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仮面が剥がれ落ちる時

 文化祭の翌々日、振替休日であるこの日、紗綾は駅前にいた。

 海斗と待ち合わせをしているのだ。

 依頼人からの相談に付き添ってほしいと言われ、どうせ暇だからと了承したのである。

 自分にとって何か得るものがあるのではないかと思えば悪い話ではなかった。



「すみません、折角の休みなのに」


 約束の時間より少し前に現れた彼はやはり今日も穏やかだった。

 それこそ、あの冷たい態度が嘘だったのではないかと思うほどに。

 けれど、警戒心を捨てることはできない。


「特にすることもないですから……」


 紗綾にとっては体験学習のようなものという意味合いもあった。

 今までもオカ研として黒羽オフィスの仕事を手伝わされてきた。

 だが、大抵の場合、紗綾は連れて行かれただけで、自分から何かしたという記憶がない。できるはずもないと思っていた。

 けれど、自分にできることがあるならば、その術を身につけたいとも思っている。

 もしも、自分だけにしかできないことがあるのならば、知りたかった。


 しかしながら、その考えは間違いだったのかもしれない。少なくとも相手が海斗では。

 都合の良いように利用されていることは明らかだった。

 今までもオカ研に利用されてきたと言えるのかもしれない。

 それでも、少なくとも、保身のためなどではなかった。


 一人目では淡い疑念、二人目では明確な疑惑、三人目で確信するに至った。

 一人目は女性だった。海斗は紗綾が来ることを伝えていなかったらしい。海斗が事情を説明して納得はさせたが、元々二人で会うつもりだったからか。終始紗綾の存在に困惑していたようにも見えた。

 二人目の女性は新しい相談者らしかった。第一印象から好意を抱いたのか彼に対しては友好的であったものの、終始紗綾の存在を気にしていたようだった。

 どちらの場合にしても海斗の対応は淡々としたものだった。

 三人目は男性だった。海斗は女性には見せなかった柔らかな対応をしていたが、相談内容が脱線するにつれて厳しくなっていった。



 三人の相談を終えた後で、海斗は食事にと誘ってくれた。

 特に空腹だったわけでもないのだが、紗綾には話さなければならないことがあった。

 どうしても、今、言わなければ、また流されると思っていた。

 このまま彼の思い通りになるわけにはいかなかった。


「今日は連れ回してしまって申し訳ありません」

「いえ……」

「とても助かりました。君を連れてきて良かったと思っています」


 そう微笑む彼は確信犯だろうと紗綾は感じていた。

 疑惑だけがグルグルと渦巻いている。


「またお願いしても構いませんか? そう頻繁にとは言いませんし、君にとっても良い経験になると思いますが」


 それは最早協力すると決め付けて言っているようだった。

 彼は何か手応えでも感じたのだろうか。だとしたら、間違っている。


「……申し訳ありませんが、お断りさせていただきます」


 妙に口の中が乾燥している。

 それでも、はっきりと紗綾は言い切った。


「おや? 君なら断らないと思っていたのですが、何か心境の変化があったようですね」


 さも驚いたように海斗は言う。

 だけど、彼はわかっていたようにも思える。今は彼の何もかもが演技に思えている。



「どっちの海斗さんが本当なんですか?」

「私は私ですよ」


 海斗は、なぜ、そんなことを聞くのか、とでも言いたげだった。

 けれど、紗綾はずっと気になっていた。彼には明らかな二面性がある。

 他人の前では穏やかな人に見える。しかし、近しい人間にほど冷たいのかもしれない。あるいは、近付こうとする人間にもそうだと言えるのかもしれない。


「……あなたは逃げてます」


 どうして、そんなことを言っているのか紗綾は自分でもわかっていなかった。

 疑惑の確信、協力できないという直感、ただそれだけだった。

 いつだってはっきりと自分の意見を言うことができないのに、今は何かに衝き動かされている。


「私が逃げている?」


 海斗の眉がピクリと跳ねる。それが仮面の剥がれる前触れのように思える。

 だから、紗綾は少し怖くて胃の辺りがもやもやするのを感じていた。喉の奥が締め付けられているような気さえする。

 けれど。口は勝手に開く。


「そうです。だから、協力することはできません」

「理由を聞かせていただきましょうか」

「あなたの言葉には心がないからです」


 どうして、自分にこんなことが言えるのか。

 本当に自分が言っているのだろうか。

 わからないまま紗綾は続ける。彼に協力したくないと思うのは本心だった。


「なぜ、そんなことを言われるのかわかりませんね」

「あなたは自分が傷付きたくないから踏み込まない。きちんと向き合えないから、そんな冷たい態度が取れるんです」

「君に何がわかるんですか?」


 ついに仮面が割れた。そんな音が聞こえた気がした。

 紗綾は恐怖を感じながら、どこかでは冷静な自分の存在を見ている。

 まるで、誰かが乗り移っているのではないかと馬鹿なことを考えている。


「自分から心を開かなければ相手にも開いてもらえないと思います」

「なら、君は心を他人に開示できると? 誰にでも分け隔てなく」


 人見知りがひどいことを考えれば、そんなことを言うべきではないかもしれなかった。とても心を開けているとは言い難い。他人にどうこう言える筋合いではない。

 けれど、少なくとも彼のように意図的な拒絶はしていないつもりだ。

 どうであっても言わなければならないと感じていた。


「カウンセラーを名乗るならもっと親身になって聞いてあげてください」

「親身になれる相手ならなりましょう。でも、最初の女性は既に依頼を解決したにも関わらず、関係を望んできます。お礼などと言ってしつこく誘いをかけてきて困っていました」


 はっきりと海斗は言う。

 女性はこれまではもっと露骨な態度だったのかもしれない。

 紗綾は海斗の狙い通り抑止力となったのだろうか。

 どちらにしても、彼は今日で終わらせたつもりらしかった。


「二人目の女性も挙動不審でした。君も気付いたでしょう? 随分と邪魔に思っていたようですね。君がいなければ、最初の女性と同じようになったかもしれません。ああいう女性、結構多いんですよ」


 彼女は随分と熱心に海斗を見ていたようであった。気持ちはわからないでもない。

 紗綾は終始緊張気味だったが、海斗は冷静に何も観察していたのだろう。


「三人目の男性は私利私欲を露呈させた」


 いつもオカ研では事件を追っていた。

 だから、紗綾にとって、先祖の霊から隠し財産の在処をどうにか聞き出してほしいなどと言い始めた時には戸惑いを隠せなかった。

 そして、今、相談者達を軽蔑しているような海斗の態度に何とも言えない気持ちになっている。

 悲しいのやら悔しいのやら腹立たしいのやら、全ての感情がごちゃ混ぜになってよくわからない。


「嵐さん達と一緒ですよ。依頼が終われば赤の他人、仲良くする必要もない。望みを叶えたらもう必要ない。使い捨てなんです」


 依頼を解決すれば馴れ合いは不要――それがオカ研のルールであり、依頼人にはその後の約束事が書かれた手紙を渡される。

 ただし、心霊的な相談にはいつでも応じる。それが、円滑に心霊的な問題を解決するためなのだと彼らは言う。

だが、海斗の場合は言い訳に聞こえた。


「私が知っている人は、その一時だけは大切にします」


 一期一会の心で臨む彼のことが脳裏をよぎる。無愛想だが、通常時よりは歩み寄ろうとしているように思える。


「久遠の弟十夜君」


 言い当てられて紗綾は動揺しなかったわけでもない。

 けれど、何よりも今になって彼を理解したことに驚いていた。過ぎ去ったことを美化しているのかもしれない。

 否、彼はいつだって助けてくれた。現在がどうであろうとそれは事実だ。


「彼こそ拒絶している」

「そうかもしれません。でも、あなたみたいに自分を守るためではありません」


 無愛想なのは元々内気な性格だったのに加え、一度、心を閉ざしてしまったからだと聞いている。

 だが、他人を攻撃することはない。呪うなどと口走るのも、自分から遠ざけたいからで、本当はできもしないのだろう。したくもないことを言っている。

 人が嫌いなのではない。嫌いになれないからこその距離なのかもしれない。


「俺が保身のために他人に深入りしないのは認める。もう煩わしいのはごめんだ」


 その目が冷たさを持ち始めている。優しい仮面はもう壊れた。全ては紗綾を利用するための演技だったのだろう。


「あの人は、人を傷付けるのが怖いんです」

「ああ、彼は人殺しだからね」

「違います!」


 思わず、紗綾は声を荒らげた。

 海斗が口角を吊り上げたのを見てしまった。


「彼は君には真実を?」

「いいえ、何も聞いていません」


 真実など話してくれなくてもいいのだ。もし、話して楽になると言うのなら、いくらでも聞きたいと思う。

 だが、苦しめるくらいなら、黙って側にいた方がいい。それを望まれるならば。

 今はそう思える。


「なら、それは君が彼を信じたいだけだ」


 そうかもしれない。紗綾は信じたいと思っている。それは、同情心なのかもしれない。


「あの人はそういう人じゃありません」


 根拠があるのかと言われれば困る。他人を定義することなどできない。

 ただ、十夜から感じるのは戒め、自虐めいたものだ。

 何か罪の意識があるのは間違いないが、人殺しという言葉から連想するものとは異なっている気がする。

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