黒王子の逃亡
演劇部の上演まで二人で色々と見て回り、劇を楽しんだ。
また香澄とは別れ、展示でも見に行こうかと思っていた時、将也からメールがあった。
『最終兵器、逃亡中。もし、見かけたら連絡お願い』
最終兵器とは十夜のことだろう。
彼も王子の格好をしているのだろうか。
見てみたい気はするが、会ってしまったらどうすればいいかわからない。
将也に協力できないのは申し訳ない気もするが、会わないことを祈った紗綾は自分の性質について完全に失念していた。
「あ、すみません!」
ぼーっとしていたら人にぶつかってしまった。
咄嗟に謝罪の言葉を口にして、相手を確認しようと顔を上げた紗綾は固まるしかなかった。
「あ……」
今、正に会わないことを願った男――黒羽十夜が目の前にいた。
願ったところで回避できるはずもなかったのだ。起きてほしくないことほどよく起きるものだ。
まず、浮かんだ言葉は『黒い』の一言だった。
将也が純白の王子ならば、彼は漆黒だ。
何度か見たことのある私服も黒ずくめとしか言いようがないが、同じ黒でも今纏っているのは普段ならば絶対に着ないようなデザインのものである。
本当に逃亡中なのだろう。いつもクールというよりは無表情だが、今はどこか慌てているようにも見える。
「司馬に捕まってこの様だ。断じて俺の趣味ではない」
何も聞いていないのに、珍しく早口に言うのは言い訳のつもりなのだろうか。
「……それ、まさか王子なんですか?」
将也の白王子に対して黒王子なのか。王子と言えば、王子だが、善良には見えない。
不機嫌を露わにして彼は今まで接客をしてきたのだろうか。将也の言葉から考えれば、いただけなのだろうか。
いつものことだが、威圧感を丸出しにして客が逃げないものなのか。
尤も、将也のように営業スマイルを浮かべる十夜など全く想像もできないのだが、
気になることは色々とある。
会いたくないと思っていても、会ってしまえば案外何事もないように思える。
「貴様こそ何だ?」
ジロリと十夜が紗綾を見る。紗綾も決して普通の格好ではない。最早忘れていたのだが。
「浴衣……です。多分」
何だと言われても困る。紗綾の趣味ではないし、敢えて言うならば十夜と同じなのかもしれない。
「うちのクラス、王子喫茶に対抗するために浴衣カフェになったんです」
「それが浴衣なのか……?」
「せ、先生に聞いてください!」
十夜は怪訝そうだが、紗綾としては聞かれても困ることだった。
それより、自分は将也に連絡するべきなのか迷う。目の前でそんなことをしようものなら、本当に呪われてしまうかもしれない。
だが、放っておくのはいつも優しくしてくれた将也を裏切ることのように思えてしまう。
ぼーっとしていると、十夜がいなくなるかもしれない。
そう思った時、彼の背後から腕が延びてきた。
ガッシリと両腕を捕まれて、十夜は抵抗を見せた。彼も油断していたようだ。
「足止め、ありがとう」
十夜の片腕を掴みながら、王子様スマイルを浮かべるのは将也だ。黒と白のコントラストが目に痛い。天使に捕まる悪魔のようにも見える。
「あ、連絡できなくてすみません……」
「いや、連絡する素振りでも見せようものなら即逃亡だろ。たまたま俺らも近くにいたし、こいつも色んな奴にメールしたみたいだし」
将也の反対側の腕を掴む佐野が言った。
「そうそう、結果的にはOK。助かったよ」
将也はニコニコしているが、その腕には随分と力が籠もっているように見えた。
十夜も振り解けない腕に抗うのを止めたほどだ。
しかし、鋭い眼差しは向けられたままである。
「離せ、司馬」
「それは聞けないなぁ。神隠しみたいに見事に忽然と消えてくれちゃったりしてさ」
「俺は座っているだけと聞いた」
「座ってるだけだったでしょ?」
「こんなものを着せられるとは聞いてない」
十夜と将也のやりとりを聞きながら紗綾は自分と同じだと感じずにはいられなかった。
「甘いな、黒羽。腹黒真っ黒大魔王の司馬に、いてっ!」
「変なこと言わないでくれるかな? 佐野」
「本当のことだろ? 後輩の前だからって……いててっ!」
十夜の後ろで何が起きているのだろうか。将也は笑みを浮かべているが、佐野は顔を顰めている。
だが、ふと何かを見つけたようだった。
「司馬、丁度良いところに」
「ああ、本当だ。彼女はやっぱり鼻がいいのかもね」
将也も佐野が指す方向を見た。
「泉水さん!」
「泉水!」
二人が呼びかけると彼女はくるりと振り返り、寄ってくる。
「おおっ、王子三人で何してんのさ?」
カメラを手にした彼女はとても目が輝いているように見えた。
「逃げた黒王子を連れ帰るところなんだけどね」
「あわわわわっ、何て可愛いお姫様がいるのさ!」
くるっと紗綾の方を向いたかと思えば、思いっきり抱き着いてくる。むぎゅっとぬいぐるみにでもするように、容赦がない。
「折角だから記念撮影でも、と思ったんだけど……」
「とりあえず、離してやれよ。可愛い後輩が死ぬぞ」
身動きできず、声も発せなかった紗綾はそこでようやく解放された。
「で? 撮影って言った? 言ったよね?」
「うん、記念撮影をしたいんだよ」
「そういうことなら、どんとこい! じゃんじゃんばりばり撮っちゃうよ!」
カメラを構えた泉水は目の色が違った。人が少ないところへグイグイと引っ張っていく。
「ささっ、並んだ並んだ!」
強引に並べられ、何回もシャッターが切られる。
全てはあっと言う間の出来事だった。
「ありがとう、泉水さん。じゃあ、俺達戻るから」
将也は十夜を連行しようとするが、泉水の手がそれを許さなかった。
ガッシリと紗綾と十夜の腕を掴む。
「今度は黒い二人だけで撮りたいなー撮りたいなー……じゅるり」
その目には何か怪しい輝きが宿っている。
「泉水って、基本変態なんだ」
「ごめんね、言うこと聞かないと……どこまでも追いかけてくるから」
諦めて、と二人が困った顔で笑う。
十夜にも全く抵抗する術がないようだ。
結局、流されるがまま写真を撮られ、終わった頃には魂が抜けてしまいそうだった。
「じゃあ、折角だから、白と黒ってことで俺も撮ってもらおうかな?」
紗綾には将也が何かを言った程度にしか聞こえなかった。
「嫌」
先ほどまで機嫌よくカメラを構えていた泉水はくるっと踵を返していなくなってしまう。
「え、何、泉水さん? ちょっと!」
将也は引き留めようとするが、手遅れだった。
「何がいけなかったんだろ……」
「怖い後輩がいないからって羽目外してるからだろ」
がっくりと肩を落とす将也を佐野が冷めた目で見ていた。
「この際、ケータイで、って……何で二人とも睨むの?」
「戻るんだろ?」
最早、佐野はうんざりしているようにも見えた。だが、彼は将也に視線をやった後、十夜を見る。
「見られちまったんだから、もう諦めてるよな?」
問うものの、答えは求めていないようだった。すぐに視線が紗綾に移ってくる。
「クレープ好き? このまま食べにこない?」
「……シナモンアップルはありますか?」
クレープは好きと言うほどではない。だが、シナモンアップルだけは別であった。紗綾が唯一好きなクレープだと言える。
「あーあったあった」
「じゃあ……行ってみたいです」
紗綾は迷った。やはり興味があるのだ。今ならそれほど混んでいないかもしれない。そして、これは佐野の誘いだ。断れないという性質もある。
「俺が奢ってあげるよ」
「そんな……! 自分で買います」
「佐野? 君は何を考えてるのかな?」
「別に? クラスメート二人が随分と迷惑かけてるみたいだから――誰かと違って下に心はない」
時々、彼らが何を言っているのか、紗綾にはわからない。
「その前に、俺、行ってみたいところがあるんだよね」
将也が悪戯っ子のように笑み、紗綾はその行き先がわかってしまった。
「ちょっとだけだからな」
わかってるよ、笑う将也を佐野は疑わしそうに見ていた。
将也が向かった先は予想通りだった。
ただのカフェに浴衣を付けた原因である王子喫茶の三人の来店とあって、教室内は騒然となる。
それも何かと話題の三人だ。
「田端君、ちょっと」
香澄は逃げるか隠れるかしようとしているようだったが、目ざとく将也が見つけてしまう。
呼びかけられて、「うげっ……」と香澄は心底嫌そうな顔をしていた。
「売り子がお客様に向かってそんな顔をするものじゃないよ」
「先輩にだけ特別ですよ」
やはり、香澄も将也にはまた猫耳を付けている姿など見られたくないのだろう。紗綾はそう解釈することにした。
「これから、紗綾ちゃんをうちのクラスまで連れて行くんだけど、保護者の許可をもらっておかないと、と思って」
「何で、そんないかがわしいところに紗綾を? 佐野先輩はまだしも、どうせ、前部長殿みたいにとっても残念な人しかいないんじゃないですか? 目が腐りますよ。イケメン詐欺」
いつになく香澄は辛辣な物言いだった。
「司馬は白が性格に合わないのを除けば、ましな方だよ。かぼちゃパンツはかされた奴とかいるし」
「なんか聞き捨てならないけど、あいつは可愛いからいいんだよ」
「まさか、女子の仕業じゃなくてお前の陰謀か?」
ここ数日で将也のイメージが変化しているように感じられた。
今まで陸上部部長という印象が強かったが、これが彼のクラスでの自然な姿なのかもしれない。
「大体、連れて行こうとしてるのは佐野。食べ物でつろうとしてるの」
「それって、まさか、シナモンアップルですか?」
「人聞き悪いこと言うなよ。まったく、お前ってやつは……」
佐野が頭を掻き、それから、じーっと疑念に満ちた視線を送る香澄を見て、溜め息を吐く。
「俺は誰かさんの下の心が出る前に先手打っただけ。クラスメート二人が迷惑かけてて申し訳ないと思ってるし、売り上げ伸ばそうとか考えてないから」
「さすが、佐野先輩。どこかの人とは違いますね。中身もイケメン」
香澄は納得したようだった。
「司馬もいつも迷惑かけてる後輩に奢ってやれよ」
「ガッツリしたの、ありますか?」
「あー、何かあったよな?」
「君、お昼食べてないとかないよね?」
「一緒に色々食べましたよ」
「私が飢えてるように見えるんですか、司馬前部長殿?」
今の香澄からは将也に対する不信感さえ感じられる。それがなぜだか、紗綾には全くわからない。
「……わかったよ、可愛い後輩に奢ればいいんでしょ?」
「いえ、後が怖いので遠慮します」
「ほんと、君は俺をなんだと思ってるんだろうね」
最近の香澄と将也はわからない。部のことで行き違いでもあったのではないだろうか。そんな心配さえしてしまうが、何事もなかったかのように香澄が紗綾を見る。
「紗綾だけ行ってきなよ。佐野先輩がいるなら安心だし」
「ああ、俺が責任持つよ」
「代わりにうちの売り上げに貢献してください、ね?」
香澄がそんな営業スマイルを浮かべるのを見るのは紗綾としても初めてだった。
その背後ではにっこりと女子達が笑んでメニューを差し出していた。




