第一〇ニ章:狂笑
――暑い、暑い、暑い、夏の日だった。
夏色の太陽に染められた空には、不気味なくらい大きな入道雲。
もしかしたら一雨来るかもしれないな、なんて思いながら、二日酔いの強烈な頭痛と吐き気を堪えて、僕は全速力で寮の自室へと戻って来た。
「た、ただいま……」
ゼェゼェと切れた息を整えながら、扉を開けて彼女に帰りを告げる。
――声は無かった。
いつもなら僕を出迎えてくれる筈の彼女からの返答は無くて、部屋の中は時が止まったように静まり返ってしまっている。
――もしかして、隠れてるのだろうか?
そういえば一緒に住んでいた頃は、彼女はよく居ないフリをして僕をからかってたっけ、なんてことをふと思い出す。
……まったく、今年から高校生になったっていうのに。
まだそんなイタズラっ子のような事をしているのかと思うと、兄としては些か心配にもなる。
「奈菜、帰ったよ。
まったく。この部屋、隠れる場所なんか殆どないのに……」
半分呆れながら呼びかけて、狭いワンルームの部屋の中へと入っていく。
「奈――――」
そして、僕は彼女を見つけた。
……、なんだ。
彼女は、別に隠れてなんかいなかったんじゃないか。
だって部屋のど真ん中に、あんなに堂々と寝転がっているんだから。
きっと、よっぽど暑いのだろう。
彼女の全身は信じられないくらい大量の汗に濡れて、錆びた鉄みたいな臭いが部屋に籠ってしまっている。
……。まったく、おかしな事もあるものだ。
あんなにあんなに真っ赤だったら、まるで●みたいじゃないか。
……、うん、違うな。
だって、●があんなに沢山出るわけが無いのだから。
「奈菜……?」
彼女の名前を呼んでみる。
……、寝てるみたいだ。
まったく。
いくら暑いからって、こんな所で寝たら風邪を引くだろうに……。
あんまりダラシないと、嫁の貰い手が無くなるぞ?
――彼女からの返答は無い。
よくよく見ると、彼女の服とか皮膚とかには沢山の穴がポツポツポツポツと空いていて、お腹の辺りからはピンク色のチューブみたいなモノが零れてしまっている。
いつも僕を覗きこんでくる、ネコみたいに可愛らしかった瞳もどこかおかしくって、カメレオンみたいにそれぞれ別の方向を向いていた。
……、まったく。
奈菜も、おかしな遊びを覚えたものだな、
これじゃあ、まるで●んでいるみたいじゃないか――。
「は、はは……。
まったく、奈菜はだらしないな。
こんなの、絶対に出しちゃいけないモノだろ?
ほら、さっさとしまいなよ」
――戻した。
穴から零れてしまった彼女の中身を、丁寧に丁寧に押し戻した。
溢れているピンク色のチューブを腹に押し込んで、飛び出てしまっている黄色と灰色が混じってブドウみたいなツブツブが沢山沢山連なっている●を、アバラを開いて丁寧に丁寧に押し込んだ。
――、なのに。
飛び出している●を一つしまうたびに別のところから別の中身が零れてきて、それを塞ぎながら別の箇所から別のモノを戻している間にだんだん中身が崩れてきて、だんだん自分でも直しているのか壊しているのか分からなくなってきて直す? バカな。彼女のどこが壊れているというのか。だってそうだろ? 彼女はこんなに、こんなにいつもと変わらない目で僕を見ていて、掻っ捌かれた腹からあんなに中身を飛び散らせて、真っ赤な真っ赤な真っ赤な●を、こんなにこんなにこんなに垂れ流していて――、
「……、はは」
――、出来なかった。
ありとあらゆる思考を放棄して、ありとあらゆる解釈を求めたけれど、これ以上、僕には問題を先送りにする事なんか出来なかった。
――、そう。
彼女は、死――――、
「あははははははははははあはっ!!!
あははははあははははははははははははあははははあははははははははははははははははははははははははははははははははあっははははははははははははははははあははははははははははははははははははあははははははははははははははははははははははははははははッッッ!!!!!!!」
――忘れるはずも無い、彼女の誕生日。
……本当に、何度後悔したか分からない。
とてもとてもとても暑かった、この日に。
僕の世界は、コワレてしまった――。




