生贄の決意
翌日学校で香澄に会うと、紗綾は真っ先に昨日あったことを話した。
それから、オカ研に戻りたいという意思を告げる。
絶対にやめろと言われると思っていたが、意外にも香澄はあっさりと納得した。
それどころか「やっぱりね」と言った。何もかもお見通しだと言うように笑う。
それから昼休みには圭斗の教室へ行ってみたが、彼のクラスメイトの女子二人組に追い返されてしまった。
どうしたらいいのか迷いながらも今度は十夜と将也の教室へ向かってみた。
将也には教室の前ですぐに会えた。タイミングが良いのか悪いのか。
「あれ? 珍しいね。もしかして、俺に会いに来てくれた?」
微笑む将也に紗綾は何と言えば良いかわからなくなる。
その通りと言えばその通りなのだが、嬉しそうな将也を見て複雑な気持ちになる。
彼の期待には応えられないからだ。きっと、その笑顔を曇らせてしまう。
そして、もう一つ気になることがあった。
「黒羽部長は……」
「あー、黒羽なら休み。風邪だって」
「そうですか……」
どちらにしろ、今日は話せないのだろう。今も寝込んでいるのだろうか。昨日もそうだったのだろうか。そう思えば、昨日連絡しなくて良かったなどと思ってしまう。
それでは前に進めないとわかっているのに。
「黒羽って、絶対将来ハゲるよね。多少は俺のせいだろうけど」
クスクスと将也は笑う。それは絶対に本人にとっては笑い事ではないだろう。
「あのメンタルの弱さをどうにか鍛えてあげようと思ったんだけど……駄目だったね。根本的な問題がいつまで経っても解決できないから」
将也なりに友人のことを考えたつもりだったのだろう。
「だから、これからは紗綾ちゃんが支えてあげるんだよ」
「え……?」
思いも寄らない言葉に紗綾は困惑する。
「そういうことでしょ。黒羽を訪ねてきたのって」
「将也先輩にも話さないとと思って……」
「見ればわかるよ」
そんなにわかりやすいのだろうか。
紗綾が首を傾げれば、将也はクスクスと笑う。
「だから、俺のことなんて気にしないで、空気だと思ってくれれば。まあ、空気はなければ生きていけないから、俺は引き立て役として貢献できたかな?」
それから将也は壁にそっと寄りかかった。
「それに、初めからわかってたんだ。望みがないって。だから、田端君は冷たかったんだろうね」
俯きがちに独白のように将也が言う。
香澄のことは紗綾にもよくわからない。なぜ、彼女が「やっぱりね」と言ったのかわからない。今の時点ではその真意を教えてもらえないようだ。
「君が黒羽のことを好きだって、好きになるってわかってた。君が自覚するまで望みがあるなんて思ってた。卑怯だよ、俺は。全然フェアじゃない」
紗綾は胸が苦しくなる。全て見透かされている。
彼は悪くないのに、卑怯ではないのに、何を言ったら良いのかわからない。彼を苦しめているのが自分なのだと今はわかっているのに。本当に卑怯なのは自分の方なのかもしれないとさえ思うのに。
「でも、無駄な足掻きはもうやめるよ」
壁から体を離して、将也は顔を上げた。
「だって、心が決まったって顔してるから」
ふっと将也が微笑み、紗綾はほっとする。
「前の黒羽には渡したくないって思ってたけど、今の黒羽になら……ううん、今の黒羽に任せるべきなんだと思う。だから、安心して黒羽にぶつかればいいんだよ」
十夜がどんな答えを出すかはわからない。それでも、紗綾は将也が言うようにぶつからなければならなかった。
それが、紗綾なりのケジメだった。
「圭斗君には会った?」
「さっき、教室に行ったんですけど……会わせられないって言われてしまって……当然ですよね」
圭斗にはひどいことをしてしまったと思っている。だから、その報いは然るべきものだろう。
それでも、会わなければならない。どうすればいいのか。何度追い返されようと行くべきなのかもしれない。できれば、彼には十夜に会う前に会いたかった。
「俺がなんとかしようか?」
正直、その申し出には飛び付きたくなるが、それではいけないのだ。
「自分でどうにかしなきゃいけないと思うんです」
「うん。そう言うと思った」
意地なのかもしれない。だが、ここは貫き通さなければならないところなのだ。
「俺は彼を変に焚き付けようとしたところがあるから、若干責任感じてるんだよ。いや、彼、元々本気だったけどね」
将也の言葉がチクリと胸に突き刺さる。
どうして、彼を疑ってしまったのだろう。信じられないと思ってしまったのだろう。
そんな思いが渦巻いているのだ。
「頑張って。今度は君が黒羽を振り回して、トドメを刺す番だから」
「と、トドメ、ですか……」
それは何だか穏やかではない気がする。
「フられた時は、是非、俺を次の候補に……、なんてね。田端君に聞かれたら刺されるよ、俺」
そこで出てくるのはやはり香澄である。刺すというのは喩えだろうが、穏やかではない。
「全部、終わったらちゃんと田端君に聞くといいよ。言わなかったら、俺が今度は仕返ししようかな?」
紗綾が首を傾げれば、将也は一番明るい表情を見せた。悪戯っ子のように楽しげである。
一体、二人の間に何があったのか、謎は深まるばかりであった。
放課後、紗綾は決心して、また圭斗のクラスの近くまで行ってみた。
彼のクラスの方が先にホームルームが終わったようだったが、可能性が全くないわけでもないだろう。
同時に、あの二人組の女子が残っている可能性もあり、慎重にもなる。
懲りもせずにきたと怒られるだろうか。会わせたくない気持ちもわかるのだ。
だから、会えるならば、いくらでも怒られる覚悟はできていたはずだった。
不審者のようにコソコソしていても仕方がない。
「月舘先輩!」
一歩を踏み出そうとしたところで声をかけられ、紗綾はビクリとした。
「もしかして、俺に……! って、絶対違いますよね」
そう笑うのは文化祭の日に声をかけられた男子だった。
「あ、俺、飯田元気って言います。圭斗の親友です!」
圭斗の友達と聞いて紗綾はほっとする。とりあえず、敵意は感じない。
「圭斗ならもう帰っちゃいましたよ」
やっぱり……、わかってはいたが、紗綾はシュンとする。これは長期の戦いになってしまうかもしれない。
もしかしたら、ここにいるとあの二人組に見つかってしまうかもしれない。
「で、何で、こそこそしてるんです?」
飯田が首を傾げる。
「あ、えっとね、ほら、私、疫病神みたいな扱いだし」
「ひょっとして、先輩、昼にも来ました?」
「う、うん……」
「あいつら……」
飯田が低く呻くように言う。
「女二人組ですよね?」
何でもないと言うべきだったのかもしれない。だが、紗綾は正直に頷いてしまった。
「片方が圭斗に惚れてるみたいで、すみません! いや、本当すみません! 俺からきちんと言っておきますから!」
彼が悪いわけでもなく、二人組が悪いわけでもないのに、飯田は深々と頭を下げる。
「えっと……頭上げて?」
「俺、やっぱり圭斗はオカ研にいた方が幸せだと思うんです」
ぱっと顔を上げて、飯田は言う。
それは紗綾にとって意外な言葉だった。
二人組の一人は『榊君はオカ研にいるべきじゃありません』と言った。紗綾自身もそう思っていた。
「あいつ、部活行かなくなってから機嫌悪くて、文化祭もサボったりして、女子にも冷たい態度取って」
全部自分のせいだと紗綾は思う。圭斗の機嫌が悪いのも何もかも、自分があんなことを言わなければ、避けなければ……と。
「妙に冷めたところある奴だけど、昔からあんなんだったわけじゃないんですよ。いや、昔っから俺には全然なんにも話してくれないんですけどね……まあ、だから、ちょっと心配で」
「……ごめんね」
自分のせいで彼の友人にまで迷惑をかけている。その事実が胸に痛かった。
「先輩のせいじゃないですよ」
香澄も将也もそう言ってくれる。けれど、それに甘んじていてはいけないのだ。
「わかってる。私のせいだよ。ちゃんと圭斗君にも謝らなきゃ」
「謝る必要なんてないと思いますけどね」
香澄もそう言ったのだが、それでは紗綾が自分を許せない。
「直接会って話したいの」
「わかりました。じゃあ、明日、また来てください。昼でも放課後でも、この飯田元気、女子の妨害も物ともせず必ずや圭斗と引き合わせますから!」
「あ、ありがとう……」
少し運が向いてきたのかもしれない。紗綾はそう思っていた。
だが、そうそう上手くいくはずなどなかったのだ。
全て試練なのかもしれない。今まで逃げていた人間に簡単に成し遂げさせてくれるほど神様は甘くない。
これに関しては自分の問題ではないと思うのだが、全く無関係とも言えない。
校門の脇に立っていたのは海斗の元恋人だというあの女性だった。
圭斗に用だろうか。でも、彼は帰ってしまった。それを伝えるべきなのか、知らないフリをしてしまった方が楽なのか、迷っている内に目が合ってしまった。
「ねぇ、あなたよね? 海斗と一緒にいたの」
ツカツカと彼女が歩み寄ってくる。気付かれている。その目は確信に満ちている。
「海斗の居場所は?」
「わかりません」
それは本当だ。彼がどこで何をしているかは知らない。将仁といるのかもしれないが、そうでないかもしれない。
「連絡先、知ってるでしょ?」
「知りません」
答えれば、彼女の顔が歪む。
「嘘吐かないで!」
確かに嘘を吐いた。鞄の中、手帳には彼から貰った名刺が入っている。携帯電話にも履歴が残っている。
「勝手に教えるわけにはいきません」
「私はあの人の恋人なのよ!? あなたなんかには渡さない!」
その剣幕に完全に紗綾は気圧される。
彼女は完全に誤解している。思えば、あの時から海斗に利用されていたのだ。
誤解を解かなければと思うのに、話が通じるとも思えない。
こんな時に誰か助けてくれないと思うのは悪い癖だ。自分で、自分の力で解決していかなければいつまでも前に進めない。
「私は」
「何してんの?」
決心して発した紗綾の声とその声が重なる。
驚く彼女の視線の先、振り返れば、帰ったはずの圭斗がそこに立っていた。
「圭斗……」
「圭斗君……」
彼はやはりあからさまに不機嫌だった。けれど、彼が睨んでいるのは女性の方だった。
「この人は関係ないだろ。巻き込むな」
「関係なくない!」
彼女が叫ぶ。圭斗の表情が険しくなる。
彼は海斗が何を言ったのかを知らない。
「圭斗だって本当は知ってるんでしょ!?」
「今の連絡先知らねぇし。音信不通」
「あなたまで私に嘘吐くの!?」
詰め寄られて圭斗は面倒臭そうに頭を掻く。
「あー、そう言えば……警察署行ったら会えるかも。司馬って刑事に聞けばわかるよ」
「会えなかったら、また来るから」
一旦納得したのか、彼女がさっと踵を返す。その様を紗綾は呆然と見送った。
それから、その視界に圭斗の後ろ姿が入って、ハッとした。




