新たな歩み、伝える思い
圭斗と海斗の後ろ姿を見送って、それから十夜は歩き始める。紗綾もその後を追う。
「あの……」
「何だ?」
「……ミサキさんと話をしました」
「そうか」
彼の眷属のことだ。気付いているのではないかと思っていた。
口にするのは躊躇われたのに、十夜の反応はあっさりしすぎている。
「伝えるように言われたんです。許してるって、あなたはもう大丈夫だから、私はいらなって」
自分が伝えずとも、彼女は伝えられるのではないだろうか。
「……離れたことには気付いていた。消えたことにも」
十夜の声音から感情は読み取れない。
彼女は何も言わないままいなくなってしまったのだろうか。
「多分、全部聞いたんだと思います。視たんだと思います。部長は人殺しじゃありません」
噂を聞く度にそう思っていた。やっと真実がわかった。
彼は今こそ解き放たれなければならない。彼女は望んでいる。
自分にできるのかはわからないが。
「俺が死なせたも同然だ。わかっていて助けられなかったのは見殺しと同じだ」
きっと、彼はずっと自分の罪を背負っていく覚悟なのだろう。だから、本当に人を殺したのかと言われて、そうだと答えてしまう。
「ミサキさんは部長を恨んでません。忘れてって」
黙り込む十夜に紗綾は不安になる。やはり自分が踏み込んでいい問題ではなかったのだと思う。
沈黙に堪えられず、自分を見る彼が次の言葉を待っているようにも思えた。
「でも、忘れなくていいと思います。ミサキさんも本当は自分がいたってこと忘れてほしくないと思います。でも、思い出す度に自分を傷付けるような覚え方はしてほしくないんだと思うんです」
かさぶたを剥がしてはまた血を流し、傷を広げていく。彼がしているのはそういうことだ。
「そうなのかもしれないな……いや、貴様が言うならそうだ」
自分はそんなに正しい人間ではないと言いたかったが、それよりも少し穏やかになった十夜の表情が嬉しかった。
「もう強がったりしなくていいんです。冷酷なフリをしなくてもいいんです。誰かを助けたいのに、我慢もしなくていいと思います。もう誰かの言いなりになって自分を偽ったりしないでください」
彼はいつも無理をしている。
時に限界を超えて保健室に行ったり、早退したりを繰り返している。
嵐や将也は心が弱いと言うが、人一倍繊細で傷付きやすいだけなのだ。そして、その脆い心を守るために自らが傷付けるという負荷をかけている。
だが、もうそれは必要ない。
「私はオカ研で少しでも誰かを救ってあげたいと思うんです。何もできない私が綺麗事を言っていると思われるかもしれませんけど、相談しやすい環境を作ってみたいんです」
救うことは自分にはできない。それでも、話を聞くことはできる。何件かのケースには立ち会ってきたし、必要があればこれから勉強する。
サイキックと相談者の引継役になりたい、今ならばはっきりわかる。
「望むなら、俺はいつでも力を貸すつもりだ」
「本当ですか!?」
まさか、十夜からそんな言葉が聞けるとは思っていなかった。
「ああ、だから好きにしろ。あの一年も全く使えないわけでもない」
「でも、まだ先のことですね」
今はまだ十夜のオカ研だ。オカ研の部長の権力は卒業まで続く。引退も同時だ。
「今からでもいい」
「え?」
「今から変えていけばいい。俺は構わない」
それは彼自身もそうしたいと言っているようで紗綾は嬉しかった。
少し十夜が前向きになってくれた気がするのだ。
「明日、圭斗君と先生にも相談してみます」
「誰も文句は言わないだろう」
その言葉があれば、勇気が持てる。
きっとオカ研は変われると確信する。
けれども、十夜に言いたいことはそれだけではなかった。
「あの、部長に聞きたいことがあるんですけど……」
「なんだ?」
今ならば、彼は何でも答えてくれるだろうか。
「これ、どういう意味なんですか?」
紗綾は十夜から貰ったネックレスを差し出す。
「……あまりだと言っただろう。意味はない」
「クラスの女の子が行ったら、完売だったって言ってました」
貰った時の引っかかりの正体だった。打ち解けたことでクラスメイトが教えてくれたのだ。今年も完売で自分達が行った時には何も残っていなかったと。
だから、十夜が言うことと矛盾する。
「うまくやっているのか?」
「ええ、最近は。この調子でもっと理解を広げていきたいと思ってるんです」
「貴様ならできる」
「……答え、聞いてません」
はぐらかされた気がする。前ならば、それ以上聞いてはいけないのだと諦めたが、今日はそういうわけにはいかない。追及するつもりで勇気を振り絞ったのだ。
「……それは、貴様のだ」
「部員だったから、特別ですか? それとも、私を生贄にした負い目ですか?」
「そうではない」
自分のために用意してくれたものだと、すぐには喜べない。
彼の考えていることがわからない。どうしたらいいかわからない。
「……いなくなるな」
「わけわかんないです」
答えを求めて、けれど、どうしてそんな回答になるのかがわからない。
「側にいろ」
そう言われることは嬉しい。でも、それだけではない。
「部長はいつも言葉が足りないんです」
彼はいつも肝心なことだけを言ってくれない。
「注文が多い」
ついには十夜の口から文句が出た。
「部長のせいです!」
「俺にどうしろと?」
「……わかりません」
そう言われても困るのだ。全ては彼のせいだ。彼がはっきり言ってくれれば自惚れなくて済む。
「貴様は俺の生贄だ。あいつにはやらん」
あいつとは誰だろうか。けれど、誰でも良かった。
「じゃあ、私、先生のこと幸せにしてみます」
「どうしてそうなる?」
その答えは十夜のせいだ。彼がわけわからないから困るのだ。
彼にも嵐にもずっと翻弄されている。どちらも本当は優しい人間だと思っている。けれど、時折本当に悪魔のように見えることがある。
「先生、凄くアピールするんです。幸が薄いって」
「……貴様は俺の側にいればいいんだ」
十夜は少し怒っているようだった。
「何でですか?」
横暴だ。理由さえ教えてくれればそうは思わないのに、彼は本当に誤解されやすい人間で、誤解されることに慣れすぎている。
「もういいです。着きましたから。さようなら」
最早、タイムリミットだった。気付けば、自宅が目の前だ。車がない。親はまだ帰ってきていないようだ。
くるりと背を向ける。これ以上は粘っても無理だろう。
彼の気持ちを聞くのは諦めた方がいいようだ。
門を開けようとして、手が離れる。後ろに引っ張られる。
段を踏み外して後ろに倒れるような、けれど、そんな段はここにはないはずだ。
背中が受け止められ、気付く。回されている腕に。
抱き締められている。
「い、いきなり何するんですか!?」
本当に何を考えているかわからない。自惚れが強くなるということをこの男はわかっているのだろうか。
「安心しろ、誰もいない。どうせ、寂れてる」
「そういう問題じゃありません!」
なんて失礼な。事実であってもあんまりだ。
それに、いつ親が帰ってくるかもわからない。誰が通るのかも。
近所の人に見られるのかもしれない。いくら本当に閑散としているとは言っても。
紗綾は憤慨するが、十夜は素知らぬ顔だ。
「まあ……そういうことだ」
「わかりません!」
そんな答えがあるか。言葉の代わりに行動で示すタイプではあったかもしれない。
言葉を面倒臭がる。どうせ、わかってもらえないと諦める。
言葉を上手に伝えられない。どうせ、また伝えられないからと諦める自分と同じかもしれない。
「貴様はどうなんだ?」
自分は言わない。けれど、人には言わせる。そういうことなのか。
「部長は卑怯です!」
彼の腕の中で紗綾は憤慨した。
「そればかりだな」
そうだ、自分はいつもそんなことを言っていたかもしれない。
いつだって、肝心なことはごまかされてきた。
「部長が魔王って呼ばれる理由がよくわかった気がしてます」
自分だけはそう思わないようにしようと思っていたこともある。彼は悪人ではない。嵐もそうだ。
だが、自ら嬉々として策を弄する嵐は策士以外の何物でもなく、常に他人を威圧する十夜は孤独な魔王だ。
「もっと一緒にいたいです。でも、そうしていいかわからないんです。私には同じ世界が視えないから」
他人と同じ世界を見ることが不可能だとはわかっている。彼とは根本的に見える物が違う。
だから、彼は触れてはいけない禁断の箱のようだ。こうして彼から触れているのに、側にいてはいけないような気がする。
彼が望んでいるとしても、肝心なところで彼の心が見えない気がして、一歩を踏み出せない。
「 」
紗綾にしか聞こえない、そんな小さな声だった。
その腕から逃れて、彼と向き合う。もっとはっきりと自分の目を見て、答えて欲しかった。
珍しく顔を真っ赤にした彼は二度は言ってくれないだろう。
それでも、確かに聞こえたのだ。
だから、紗綾は今度は自分から抱き付いた。
「答えを聞いていないが」
十夜の声には動揺が混じっている気がする。
「これが答えです」
「俺は言った」
彼と同じことをしてみたというのに、不満げだ。
「あんなの言った内に入りません。もう一度言ってくれたら、私も言います」
将也は言った。安心して彼にぶつかればいいと。
今度は振り回してトドメを刺す番だとも言った。
今はその意味がわかる気がする。
初めは怖かった。わけのわからない理由でわけのわからない部に入れられ、従うしかなかった。
次第に優しさを知って、最近になってようやく自分が彼を好きになっていたと気付いた。
彼には何度も役立たずだなんだと言われた。だが、部から追い出そうとはしなかった。そういった権限があるにも関わらず。
単に魔女に文句を言われることや新しい人間を捜すのが面倒だったのかは知らない。
いつしか、彼に必要とされているのだと思うようになっていた。
利用されているだけなのかもしれない。彼は自分の心を見せないからわからなかった。
自分の存在が彼を苦しめているような気はしていた。
それでも、ネックレスを貰った時は嬉しくて、だからこそ、意味がどうしても知りたかった。
ミサキのことがきっかけになった。
たとえ、将也に支えてあげてと言われて、ミサキに側にいてあげてと言われて、自分の中にそうしたい気持ちがあったとしても、彼は何も言ってくれない。側にいろと言って、そうやって押し切る。肝心なところだけ誤魔化そうとする。
そんなのは今日で終わりにしたい。だから、紗綾はじっと十夜を見詰めた。
そうして、十夜は諦めたように溜息を吐いた。
「好きだ」
「私も好きです」
いつから、どうして、そんな言葉は一切意味を持たなかった。




