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ごく普通の青春

 久遠と分かれてから、香澄に差し入れをしようと考え、紗綾はじゃがバターなどを買って、教室に行ってみることにした。

 途中で一年生らしき男子生徒に声をかけられ、「後で絶対行きますから!」などと言われ、苦笑いするしかなかった。

 これは詐欺にはならないのだろうかと思うが、いざクラスに着けば、妙に盛り上がっている。


 カフェとは言っても飲み物やアイスなどを売っていて、中でも休憩できるようになっているが、持ち帰ることもできる。

 廊下に並んでいるのは男子生徒が多い。外で呼び込みをしているクラスメイトに声をかけて入れてもらえば、すぐに香澄を見付けることができた。

 仏頂面で机を拭いている彼女の頭にはなぜか耳が生えている。猫耳だ。



 香澄が休憩になり、出てくる。紗綾は気になる耳について聞いてしまっていいのか迷ったが、当然のようにそこにある。


「ん? どうしたの?」

「そ、その耳……」


 恐る恐る切り出せば、はたと思い出したように香澄は頭に触れる。


「あ、忘れてた。これ、じゃんけんで負けたから罰ゲーム」


 猫耳カチューシャを外して、香澄は近くにいた女子に押し付ける。


「紗綾は何を持ってるの?」

「差し入れ買ってきたよ」

「ほんと?」


 袋を開いて見せれば、香澄は目を輝かせ、その視線が焼きそばパンに行く。

 それは紗綾が買ったものではないのだが、一人で食べきれる物でもない。

 香澄には悪いが、食べ終わるまで久遠の名前は出さないことにしようかとも思ってしまう。


「何かさー、カレー食べたいんだよね。なんかずっと匂いがしててさ……買ってくるからちょっと待ってて」


 ずっと誘惑されていたのだろうか。香澄はすぐにそう言って隣のクラスに入って行く。



 廊下で香澄を待っていると前方から野島がやってきた。

 彼は歩く宣伝ポスターであり、体の前後に貼り付けている。


「よっ、月舘。なかなか評判だぜ」

「野島君が頑張ってるからだよ」


 きっと、そうに違いないと紗綾は思っていた。

 彼にも何か差し入れを買ってくるべきだったのかもしれない。随分と校内を歩き回っていたようだ。


「田端だったら、そんなこと絶対言ってくれないって! いや、お前だけだよ、月舘!」


 野島は妙に感激しているようだったが、タイミングが非常に悪かった。


「私が何?」


「い、いや、何でもねぇよ」


 野島の後ろに立っているのは香澄だ。

 ギシギシと音がしそうな様子で振り返った彼はごまかそうとするが、無駄だった。


「何かいかがわしいお店の客引きみたいよね」


 少しひどいと紗綾は思うが、がっくりと肩を落とした野島はショックを受けている様子でもなかった。


「……それ、もう何回も言われたよ」


 お前まで言うか、と野島はすっかり諦めたようだった。


「他のクラスのまで付いてるし」

「くそっ、またやられた!」


 言われた瞬間、野島は背中を見ようとするが、見える物でもないだろう。それでもペタペタと触ってどうにか取ろうとしている。

 そもそも、直に貼り付けているのではなく、段ボールでできた土台を肩から紐でかけているのだから、外せば良いのだが、そこまで気が回らないのだろう。

 紗綾は取ってあげようとしたが、その手を香澄に掴まれて、グイグイと引っ張られる。


「じゃあ、私たち時間が惜しいから」

「待ってくれ、取ってくれよ! 月舘!」


 半ば引きずられるような紗綾に野島は縋るような声をかけてくる。周りがクスクスと笑うが、本人は気付いていないようだ。


「えっと、香澄の嘘だよ」


 何だか可愛そうになって紗綾は教えてしまった。野島も一度やられてから警戒していたのだろう。そんなものはないのだ。

 昨日追加した『浴衣美人います』の文字が主張するだけだ。


「ちくしょー!」

「放っておけば、楽しかったのに」


 先ほどの仕返しのつもりだったのだろうか。

 本人以外は楽しそうであって、彼はそういうポジションの人間だと言ってしまえばそれまでなのかもしれない。



 香澄の希望で前庭のカフェスペースに行くと、丁度席が空いたところだった。香澄の運は紗綾の影響を全く受けないようだ。


「将也先輩と佐野先輩に会ったよ。本当に王子様だった」


 食べ物をテーブルの上に広げながら紗綾は何となく思い出すが、香澄の反応は予想とは違うものだった。


「うわっ、見たくないなぁ……」


 彼女の場合、陸上部の前部長としてのイメージが強いからだろうか。


「将也先輩は白王子って感じだったよ」

「似合わなそう……」


 香澄は心底嫌そうに顔を歪めている。嫌われている、という話が信憑性を帯びてしまうほどだ。


「あ、写真撮らせて貰えば良かったかな」


 他の女子ならすぐさま携帯電話を取り出しただろう。実際、紗綾たちが話している間、撮影しようとしていた人間もいたくらいだ。


「やめときなって。心霊写真になったらどうするの。あの人、真っ白なように見えて黒いから」

「そ、そうなの……?」

「奴らに比べたら灰色かもしれないけどさ」


 奴らとは、やはりオカ研ということになってしまうのだろう。

 けれど、将也がなぜ、黒いのかは紗綾には想像もつかない。

 その言葉の意味を聞くために口を開こうとすれば、先手を打たれてしまう。


「はいはい、やめやめ! ご飯は美味しく食べましょう」

「う、うん……」


 話を打ち切られてしまえば、紗綾はそれに従うしかない。後で話してくれると言うのなら、それを信じて待つしかない。



「って言うか、焼きそばパンなんてよく買ってきたね。あいつらのクラスでしょ?」


 半分にした焼きそばパンにかぶりつく香澄は少し不思議そうだった。


「あ、それ、久遠さんがくれたの」


 白状してしまえば香澄は完全に沈黙した。


「…………」


 焼きそばパンを持つ手が緩んだように見えたが落ちそうなほどではない。

 一時停止でも押されたようで、やはり言うべきではなかったのかと思った紗綾はどうにか香澄を動かそうと考えた。


「えっとね、差し入れはこっち。ポテトとか好きって言ってたから」


 一緒に昼食を食べられるとは思っていなかったのだ。

 だが、各店の混雑がこの場所からよく見える。席が空いていたのも運がいい。


「まあ、食べ物に罪はないか……」


 じっと食べかけを見つめて、香澄は再びかぶりつく。


「ロビンソン君が売ってたみたいだよ」


 余計な一言だったかもしれないが、後からわかるよりは今言ってしまった方がいい。そもそも、彼らのクラスだということは既にわかっているのだ。


「……お願いだから、紗綾は紗綾のままでいてね」

「え……?」

「これ以上、オカ研に染まっちゃダメってこと。あんたのことだから、悪意なんてこれっぽっちもなくて、単に言うタイミング逃しただけなんだろうけど」

「退部した方がいのかな……」


 オカ研の呪縛は完全に消えたわけではない。退部したところで完全に消えるわけではないだろう。

 元々、自分で良ければ、と入った部活だ。今でも何かできることがあるなら、と思ってしまう。隠されていた真実を知ってしまっても嫌いになることはできない。

 そして、自分が壊したものを元に戻さなければいけないという使命感のようなものもある。

 永遠子や久遠は放っておけばいいと言ったが、気になってしまうのだ。


「どうしたらいいかわからないなら、そのまま振り回してやれば? 今まで散々振り回されてきたわけだし。元々名前だけでいいとか言ってたし」


 香澄に言えば、今すぐ辞めろと言われると紗綾は思っていた。



「海斗さん……圭斗君のお兄さんには、仕事を手伝ってほしいみたいなこと言われたし……」

「だって、その人、なんか怖いんでしょ?」


 紗綾は黙って頷く。彼には二面性がある。自分に見せる顔と圭斗や元恋人に対する冷たい態度が頭から離れない。

 どちらが本当なのかわからないのだ。


「次に会う時は私も立ち会おうか?」

「ううん、大丈夫」


 香澄がいれば、相手が誰であっても怖いものはないと思える。

 けれど、自分で乗り越えて、やっと問題が解決するように思うのだ。

 彼女は何度でも心配してくれるかもしれない。

 優しい声をかけて、助けてくれようとするかもしれない。

 だが、頼るのは本当に困った時だけにしようと決めていた。


「そうだ。演劇部とか見に行った?」

「ううん、何となく入り辛くて……」


 演劇部と言えば紗綾も興味はあった。部長を始め、強烈な個性を持った部員達によるオリジナルの演目が話題になっている。

 だが、宣伝のために歩き回らなければと思い、今年も見ることはないだろうと諦めていた。


「じゃあ、この後の上演、一緒に見に行こうよ」


 香澄は本当に何気なく誘ってくれたのだろう。彼女にとっては当たり前のように。

 たったそれだけのことなのに、なぜか涙がじわりと滲む。


「え、何、どうしたの?」


 何でもないのに、涙を浮かべるなど不審に思われただろうか。

 このままだと香澄に泣かされたと思われてしまうかもしれない。

 迷惑をかけたくないのに、じわじわと滴は溢れ出ようとする。


「なんかね、文化祭だなぁって」


 上手く言葉を伝えられない。もっと言いたいことがあるのに、声にならない。


「あー、去年とか全然楽しくなかったでしょ? ダメよ? ちゃんと青春しないと」


 香澄には伝わっているようだった。

 全く楽しくなかったわけではないが、普通とは言い難かった。

 こういう何気ないことが、何も特別でないようなことが欲しかったのだ。


「私があいつらに取られたあんたの青春を取り戻してあげる!」


 よしよし、と頭を撫でられて、香澄に抱き着きたい気持ちになる。

 とても良い親友を持てたこと、それが何よりもの幸せに思えた。

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