魔王の眷属
放課後、紗綾はドキドキしながら部室へ向かっていた。
少しクラスメイトに捕まって遅くなってしまった。
彼女達にもオカ研に戻るということを伝えないわけにはいかなくなってしまったのだ。
文化祭までのことだが、全て夢になってしまうのではないかとさえ思った。
折角、友達になれたと思った。普通の友達ができて、普通の青春をした。
貰った写真だけが、それを残している。
けれど、彼女達は見送ってくれた。
これからも、ちゃんと友達だと笑って。
そんな後押しもあって、紗綾の足取りはそれほど重くはなかった。
部室に近付くほどに心臓が壊れるのではないかというほど動悸が速まった。
だが、十夜がくれたネックレスを見れば落ち着いた。
こうして、ずっとアミュレットのように持ち歩いていたいが、大切にジュエリーボックスに入れておきたいとも思ってしまう。なくしたり、壊れたりすることを考えたくはなかった。
紗綾が去年手伝わされて作ったビーズを通しただけのものとは雲泥の差がある。
むしろ同じ系列で考えるのが大いなる間違いだと思えるほどだ。
それでも、売り子が久遠なら全て旅立っていくのだから不思議なものだ。
ついに部室の前に立って、紗綾は首を傾げる。
おかしい。
まずそう思った。
嵐が趣味でかけている音楽が全く聞こえてこない。そういうこともあるが、人の気配がないのだ。誰の話し声も聞こえてこない。
扉の窓は塞がれているが、天井近くの窓を見上げれば電気がついていないのがわかる。
つまり、誰もいないということになるだろう。
十夜も嵐も圭斗も、誰もいない。
携帯電話を開いて少しガッカリしたのは圭斗からさえ何の連絡もないことだった。彼も遅れているのだろうか。
けれど、自分から連絡する勇気はない。
また放課後、とは言ったものの、十夜は頷いただろうか。
否、ネックレスをくれただけだった。
だとすれば、返せないまま持っていた合い鍵で入ってしまってもいいのだろうか。
連絡をする勇気もない。引き返して、少し時間を潰してから出直すべきか。
紗綾が逡巡した時、何か物音がした気がした。
もう一度、何か物を叩いたような音が聞こえた。
更にもう一度、それはあまりに不自然な音だった。
行き止まりの部室の他にあるのは空き部屋だけだ。それなのに確かに音が聞こえる。
部室からだという確信が紗綾にはあった。
誘われるように合い鍵を差し込む。
中に入れば、やはり誰もいない。
十夜がソファーで寝ているわけでもない。誰かが隠れているわけでもない。何の気配もない。
不安なまま、紗綾が立ち尽くしているとまた物音がした。
今度は近い。キョロキョロと見回す。
窓は開いていない。風などが入ってくる隙間はない。
ふと、歓迎会の時、善美といた夕方のことを紗綾は思い出す。あの時と同じ状況だ。
これは心霊現象なのか。
それが悪意のあるものだったとして、自分は本当に大丈夫なのだろうか。
一人きりでこういったことに遭遇したことがないのだ。
不審な物は見当たらないが、この部室にはそういったものしかないとも言える。
一番怪しい棚に近付いてみる。スルリと棚から紙が床に落ちた。
それから何か小さなものが転がり落ちる。
目で追えば紗綾の足下にあるのはひらがなや数字、アルファベット等が書かれた紙だ。
それから外国のコイン、香澄に言わせれば『こっくりさん』だが、十夜の私物だ。
角張った細い十夜の字――つまり彼手作りの眷属との交信グッズだ。
十夜自身は眷属の声を聞いて会話できるらしいのだが、交信内容を知らせる目的と、自分が独り言を言う不審人物でないことを示すために使っているらしい。
コインがスルスルと床の上で紙を這い始める。
それは紗綾も何度か見た光景ではある。
けれど、十夜もいないのに、眷属がいるのだろうか。
ピタリと止まったのは、『ま』と『む』の間、つまり『み』だ。
紗綾がしゃがみ込むと、またコインが動き始める。今度は『さ』の位置、次に『き』である。
「み・さ・き……?」
紗綾が声に出せば、『はい』のところまでコインが移動する。
それから、また動き出す。
「な・ま・え……えっと、ミサキさん?」
『はい』――『みさき』というのが彼女の名前なのだろうか。
「黒羽部長の眷属さん……ですよね?」
恐る恐る問えば、また『はい』の位置でくるりと回る。
今、自分は十夜の眷属と交信をしている。
そう認識しても、紗綾にはわからないことがある。
なぜ、交信しているのか。
何か自分にメッセージがあるのだろうか。先ほどの音は彼女が呼んでいたのだろうか。
声が聞こえるわけでもなく、ただ勝手に動くコインを追う。
「お・ね・が・い……お願いですか?」
――『はい』
「私に……?」
――『はい』
「私で良ければ」
紗綾のお人好しは人間以外にも発動されるものだったようだ。
相手が見えるわけでもないのに、安請け合いをしてしまう。
――『とおやくんにつたえて』
「黒羽部長に伝言ですか?」
――『はい』
「何を伝えればいいですか?」
――『あなたをゆるしてる』
「部長に許してる、ってことを伝えればいいんですね?」
――『もうだいじょうぶ』
――『わたしはいらない』
「そんな……」
本当の意味はきっと十夜にしかわからないだろう。
紗綾は彼と眷属の関係を知らない。
――『あなたはひとごろしじゃない』
そのメッセージにハッと息を飲む。十夜が背負っているという罪、海斗も言っていたことだ。
だが、紗綾は十夜が誰かを手に掛けたとは思っていなかった。
――『こいんにふれて』
メッセージに従って紗綾がコインに触れれば、何かが流れ込んでくる気がした。
不思議な体験だ。圭斗の眷属を見た時に似ているかもしれない。脳裏に浮かぶ映像……少年と女性がそこにいた。よく見ようとして自然と目を閉じる。
黒髪の少年には見覚えがある。今よりもあどけなく、その眼光に鋭さはなく、ただキラキラとしている。
女性の方は全く知らないが、若く綺麗であった。
「部長とミサキさん……?」
そうよ、と声が聞こえた気がした。なぜか、チリッと胸が痛む。
彼女の記憶なのだろうか。
『私と十夜君の関係はただのご近所さん。心配しないで』
そう言われてほっとしてしまう。少しずつ、けれど、確実に強く自覚していく。
だからこそ、こんな風に勝手に秘密を知ってしまっていいのかと思ってしまう。
知りたいと思う気持ちももちろんある。けれど、後ろめたさは消えない。
『当時、私はストーカーに悩まされていて……十夜君も久遠君も永遠子さんも心配してくれていた。でも……十夜君は私が彼に殺されるヴィジョンを見た』
眷属について詳しく聞かされたことはなかった。
けれど、今になってわかる。彼女は圭斗の眷属とは性質が異なる。
十夜と同じ時を生きていた女性なのだ。死して尚十夜についている
『……彼は自分のせいだと思ってる。彼のせいじゃないのに……あれは避けられない運命だったって思う。十夜君は悪くない』
彼女の負い目なのだろうか。
これこそが、十夜が人を殺したという真相なのだと確信する。
そうなの、とミサキの肯定する声が聞こえる。
『あの時、永遠子さんは出張中で久遠君は別件を抱えていた。十夜君だけはどうにかしようとしてくれたけど、私は危ないことに彼を巻き込みたくなかった。十夜君のヴィジョンも悪い夢だと思ってたし……』
その時のことが流れ込んでくる。
だが、紗綾にはミサキの気持ちもわかる。
たとえ、十夜を信じたいとしても、自分の死の予言を簡単に受け入れることはできないだろう。
『私は逃げようとして、神社の階段から落ちてしまった――けどね、私が自分の死を認め、この世でさまよわずにいられるのは、十夜君のおかげ。だから、あの子が一人前になるまで力になると誓ったの』
霊の中には不慮の事故で命を落とし、自分が死んだことにも気付かないままこの世をさまよい続ける者がいると聞いている。
それを導いてやることも彼らの仕事だ。
『十夜君はまだ未熟。だけど、あなたがいれば大丈夫。ずっと側にいてあげて』
不思議な気分だった。暖かさを感じる。
けれど、彼女がしてきたことが紗綾にできるわけではない。
そして、大事なことを自分が伝えていいのだろうか。
『十夜君は聞いてくれないから。だから、お願いね』
ミサキは紗綾の気持ちを察したようだったが、お願いを断れないこともわかっているのだろうか。
そうして、何も見えなくなり、彼女の声も聞こえなくなった。
手を離してもコインはもう動かない。
ミサキは十夜の元に戻ったのだろうか。




