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残酷な人

 また一人で回ることになった紗綾は外に出てみることにした。

 前庭には多くのクラスの模擬店が集結する。そろそろ、何か食べ物を買いたい気分でもある。

 その途中で紗綾は思わぬ人物と遭遇することとなった。


「海斗さん……」


 偶然か、それとも必然なのか。

 彼は微笑みながら手を振って、ゆっくりと近付いてくる。

 何気ないようで、妙な存在感がある。側にいるほどに、それを感じる。

 言い換えれば恐怖なのかもしれない。

 遠ざけたい気持ちと知りたいという好奇心が交錯する。


「今、大丈夫ですか?」

「はい」


 断れないのが紗綾の性格である。

 彼が何を考えているのかはわからない。それなのに、拒絶することができない。

 変わらないはずの日常が壊れたのは彼の存在があったからだ。彼が崩壊の種を蒔いた。けれど、彼でなければできなかったように思うのだ。

 そもそも、真実を隠蔽してきたのはオカ研の方だ。

 彼が現れなければ卒業までそのままだったかもしれない。

 だから、彼を憎むべきか、感謝すべきかわからないでいる。


「もし、良かったら、少し案内してくれませんか?」


 案内がてら真剣な話をするのは難しいだろう。彼も文化祭を楽しみにきただけかもしれない。


「私で良ければ」


 どうせ、暇なのだ。一人でフラフラしていれば、また会ってしまうかもしれない。彼には何でもわかってしまうかもしれない。

 それならば、と紗綾は彼の望み通りにすることにした。



「今日は、随分と可愛らしい格好をしているんですね」


 紗綾はふと自分の格好を思い出して恥ずかしくなり、慌てて口を開く。


「クラスで浴衣カフェをやっているんです。急遽決まったのでパンフレットにはただのカフェなんですけど。でも、他の子はちゃんとした浴衣で、ピンクとかで可愛いんですよ」


 羞恥心を紛らわすために一気にまくし立てて、余計穴に入りたくなってしまう。

 だが、海斗はそれでも微笑み続けていた。


「それは、嵐さんの趣味ですよね」


 今正に大人しくなろうとしたのにも関わらず、大きく何度も頷いてしまう。

 けれど、そう思うのも、無意識の反応の理由も、全ては彼が大人だからなのかもしれない。

 嵐よりも若いのだろうが、それ以上に落ち着いているように思えるのだ。



「えっと……どこか行きたいところはありますか?」


 あてもなく歩いたのでは仕方がない。案内をする以上彼が行きたいところに連れて行くのが自分の使命だと感じていた。


「圭斗のクラスは何を?」

「外で、焼きそばと焼きそばパンを売ってるみたいです」

「焼きそば、ですか」


 圭斗を探せないと言ったことが本当なのかはわからない。

 疑おうと思えば全てを疑うこともできる。彼はそれだけ疑わしい人物でもある。

 けれど、海斗は圭斗が何組なのかさえ知らないのかもしれない。

 だから、まずは自分を探しに校舎まで来たのかもしれない。

 パンフレットを見ながら、紗綾はそんなことを思う。


「でも、多分……」

「圭斗はいないでしょうね。ただ、興味があるんです」


 どこまで彼を信じればいいのかはわからないが、全く嘘ではないだろうと思っていた。

 紗綾も丁度前庭に行こうと思っていたところだ。



 前庭に着くと、どこもかしこも賑わっている。

 食べ物の美味しそうな匂いが鼻腔を擽る。

 立ち並ぶ模擬店の中から焼きそば屋を見つけ出し、近くまで海斗を連れて行く。

 並んでいる人の隙間から見えるのはリアムであり、海斗が眉根を寄せたように見えた。


「えっと……彼も、サイキックです」

「どうりで……」


 海斗には感じるものがあったようだ。

 尤も、彼は大人しくしている。


「でも、オカ研には圭斗が?」

「やり方に問題があるみたいで……入れるのは一人だけなので」


 紗綾にはサイキック事情はよくわからないが、彼らに言わせればリアムは乱暴らしい。

 幽霊に暴力を振るうのは十夜の強制除霊とは違うのだろうかと紗綾は思う。

 尤も、十夜の場合は踏み切る前に止められるのだが。


「圭斗自身に強い力はありませんが……」

「眷属ですよね? 狼の……」

「ええ、大さんです」


 ニッコリと海斗が笑む。

 圭斗自身は頼斗と呼んでいるらしいが、気に入られていないらしい。

 そして、その大さんという呼び方を気に入っているのだと彼は寂しげに笑い飛ばしていた。


「もしかして、その名前って……」

「私が付けました。大神の大さん。嫌がられていますけどね」


 納得できた気がした。圭斗が『ひでーセンス』だと言うのも、あの表情の理由も。


「子供じみた当て付けだったのかもしれませんね。いっそ、自分の物になればと思ったことすらあります――なんて、暗い話はよくありませんね」


 やはり、海斗は大人だと紗綾は思った。やはり、彼なりに文化祭を楽しみにきたのかもしれない。


「さあ、どこに……」


 次の行き先を決めようとしたはずだった。

 それなのに、海斗の表情は険しくなる。


「すみません」


 呟きの意味を理解する前に紗綾の手首は掴まれていた。

 一体、どうしたのだろう。

 そのまま引かれた気がしたが、すぐに止まった。



「海斗!」


 呼びかける声に、彼はあからさまに溜息を吐いて振り返る。

 紗綾もそちらを見れば、あの海斗の元恋人だという女性が立っていた。

 彼は彼女に気付いて、逃げようとしたのだろうか。けれど、できなかった。


「なぜ、あなたが、ここに?」


 どこかうんざりしたような冷たい声だった。

 それでも、彼女は海斗をじっと見つめる。


「あなたに会うためよ。絶対いると思った」

「そのためだけに?」

「他に理由なんてあるの?」

「それは学生さん達に失礼でしょう?」

「そうじゃなきゃ、あなたには会えないでしょ?」

「会う気がありませんからね」


 海斗の態度は冷たい。

 圭斗に対する時とはまた違う。完全に他人のような扱い方に思えた。


「そんなの納得できない!」

「納得してください。そして、もう二度と目の前に現れないでください」


 彼女の気持ちも紗綾にはわかる気がした。

 彼は何も言わずに姿を消していたのだ。そんな別れは、別れと言えるだろうか。

 どちらにしても、それは彼らの問題であって自分がいるべきではないと紗綾は思う。

 だから、その場を離れようと思ったのだが、手首は掴まれたままだった。

 そして、彼女の目が向けられる。


「あなた、海斗の何? 圭斗とも一緒にいなかった?」


 睨まれて、紗綾はどうしていいかわからなくなる。

 自分は何でもないと言いたい。それなのに、元々の人見知りと緊迫した空気のせいで言葉が出てこない。


「失礼なことはやめてください。彼女はいずれパートナーになる人です」


 仕事のパートナーにならないかとは言われたが、まだ答えは出していない。

 追い払うための嘘だろうか。それとも、彼はそうなると思っているのか。

 いずれにしても、彼女を傷付けるには効果があったのかもしれない。

 その目が揺らいだ気がした。今にも泣き出しそうに見えた。


「許さない! あんな終わり方なんて私は絶対に許さないから!」


 吐き捨てるようにして、彼は走り去っていく。


「申し訳ありませんでした」

「いえ、あの……」

「どこか行きたいところは?」


 何事もなかったかのように海斗は言う。

 そんな場合ではない気がした。きっと、彼女は今泣いている。彼の冷酷な仕打ちに悲しんでいる。それを放っておくべきなのだろうか。



「お前も帰ったらどう? 彼女を追いかけるべきだよ」


 淡々とその声は響いた。紗綾が言えないことをはっきりと言った。


「久しぶりだね、久遠」

「勝手に消えたくせに白々しい」


 視線を動かして海斗は微笑むが、対する久遠の表情は険しい。


「友達に厳しいじゃないか」

「さっきも敢えて誤解を招く言い方をしたよね?」

「立ち聞きか?」


 友達というには二人の間には冷たい空気が流れる。

 これほど久遠が怒っているのも珍しいものだ。


「公開痴話喧嘩に立ち会わされる方の身にもなれ。その子にも近付くんじゃない」


 久遠がじっと睨み、海斗は肩を竦める。


「退散しないと面倒なことになる、か……」


 呟いて海斗が手を離す。反射的に紗綾が彼を見れば、微笑みが返ってくる。


「私のことはいいですよ。もう十分楽しみましたから」


 そう言って、彼は離れて行く。女性が消えたのとは全く別の方向だった。



 彼を追い払ったことに満足したのか、久遠は小さく息を吐いた。


「久遠さん……」

「本当に君は生身の人間に対しては危なっかしいね」


 何を言ったのか紗綾にはよく聞こえなかったが、聞き返そうとは思わなかった。


「離れて大丈夫なんですか?」


 なぜ、彼がここにいるのだろうか。それが疑問だった。彼はオカ研の客寄せパンダであるのに。


「早めにお昼調達してこいって言われて買い出し」


 笑って、久遠は両手に持った服を掲げる。色々な店の食べ物がそこに入っているらしかった。


「今、光君が来てくれてるし、その顔でサービスしてもらってこいって言われて……ひどいよね、うちの親」


 永遠子ならば言いかねない。紗綾は妙に納得してしまう。


「大体、焼きそばとかって男の子が作ってるでしょ? 母さんが行けば心なしか大盛りになると思うんだけど、嵐さんまで『お前は両刀だから』とか言うんだよ? まあ、この通り大量なんだけど」


 成果はあったようだ。


「さすがに汁物運ぶのは大変だから配達頼んじゃった。おでんとかカレーとかうどんとかさ」


 デリバリーのサービスなどあるのだろうか、紗綾は首を傾げる。だが、彼に頼まれれば断れないだろう。


「あの、それ、冷めちゃわないですか?」


 追い払うつもりではなかった。永遠子はそういうことを気にすると知っていたからだ。


「あ……そうだね。母さんに殺される。行かないと」


 久遠はちらりと時計を見る。無茶な時間制限があっても不思議ではない。

 慌てて戻ろうとした久遠はふと思い出したように袋に手を入れ、何かを差し出してくる。焼きそばパンのようだった。


「あげるよ。お昼、まだでしょ? 返品は不可、遠慮はなし。迷惑料だと思って」


 貰ってしまって良いのだろうか。紗綾は断ろうと考えるが、久遠は受け取らなければ帰れないとでも言いたげだ。


「ありがとうございます」


 結局、紗綾は受け取ることにした。

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