのかもわからない。
ただ恐ろしいまでの嫌悪感だけが、グチャグチャに掻き回されたような頭の中を占めていた。
後方から感じる、逃れ得ない“死”の恐怖から離れる為に。
走る。
走る――。
「は……っ!!」
瞬間。僕は、視界の端で何かが光ったのを見た気がした。
反射的に身を翻し、床に這いつくばって、前のめりになりそうな身体にブレーキをかける。
「ッ!!」
バネ仕掛けの音を聞いた。
音の源は、背後から。空を切るような冷たい音が通り過ぎ、何かが千切れるような音と、生臭い臭いが瞬間的に鼻を突く。
「ぐっ――!!」
不意に、左腕が熱くなった。
体にブレーキをかけた両掌も十分に熱いが、腕はその比ではない。
まるで、焼き鏝でも押し当てられたみたいだ。
そして、
「――ぁぁぁぁぁぁぁああああああああああッ!!!!」
獣のような叫び声が聞こえた。
とても五月蠅い。それはそうだ。だって、音源は嫌になるほどやたらと近い。
――僕自身の喉の奥から発せられていたのだから。
発狂しそうな激痛に目を見開く。
見ると、僕の上腕にはプッツリと、ガマグチみたいに大きな裂け目が開いてしまっていた。
ドス黒く、野球ボールでもねじ込めそうなその穴の奥には、黄ばんだ骨のようなモノがツクリモノみたいに覗いていて、筋肉とか、皮膚とか、そんな腕を構成するのに必要なモノがポッカリと無くなってしまっている。
大切な筋肉が散らばって、糸をひくみたいに垂れている先を見ると、僕の腕に風穴を開けたらしいナイフが、墓みたいに壁に突き刺さっていた。
「ああああああああアアアアアアアアアアッッッ!!!!」
――熱い。
――左腕が熱い。
――頭がおかしくなりそうだった。
僕は何をやっているのか。
中に何があるのかも分からない扉を恐れて、勝手に走り回って、左腕を駄目にした。
何故あの扉が、なんであんな、ナニが入っているかも分からないような扉が、目の前に仕掛けられた死のトラップよりも恐ろしいモノだと思ってしまったのか。
今更どんなに後悔しても、食い破られた左腕は元に戻ってなんかくれない。
「グッ、ゥ……」
激痛にのた打ちながら二階堂の腕を確認すると、もう手首しか残っていなかった。
ギリリ、と、音が鳴る程に強く奥歯を噛み締める。
僕は、八つ当たりする様にソレを壁へと投げ捨てた。




